episode11

 王宮の入口に集まる人々。手には、王族の紋章にもなっている碧いポリアンサの花が持たれている。


 ごった返す人の群れの中、体の小さい少年と本来の姿を隠した人外の師弟が列の一部になっていた。彼等の周りは笑みで溢れており、どれも心から王の誕生を祝福しているようである。

 クローゼットから引っ張り出してきた上着を身につけたシュリは、上目遣いになって隣にいる青年に言った。


「今朝はちゃんと起きられたのですね。毎日そうでしたらいいんですけど」


 今日の辛辣さはやや甘い。心做しか表情にも翳りを感じられる。

 視線の先の師は脱力気味に「悪いな」と相槌を打つ。平生の他所よそ向けの笑顔はなく、いつにも増して神妙な表情をしていた。


「あらぁヒュウくんたちじゃない。丁度良かったぁ」


 喧騒に似合わない、ゆったりとした口調が二人の鼓膜をくすぐった。振り返ると、視界に見慣れた姿が映り込んだ。

 すぐにシュリは礼儀正しく挨拶する。

 大家のミストは柔和な笑みを浮かべていた。その手の先には着込んだセレスが無表情でいる。彼女たちはそれぞれに花を携えていた。


 細かな雪がちらつく昼前。

 この国の王の三十七歳の生誕祭。


 正午になると、彼は滅多に晒すことのない姿を公然に現し年に一度の「御言葉」を口にする。国民は皆、その言葉を心待ちにしているのだ。

 列に並ぶミストは顔を上げて、すぐ隣にいるヒュウに話しかけた。


「やっぱり人が多いわねぇ。去年は生誕祭がからかしら」

「多分そうだろうな。去年は大変だったから」


 二人の世間話を耳にして、青年の前に立っていたシュリは思わず胸を押さえた。その傍、セレスが彼の雰囲気に違和を覚えて顔を覗き込んでくる。それでも彼は苦々しく微笑むので精一杯だった。

 少しずつ列が前進する。


 ふと大きな物音と怒声が聞こえた。

 音のする方へと顔を向けると、野次馬の中から物騒な格好をした男たちが出てくる。その中心、大きく吠える人影が連れて行かれる様子が見えた。

 ヒュウが横目に見遣り、言った。


「人に化けた人外が紛れていたみたいだな」


 処刑人に見つかってしまった同類に対しての言葉にしては、余りにも淡白な口調だった。

 シュリが即座に向かおうとしたが、師に強く腕を掴まれ、引き止められる。


 黒のローブを身に纏った処刑人たちが、犬の人外を連行していた。発作を起こしていない、無害な人外をだ。

 両手首をきつく縄で縛られた彼は、犬の耳や尻尾を晒しながら情けない声を上げていた。


 いやだ。死にたくない。殺さないで。ぼくは何もしていない。誰か、助けて。


 だがその言葉に答える者はおらず、彼はそのまま人目のない場所へと向かわされる。シュリたちの視界から処刑人共々姿を消すとすぐ、銃声が響き渡った。

 情けない悲痛な声は、もう聴こえない。

 追うように野次馬や並ぶ人々がヒソヒソと話し始める。


「え、人外? 冬眠してるんじゃなかったの?」

「久しぶりに処刑されるところ見たー!」

「汚い吠え面だったな」

「身の程をわきまえろってんだ」


 軽蔑の言葉と、卑劣な態度が渦を巻く。しかし数分も経たないうちに、この話題は飽きられて元の陽気な喧騒に戻っていった。


「あらあら、国王様の御誕生日なのに不吉ねぇ。セレスちゃん、びっくりしたでしょう」


 ミストは変わらず穏やかな口調だった。だが声を掛けられた少女は、暫く何も反応を示さずに処刑人らが姿を消した場所を睨みつけている。未だに出すことのできない声を抑え、ぐっと両手に力を込めていた。

 傍ら、シュリも彼女と同じ心情だった。しかし彼は顔も向けられずに俯いているばかりである。


 もう慣れた。もう何度も見た。


 彼は暗示を反芻させる。呪文に似たそれは最早、意味を持っていない記号でしかなかった。


 少しして王宮の大広間まで進んだ。

 軍人が指定した場所に碧の花々を飾っていく。白の外壁に咲き誇る瑞々しい花弁を尻目に、少年は逃げるように師の元へと歩んだ。


(一年だけでは、流石に忘れられないか)


