心の傷を回想シーンに置いておくかい?

 音を聞きつけ、紫山水明は駆けつけた。


 そこで見たものは。


「やだ、やだっ」


「おいおい、おとなしくしろよ、親がいないお前を妾にしてやろうってんだ」


「そんなの頼んでない! おじさん、なんでっ!?」


「お前が悪いんだぞ……この歳でこんなスケベな体に育ちおって……!」


「やだ、そんなところ触らないで! 知らない知らない! 近寄らないでぇ!」


「誰も助けには来ないぞ。そういう風に工作したからな。ふひひひ、今日一晩でじっくりと調教して、おれのものにしてやるからなあ……?」


「ひっ……来ないでっ……ううっ、息、生暖かくて気持ち悪い、嗅がないでっ……!」


「おお、言え、言え。その方が興奮する。ま、そんなこと言えなくしてやるがな! 最後にはそれまでの発言を全て謝罪してもらって、奴隷宣言でもしてもらおうか?」


「や、やぁっ」


「なあに、すぐには処女を奪わんさ、すぐにはな……」


 村長の息子が、イリスエイル・プラネッタを、強姦しようとしていた。


 青ざめた表情のイリスが壁際に追い込まれている。

 興奮した様子の村長の息子、推定30代半ばがイリスを追い詰める。

 身長150前後のイリスが、身長170強の肥満体である村長の息子に詰め寄られていると、もはやそれだけで犯罪に見えるレベルの光景になっていた。


 誰がどう見ても、合意の純愛ではない。

 すっ、と紫山の目が細まる。

 踏み出した足は、ジャリッと土を踏み締めていた。


『行くな』


 だがその足を、腕輪からの声が止める。


 それは、必然の制止だった。


「何を言っている? いや、そもそも、なんでアルナちゃんも驚いてないんだ?」


『原作プレイヤーも女神も、"このイベント"を知らないやつはいないからだ』


「何……?」


『この出来事があって初めて、世界を救う、原作通りのイリスエイル・プラネッタが……痛みを知る主人公ができる』


 イリスエイル・プラネッタのこの時の出来事は、本編の時系列で回想される。


 この日、イリスは処女こそ奪われなかったものの、長時間に渡る性的暴行により、その精神の深くに消えない傷を刻み込まれた。

 それこそが、シリーズを通してイリスが抱える、主人公としての特徴となった。


 傷付いた者への優しさ。

 性的暴行への忌避感。

 力なき者を守ろうとする欲求。

 悪に類する者への、消えることのない正義感。


 男性に対する根本的な不信。

 その不信の反動で、"理由なく疑うのはダメ信じなきゃ"と無自覚に思ってしまうがための、男性に対する無防備と無警戒。

 "無敵のメンタルの女"には決してなれない、ヒビの入った心。

 性的な行為への忌避と興味が互いに混ざって高め合ってしまうがために、性行為が未経験の時期は忌避するのに、一度経験すれば淫乱に落ちやすくなる形質。


 様々な個別エンドで、イリスが様々な結末を迎える理由が、ここにある。


 性交をしなければ英雄の人生を。

 女友達とだけ絡めば友情の人生を。

 戦闘に負けて処女を失えば転落の人生を。

 山賊に負けてアジトに連れ帰られれば、娼婦になって人生を終える。


 つまり、それは。

 になると、13歳の時点で運命付けられたことを意味する。


 普段は異性と普通に接せるのに、男性キャラに戦闘で敗北した時・武器を奪われた時・特定状況下で荒々しく脅された時、イリスは怯え、身は竦み、何もできなくなってしまう。

 その時イリスは13歳の時の弱い自分に戻り、男性に何をされてもろくに抵抗できなくなってしまうのである。

 口では嫌、嫌、と言いながらも、体に力が入らなくなってしまう。


 そんなイリスエイル・プラネッタが、このゲームを"そういうゲーム"たらしめる。


 あまりにも残酷な、世界に望まれた、『主人公』という少女の運命だった。


 『大いなる悲しみを知る者のみが使える武器』が特撮の世界に登場するのと同様に、『原作通りのイリス』のみが扱える専用の力が存在する。

 それこそが、腕輪の彼が語る世界の希望。

 未来に懸ける最後の望み。

 中村は悪意ではなく、使命感で、イリスを見捨てる決断をした。


 勘違いしてはならない。

 中村は決して、イリスの不幸を望んでいるわけではないのだ。

 だが……中村が間違っていないように、それに対し怒りを震わせる紫山もまた、間違ってはいない。


「知っていたのか。知ってて黙っていたのか?」


『知ったらお前は邪魔をするはずだ』


「当たり前だ! 何を当たり前のことを言っている!?」


『原作そのままの"イリス"が生まれないと、最悪詰む。使える手札が無くなっちまうんだよ。敵さんが恐れてる最強の手札を、こっちから捨てることもねえだろ』


「……だから? 見逃せと? この蛮行を? この悪を?」


『そうだ。オレはな、万が一にも、この世界を滅ぼさせたりなんてできねえんだよ』


「それは」


『理由は……いや。あいつらのためにやったとも、あいつらのせいでやったとも、言えるわけがねえな。故郷に胸を張れなくなっちまう』


「……」


『オレが、オレのために、そうしてくれと願う。オレの判断で、オレの私情で、オレの責任だ。責めるなら責めろ。傷が付くのはイリスの心だけだ。マジで取り返しのつかないところまではいかねえ。なんなら水明が支えてやればいい。だから……頼む、この必要な悲劇を、見逃してくれ』


