第2話

旅仕度を整えた奉公人二十人と、用心棒らしき侍が五人、そして佐野屋夫婦が乗る駕籠がニ丁、お里には嫁入り駕籠が用意されました。交替の担ぎ手もおります。お里が大切に育てられていることが伺える光景でした。  

 見物人はというと、黒山の人だかり。勿論利吉もおります。

 その時見物人からひときわ大きい歓声が上がりました。

 お里が店から出てきたのでした。集まった女たちはその美しさに溜息を漏らしました。

 お里は穏やかな笑みを浮かべると、集まった人々に一礼しました。大きな拍手が送られ、祝いの言葉が飛び交いました。

(この方がお嬢さまか……)

 その様子をうっとり見ていた利吉は、何やら必死に合図をする宮司に気づきました。しきりに動かす顎の先に目を向けると、あの男が一番後ろで荷を担ぎ、緊張した面持ちで立っています。

 宮司と佐野屋が男の傍へ行くのを見た利吉は、見物人を掻き分けて近づきました。

「五平、宮司さまだ。お前を江戸までの共に加えるようにおっしゃってくださった方だ」

「は、はい」

「五平とやら、しっかり共をしてお役に立つように。分かりましたかな」 

「はい、宮司さま」

 緊張でこう答えるのが精一杯のように利吉の目には映りました。

(五平っていうのか……)

 感慨深く五平を見つめたその時、

「お立ちませい!」

 先頭の男が大きな声を上げました。

 いよいよ出発のようです。

 歓声が上がる中、利吉は顔の前で手を合わせ、祈りながら五平の後ろ姿を見送りました。

「五平が一緒ならば大丈夫だ利吉」「へい宮司さま」

 行列はどんどん小さくなり、終に見えなくなりました。

「さあ帰ろう利吉。それはそうとお前には罰を与えんといかん。賽銭泥棒と願い事の盗み読み。どんな罰にしようかのう」

「えっ?」

 一行を見送った感動も何処へやら。利吉は肩を落とし宮司のうしろに続きました。

 宮司は境内に入ると参道の掃き掃除をしていた男に声を掛けました。

「庄助! 今日から参道の掃き掃除はこの利吉にさせる。利吉、氏子の庄助じゃ。いろいろ教わってしっかり務めなさい。手を抜くんじゃないぞ」

「へい」

 きつい罰はどんな罰なのか、利吉は身を縮めておりました。

「利吉! 掃き掃除が終わったら社務所の裏へ来なさい」

 ほれきた! 奉行所へ突出され、牢屋に入れられるに違いありません。重い足取りで裏へ回ると、長い廊下があり、その先に小さな部屋がありました。

「宮司さま!」

「終わったか?」

「はい。庄助さんに見て貰いました」「そうか、じゃあ向こう側の入口から入って来なさい」

 小さな部屋の中で宮司はガタガタと片付けをしているようでした。

 中に入ると宮司は、手ぬぐいで鼻と口を覆い、叩きを掛けています。

「宮司さま?」

「手ぬぐいと雑巾はそこじゃ。この部屋を掃除して、今日からここで寝なさい」

 利吉は耳を疑いました。

「えっ! おいらは牢屋へ入るんじゃ?」

「牢屋? 利吉、これからは牢屋よりきつい仕事が待っているぞ。明け六つの鐘で起き、本殿の掃除、参道の掃除、その後は庄助の指示に従って神社のために働きなさい。できるか?」

 宮司は叩きを掛けながら問いました。 利吉は自分のために何かをしてくれる人に初めて会いました。

「へい宮司さま!」

 物心ついた時には既に一人きり、親も兄弟も知りません。寺の床下、神社の床下が利吉の住処でした。屋根のある部屋で寝るなど夢のまた夢です。幸せを噛み締めていた利吉でしたが、次から次へと用事を言いつけられるため、そんな気持ちはあっという間に何処かへ飛んで行き、忙しない日々を送ることとなりました。

 こうして利吉は神社の下働きとして、新しい生活を始めたのでした。



 一方、五平と佐野屋の一行は、蕨宿を出た後、戸田の渡しを過ぎ、五平が心配する難所へと差し掛かっておりました。暗い上に急勾配の上り坂です。                                こんな所で襲われたら一行にとっては大層不利。大勢の盗賊に囲まれでもしたら、勝ち目はありません。

 用心棒の侍たちが辺りに鋭い視線を向け始めました。

『無事に通してください』繰り返し祈る五平でしたが、坂の中ほどに差し掛かった時、一行の先頭辺りに何かが音をたてて落ちてきました。 

「枯れ枝です!」

 先頭の男が叫んだ瞬間、あっという間に盗賊に一行は囲まれてしまいました。奉公人は大声を上げ、全ての荷を嫁入り駕籠の回りに集め、襲撃から防御しました。佐野屋の主人も慌てて駕籠から出ました。

 用心棒は盗賊に果敢に立ち向かっています。奉公人たちも備え持ってきた天秤棒を振り翳しました。

 五平はというと、嫁入り駕籠目がけて全速力で走り出していました。たとえ殺されようと、何があってもお嬢さまは自分が守り抜く。

 腕を大きく広げ、身体ごと駕籠に覆い被さった五平の顔には鬼気迫るものがありました。人と争ったことなどありません、まして刀など触ったこともない気の弱い五平には、これしか思いつかなかったのでした。

 刀が風を切る音が耳をかすめます。身体と身体がぶつかり合う音、しのぎを削る激しい音、凄まじい状況に悲鳴が重なり修羅場となりました。

 しかし丁度その時通り掛かった旅人たちの騒ぐ声に、盗賊たちは引き上げて行きました。

 幸い深い傷を負った者はおらず、軽い手当てで済みました。

 辺りが静まり返った時「五平、五平!」肩を叩かれて五平は我に返りました。駕籠にしがみついたままの五平を、皆は笑みを浮かべて見ています。

 何がどうなったのか、目をきつくつむっていた五平には分かりようもなく慌てて駕籠から離れると、何故かしゃがみ込んで謝り始めたのでした。

「申し訳ありません。申し訳ありません」

「何を謝る? 良くやってくれたな五平、宮司さまの言った通りだ。ここからは、お里の駕籠の横に付いてやっておくれ。お前が傍にいてくれれば安心だ」

 主人の言葉に五平は耳を疑いました。自分のような何もできない者が、お嬢さまの駕籠の横に付くなど、あり得ないことです。

 更に嫁入り駕籠の中からの『ありがとう』の言葉は、五平の緊張を頂点へと誘いました。

「お立ちませい!」

 先頭の男の声が響きました。

 改めて出発です。

 一行は志村一里塚を通り、板橋宿に入りました。恐ろしさ交じりの長い長い一日でした。ここで旅籠に泊まり、明日はいよいよお江戸は日本橋に入ります。




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