予が子の憎むなからんことを庶う、あなたのことを思って言っているんだから嫌わないで
さて。
「
いつもの、ディベートである。
五子之歌というのは、
この話と『
「太康は天子の位にありながら、政治に励まず君主としての徳を失い民の心は離れました。しかし際限なく逸楽を求め、黄河の南を超えて狩りに出ては百日も国に帰らず。弟がた五人は共に狩りに従って国を出ましたが河の北の岸部で待っておりました。しかし、太康はそのまま国を失った。長幼を思えば弟がたが太康を諫めるのは僭越になります。また、狩りのお供も同じくなさねばなりません。しかし、国を忘れ逸楽に興じることを是となされなかったのでしょう。河を超えずに、太康が心を入れ替えるのを待たれた。
はっきり言おう。常識的かつ極めてつまらない意見であった。古典の言葉をそのまま噛み砕いて出したようなものであり、己の意見というほどのものでもない。ただ、彼のような『教科書を読み上げるだけ』さえもできぬものは、いる。
各々、いくつかの答弁のあと、士匄が少し侮蔑を込めた声音を発した。
「太康に情状酌量の余地なし、この王は国を失うべくして失った。民の心が離れている兆候などいくらでもあったろう。国に戻れなかったのも、見計らった諸侯が兵で道を塞いだからだ。そして五人の弟どもはそれを為すすべくなく、北岸でぼんやり見ていただけだ。中行伯が長幼の行い、僭越を考え弟たちは何も言わなかったとなされたが、わたしはそうは思わない。このものらは共に亡びるを良しとせず、しかし国の責を負うのも良しとせん。取り返しがつかなくなってから、太康を戒める言葉を皆で合唱する。僭越であろうと、首でも賭けて諫めればよい。戒めの言葉は夏王朝開祖、禹王の遺されたものであり、価値はある。が、それを歌う弟たちに価値はないな」
「なんだ、范叔は首を賭けて暗君に諫言たてまつるのか。ご立派だな」
混ぜっ返すように
「まさか。わたしは、あとからぐだぐだ陰口を言うくらいなら、死ぬ覚悟で本人に言え、というだけだ。さて。共に狩りに行くほどの兄弟仲だ、太康の逸楽のおこぼれを貰っていたのではないか。そうなれば、訓戒の言葉も意味合いが変わってくる。後悔と仕方無しという言い訳、そして責任逃れとなる」
滔々と語る士匄は、一瞬だけ韓無忌に目を移した。
「凶事の後、やたらおきれいな言葉を吐くもの、訓戒を述べるものは役立たずということだ。訓戒は常にとどめおき、凶事を防ぐためにあるもの、ことが起きてから賢しげに言うに意味などない。そして、後からなされるおきれいな言葉はたいがい空論だ。このようなことを言い立てるものは、凶事の責をとりたくない、他人事にしたい卑しいものども。禹王の偉大さ、太康の愚かさを歌う
荀偃が少々引きつった顔をしながら士匄を見て、他の者へも目を移した。士匄の言葉は、当時の価値観からすると暴論である。弟が兄であり神聖な天子に諫めるというのは非常識であった。せめて、信任されている諸侯や臣が行うことである。しかし、士匄の主眼はそこではない。
――後出しで言う人間は内容がいかにご立派でも役に立たない
――行動する気が無いなら最後まで黙っていろ。
という、積極性の塊である士匄の価値観そのものである。堂々とのたまうために正論に聞こえてしまうが、口出しせぬなら黙って従え、という傲岸さであった。優柔不断の荀偃は、それはどうか、しかしそうかもしれないとフワフワ思いながら、韓無忌を見る。この場で一番権威のある人間に身を委ねる発想である。欒黶は退屈を隠さず、あくびを噛み潰している。彼はどのような議論になろうが、結論に落ち着こうがどうでも良い。働く気もなく、他人がなんでもしてくれると思って生きている。答えも他者が用意してくれるものなのだ。
「趙孟。范叔の言葉、いかが思われる?」
韓無忌がさらりと趙武に話を振った。末席若輩の趙武が意見を言いやすいようにした、というのはある。それ以上に、士匄が趙武を教導している関係のため、議論すべきだというのもあった。
「……末席ですが問われましたので申し上げます。私は五人の弟ぎみ、五子が卑しいとは思いません。彼らは狩りの供をすることで家族としての責を果たし、河を渡らず待つことで態度を以て諫めました。それ以上を行うことは私も僭越だと思います。たとえ弟でもそれ以上できません。いえ、弟だからこそできない。心から出せぬ言葉を太康は汲み取ることは無かった。五子にその行いを省み正道を歩んで欲しいという思いはあったでしょうが、きっと言い出せません。太康が戻られなかったとき、五子はそれぞれ、戒めとともに憂いを歌いました。范叔は五人の弟ぎみを無価値で卑しいとおっしゃる。しかし、言わなかったのではなく言えなかった。その悔恨も込め悲しみを歌っておられるのでは無いでしょうか。禹王という父祖を讃え、太康を非難し、己らを羞じ、そして兄を亡くした悲しみを歌っていると、私は思います」
