第3話 魔法


「ええっ! イザベラさまが行方不明?!」


 男性の野太い叫びごえで目が覚めた。


「ああ。今朝ハワードが言ってた」


「ハワード? 誰だっけ」


「あ、お前はこっち勤務だから、まだ会ってないのかぁ。ご主人が新しく雇った家令だよ。ちょっと前までイザベラさまのお父上、ヤランデ公爵の家令だったってさ。ご主人、ついに公爵とのけに勝ったぞぅって泣いてたよ」


「へぇ、やっとウチの人材流出をとめられたんか。けど賭けの対象にされるとかオレやだわ」


「だなー。あれってさ、ヤランデ公爵が部下の自慢したところから始まったらしいぞ。ご主人の負けずギライ知っててあおるし。しかも公爵自身も負けずギライだし。いい迷惑だよな」


 なんだ? この話。

 しかも誰だ? 朝から他人の玄関前でデカい声でしゃべってさ。

 近所迷惑だ、窓あけて突きの練習しちゃうぞ?


 ってか、なんか身体痛い。かゆーい。


 アタシはゴシゴシと目をこすって、大きく伸びをした。

 ヨッと半身を起こして、身体をきながら、ふと下を見て。


 ギョッとした。

 急いで積まれているわらにかくれた。

 階下で2人の男が、馬の世話をしながらペチャクチャ話してる。


「昨日、馬車に女性が乗ったって言っただろ? その女性がイザベラさまだってハワードは言うんだ」

「え? そうなのか? お前も見たの?」

「いや。あ、でも声は聞いた」

「声だけかよ。だいたい俺たちイザベラさまの顔って知らないよな」

「ああ。まあ最近のご令嬢たちの顔なんてほとんど知らないしな。だからハワードがイザベラさまの姿絵を持ってくるって言ってたぞ」



 なんじゃこりゃ。どうなってるんだ。

 き、昨日の? アタシがどこぞの令嬢姿で逃走して、どこぞのヨボじーさんの屋敷に潜入したっていう……ありゃ夢だろ? 


 胸を揉む。

 マジかー! 揉みがいが、あるやないかーい。


 えー……。どうすんだ、この状況。


 呆然としていると、下の男たちが話しながら馬を連れてどこかへ行った。

 2人の後ろ姿が遠くなっていく。



 どーしよ。

 誰かがここに登ってきたら、オワリじゃん。

 でもアタシ、まったく分からん世界にいる。

 世界。異世界……婚約破棄の、異世界、小説? 的な? 


 ハハッと、乾いた声が出る。んなバカな。


 ──でももしもここが、なにかしらの小説なりゲームなりの世界なら。

 魔法、が。あっちゃったりなんだり、しちゃたりして。


 ふふっ。んー。それでもしもー、アタシが、いま魔法を使っちゃうならー。

 うーん。そうだなー。どうするかなー。


 ぐうぅ。


 うん、おなかすいたなー。

 だからここから、この屋敷のキッチンとかに行ってー、ご飯食べちゃえるのがいいなー。

 うーん。しかもそのあと、誰にも見つからずに安全なところに行きたいなー。


 っつーことは……ああっ!


『透明人間!』





 ま、ムリか。


 あ〜現実逃避がひどすぎて涙が出てくるワ。

 ……お腹、すいたぁ。

 なーんかどうでも良くなってきたぁ。出てってもよくない? 

 そんで「ご飯プリーズ」「ギブミーご飯」って言ってみようよ。


 そしたらイザベラちゃんの親父のかたきっぽい、あのヨボヨボじーさんに、売られる……売られる!? 賭けの対象として? 

 いや……うん。あるのかも。

 ええ〜、もーぅめんどくさーっ。


 ゴロンっとあお向けにひっくり返り、ふてくされた。


 なんで日本じゃないのかとか、イザベラってなんだよとか、いろいろ思い浮かぶけど、お腹がすいててまとまらない。


 どうすりゃあいいんだよっと突きを出すと…………出すと。

 伸ばしてるはずの手が、ねえんだがっ! 


 驚きで燕尾服の袖をめくる。

 ……ない。見えない。

 マジで? 透明人間、マジで? 

 起きあがって足も見てみる。……ないね。


 が、ここで気づく。


 服が見えてるんだよ。

 ってことは、わぁ〜映画みたいだぁ。マジかぁ、包帯とサングラスいるやあん。……ん? ちょっと待てアタシ。嬉しがってる場合じゃなくね? これって、まさかの全裸になるしかないってことだよ?


 いや、さすがに嫌だわ、そんなん。そこまで変態じゃないワ。

 人前で乳は揉めても、透明全裸で行進はないわー。


 うーん。

 透明人間やめたいんだけど、どうする? なんて言ってみる? 

 うーん。


『元にもどれっ』


 ……どうですか? 

 うーん、ダメか、なあ? 

