竿のゴブリンが強すぎる

 光に包まれ、彼は世界に降り立った。

 この世界の名は『エリニュニス』。

 異世界エリニュニス。

 一人の選ばれし者、二つの月、三つの大陸、四つの主役となる国家によって物語が紡がれるはずだった世界。


 紫山水明は森の手前の草原に居た。

 紫山にとっては見慣れない形の草木が生い茂る草原であったが、草原は何箇所かが広く切り払われていて、地球で雑草を刈った時のような香りがしていた。

 空には瞬く星空、創られた天蓋、青い月が輝いている。

 太陽の光を反射せず、自らの内包魔力で輝く月は地球には存在しなかったが、この世界には存在するのだと―――うっすらと青みがかった夜景が彼に知らしめる。


「さて、ここが滅びつつある世界か……そんな風には見えないが、そんなもんか」


 何の瑕疵も見えない平穏が在る特撮世界の中で、一度でも負ければ世界が滅びる戦いを繰り返してきた紫山らしく、その見解には確かな経験が裏打ちされていた。

 世界は突然滅びる。

 前置きもなく。

 前兆もなく。

 この世界も例外ではない。

 世界に生きる人々が滅びの確信を得るのは、世界が滅びる直前になるだろう。


「できるだけ状況を教えてくれるかい、アルナちゃん。それを前提に戦うから」


 すみません、私この世界のことあまり知らないんです……


「神様なのに!?」


 すみません、すみません!


 世界を引き継いだばかりなんです。

 私は前任者の補佐で、昨日まで見習いだったんです。

 単一世界規模の全知も無くて、まだ万能位階にも到達してないので、できることはほとんどないんです……すみません。


「……分かった。俺を誘導してくれ。なんとかやってみよう」


 ……あ。

 あ、ありがとうございます!

 では、こほん。


 紫山は少しばかり月が見える方向に歩いた。

 膝の高さほどの草むらをずんずんと進んでいく。


 女神アルナが街や村など、人が居る場所に彼を送らなかったことには理由がある。

 見通しが良い昼ではなく、こんな夜に彼を送ったのには理由がある。

 女神アルナは急いでいた。

 可及的速やかに、紫山水明をここに送る必要があったのだ。


 ここでは一時間ほど前、戦いがあった。

 前任者の女神が召喚した一人の男を、"世界の敵"が追い詰める戦いだ。

 男は世界を救うために女神の頼みを聞いて奮闘してくれていたが、敵に狙われ、負けて殺されてしまった。


 しかし死に際に腕輪型の特殊な魔道具に人格を移し、草むらに放り投げることで逃げ延びたのだ。

 それがこの草原。

 女神は紫山ができるだけ早く男を見つけてくれることを願っている。


「俺のご同輩か……おっ、草むらの中に何か光ってるな。あれか」


 そして紫山は、草むらの中から少し汚れた金色の腕輪を拾い上げる。


 天上界で、女神が少し安心した様子で、ほっと胸を撫で下ろした。


『やるな女神。見習いのくせにこんなに早く……ファンタスティックバイオレット!!!!』


 ファンタスティックバイオレットです!!!!


 ね! ね! ね!


