第3話
青々とした若葉が、日光に照らされて透き通った緑色のスポットライトを地面に当てている。ふっくらと丈夫になった焦げ茶色の枝に小鳥が止まり、楽しげに鳴いている。
開け放たれたカーテンから漏れた一筋の光が目に当たって、目が覚めた。
瞑った瞼の裏側に見える真っ暗な世界に、突如眩しいほどの明かりが差し込んだことによって、日が昇ったことが告げられる。
「はぁ…」
憂鬱な気持ちを抑えながら、上半身を起こす。
体が怠い。
重い体を動かしながら、心もまた、重く感じていた。
また、寝てしまった。
あれだけ怯えていたのに、一瞬恐怖を忘れると、すぐ眠りに堕ちてしまう。そして、朝を迎えてしまった。
幸運な朝。
だが、嫌いな朝。
新たに太陽が東から昇ってきたということは、新しい日を迎えられたということだ。
今日も生きているという証だ。
それはとてもありがたいこと。
正常に心臓が動き、一定の動きで呼吸を行い、内臓がしっかりと機能している。
生きている人間にしてみれば当たり前のことだが、こうした日常を送れることが、一番幸せなんだと、私は実感している。
しかし、一日の始まりが来るということは、当然、終わりもくる。始まりには、必ず終わりがある。
何処かで聞いたことのあるような捨て台詞を、私は恨めしく思った。
誰がこんなことを言ったのだろう?
誰もが分かりきっている現実。
だが、その当たり前の「死」を目の当たりにすると、やはりそれは寂しい。
そして、怖い。
始まりは嬉しいはずなのに、それに伴われる終わりは、いつだって悲しいものだ。始まりは誰からも望まれるのに、終わりは嫌われる。
しかし、この二つはどんな時でも一緒について回るため、始まりのみを願うという事は矛盾している。
いつだって、生と死は隣り合わせなのだ。
なんて、天井を見つめながら自己流で考えを編み込んでいた私は、ため息をついた。どうせこんな事を議論したところで、私の悩みは解決されない。
それは、今までの体験でわかる事だ。
なら、無駄な時間を無意味なことに費やすより、早々と学校の支度をした方が、まだ有意義だと言えるだろう。
私はのそのそと、薄い掛け布団から這い出た。冷たい床に足をつけて、ここが現実だと言う実感を改めて感じてから、意識をもっとはっきりさせるべく、顔を洗う。
洗面器に溜めた冷水を掬って思いっきり顔面に掛けると、神経が刺激されて体も目覚める。すっかり覚醒した状態で、パジャマのまま一階に降りる。
まだ午前5時、誰も起きていない。
僅かな光が侵入してきている窓のカーテンを勢いよく開き、たっぷりの朝日を全身に浴びる。あまりの眩しさに目を細めるほどの日光は、私の体を芯まで温めてくれた。
仄かな温もりを纏って、朝食を作り始める。
何も考えずに、ただ手が動くまま、料理する。といっても、作るのは簡単な目玉焼きとサラダ。あとは昨日の残りのおかずのみ。
生きる気力は失せているくせに、こういうところはしっかりとやってしまう。
完成した朝食を、一人テーブルに座ってぼーっとしたまま口に運ぶ。
今はまだ6時。きっと大抵の人は、まだ夢の中にいる時間だ。少しでも長く、ベッドの中で過ごしたいと思うのが普通だろう。
だが、私はそうは思わない。むしろ、逆だ。
出来るだけ寝ると言う時間を少なくしたい。朝、やるべきことを早く済ませてから、残りの自由な時間を好きなことに使いたいと願う。
「ごちそうさま」
一人、ぱちっと手を合わせて、真っさらになった食器に向かって頭を下げる。空っぽの皿を重ね合わせてシンクに入れ、素早く歯磨きを行って、自室に戻る。
閉まっていたカーテンを全開にして、毎日の日課であるように、窓を開け放ち換気を行う。
朝の清々しい空気が、一瞬にして部屋を満たす。鼻を通り抜けて、肺の奥深くにストンと落ち着くような、爽やかな香り。正に、心地の良い晴れの匂いにぴったりだ。
5分程空気を入れ替えた後、窓を閉めて部屋の温度を保つ。
これで、やるべきことは終わり。あとは何でも出来る、私だけの時間。
つまらない学校生活を送る前に、こうしたルーティンをする事で、幾分か一日が楽しそうに思える。
ただ、それも単なる錯覚に過ぎない。結局は、どうでもいい行動をとって、今日をいう日の終わりを迎えているのだから。
せめて、朝だけでも楽しもう。
私はスマホに手を伸ばし、ロックを解除する。そして、机の引き出しから白いイヤホンを取り出して、右手に乗る紺色の本体に差し込んだ。反対側を、今度は耳に詰める。
透明な液晶に指をスライドさせて、音楽アプリを開く。音符のマークが出てくるなり、一番最初にリストアップされたのは、私が毎日のように、いや、実際毎日聴いている曲だった。
見慣れた文字をタップした瞬間、いつも通りのリズムを取った音が、耳から頭に響くように流れた。リズミカルで、それでいてしっとりとした大人っぽさも兼ね揃えているJ-ポップ。
私が一番好きな曲。
これを聴くと、今日という1日が始まったことを実感できる。まだ朝で、時間はたっぷりあるということを教えられる。
この曲を作った人は天才だ。直接会って、お礼を言いたいぐらい。私は目を瞑って、しばらく脳内に響く音楽を堪能していた。
4分ぐらいが過ぎ去って、沈黙が流れるようになると、私は圧迫された耳からイヤホンを取り出した。
この一曲が終わったことが、家を出る、投稿の合図だ。
「はぁ…」
ため息を一つついてから、スマホは机の上に、イヤホンは引き出しにしまい、荷物を持って下に降りた。
最後の一段を降りると、どこからともなく、肉が焼ける音と香ばしい匂いが漂ってきた。
家族が起きたんだな、と私は瞬時に察する。
階段のドアを、音を立てながら開くと、案の定、キッチンで作業をしていたお母さんが振り向いた。私を見るなり、にっこりと笑う。
「おはよう、夜」
「…おはよ」
短く俯きながら答え、素早くドアを閉めた。
お母さんの声なのか、ドアの音なのか、朝食を食べていた妹も、私を見つめた。
「お姉ちゃん、おはよー」
「うん」
お母さんの時よりもさらに短くて返事する。
妹なら別にいいだろう。
そんなことを考えながら、私は早く離れるべく、玄関に直行する。
靴を履き替え、「行ってきます」と、壁を挟んだ向こう側には聞こえていないであろう声を掛ける。そして、家を出た。
途端に、灼熱の太陽が照りつける。朝から迷惑な程暑い奴だ。体が焦げそう。
でも、羨ましい。
私は、雲ひとつない快晴の青空を見上げた。吸い込まれそうな群青色に、真っ赤な太陽。空なんていつも見てるくせに、こうまじまじと眺めると、美しいことに気づく。
こんな景色が見られるのも、生きているからなのだ。
自己主張を強める太陽という惑星は、私に取っては眩し過ぎた。
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