剥がれ落ちよ 剥がれ落ちよ 剥がれ落ちよ

 紫山水明は、周囲から向けられる評価ほどには自己評価が高くない。

 なので、中村の言葉を完全にそのまま受け取っていたわけではなかった。


 悪の気配や匂いは、そこまで正確に分かるわけではない。

 悪人を見逃したことは多いし、このへんに悪人が多いな……というぼんやりとした印象で受け取ることの方が多い。

 スライムの時も、紫山は怪しんでからそれぞれの顔をじっくり見て判別していた。


 なので、紫山は自分が確実に黒幕を見抜けるだなんて思っていなかった。

 見抜けるかもな、くらい。

 その上で、"中村が見抜けると言ってるなら見抜けるんだろうなあ"とも思っていたので、彼は自分の能力を盲信しないまま、見抜けるだろうと信じ、謁見の間へと足を踏み入れていた。


「どうぞ、みなさまがた。王がお待ちです」


 そこに、無言の『悪』が居た。


 今思えば、紫山の思考から抜けていたものが一つだけあった。

 紫山の能力の高低で気付ける気付けないが決まるとか、そういうのではなく。

 黒幕の擬態能力の高低で気付ける気付けないが決まるとか、そういうのでもなく。

 ""と、中村が揺るぎなく信じているほどの、『悪の絶対性』を持つ者が、そこに居るという可能性だ。


「っ」


 紫山は顔にほとんど出さず、声にもほとんど出さなかった。


 紫山とイリスは、セレナに倣って、見様見真似に膝をつき、頭を下げる。


 『それ』の顔面を撃ち抜きたくなる衝動―――否、正しき使命感を、紫山は必死に抑えていた。

 悪が居た。

 命に対する悪が。

 社会に対する悪が。

 世界に対する悪が。

 倒さなければならない悪が、そこにいた。

 悪は、世界を歩く人型の異界そのものだった。


 『それ』は、王様の横で、アマリリス王国宰相の中年男の姿をしていた。


 壇上の高みにて、優しげに微笑む王様の横で、無表情な宰相が怪しさの欠片もなく佇んでいる。


 おぞましい。

 汚らわしい。

 最悪だった。

 紫山の戦慄は、この領域を観測している女神にも伝わってくる。


 女神の視覚を阻害する、邪悪な力が謁見の間に満ちている。

 紫山らをアンカーにして焦点を集中して見ても、なお見え難い。

 女神以上に鋭敏なヒーローの悪を嗅ぎつける嗅覚が、鼻を曲げてしまいそうなくらいに激烈に警告している。

 絶対的に倒すべき悪と、救い上げるべき悲しき存在を見分けられるのがヒーローだが、彼が持つ『ヒーローの資質』が、今の一分一秒全てで、紫山に「戦え、倒せ」と言っている。


 『それ』は、スライムのような変身をしていなかった。

 『それ』は、アマリリス王国宰相の脳に寄生していた。

 『それ』は、宰相の意志を残したままその体の全てを操っていた。

 『それ』が、宰相の愛した国をめちゃくちゃにするのを、宰相はずっと見せつけられてきた。


 

 ファンタスティックバイオレットが戦った"先代ファンタスティックV"、彼らのメンバーである一人を操り悪の側に回らせ、正義の戦隊を仲間割れに導いた『怪人パラサイト』と同種の―――寄生する悪。

 いや、『寄生魔王』か。


 紫山は宰相の方を見なかった。

 それでいい。

 それが正しい。

 戦闘経験豊富な者のほとんどは、宰相から目を離さないだろう。

 優秀なベテランであればあるほど、強力な仮想敵から目を離すことはない。

 敵の初動を見逃せば、一瞬で殺されてしまうことを知っているからだ。


 しかし、今回は"気付いていることに気付かせない"ことが肝要。

 宰相とは会話せず、目を合わせないくらいでちょうどいい。

 魔王が何かしてきたとしても、そこはずっと女神が見ている。

 紫山の背後から襲いかかったとして、それは通じない。

 紫山は見ず、女神が見る。

 これが最善の選択だ。


 あとは、最後までなんとかやり過ごせれば。


「このたびは、まず、其方らの貢献に対し……」


「おや」


 ……? 宰相が王の言葉を遮って、紫山を見ている。じっと見ている。


 紫山の行動や振る舞いに客観的な失態は無い。気まぐれだろうか?