「え、おい、ちょっと」


『凄いの連れてきたな!? お前こんなの呼べんの!?』


 な、なんとかギリギリでした……中村さん、自己紹介お願いします。


『お、おう。中村だ。今は腕輪だが元は普通の人間だ。よろしく』


「紫山水明。君も俺のことを知っているのか、中村」


『そりゃまあな……よし、オレの声も聞こえてるか。問題ねえみてえだな』


「?」


『女神の声はオレとお前にしか聞こえねえ。オレの声は全員に聞こえる。よし』


「そういえば腕輪になっても喋れているのか、君は」


『おう、とはいえ助けを求めても不気味がられたら拾われないだろうからな。ガチに本気で助かったぜ』


「いつでも呼んでくれれば助けに行くよ。その使命を果たすために創られたのが俺だから」


『……日曜朝によく聞いてたセリフが至近距離から聞こえる……』


 すごいですよね。感動ですよ。


 こほん。


 そして、不埒な者がやってくる。

 誰かの差し金ではない。

 そのあたりをうろついていた魔物が人の気配を感じてやってきたのだ。

 魔物は息を潜め、草むらと風の音に紛れて紫山の背後から襲いかかろうとしていたが、女神の声を聞く紫山に通じるものではなかった。

 ひらり、と紫山は初撃を回避する。

 腕輪に成り果てた中山が、小刻みに揺れて笑う。


『いいぜ女神。ちゃんとサポートできてるじゃねえか』


「なるほど、こういう使い方もあるのか。……魔物、ね。なるほど、ゲームのような世界だ」


 紫山が振り返ると、背後からにじり寄ってきていたその魔物と目が合う。

 緑色の肌。

 鼻をつく悪臭。

 人間とは明らかに作りの違う眼球。

 手に握られた太い木の枝には、固まった血と糞がこびりついていた。


 ひと目見ただけで感じ取れる"これは違う世界の生き物だ"という実感。

 俗にごびゅっ……『ゴブリン』と呼ばれる魔物がそこにいた。


『噛むな』


 こほん。

 1mと少ししかない小柄な体ながら、その瞳には確かな獣の殺意が宿っている。

 紫山水明―――ファンタスティックバイオレットと言えど、初見で油断していい相手でないことは明白だった。


 顔のない腕輪が、にやりとほくそ笑む。


『ラッキーだな。一番雑魚なゴブリンだ。このゲームでも最弱中の最弱だぜ』


「雑魚なのか」


『おう。小手調べと腕試しには最適だ。強いやつだったら逃げろって言ってたな』


「分かった、なら……ん? アルナちゃん、俺の武装は?」


 念じれば出てくると思います。

 世界に穴を空けて、そこから完全な形の一時コピーを召喚する形ですね。

 世界格に差がありすぎて霧散するといったこともないでしょうから、紫山さんとその仲間の武装やファンタスティックマシンは全部出せるかと思います。


『ほう、豪気な話だ! やっちまえ水明!』


「……いや、出てこないけど」


『は?』


 え?

 あ、あれ?


 ……あ。


 ああああああああああ!!!


 ー!


『そんなこったろうと思ったよ! 紫山逃げろ! 説明は途中でする!』


 あ、くっ……なんてこと!


 紫山は一瞬で的確に状況を見切り、ゴブリンに背を向けて走り出した。

 この土地、いや、この世界に来たばかりの紫山には土地勘がなく、地面の質感一つとっても紫山には不慣れな土地だ。

 普段このあたりを駆け回っているゴブリンのほうが圧倒的有利だろう。


 だが、紫山は迷いなく地面を踏み蹴り、それでいて転ぶ気配もない。

 番組の撮影で様々な場所を全力疾走しながら変身してきた"紫山水明"は、この程度の悪路では疾走を苦にしない存在として、独立した世界に生きる一人の人間である。

 現実世界の紫山水明の役者が大抵の悪路で一度も転ぶ姿を見せなかった以上、特撮世界の紫山水明が大抵の悪路で転ぶことはない。それがルール。

 その上、紫山には"ここから見える一番大きな山の方向に向かって走れ"と囁く女神の声が聞こえており、土地勘をある程度補うことができていた。


『女神! また妨害か!』


 あ、はい!

 すみません!

 また例の妨害です、おそらく魔王の力によるものです!


 紫山さんの武器が一つもこっちに呼び出せなくなってて……あっ、途中で止められてます、こっちに来ない!

 これは……すぐには……どうにもならない……?

 時間をください。

 時間があれば一つ、せめて一つは、どうにかこっちに持って来て見せます!


