第2話:白死の訪れ

 その扉は重く、厚く、飾り気がない。

 店名など扉に存在せず、裏路地にあるために一目見ただけでは形だけ存在している装飾データのよう。

 触れることは出来ても開くことはなく、中に入ることなど以ての外という世界観のために用意された一種の装飾のような扉の前に立つ。

 それも当然。その扉には開けるためのドアノブが存在しないのだから。


 コン。ココッ、コン。


 雨粒がレインコートに打ち付けられ、目深に被ったフードから流れ落ちた滴が頬を濡らすなかで一拍おいた後にノックを続けざまに行う。

 今回のメールに書かれた扉を開ける手順によって、その扉に先程まで無かった金獅子の顔を模ったドアノブが現れる。


「……ふん」


 そして獅子の開いた口にメールに記載された角柱状の立体コードを差し込む。

 獅子のドアノブを鍵を使わずそのまま開ければ侵入者と認識され、20mm以上の穴を身体に作り、その痛みを持って愚かさを知らしめることになる。

 およそそのような間抜けは数日と持たずにゲームから消えるか、文字通りの廃人プレイヤーとしてクスリを追うだけの者になるだろう。

 立体コードを読み込んだ獅子のドアノブは勝手に動いて重厚な扉を開けた。

 扉の先は闇の中へと誘うような明かりのない石造りの下り階段のみがあり、そこを下っていくとバーカウンターが現れる。


「いらっしゃい。ご注文は?」


 店内にはカウンター席だけが存在し、店主であるバーテンダーがコップを拭きながら尋ねてくる。

 数名の男や女が席に腰かけてカクテルを嗜む姿は現実のバーと変わらないが、彼らの見た目は身体の一部を機械に改造している者もいた。


白い死ホワイトエンド売春婦スカーレット・ウーマンに」

「……アンタか。指名依頼なら奥へ行きな」


 バーテンダーから渡された銀獅子の鍵を手にしてカウンターを通り過ぎ、ひとつだけ存在する扉に鍵を入れると自動で扉は開く。

 扉の先には先程のバーよりも一層静かで、どこか宇宙船の中のような近未来的な光景が広がっている。

 銀の壁の隙間を青い光が埋め、コールタールのような色をした水がガラス張りの水路を流れていく。

 そんな部屋の一部にはカウンターが設置され、そこに目的の人物は待っていた。


「お待ちしておりました。スズカ様」


 血のように赤く短い髪をした女性は、お決まりの定型文を読み上げながら決まった角度でお辞儀をする。

 その所作に一切のブレはなく、また欠片も嫌味など感じさせない。

 それは彼女がその行為に慣れているからか、それとも人工知能を持ったNPCゆえか。


「スティカ。今回の依頼を確認したい」

「はい。では依頼をご説明します。依頼主は【薬剤師ハーヴェイ】。内容は六番区の闇市場にてスマートドラックの一種とされる希少薬物【ナイアフィリン】の入手依頼となっています。入手方法は問わず、【スカルド商会】が運営するオークションにて出品する予定です」