「て、テルーテーン宰相殿? 王の言葉を遮るなど、無礼が過ぎますぞ」


「少し黙っていろ」


「て……テルーテーン殿! 王の御前で、賓客の御前で、なんたる言葉遣いを」


 大臣が金切り声を上げ、宰相が笑む。

 その視線は紫山を捉えている。

 口が開いて、開いて、開いて、人間の稼働限界を超えて、口の両端が耳に届きそうなくらい、開いて……不気味な笑顔が……これは……?


「やっぱり。見えてるな。フ、フフフ、フ、あらあらあらあら、見えてるわよね?」


 宰相が壇上から降りてくる。

 一直線に紫山に向かってくる。

 迷いなく歩き寄ってくる。

 その口調が、その声色が、硬い中年男性のものから、だんだんと甘ったるい少女のものになっていく。


 いや、これは。


 ! 紫山さん! 気付かれてます! 武器を!


「そうか、お前が噂の。じゃあ、もういいわね」


 そして、誰もが状況を理解できていない中、魔王は一も二もなく、混乱につけ込む形で紫山に奇襲を仕掛けた。

 他の者が相手であれば、混乱の内に確実に殺せていたであろう、唐突で脈絡のない奇襲だった。


 振るわれる魔王の爪、都合十五回。

 振るわれる銀剣、都合六回。

 宰相の身体を使っているというのに、なお存在する圧倒的な身体能力差と速度差があった。


 紫山の腕、頬、足が切られ、血が吹き出す。

 黒く短い髪の毛が切り裂かれ、はらりと落ちる。

 されど急所に届いた攻撃は一つもなく、紫山は技量と経験のみで捌き、最小限の力で攻撃の側面を叩いて流し、致死の十五連撃をしのぎきっていた。


 不気味な笑顔の口が、もっと大きく開いて、開いて、開いて―――開いた口から、『恐ろしい生き物』が、這い出るようにして現れた。


「フ、フフフ、フ! いいね! いいわね! 謀略も楽しかったけど……やっぱり魔王が堪能する娯楽は、こういうのじゃなきゃ!」


 それは、全身が瘡蓋かさぶたの少女だった。

 人型であることは間違いない。

 顔も人間で言うところの美少女だ。

 なのに、全身が瘡蓋だった。

 赤っぽいような、黄色っぽいような、茶色っぽいような、気色の悪いカサブタの集合で出来ていた。


 瘡蓋は体表を這い回っており、まるで一つ一つが生物のよう。

 生きた瘡蓋が皮膚からどけると、その部分に少女らしい色気のある白肌が見える。

 少女の儚い美しさと、その体表を瘡蓋が這い回るおぞましさの相乗効果には、大量の虫に捕食される少女を見ているような、そんな生理的嫌悪感がある。

 厚着して瘡蓋の位置を調整すればただの美少女にも見えるかもしれないが、少なくとも今は、おぞましさしか感じない。


 そして、その頭部から『やじりの耳』が生えていた。


 中村は内心歯ぎしりし、魔王の思考に対する推測を修正する。


『どういう胆力してやがる……!』


 積み上げてきたもの、全てを投げ捨てる判断が早すぎる。

 迷いがない。

 そして、正しい。

 正しい悪の思考だ。


 紫山が魔王に気付いていたとしても、魔王にはしらばっくれるという選択肢はあったはずだった。

 謀略で潰しにかかるという選択肢だってあったはずだ。

 そもそも、魔族としての正体を表して速攻奇襲を仕掛けるなら、その時点で長年積み上げてきたものが全て台無しになる。

 まともな策略家なら、ここで奇襲など仕掛けるわけがない。

 社会的地位と共に積み上げてきたものの誘惑が大きすぎる。


 だが、魔王は奇襲を選択した。

 その結果として、魔王は人間に準備の時間を与えなかった。

 準備の時間を与えなかったことで相対的に、圧倒的に優位な状態で戦闘を開始することができた。

 もし、魔王がここで安全策に見える謀略を選んでいた場合、メル姫とセレナから受ける信頼と、二人の社会的地位と、中村の知識で、対策を練られた魔王は完全にチェックメイトだったはずだ。