 はあ。少し待ってみて、もどらなかったら全裸行進して全裸で盗み食い。


 想像だけでヘコむわあ。そしておなかすいたわあ。



 *****



「うむ。きれいだ」


 ほうきを片手にもち、廊下を見て満足する。


 以前、透明人間になったんだ。服以外のアタシが。


 あわや全裸で存在しつづける危機を迎えたが、ありがたいことにそのあと有色人間に戻れたので、今度は『アタシのすべて透明』と言ってみた。

 言ってみるもんだ。着ているものも透明になった。


 そして魔法があるならと、[ランプをこするアレ的な物語]のなかに出ていた『食べもの出す』の術をマネしてみた。

 マネしてみるもんだ。パンが出た。嬉しかった。

 でもパンしか出ない。なぜだ。『ごはんよ、出ろ』でなぜにパンのみなのだ。そのうち盗み食いをするかもしれん。

 カネなしツテなし逃亡中なんだからと、言いわけを念仏なみに唱えることに決める。


 それから藁で寝るのがいやで、屋敷に入り使用していない部屋をつかうことにした。


 ゆえに屋敷中を掃除している。

 申しわけない。見えないだろうが働くよ。

 ちなみにパンも、ほうきも透明にしている。魔法ってすげえ。


 掃除も魔法でやってみた。できた。

 でも、きれいになりすぎて生命せいめいの危機を感じるほどに床がツルツルになったからやめた。

 元にもどして掃除した。魔法って不便。



 そんなこんなで、3日目。

 そのあいだ、ずっと透明。

 いまはタオルを身体に巻いて石に座っている。

 水浴びと洗濯をしたのだ。1着しか服がないって辛い。


 結局、納得して使っている魔法は透明化と元にもどすこととパン出しの3つだけ。


 魔法のほかには、なぜか本や新聞が読めると知った。昨日、屋敷内の掃除をして歩いていると本がたくさんある部屋を見つけ、ふと手にした本の文字が理解できることに衝撃を受ける。見たこともない言語だというのは確かなのに読めるとは。

 正直に言うと、こういう能力はアタシが学生のときに出現して欲しかったという想いが湧きでた……非常に残念でっす。


 そしてその本棚のなかに[魔法の基礎]と書かれたものがあった。

 ……やはり魔法の世界だったんだぜっ。なんか興奮。


 だから一応、本に書いてある文言を言おうとしてみたんだ。

『清き水を秘めたるもの──』


 グフゥッ。

 ムリだった、膝から崩れおちて声を出してもだえた。


 こりゃアタシにはダメだ。

 あの文言を唱えると、慣れしたんだ日本人のアタシの幻が見えてきた。

 ものすごくイヤミったらしい顔をして、「厨二病ですかあ?」とあざ笑ってくる。

 心のダメージが半端ない。


 けれど魔法の本に書かれた文言を言うと、身体のなかで勢いよく力のようなものが流れたのを感じて驚いた。

 恍惚、というような感覚。

 それを感じられないのは残念だけど、文言を唱えなくても魔法を使えるので感謝する。


 こういった色々な思いをブツブツと心でつぶやきながら乾いた服を着て、透明なままでお屋敷の人たちに挨拶していく。黙礼ですが。

 たとえ見えずとも、人には礼儀を尽くしたいのです。仲川中尉、あなたのように。



 そしてイザベラさまの姿絵を持って再来していた家令ハワードくんの馬車に乗り、とうとうお屋敷を出たのだった。



 *****



 2週間前、アタシは透明人間になって家令のハワードに付いて行った。

 そして彼の雇用主であるヨボヨボ紳士に再会し、そのうちにヤランデ公爵に会った。


 ヤランデ公爵は、この身体のイザベラ嬢の父上らしい。

 アタシは付きまとう対象を彼に変え、ヤランデ屋敷にお邪魔した。


 そしてイザベラ嬢の日記を読んだ。


 スパイ映画を見まくってたおかげで、なんと彼女の秘密の場所を探しあててしまったんだぜっ。

 ……申しわけございません、イザベラくん。

 だが、なにか手がかりがなければ、どうしようもないんだよ。



 読んで分かったのは、イザベラさまはマジメ! だった。

 未来の王妃として習ったことや矜持、抱負なんかが、びっしり書かれてる。

 その合間に、王子とその周りの人々への傾向と対策が……。

[わたくしはもっと彼らをお支えしなければ]ってアナタ。


 ええ子や。エエ子やけど、頑張りすぎやないかなぁ? 