 下げる頭が残っていたなら、きっと、彼は頭を下げていただろう。


 女神は、彼を否定する言葉を持たない。

 彼は多くのものを背負っている。

 背負っているもののために、こんなことを言っている。

 ただ神の世界から見下ろすだけの女神が、どんな顔で彼を否定できるというのか。


『このゲームの敵は強え。無条件成功で回避も防御もできない催眠使い。絶対的な不老不死の陵辱触手。状態異常を極めた最悪の傭兵。時を支配する真正魔王が復活した時点で、お前の番組の全キャラでかかっても勝てねえよ』


「……」


『なあ、頼む。ちょっとでいい。オレに譲歩してくれ』


「……」


『この"大前提"まで失ったら、オレはどうやってこの世界を救えばいいのか分からねえんだ』


 正しい選択は、女神にすら分からない。

 紫山の善か。

 中村の知か。

 村長の息子が、イリスに傷を付けるまで、もう時間はない。


「ほらほら、もっと必死に逃げないと。はっはっは、おじさんに捕まったら服脱がされちゃうよ~?」


「やっ、やだ、来ないで!」


「あー、興奮が止まらん。いい声出すよなあ、イリス。母親に似て"そそる"いい身体をしている……ぐふふ」


「! お、お母さん……お母さん……どこ……」


「おいおい、錯乱してるのかい? 君の父親は病死。君の母親はどこぞへ旅立って戻って来ない。だから君の家族は居ない。君は一人ぼっちなんだよ、ずーっと、ずーっとね」


「う、ううっ、そ、そんなこと……おにーちゃんだってそんなことないって……」


「ははっ! みじめなこった! 『お兄ちゃん』ねえ? 家族がいないから代わりが欲しかったのかい? じゃあおれがなってやるよ。嬉しいだろう? 毎晩可愛がってやるよ、お兄ちゃんがな? やさしーく、いやらしーく」


「嫌、嫌、嫌! あなたなんかおにーちゃんじゃない!」


「あんな最近来た余所者なんて忘れろ。今日から身も心も、おれの家族にしてやるからな、へっへっへ」


 声が聞こえる。

 今や、特撮ヒーローの拳は自壊しそうなほどに強く握り締められ、歯は砕けんばかりに噛み締められていて、その目には燃える正義感に混濁する迷いが見える。

 紫山水明が飛び出していないのは、ひとえに、これまでの人生と今の状況の矛盾があった。


 紫山は番組の放送初期、仲間を信じていなかった。

 しかし物語を経て、仲間を無条件で信じるようになった。

 その仲間達は誰もが、子供を見捨てろとは言わなかった。

 見捨てず、奮闘し、全員の力で奇跡を起こしてきた。

 だから素直に仲間の声に、助言に、忠告に、耳を傾けることができた。

 しかし。

 今の彼の仲間は、正義の味方でも、ヒーローでもない、懸命に未来の希望を考えるだけの、ただの一人の人間なのだ。


 今はもう、などいない。

 彼を導く他の正義の味方はいない。

 女神ですら、正しい選択肢は分かっていない。

 彼が選ばなければならない。

 どんな正義の味方をするのかを。


 イリスを尊重し、中村を尊重し、だからこそ彼は動けないでいる。

 全ての人の願いを蔑ろにしたくないヒーローだからこそ。

 それぞれの人が抱く正義の味方になろうとする者だからこそ、動けないでいる。


『なあ、頼む、こらえてくれ。オレを仲間だと思ってくれてるなら、オレの頼みも聞いてくれよ』


「……俺はもう、俺の正しさを絶対的に信じてなんてないが、それでも、俺は……」


 その時。

 かすかに。

 遠くから、声が聞こえた。


 かつて、彼の地球で、彼が何度も聞いてきた声と同じものだった。

 街で。

 森で。

 荒野で。

 公園で。

 幾度となく、彼が聞いてきた声と同じものだった。

 戦隊に向けられるその声を聞くたび、紫山水明は我慢ならずに走り出し、その声の下へと駆けつけてきた。これまでずっと、ずっと、そうしてきた。


 その声は弱く、かすれて、震えていて。




「……助けて……おにーちゃん……」




 いつだって彼は、"そういう声"を聞き届けてきた。


 拳が強く強く握られた、音がした。

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