 シュリは無意識のうちに俯く。脳裏にこびりついた、痛みを伴う記憶が目を覚まそうとした。

 不意に、とんっと横から体が押される。

 師がわざと体をぶつけてきた。それにシュリが驚いて視線を向けたが、彼は気づいていないふりをして前を見ていた。


 やがて大時計の針が真上を向く。

 同時に鳴り渡る、正午を告げる鐘の音。


 歓声が上がると間もなく、大衆の視線が注がれた城の二階の門が開かれた。そこから現れたのは従者を二人だけ侍らせた、きらびやかな装いの一人の男。

 国王だ。

 彼を視界に捉えた半瞬後、シュリの呼吸が止まった。只でさえ寒いというのに血の気が下がり、冷たい何かが腹の底に落ちてくる。怯えた顔で少年は半歩退いた。

 まるで彼には辺りの歓喜が聞こえていないかのようだった。


 ある程度、民衆の声が収まると国王は口を開く。

 挨拶から始まったそれは、とても凛々しく力強い声で伝えられた。

 日々働く国民への感謝。始まる新たな国々との国交について。続く病に懸命に立ち向かう王妃の容態。そして、この国を脅かす忌々しい「彼等」のこと。


「我が民たちには本当に苦労を掛けている。歯止めの効かぬ人外らに襲われても尚、折れず前を向く民たちに、私も勇気を貰っている」


 彼の話を聞いて感極まったのか、涙する者がいた。随分とこの王に信頼を寄せているのだろう。

 そのうち、彼の御言葉は徐々に一年前の話題になる。シュリの手の先は酷く冷たくなった。


「昨年は不慮の大火災により、この城、多くの従者、そして我が子を失った。私の心はすぐには立ち直れなかった。だが皆の助けで半年で持ち直すことができた、本当にありがとう。

 だからこそ、一年ぶりの祭りを皆で心ゆくまで楽しもうではないか!」


 わっと上がる人々の声。両手を掲げ、拍手喝采が地を震わす――かと思われた。


 代わりに地を揺らがせたのは、爆発音だった。


 頭上で瞬間的な轟音が鼓膜を劈く。

 吹き飛ばされるほどの暴風が吹き付けた。

 咄嗟の判断でミストを庇ったヒュウは、誰よりも先に顔を上げる。上空には灰のような塵が舞っていた。


「爆発だとッ!?」「砲撃か!?」


 戸惑う軍人。混乱に陥る民衆。冷静さを欠いた彼等は檻の中の獣同然だった。

 青年はセレスに被さっていたシュリに耳打ちする。これは砲撃ではない、集団になった人を狙ったテロだと。


「まずは避難させるぞ。怪我人がいたら僕が相手する」

「了解しました」


 先刻の怯えた雰囲気などは消え失せ、少年の目には力強い意志が宿った。


 シュリは一帯を見渡すと、脳の奥へ投げ捨ててあった記憶を呼び起こす。

 蘇るのは、かつての住処の地図。

 彼は師にここから一番近い出入り口の在り処を指さした。それにヒュウは頷いて、ミストや周辺の人々に声を掛けながら歩き出す。

 人の荒波に溺れてしまいそうになりつつ、シュリも必死で師の背を追った。左手に握るセレスの手が小刻みに震えているのを感じる。彼は大丈夫だと言うと、再び前を向いた。


 やはり出入り口は無秩序そのものだった。

 大人も子供も我先にと、限られた扉から出ようとしている。一人転べば後ろがつっかえ、混乱はさらに加速していった。

 知性のない獣のような人々を見て、ミストも焦りに拍車をかける。我慢ならず彼女は自身の手を引く青年に尋ねた。


「ひゅ、ヒュウくん、このまま皆死んでしまうの?」


 不安がる彼女の問い。それに答えるのは、いつもと変わらない涼やかな声だ。


「そうさせないようにするのが僕の仕事だ。変に慌てたら、それこそ死ぬからな。

 じゃあミスト、セレスをつれて家に戻れ。絶対に引き返すんじゃないぞ」


 ヒュウはそう言い、老婆の手を離す。代わりに弟子がつれていた少女の手を彼女に繋がせようとした。シュリがセレスの方へ振り返る。

 ところが。


「っガふ――ッ」


 咳き込む少女の口から溢れ出る真紅。


 少年が反射的に彼女の名を呼ぶが、一寸先に迫る鈍色に反応せざるを得なかった。

 目を狙ってきた刃から逃れるのにシュリが身を引くと、待ってと言いたげにセレスが手を伸ばす。だがその小さな手は届かず、彼女は地面に倒れ込んだ。


 突然の赫は、逃げ惑う民衆に円を描くようにけさせた。円の中心に置き去りにされるセレスに息はない。


 少女の亡骸、後方。

 ボウイナイフを手にした一人の男が佇む。

 彼の屈強な腕の中には、血の気を失くした色白の女の頭。そしてその足元に落ちている、首から上がない女の身体。

 点々と散らばる人の腕、右耳、数本の指。

 それらを失い、蹲る血濡れの人。


 目前に広げられた衝撃に、周囲の人々は慄いて後退しようとしていた。だが足が竦んで動けないようである。


「……先生」

「しっ。待て」


 頭に血が上ったシュリは鋭い眼光で見据え、腰を落とす。今にも飛びつきそうな気迫でいる助手を青年が片手で制した。彼も目を細め、制する獣をいつ放そうかと伺っている。


 場にそぐわない赫。

 それと共に飛散した脂。

 返り血を浴びた男の顔面には恍惚の笑み。


 途端、シュリの内側で何かが外れた。


(こいつ、人殺しを)