趙武の言葉は、あまりに感情的すぎる、と士匄は思った。少し目を細め、口を開く。
「つまり、趙孟は弟ぎみ五子らは、ご立派で情深いと?」
かなりバカにした声であった。陳腐な家族愛で政治を語るのか、という響きもあった。言われた趙武は静かに首を横に振った。
「……大いなる国政の前で、人は情を取る。特に血縁というものは、情で全てを覆いおおやけを潰します。この五子之歌がそれを語っているものと、私はさすがに申しません。しかし、この一篇を見るたびに、民の心が離れても弟たちはそれを言うことができなかった。しのびなかったのではないかと私は思ってしまいます。それは、国を弄ぶと同じですが、人はそういったものだと、私は常に思っています。情と血への拘りで動けず、後で後悔する。はっきり言えば愚かです。しかしそれを卑しく価値無しと切り捨てるのは、いかがかと思いました。人は、総じて弱いものです。えっと。范叔は心も体もお強く、ついでに不祥に祟られてもお元気なのでおわかりではないでしょうが、この弟ぎみたちのように口に出せぬかたも多い。民は必ずしも声を上げるわけではないです。それを汲み取るのが我ら
ゆっくりと、言葉を探るようなしぐさをしながら、趙武が言った。士匄のくだりは余計な文言であったが、当てこすったわけではなく、考えているうちに思考がよれたらしい。士匄は苦々しい顔をしつつも、引き合いに出されたことはつっこまなかった。ただ、祟られ元気、というあたりで、欒黶が手を打って笑ったため、即座に士匄は肘鉄を食らわせた。欒黶が床に倒れ込んで悶絶し、荀偃が気遣わしげに小さく声をかけていた。
慎ましやかに座し、趙武が士匄を怖じた様子も無くしっかりと見ている。この後輩は士匄の言葉に真っ向から反対していた。
――誰もが思うまま行動できるわけでも、その場で反論できるわけでもない。
――声の大きい人間だけを見て、うつむく弱者を切り捨てるのは為政者として小さい。
まあ、こういったものである。
そこからは、大変白熱したやりとりがあった。強者が法典を以て弱者を導けば良い、と言い放つのが士匄である。荀偃に対する態度が全てを物語っていよう。声なきものが弱者とは限らず、一つ一つを丁寧に粗末に扱ってはならない、と反駁するのが趙武である。地道にこつこつ進めようという彼らしい意見である。
こういったものは、結論がつかない。ただ、士匄は勝ちに拘り、趙武は諦めが悪いため、場は膠着した。実のところ珍しい光景ではない。
韓無忌が、それまで、と二人を止めた。
「范叔の言は五子之歌の第四の歌、趙孟の言は第一の歌に則っており、どちらも間違いではない。つまり、どちらかではなく双方を念頭に置きまつりごとを行うことが肝要。あえて言うなら、平時は趙孟の考えのほうが有用、有事には范叔の行いが効を為すだろう。さて、私も私見を申し上げたい」
常は総論のみを行う韓無忌が、さらに言葉を続けたため、全員で怪訝な顔をした。欒黶でさえ、首をかしげる。韓無忌はこの場でディベートの議長をしているようなものである。議題を出し、まとめることに徹した彼が、持論を述べるのは極めて珍しい。
「范叔はこの五人の弟が『言わなかった』と評し、趙孟は『言えなかった』と述べた。私は、まず太康が『言わせなかった』と申したい」
「聞く耳もたんから暗君というものでしょう、
間髪入れず、士匄がせせら笑った。そういうとこ、と趙武は呆れた顔で士匄を見た。うまいことを言った、という顔をしているこの先達は、いつかしょうもないことで刺されるのではないかと、趙武は思っている。
さて、人間がとてもできている韓無忌は怒ることもなく、話を続けた。
「聞く耳持たないと、言わせないは違うものだ、范叔。かつて
郤成子とは
その発想は無かった。荀偃、趙武だけでなく士匄さえ思った。
「弟ぎみ五子はもちろん、民も、そして私も汝らも、言いたくとも言えぬ、という時がある。それは、相手が拒んでいる時だ。逆に言えば、我らがそうなる可能性もある。卿として立った時、下席の口を閉ざす行いをしていないか。大夫たちの言葉を封じていないか。民の声を小さくするような振る舞いをしていないか。この五子之歌にある五つの歌は、善き訓戒とそれが為せなかった苦しみを我らに教えてくれる。しかし、いくら善き言葉があろうと、民の怨嗟あろうと、耳に入らなければ無いと同じ。言葉を待つだけの為政者など、誰が言祝ぎしようか。ましてや、言わせぬものに、誰が言う。太康が『言わせなかった』は根拠のない私見です。ただ、趙孟も范叔も五子ばかりを見て、太康を見ていないように思えたので、あえて申し上げた。我らは
