亜熱帯の島で野の花を匂う
白烏三鳴
第1話 亜熱帯の島で草汁を飲む
戻ったが戻りたくない。
駐車場周りの深林を見渡しながら、私は心の中にそう嘆いた。
台湾に住み、そこに逝った祖父の葬式を参加するため、地元の人すらよく訪ねない北台湾の山奥に着いた。
カジュマルの大木が生き生きと、路上からはみ出していた。木の枝が日光を遮るが、太陽光が帯びた熱量がそのままアスファルトの地面に吸収され、堪えられない熱気に変化する。
暑い。もう堪えられない。
「哎呦妳還記得這裡嗎?四歲的時候妳還在這裡到處亂跑欸。」
運転手である髭が濃い四十代ーー叔父さんが後ろにいる私に振り返す。一緒に空港から出ると、ずっとぺらぺらと話している。
中国語で流暢に話せないこともあって、私はいまだに彼に話していない。
臆病者だから、もし言うまじき話を言ってしまったら……損をする事は絶対しない。口は災いの元だ。
「阿公那個時候還經常請妳吃仙草欸,妳記得仙草嗎——哎呀好痛!」
「死鬼!去哪裡摸魚了,給我過來!」
なんとなく中年の女が車のドアを開けて、叔父さんの耳を容赦なく抓る。
痛そう、それより早く水飲みたい。
早く葬式参加したい。
早くホテルに戻りたい。
そして、早くーー
「すみません。
黒ずくめの女性が私を呼び止まらせた。
この人なら知っている、四歳年上の従姉妹だ。
美人とは言えないが賢い。一流大学から卒業した後、ある大手企業に働いているだそうだ。
名は確か……漢字が読み難いし、暫くいとこの「いとちゃん」にしろ。
「なんですか?」
「いいえ、ネームタッグを配っているだけです。どうぞ」
「どうも」
「叔父さんたちは?君一人?」
いとちゃんが露骨に心配する顔でこっちを見る。こっち見るな。
「母が急に風邪をひいた。父が世話しています」
「だから一人で来たの?すごい」
実は嘘をついた。
家といい居場所といい、もう私は「帰る」場所がない。
音信不通な父が浮気して家に出た以降、母が一日中毒をばかり吐き、怪しい生き物に変貌した。
それだけならそれがいい、しかし偏執な母は被害妄想があって、女であれば「父の浮気相手」として、理非曲直を問わず、嫌がらせをした。クラスメートそして担当の先生に至ってはうちの母にしつこくつきまとう。
そういう親が持つから遠さがるのは当たり前だ。
私もストレスで不登校になった。一方で母は私がどうせ暇そうと考えて、葬式を出席するのを強要された。責任感のない父でないなら、わざわざここにくるハメになるはずがない。
「よかったね。やっぱりみらいちゃんは私より器用だね」
「どうも」
「じゃ、一緒に何かを食べろうか?近くにいい店あるよ?行く」
「水飲めるならいいよ」
「じゃ行こう、いざカフェへ!」
ーーー
こうして私はいとちゃんの車を乗り、山の中腹にある煉瓦造りの小屋についた。
赤い煉瓦で造り上げた小屋、その周りに様々のハーブと花が生えている。
ドアの前、木の看板があった。
看板の真ん中に、店の名前を書いているようだ。
よく読めないが、読める部分からして、名前は「カフェ・メソナ」だそうだ。
不釣り合いな名前だ。メソナはシソ科メソナ属の植物だそうで、コーヒーとは無関係だ。
「本当にここでいいのか?」
私が問おう。
名前は大事だ、名付ける人の態度を感じるから。
「普通にハーブチキンとパスタを売ってるから大丈夫だって」
「そう……?」
仕方ない。
私はちゃんの後ろについて、カフェ・メソナに入った。
店の内装は意外と簡素だ、木の椅子とテーブル、そしてカウンター以外何も無い。
まだ、テーブルの上に、プラスチックなテーブルマットが敷いている。店主は多分デザインより実用性を選ぶタイプだ。
「吳媽!兩份義大利麵套餐!然後給我兩份仙草,我還要咖啡!」
「熱的還冷的!」
「熱的!」
いとちゃんはまだ、全くわからない言語で人を話し始めた。いやに野太い濁声で返事する女の人は多分店主かシェフだろう。
話そうにも話せないし、いとちゃんにに任せろ。