 ヒーローの『物語を創る』運命力が、悪を打ち倒す舞台を整えているような、そんな流れがあった。


 それをぶち壊す、正義を打ち負かす運命の上に居る、悪の不条理があった。


 尋常な人間の精神では類似するものすらなさそうな、人外の思考。

 それが、魔王に勝機をもたらす。

 爪に付着した紫山の血を舐め上げ、少女の姿をした魔王は恥部を擦り上げる。


 人間の自慰のようにも見えるが、『そこに性器も排泄腔も無い』という時点で、これは人間で無い者が、娼婦などがする誘惑を上っ面だけ真似ているだけで、何の色香も無いことが分かる。

 泥人形にAIでも積んだ方が、まだマシに人間を真似るだろう。

 これはもはや、人間への侮辱だ。


「フ、フフフ、フ。やっぱりねぇ。根拠は無かったけど。久しぶりだわ。この世界の倫理からは生まれない臭い。腐りきった性欲の世界の住人が宿さない臭い。。臭いわ、臭いわぁ、臭い臭い臭い。『本物』ならわたしが見えてるだろうなあ、って、またぐらが囁くのよ」


『そういうことかよ。光が強すぎるってのも良し悪しだな。』


 ……あ。


 女神が、中村が、紫山が、魔王が気付いた――あるいは、気付かないまま紫山を攻撃した――理由を理解する。

 という確信。

 魔王という悪が持つ本能が、そうさせたのだ。

 陵辱エロゲ世界の本質近くに在る魔王であれば、特撮世界でヒーローとして生まれた人間は、ありえないほどの純度を持つ光に見えるのかもしれない。


「こ。これは、どういう……」


 混乱するメル姫に、中村が叫ぶ。


『メル姫! こいつが例の黒幕だ! 全員に隠しといて作戦仕掛けるつもりだったが、すまんもうダメだ! なんとか皆に言うこと聞かせてくれ! こいつは魔王! 魔王テルーテーン! 下位の魔王だが、今は誰も倒せねえ!』