「ッ! おいシュリ!!」


 気がつくと彼は、男の眼前に銃口を突きつけていた。

 その双眸に猛るは憎悪。絶対に許さないという殺気が、離れた場所にいる筈の観衆をも圧倒する。

 引き金を絞るのに躊躇はなかった。


 まずは一発。

 男には抵抗する間も与えない。至近距離で放たれた弾丸は眉間に撃ち込まれ、彼は気味の悪い笑顔を貼り付けたまま後ろへ倒れる。言わずもがな即死だ。

 しかしシュリは、死に際でさえも浮かべ続けるその笑みが酷く気に入らなかった。

 はらわたが煮えくり返るという表現が適当な憤怒である。彼はついに自分を見失った。


 男に馬乗りになり、勢いを殺さず額に二発。それでも足らず目、頬、鼻、口内、顔の至る所に弾丸を捩じ込ませた。

 撃つ度に跳ねる男の死体。一定間隔で鳴り続ける乾いた音。


 数分後、少年の銃が泣き止んだ。


 男の頭は文字通り蜂の巣で、むしろ穴しか空いていない状態だった。辺りに飛び散る脳の一部、細かな肉片、潰れた眼球。集中して撃たれた箇所は骨が露出している。

 少年は上がり切った呼吸で、それを眺めていた。

 端正な顔に、べったりと塗られた血と脂の匂い。


「シュリ」


 落ち着く声がそっと触れてくる。少年は虚ろな目をしておもてを上げた。

 いつの間にか大広間には、自分たちくらいしか人がいなくなっている。どうやらシュリは殺した後、長いこと放心していたらしい。

 整っていく呼吸を感じる。

 彼は弾切れのピストルを手放すと、おもむろに立ち上がった。師の前まで来ると今度は力なく地面にへたり込む。

 項垂れたシュリは掠れた声で師に訊いた。


「セレスは」


 芯のない、か細い子どもの問いかけ。それに対してヒュウは答えない。否、それこそが答えだった。

 沈黙を口にする師を察して、シュリは更に頭を下げる。彼は胸を強く押し潰してくる何かから逃れようと声を吐き出した。


 ごめんなさい。


 たった一言の謝罪だったが、意味は幾つも存在していた。セレスを守れなかったこと、助けられなかったこと。そして過ちを犯したこと。


 いつかに覚えた嬲り殺しの感覚。

 あれと全く同じ気持ち悪さだった。


「また、人を、こんな、形で」


 勝手に震えだす自身の両手を、侮蔑を含んだ眼差しで見つめる。ぐるぐると巡る思考が惨い言葉でシュリを責め立てた。

 何に対しての罪の意識なのか分からない。ただ、ひたすら自分が赦せなかった。


 一方、悲惨な姿となった弟子にヒュウは目を細める。

 彼は先程まで、男の奇行により傷付けられた人の手当てをしていた。そのお陰で両手は鮮血に濡れ、拭ってもなお微かに赫が残っている。

 目下で脱力する少年に、その手を差し伸べることはなかった。


「謝ることじゃない。顔を上げろ」


 声音に普段の軽々しさは微塵もない。親でなく師という立場であるからか、少年の身を案じる言葉は掛けずにいる。

 彼の諭すような物言いに、どうしてか少年は首を左右に振った。意識のない彼の華奢な身体が震え、立ち上がる兆しもない。


 ぽつぽつと落ちている鮮血。

 放置されたセレスの遺体。

 見るに耐えない姿となった男。

 それ以外に見当たらない人影。


 シュリは嗚咽を漏らした。自分が憎くてしかたなかった。

 悶え苦しむ弟子に、ヒュウは変わらない声音で言う。それは冷徹とも思える言葉だった。


「僕は、死んだのがセレスともう一人だけで良かったと思うけど。少ない死者数で済んだんだし」

「良かった……?」


 ぴくりと反応する。彼の震えが収まった。


「セレスが、セレスが死んだんですよ!? 目の前で、助けることもできずにッ!

 どうしてそんな心無いことが言えるのですかッ!!」


 少年の悲嘆を混じらせた絶叫は、青年の心まで届くことはない。

 ヒュウは少年を見下ろす状態のままで淡々と言った。


「僕は、人じゃないから」


 その返答と、合わせられた血色の瞳にシュリの意識が弾かれる。据わった目をするヒュウは平生と変わりない筈だのに温かみなどなく、むしろ恐怖すら感じた。

 何も言い出せず、師を見上げることしかできない。そんなシュリに彼は優しく微笑みかけ、口を開いた。


「大丈夫だよ、セレスは君を恨んだりしない」


 温度のない優しさが覆い被さろうとしている。

 少年は美しい顔を歪ませ、それを拒んだ。


「……わかりません」


 小さな体に冷気が這ってくる。

 傾いて、今にも落ちてしまいそうな太陽が二つの影を伸ばした。


「私は、先生あなたがわかりません」


 ひびの入る音がした。

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