「違法薬剤師が。今度はどこの誰に売りつける気だか……報酬は?」

「二百万IGCイリーガルコインとなっております」

「三百万。それなら受ける。それ以下なら街で見かけたら撃つと添えておいて」

「返信します………………了承が得られました。それではこちらの依頼を受諾しましたので本日より七日以内にお納め下さい」


 NPCの彼女にとっては何の苦もない見事な対応も、最初の頃の素っ気ない返答や態度からは想像もできない程に丁寧な対応だった。

 最初はメールのみが届き、一方通行の依頼メールが届くのみだったのだと誰が信じられるだろうか。

 受諾した依頼内容が空中の液晶画面に表示されているのを消去し、スティカに背を向けて部屋から出ていく。

 今までの近未来的な部屋から場末のバーへと戻ると、バーテンダーに鍵を返却しつつ話を振ってみる。


「訊きたいことがある。希少な薬物の情報はあるか?」

「一万IGCだ」


 日本円にして十万円ほどの値を提示してきたバーテンダーはコップを磨きながらチラリとこちらの顔を盗み見る。

 値踏みされているのがよく分かる価格だった。この程度の支払いを渋る程度ならば質の悪い情報を渡されるか、もしくは罠にかけるつもりなのだろう。

 溜息を吐きたくなるのを堪え、黙ってメニューを開いてバーテンダーに十万IGCを振り込んでやった。


「流石は白死。この程度の金額は簡単に渡せるか」

「価値のある情報ならば金を出す。価値の無い情報を渡せば……」

「解ってる。傭兵相手に無茶ができるほど俺は強くはないんでね」


 バーテンダーの男は内ポケットから一枚のコルクで出来たカードを取り出し渡され、そのカードには二次元コードが描かれており、読み込めば中身が分かるようになっていた。


「最近出回っている薬物の一覧だ。噂話程度のものは別にしてある。それとアンタのご要望の珍しい品も別の表で纏めてある」

「芸が細かいのね」

「金額別さ。それと忠告しておくことがある」


 バーテンダーの男は机に手を置き、私にだけ聞こえるように小声で呟く。


「アンタを狙っている奴らがいる」

「……そう。名をあげれば大なり小なり狙われるのは覚悟の上よ」

「それが【屍山血河】のメンバーだとしてもか?」


 男の言葉にすぐに反応することは出来なかった。

 かつて、屍山血河というギルドがこの街を変えてしまいこの世界ゲームには正義や良識と呼べるものが無くなったのだという。

 残されたのは非人道的な大人たちの社交の場だけであり、その土台に乗っかった悪しき大人たちの利益と損得、策謀と欲望が渦を巻くディストピアが生み出された。

 屍山血河が作り直した世界は今も誰かを悦ばせ、誰かを絶望へと追いやっているが、そんなことを気にしていても私自身にメリットなど無い。

 そんな世界の常識を気にするよりも、私自身の身を守ることのほうが重要だった。


「屍山血河のメンバー……誰?」

「構成員らしき奴らが六番区で話をしているのを聞いた。理由は分からないがアンタのことだ。最近の依頼で奴らの不興を買ったんじゃないのか?」

「そんなものに金は出さない」

「だが手は出した。そうだろう? 最近花火を打ち上げたらしいじゃないか」

「……依頼よ」


 頭の片隅に残る依頼を思い出して素っ気なく簡潔に答える。

 開発中の兵器を壊すために資料が保存された部屋ごと爆破し、奴らの悪趣味な兵器の開発を少しだけ遅らせることに成功していたのだ。

 破損したデータを修復するにせよ作り直すにせよ個人的には興味がなく、依頼でなければ関わるつもりなど毛頭なかった。


「流石の白死様も連中には関わり合いたくないらしい。ま、賢明だがな。奴らは世界ゲームの支配者側だ。仲間も碌な連中じゃない」

「それなら問題ない」


 怪訝そうな顔を浮かべるバーテンダーに対し、酷く簡単な理由を告げる。


「この世界ゲームにはロクデナシしかいないもの」


 フードを深く被り直し、肩を竦めた普段はぼったくりバーを経営しているというバーテンダーの男と話を切り上げた時だった。

 横で座っていた男が重い腰をあげて立ち塞がったのは。

 その男はまるで西部劇に出てきそうな出で立ちで、カウボーイハットで顔を隠しながこちらを盗み見ていた。


「……邪魔よ」

「アンタが白死か。噂は聞いてる。単独ソロの傭兵。白い銃火。アンタが請け負った依頼で犠牲者が出なかった試しはねぇってさ。知ってるか? 最近他のゲームで有名な大手ギルドの団長様が現実リアルで衰弱して見つかったらしい。原因は寝食忘れてのゲームのし過ぎだとさ」

「そう」

「そう? そうか、それだけか。アンタには関係のねぇことだもんな? そいつは悪かったよ。記憶にねぇことで足を止めさせちまって。退くよ」


 男は半身をずらし、階段へとあがる道を開ける。

 その両手は上にあげられ、腰のホルスターに入っている銃にすぐさま手が届くことはないだろう。

 こちらを害する気はないというポーズを取る男の横を歩き、階段へと足をかける前に銃口から火が吹いた。


「な、んで」


 一発、二発、三発と立て続けに撃ち込んだことで立ち昇る硝煙が私の手に握られた小銃からあがる。

 カウンターに背中を打ち付けた男の腹には弾痕が三つでき、HPが削られるのと痛みによって呻き声をあげながら男は驚きを隠せないでいた。


「マナーが悪い。女の周りをこそこそ嗅ぎ回ることも。人の進路をわざと妨害することも。会話の盗み聞きも」


 ずるずると机に背中を押し付けながら倒れる男の眉間に熱くなったままの銃口を押し当てる。


「いらっしゃいませ、地獄へようこそ。片道切符を切らせて頂きますわ、お客様?」


 狙って中てる必要性すらないゼロ距離射撃でもって、相手の眉間に四発目の銃弾が額に風穴をあけて男のHPをゼロにした。


「ふん。武器は貰っていく。それ以外はマスターに任せる」

「賞金が出る場合は?」

「要らない。ご自由に」

「では研究所か加工場にでも渡しましょう。新しい自分に生まれ変わってやり直すのもゲームの楽しみでしょう。筆舌に尽くし難い激痛に襲われたとしても自己責任ですから」


 男の身体からホルスターに入った回転式拳銃とナイフ、手榴弾を剥ぎ取り残りをマスターに引き渡して店を出るため階段を上っていく。

 倒された男が何者なのかは興味はない。ましてや彼の今後のことなど知る必要のないことだ。

 たとえ新しい自分が望んだ形をしていないとしても、それは全てが自己責任だ。

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