「神様でも無理なんだ」


『あんなおっちょこちょいの見習い女神の力なんざ、この世界の数十人居る魔王の一体にも及ばねえよ。逃げろ!』


「ふぅ、なんともキツい」


 ゴブリンが追い、紫山が逃げる。

 ゴブリンは軽快に駆ける紫山に苛立ち、懐からナイフを取り出した。

 ギザギザの刃。

 血で錆びて刃こぼれしたナイフだ。

 滴っている液体は、おそらく毒か何かか。


 ゴブリンは地球であれば"人間離れした"と表現される膂力でナイフを投げつける。

 速度は風。精度はダーツ。

 回転しながら飛ぶナイフが紫山の首筋に迫り―――紫山が、跳んだ。

 ダイナミックに跳躍した。

 近場の大岩の上に飛び乗りながら、空中回し蹴りでナイフを遠くまで蹴り飛ばす。

 まるで、ファンタスティックVの28話を再現するかのような、見事な体捌き。

 かっこよ。


 呆気に取られるゴブリンの足が止まった隙に、大岩の上から背の低い崖の上に飛び上がって、紫山はゴブリンとの距離を稼いでいった。


『すーげっ、お前本当に地球生まれかよ』


「一応は地球人だ、一応は。それに、アルナちゃんの警告が凄い助かってるよ」


 えへへ。


 紫山は走るペースを落とし、息を整え、冷静にゴブリンを分析する。

 紫山を追いかけて、無駄だらけの走りをしているはずなのに、ゴブリンは息も切れていない。

 1mと少しの小さな体の肺活量と歩幅で、である。

 明らかに人間離れした性能が見て取れた。


 人間は走ることに向いていない身体構造をしている。

 走ることに特化した生物であれば、息を切らすこともなく紫山を追跡することも可能だろう。

 しかしゴブリンは人型だ。

 人間同様、四足歩行動物と比べれば疾走には向いていないはず。

 なのに、デタラメな走り方でデタラメに夜間の悪路を走破し、紫山が的確な跳躍で上がった小さな崖の上にも、普通に急斜面を駆け上がるだけで到達してしまう。


『ったく、相変わらずスパロボの操作できず敵に突っ込んでいって死ぬ味方レベルのクソだぜ。消えてくれって感じだ』


「よくわからないたとえだ」


 息を完全に整える前に追いつかれてしまった紫山に、ゴブリンの握る、攻撃的な形の木の枝が迫る。

 人間を容易に撲殺できそうな太さと長さのそれを紫山はかわそうとするが、木の枝は紫山の体を狙わず、その服の二割ほどを引き裂いていった。

 明らかに殺すための攻撃ではない、服を破くための攻撃に、紫山は少し困惑する。


「服を……?」


『オイ、このゲームのシステム分かってるのか? 足払いはかわせ!』


 困惑しながらも跳躍し、紫山は腕輪の警告通りに飛んで来た足払いを回避する。


 このゲームはえっちなゲームである。

 そして本来の主人公は女の子だ。

 だから、戦闘中に敵が服を剥いてくる。

 えっちなことをするために、転倒させたり、触手で拘束してきたりする。

 戦闘中も、えっちな絵や展開を見せるために。


 そうすることで戦闘中の処女喪失や、処女喪失対策、拘束対策に転倒対策、壊れにくい衣服の事前作成など、ゲームに特異な要素が増え、大いに幅が出る。

 ここはそういう世界。

 ここにあるのはそういう理だ。

 『現実』とも、『特撮』とも、違うルールで動く世界。


 生前からこのゲームをやり込んできた自称"エロゲオタク"の中村はすぐにこの世界の理に順応していたが、紫山はそうではない。

 彼はこの世界の理を、何一つとして知らないのだ。


『敵側は基本的に"主人公"の行動阻害攻撃を行ってくる。つまりお前な。基本は脱衣と行動不能だ!』


「脱衣と、行動不能」


『脱衣は服を脱がして来る! 脱衣状態は三段階! 服を全部脱がされたら防御力0扱いだ! そしたら実質おしまいだ!』


「脱がされたら死ぬ、と」


『行動不能攻撃はこいつなら足払いしかしてこねえ! 足元にだけ気をつけろ!』


『了解』


 とん、とん、と軽くステップを踏み、息を整えながら紫山は追撃も軽快にかわしていく。


 女神アルナは微力ながらも全力を尽くし、もう少しで紫山の武器の一つくらいはこの世界に呼び寄せられそうであった。


 あと少し。もう少しである。


『脱衣か行動不能状態でエロ攻撃を喰らうとセックス状態に入るが、まあお前は男だしな。どうでもいいだろ』


「セック……なんだって?」


『とにかく脱衣と足払いだけはかわせ! 死ぬぞ!』


 紫山は目玉を狙って突いてくる木の枝をかわし、足元を狙って払ってくる木の枝をかわし、振り下ろされる木の枝をかわす。

 子供の腕よりも太そうな木の枝が地面の岩石を粉々に砕くのを見て、木の枝を振り回す子鬼でしかないこの魔物が、地球のどの野生動物よりも危険なことを紫山は理解していた。