そう考えながら、私は椅子に座って、ガラスの窓から外を見る。
庭に見た事のない、一面の草がある。
よく見ると、それはおそらく普通な草ではない。
その形はミントやバジルに近い、多分それと同じく、ある種ハーブだろう。
「OH?君、庭好き?」
いつの間にか大柄なオカマ……ドラマチックなメイクをする、キラキラな女性が出た。
「だれだお前」
「シェフデース〜パスタとゼリーはここ置きます」
なるほど、オカマだからああいう声が持つ。
「ねぇ、いとちゃん、あのね」
「ママンは昔一流のホテルにシェフに勤めたから、味は問題ないよ」
「違う、味より私は……」
どうしても、怪しいオカマの店に、怪しいオカマが作ったパスタを食べたくない。
そう話したかった。
なお、話が終わる前に、いとちゃんが急に、鞄からスマホを持ち出した。
「嗯?誰?我還要去接四叔公喔?幹嘛要我去,是不會坐高鐵跟包車嗎⋯⋯不是吧,這種錢省個屁啊,我又不是開UBER的⋯⋯所以說為啥要我去啊⋯⋯」
いとちゃんが不満そうで、かんかんと返事する。
そこで私はいやな予感がする。
「ミライちゃんごめん、いま高雄に親戚を接さなきゃ」
「え?」
「親父が後てここに来るからママンとアイツを待っててね!まだ明日!」
「はぁーー!?!」
いとちゃんが疾風のことき、鞄を持ち上げて、その場から消えた。
こうして私はここに捨てられた、オカマシェフと一緒に。
できるかぎり、こいつを無視したい。
「ねぇ。仙草、ミルク加えて欲しい?欲しいならこのピッチャーを使ってね」
「ごめん。わかんない。」
私は必死に誤魔化す。
生まれてからずっと臆病者だから、そういう人が苦手だ。
「そう?でも君、やぱりミルクが好きでしょう?もう自分で入れるし」
「ちょ、人を見るな!」
私は慌ててミルクが入れたピッチャーをよそに置いた。
「ごめんごめん、あたいはちょっと君のことが気になるだけ。この時間なら、君なような子は学校にいるはずでしょ?」
「祖父の葬式を参加するから休日をとった」
「不登校なのに?」
「なんで知ってる」
「あたいの師匠、君のおじいちゃんが言ったからさ」
オカマが私の対面に座った。
イライラになるはずなのに、ならなかった。不思議だ。
「おじいちゃんの事、覚えてる? 」
「貴様と関係ねぇだろう」
「あるよ、おじいちゃんの弟子だもん」
「頼む、ほっとけ」
「いいよ、君に邪魔しない」
オカマが立ち上がった。
「君のおじいちゃんがよく言った……『自分好みの味は自分しか作らない』だって」
「何それ」
「さぁね。早く食べてね」
オカマが台所に戻った、ようやくひとりになった。
ーー自分好みの味は自分しか作らない。
祖父の一言が心に響く。
よくわからないが、どうせ「自分の居場所は自分で作れ」のような決まり文句だろう。
何それ頭にくる。安易にできるならここに至るものか。
私は目の前の手料理を置いて、店の外に出た。
ーーー
「……あの時、本当に『舐めるな、死んでみせる』と思った」
カフェ・メソナ、二代目の店主がカウンターの後ろに呟いた。
「出た途端、私は熱で倒れた。目を覚めると、ママン……養父が心配そうな顔で、黒くて甘いスープを飲ませてくれた。」
「焼き仙草だろう?確かに熱中症に効くと聞いて」
「そう、庭の外に植えたメソナを干して作ったものです。記者さん詳しいですね」
「記者だもん」
ある新聞のグルメコラムを担当する記者が、目の前に、木の碗に装った食べかけの黒いゼリーを覗ぐ。
遠い昔、
店主に救いの手を伸ばしたママンも、きっと仙人のような人だろう。
「記者さん、いかがですか?お口に合うかどうか……」
「うまいです、そして特別な味がする、もしかして特別なレシピで作ったのかな」
「
店主が記者に優しく微笑む。カフェ・メソナは今日も居心地がいい。
亜熱帯の島で野の花を匂う 白烏三鳴 @shirakaras
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