最後、言葉を柔らかくして、韓無忌が趙武に顔をむけた。柔らかい笑みが浮かんでおり、表情の薄い彼には珍しすぎた。
「来春、汝の元に嫁が来られる。他国から縁づいてこられると聞いております。故郷を離れたその人は、不安でしょう。そういったことです」
趙武は二、三度目をしばたかせたあと、ぐっと頷いて拝礼した。
「背を向けることなく、頑なに撥ねのけることなく……その、柔らかく受け入れるよう、……あの、あ、相手が何も言えぬなどさせません」
少々たどたどしい趙武の言葉であったが、誠実さはあった。もっと言えば、誠実さしかなかった。色味めいたものは無い。士匄はやはりオボコだと思ったが、他のものも童貞以下だと思った。
士匄は韓無忌を睨め付けながら、
「……なるほど。趙孟への心遣いをなされて、韓伯を我らは見習わねばならぬ。わたしは非才、趙孟を教導せよとわざわざのお言葉あったにも関わらず、議の本質が分からぬ鈍さだ。公事と閨は
と、投げやりに言った。極めて深い見識を見せつけながら、オチは『お嫁さんに優しくしなさい』である。この、大仰な議題を放り投げて、それか、とバカバカしくもなる。そのまま、場の空気がわかっていない趙武を見た。趙武は己に訓戒があるのだと身構えているようであった。士匄は、静かにすっと口を開いた。
「まあ、先達として教導せよとのお達しだ、さて趙孟」
投げやりな態度を一気におさめ、威儀正しく士匄は趙武を見つめる。きちんとやれば、きちんとするのが士匄である。
「わたしは五子が後から訓戒を歌ったことを好いてはいないが、確かに認めねばならぬときがある。理屈無く、後から言ってくるものあり、そしてその言葉に逆らってはならず、我らは謝るしかない。はっきり言うが、嫁だ。
趙武がぽかんとした。バカにしてきているのか、とも彼は思った。しかし、士匄は至極真面目な顔をしており、声音も真剣であった。欒黶が深く頷く。軽薄な彼さえも頷く真理であった。一応記すが、趙武以外は妻帯者である。
「えっと……。妻や妾は、嫁ぎ先で夫を常に考えますが、その……情深いため、気持ちのまま動く事もございまして……」
荀偃のあやふやな説明に、趙武が合点がいった、という顔をした。
「妻というものは気持ちのままに動く。善きお言葉ありがとうございます、
しずしずと拝礼する趙武に、場が一気に冷えた。童貞以下の女性観に、極めてわかりやすい母親への嫌悪感をブレンドして無自覚に放出である。士匄は韓無忌に、どうするんだコレ、という顔を向けた。韓無忌もさすがに想定外だったらしく、わざとらしく咳払いをした。
欒黶が揶揄するわけでもなく、
「……趙孟。お前、
と本気で言った。趙武が即座に立ち上がり、その頭にかかと落としをした。誰も止めなかったし、とがめなかった。
「妻妾は家の支えとなります。私たちは国を守るがごとく家を守り、民の声に耳を傾けるがごとく妻妾の声に耳を傾けなければならぬ。そのような夫婦になるよう、趙孟もお励みを。今日も善き学びでした。みなさま、お父上である卿のお迎えを。趙孟は私と共に」
韓無忌が、まくし立てるように話を締めた。彼は初めて、場をごまかした。逃避ではなく、処世である。後輩が黒歴史を打ち立てたことを、ほじくり返してはいけないと思ったのである。真面目堅物が洒脱なことをしようとして失敗した。士匄はそう断じた。
少々気落ちしている韓無忌と、大人ぶった顔をした趙武が去っていく。士匄はそれを見ながら軽く肩を動かし、コキコキと鳴らした。横合いから欒黶が
「韓伯もあれだ、墓穴を掘ることがあるんだなあ」
と話しかけてきた。
「くそまじめな男も時には浮かれることもあるのだろうよ。女官の移り香そのままに来られるあたりから墓穴を掘っていたのだ。やましいことなど無いなどと仰っていたが、どうだか」
士匄は底意地悪さそのままの笑みを浮かべた。欒黶が肩を揺らして笑う。二人とも大貴族の令息のくせに、品がよろしくない顔をした。
「そうそう、女官と言えば、だ、范叔。君公が新しい女官をご披露なされたいとのことだ。我が父にはお許しをいただいている。ここだけの話、無礼講の酒宴というわけだ」
君公、つまり現・
「我が君のご自慢となれば、興味ある。よくまあ、女官など増やせたな。お前のお父上など、嫌がったろう」
「もうすぐ秋の祀りだ。それに合わせて増やしたいとねじ込まれたそうな」
いたずらめいた笑みを浮かべると、欒黶が歩きだした。士匄は、渋面あらわにした
いつの時代も、若者というものは、気難しい大人がしてやられるのを楽しんでしまうものだった。
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