 足払いを軽やかに跳んで避け、空中で猛烈な勢いをつけ、紫山の空中回し蹴りがゴブリンの頬を強烈に打つ。

 ハンマーで鉄床を打つような、そんな音がした。

 地球で紫山が組織の戦闘員相手に打った時は、一撃で戦闘員を倒した蹴りだった。

 普通の人間なら後頭部が背中にくっついていたであろう蹴りだった。


 ゴブリンはたいそう痛そうにして怒り、けれど倒れる気配はない。


「効いてない、わけじゃあないんだろうが……」


 怒れるゴブリンが無茶苦茶に木の枝を振り回してくるので、その軌道を正確に見切り、紫山は正確に『枝を持つゴブリンの右手親指』を蹴り込んだ。

 攻撃の軌道の合間をすり抜けるような妙技。

 強烈な衝突音。

 苦悶に歪むゴブリンの顔。


 折るつもりで、ピンポイントに思い切り靴裏を蹴り込んだ。

 なのに。

 折れない。

 ゴブリンの親指が折れない。

 痛がっている。

 ダメージも少しはありそうだ。

 しかし、折れていない時点でおかしい。


 紫山は目を細め、舌打ちする。


「硬い……!」


『オレはお前より五年は先に来て戦ってきたが……皆こうだ。こいつが最弱なのも嘘じゃねえ。大体全部、こいつより強え』


 この子鬼は間違いなく、この世界の最弱の一つ。

 エネミーにこれより弱い敵は存在しまい。

 しかし、それでも。


「……俺が戦ってきた戦闘員より格上。最弱の敵でも初期のネームド怪人並みの世界か……!」


 この世界を救うことは、一筋縄ではいかないようだ。


 あ。


 ……あ、よ、よし……来ました! 手元に転送します!


「! 来たか、武器!」


『おい待てや、ちゃんと敵見て―――』


 ゴブリンが跳躍し、月を自分の体で隠せる角度の上方から襲いかかる。

 それは獣の知性。

 光が無ければ見えない人間は、月の光をゴブリンの体で遮ってしまえば、それだけで視界が極端に悪くなることを理解した動きだった。

 青い月を己で覆い、紫山を影で飲み込んで、人を殺してきた太い枝を振り下ろす。


 それを、紫山の手の中に突然現れた銀の剣が、受け止めた。


「ファンタスティレット」


 それは小剣であった。

 決して長くはない。

 しかし玩具にも見えない。

 確かな重厚感と、月夜に輝く鈍い銀色の輝きを備えていた。


 一瞬、紫山がそれを振るうと、ゴブリンの木の枝がバラバラになる。

 チェーンソーでも切り裂くのに少し時間を食う太さだったはずの木の枝が、一瞬にして十数個の断片に切り分けられたのだ。

 戸惑うゴブリンの目の前で、紫山が手早く武器を操作すると、銀剣は一瞬にして銀銃へと変形する。


《 変形カンビーオ 》


 これこそが『ファンタスティレット』。

 銀剣にして銀銃、ファンタスティックVの全員が持つ必殺の武器。

 発売当時20万個を売り上げた大人気商品であり、女神すら買ったファンタスティックVのベストホビー。

 実際に現実に存在する武器として、ここまで頼りになるものはそうそう無い。

 剣モード、銃モード、そして必殺技。

 これが多くの怪人を狩ってきた、正義の刃だ。


 放たれるは無数の弾丸。

 地球基準の『銃』の概念などない、この世界の魔物であるゴブリンは戸惑うしかなく、押し込まれていく。

 銃のつるべ撃ちに膝をついたゴブリンを見据え、紫山は銃のアーツレバーを一度倒した。


《 一閃ウーノ! ティロテーオ! 》


 銃から細い閃光が放たれ、ゴブリンの胸に命中する。

 崩れ落ちたゴブリンの死体が消失し、かちゃん、と音を鳴らして金貨が落ちる。

 それを戦闘終了の合図であると、紫山は認識した。


「この空に、正義在り」


 腕輪の中山もまた、武器一つ取り戻しただけであっさりと勝った紫山水明の姿に、この絶望的な世界の希望を見出したようだった。


『……おぉ、こりゃ、希望が見えてきたな……』


 振るうツルギはスティレット。

 慈悲の剣ミセリコルデとも呼ばれる武器。

 剣にも銃にもなるこの武器を用いて、紫山は無数の戦闘員、はたまた再生させられた無数の怪人達を、ばったばったとなぎ倒してきたのだ。

 生半可なモンスターでは、彼に太刀打ちもできないだろう。


「ところで、急かすようで悪いけど、変身アイテムのスカイクォンタムは? あれがないと俺は変身もできないが……」


 あ。

 すみません、すみません!

 しばらくはそれ一本でお願いします……!


「……そっか。あんまり気に病まずにね。ありがとう、君のおかげでこの敵にも勝てたんだ。自信を持って」


 あ、ああ……すみません……!


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