 お姉さん、泣いたわ。


 けれど最後の日記1冊は、内容がどんどん不穏になっていく。

 王子たちに責められる日々が綴られている。

 うーん。悪役令嬢の小説で読んだような事件が書いてあるって、驚き。

 驚きすぎて、こりゃ小説だろ?! という感想。現実感が湧かない。


 そしてイザベラ嬢には父母と弟がいるのだが、日記には彼らのことは、ほとんど出てこない。

 不思議だなあと思ってたら、なんと言うか、ヤランデ屋敷は実はマンションかもって感じなのだ。


 どういうことかと言うと、アタシは透明人間だから、無駄にデカっ広い玄関ロビーでソファにふんぞり返って観察できるんだが。

 家族で見送ったり出迎えたりしてるのを見ない。


 透明にしたご飯をむしゃむしゃ食べながら食堂に居すわって観察したんだが。

 そろって食卓を囲んだ日がない。


 それぞれの部屋にお風呂もトイレもあるのだろう、早く出てよぅ遅れちゃう〜みたいな言い合いもなかった。


 2度ほどヤランデ氏とヤランデ妻が廊下でバッタリ会うのを目撃したが、軽く会釈を交わして通り過ぎていった。

 ここはマンションの共同廊下かよって口パクで叫んだほどの淡白な家族の触れあい。


 だからなのか? ヤランデ氏の書斎の長椅子に寝ころんで観察してたんだが。

 娘であるイザベラ嬢を探してるふうも心配してるようすも、とくに見られなかった。

 まぁ彼がこの屋敷にいる時間が短すぎるから、っていうのもあるんだろうけど。


 家族の家というよりも、ただの集合住宅って言葉のほうが、しっくりくる。

 とにかく無表情で薄情な家族、という印象しかなかった。



 でも結局、他人のアタシが口を出すことじゃないしなぁと思って、なんとなく家を出ることにした。


 まずはイザベラ嬢の部屋にあったお金と宝石、ドレスなどを持ちだせるだけ出した。

 生きていくために、彼女のものはアタシのもの精神で罪悪感を消す。

 中身はアタシだが、身体はイザベラ嬢なのだ。盗んではいない、だろう。


 そして、それらすべてをシーツに包んで透明化し、泥棒みたいに背負って当てもなく歩いた。



 *****



 1度は町に出た。

 家令のハワードの姿になって。


 ── へへへ、家令のハワードの姿で、だよ。すごいよね。

 これはまだヤランデ屋敷にいるとき、イザベラ嬢の部屋にある全身鏡のまえで試してみた魔法。

 

『変・身!』


 最初にポーズ付きでコレをやってしまって、悔やみすぎた。

 しかも何にも変身しなかったというね。


 ……元々のアタシだったら笑えてただろうに。おそろしくスタイルが良くて美女なイザベラちゃんだと、ただの可哀想な子だった。

 せめて女子バージョンのポーズをしてあげてれば、こんなに辛くはなかっただろう。

 あるいは鏡を見ながら言わなければ、恥辱という衝撃は受けなかったかもしれない。


 そんな深い傷を心に負いながらも、アタシはあきらめなかったんだぜっ。

 次に唱えた『ハワードになあれ』という、たぶん魔法少女的な言葉ですぐに解決したのが少しアレだったけど。もちろん目を閉じて唱えた。


 ちなみに、持って出たドレスを洋服に変える、という魔法も使えたんだぜっ。

 あれですよ、ビビディバビディ的な映画でやってたヤツを応用したんです。天才か。

 貴族なドレスをボロい服に変える楽しさは格別だった。それでも1着だけドレスを残しておいた。ふいに社会人の心得みたいな考えが浮かんだから。大人だね。



 町に出ようと思ったのは、悪役令嬢小説で何度か読んだ[平民として生きる道]というフレーズを思い出したからだった。

 そしてなぜかアタシは、町をうろつけば、親切なおばあさんかお腹の大きなパン屋さんと運命的に出会い、下宿付きで雇ってくれるはずって本気で思い込んでいたらしい。


 だがアタシの現実には、そんな気の良い人たちは1人も現れなかった。

 仕方なく目についた店に入り店主に交渉を持ちかけると、彼らは一様に住民税の件があるからとか役場に提出しなければならないからとか言って、身元を詳細に聞いてくる。しかも役場にアタシの身元確認まですると言う。

 最初の店では思わずキレて、魔法世界ではそんなのどうでもいいはずだと叫んでしまい追いだされた。……そしてそれは、どの店へ行っても同じだった。


 はっきり言って、ものすごく腹が立った。


 ここは自分が知っている世界ではなかったはずだから。

 小説のなかのようなもので、自分が生きていた世界の、馴染みある制度なんて存在してほしくなかったから。


 もしやアタシ、いや、イザベラちゃんか。彼女が美少女だから追求が激しいのではないかと疑い、成人した男のハワードに変身して手続きをしようと考えた。けれど結局、契約やサインなどを他人のふりしてやるのは犯罪だなと思ってやめた。

 なぜならアタシは! 罪を犯すならば正々堂々と自分の姿でするんだぜっ! 


 ただ、宝石をお金に換金するのはハワードの姿を借りた。

 お上品な顔で秘書っぽい雰囲気は、信用度が高そうだから。



 そういうわけで町で暮らすことを諦めたアタシは、換金したお金で旅に必要な細々としたものと食料を持てるぶんだけ買い込んで、透明になってプラプラと町を歩きつづけた。

 まさか、いつのまにか国境付近まで来ているとは思わなかったけど。

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