「!」


「フ、フフフ、フ。腕輪さんは色んなことを知ってるのねえ」


 王と王妃が逃げる。

 議事録を取るだけのつもりだった大臣が逃げる。

 逃げる者達を、謁見の間左右に並んでいた兵士達が守り、逃がす。

 姫が逃げず、姫を逃がそうとセレナがその腕を引いている。

 イリスが何かに気付いた様子で怪訝に魔王を睨んでいる。


 それら全てを守るように、銀銃を構えた紫山が魔王の前に立った。


「勇気ある人間さん、名前を聞いてもかまわないかしら?」


「俺は紫山水明。悪の中の悪、魔王。お前の死神が出会いに来たぞ」


「フ、フフフ、フ、素敵素敵。男の子との出会いでドキドキしちゃったのは……数百年ぶりね。フ、フフフ、フ」


 ぐぅっ……ま、魔王が、気合いを発すると、放出されたオーラが、世界を醜悪に捻じ曲げて軋ませる。

 それは一般人であれば即座に気絶して然るべきもの。

 見ているだけの女神が、魔王の醜悪にその神聖性を否定され、僅かに苦痛を感じるほどのものだった。

 紫山の手元で、中村が叫ぶ。


『バカ! 今の段階で勝てる敵じゃねえ! 退け!』


「非戦闘員が全員逃げられた後なら、その言葉も聞けるが、今は……!」


『そういう話じゃねえ! こいつの能力は―――』


 その瞬間、魔王の固有能力が、発動した。


武装剥奪キルスティール


 紫山のファンタスティレットが。

 イリスの片手剣が。

 セレナの剣、弓、槍、仕込みナイフが。

 メル姫の杖が。

 周囲の全ての兵士の全ての所持武器が。

 周辺に存在する、ありとあらゆる武器が。

 魔王の手の中と足元に、瞬間移動した。のだ。


「!?」


「武器が……!?」


『RPGってシステムの上で、無対策のやつじゃ絶対に勝てねえやつなんだよ!』


 武装剥奪キルスティール

 それは、武装を奪い取る力だと、中村はかつて語っていた。

 ゲーム的に説明するならそれは、装備中の装備品を強制的に外し、魔王が確保するという能力である。

 "装備を付けた状態の底上げステータスを戦闘バランスの前提とする"というRPGの原則において、これは無対策で挑んだ者にとって、永続ステータス低減にあたる絶望的な力であった。


 また、視点を変えれば―――『日曜朝のヒーローの天敵』である。


 多くのRPG・同人エロゲRPGがそうであるように、特定属性への対策や特定状態異常の防御は装備によって後付けされることが多く、それらを奪われるとその時点で詰みかねない。

 装備を剥がされた状態での状態異常攻撃は、極端に防ぐ手段が少ないからだ。


 テルーテーンを倒すには装備品の剥奪を防ぐ装備、装備品を固定化する魔法、剥奪されることのない伝説の装備、テルーテーンが装備を奪えないようにする戦闘前の仕込み、テルーテーン自体の弱体化、装備無しでも勝てる前提の用意など、各ルートごとに個別の対応を行う必要がある。

 テルーテーンは魔王。

 人間を超越した種族。

 死ぬほどレベルを上げて挑んでもなお、選ばれし人間達……プレイアブルキャラ達よりステータスが高いことも、珍しくはない。


「だったら、武器じゃないものを……!」


 紫山はその辺りのの椅子を拾って武器にしようとするが、その椅子も即座に魔王の横辺りの床に瞬間移動し、奪われる。

 くすくすと、魔王が笑う。


「ざぁんねん」


「!」


 右斜め下に転がって!


 お遊びのような速度で、魔王が紫山との距離を一瞬で詰める。

 お遊びのような力加減で、魔王が腕を振るう。

 女神の俯瞰視点を持っている紫山はありえない事前行動によってそれをかわすが、爪は魔法で強化されているはずのアマリリス城の壁を粉砕し、消し飛ばした。

 壁の穴から、空が見える。


 紫山は立ち上がり、飛び上がり、テルーテーンの顔面を蹴って跳ね、その反動で距離を取る。

 あの日、ゴブリンとの初戦の夜の後、無力感から紫山はたっぷりと鍛え直した。

 彼の身体能力は、この世界に来た頃とは比べ物にならない。

 その上、今はドラゴニックステーキの補正もある。

 紫山の攻撃力は食事効果で一時的に上昇しており、今の彼の武器無しの蹴りは、この世界に来た頃の彼の銃撃程度の威力はあるはずだった。


 なのに、まるで効いていなかった。

 魔王には傷一つ無かった。

 痛みすら無いようだった。


 顔を蹴られた屈辱すらも感じていないかのように、"頬に蚊が止まった"程度にしか感じていないとでも言わんばかりに、魔王は余裕綽々にくすくす笑っている。


「強さの練度の割に、攻撃力が低いわね。武器頼りだった人?」


「……ああ。今俺は、武器頼りの男だったんだなと、自分に失望しているところだ」


「いいのよ、卑下しなくても。人間は皆そうだものね? フ、フフフ、フ。道具を作って、武器を生み出して……そうして地上の支配者になったのだものね?」


 瘡蓋かさぶたの魔王にして、剥奪の魔王。


 それすなわち、


 この魔王は、『引き剥がす』という異界科条を体現する。


 なればこそ、全人類に対する絶対的な天敵。


 この魔王は、何処かの時代で人間と魔族の大戦争が起こる時、人間から全ての装備を奪う役割を持つ。


「ようこそ、異世界の大英雄。そしてさようなら。どうか地獄でも忘れないでね。異世界を救ったという貴方を―――この出会いが、殺したことを」


 最悪の。


 最悪の、男女の出会いだった。


 今起こるべきではない、今出会うべきではない、出会いだった。

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