9.誕生、ブルーモーメント②

 宮越晃成の二度目の聴取は先輩刑事の杉浦が担当していた。立ち会いの九条は取り調べ室の隅で宮越の一挙一動の観察に徹した。


『私を守るために綾菜が罪を背負うことはなかったのに……』


 供述の最中、宮越の丸めた背中が震え始めた。愛弟子に死体損壊と死体遺棄という罪を犯させ罪人にしてしまったことを悔いて、自責の念にかられる巨匠……。

そう、見えなくもない。いや、そう見えすぎるくらいだ。


杉浦が背後の九条と目を合わせ、交代の合図を送る。この底知れない後味の悪さを感じているのは九条だけではない。

すべてが上手く出来過ぎていて、気持ちが悪い。


 九条は今まで杉浦が座っていた椅子に腰掛け、向かいの宮越と対峙した。


『そうやって犯した罪に後悔している風に自分を装い、堀川さんに死体の処理をさせるように彼女をマインドコントロールしたんですか?』

『……何のことでしょう?』


 うつく顔を上げた宮越の瞳に鋭い光が宿る。この瞳のぎらつきを九条は嫌というほど見てきた。

青を失った画家の瞳は紛れもなく犯罪者の瞳だ。


『堀川さんに20年前の罪を告白して、彼女はどうするか。あなたには彼女が庇ってくれる確信があった。あなたの代わりに宮越晃成として作品を描くことが彼女の自尊心を保っていたと知っていたから』

『……綾菜は、とてもいい子です。良い弟子を持った私は幸せ者ですよ』


相変わらず背中は丸めたまま、宮越は相対する九条に向けて笑い返した。ぞっとするほど柔らかい微笑みは、弟子を隠れみのにすることも殺人もいとわない宮越の残虐さを物語る。


『堀川さんは二階堂さんの死体に赤とんぼの折り紙を添えた理由を自分のサイン代わりだと言っていました。彼女は20年前のあなたとまったく同じことをした』

『ああ……。まさか綾菜も死体に赤とんぼを止まらせているとは思わなくて驚いたな。私は綾菜に過去の殺人は明かしても、赤とんぼの折り紙のことは話していなかった。それなのに私の思考を完璧にトレースしてくれるとは……。ただし、綾菜の赤とんぼは少々蛇足でした。芸術点はゼロ点だ』


 今回と20年前の赤とんぼの一致は宮越自身もあずかり知らない偶然だった。自分のために死体を切断した弟子が残したサインを蛇足と批評するこの男が、九条には二階堂よりも醜悪な人間に思えた。


『教え子に犯さなくてもいい罪を背負わせ、殺人という罪から逃れようとしたあなたを俺は許さない。画商やコレクターは騙せても、警察と司法は騙せませんよ』


 九条の糾弾も宮越には響かない。その後に続いた20年前の女性連続殺人の聴取でも宮越の言葉に罪悪の感情は欠片も感じなかった。


 1999年10月。永遠のファム・ファタールであるサキ子の面影を追い求める宮越は、街でサキ子に似た女性に声をかけた。ドラゴンフライの最初の被害者、長谷部はせべ法子のりこだ。


 若い頃の宮越は俗に言うハンサムの類いの顔立ちをしていた。彼に絵のモデルを頼まれた女達は、モデルの依頼を二つ返事で引き受けた。


甘い蜜を滴る花に吸い寄せられる蝶のごとく、宮越のアトリエには女が集まる。そうして招かれた長谷部法子をキャンバスに描いた宮越は、その日のうちに法子を殺害、彼女の身体をバラバラに切断した。


 以降に繰り返される女性連続殺人の動機はふたつあった。

ひとつは絵のモデルを殺して、“宮越晃成の絵”こそがたったひとつのオリジナルに成り代わるため。女性画のモデル(オリジナル)がいなくなれば絵が永遠のオリジナルとなる。


もうひとつは決して自分に振り向いてはくれなかった義理の姉、サキ子に募らせた鬱屈とした愛憎だ。


 スペインから帰国後に女性画を封じて風景画に転身した理由と連続殺人を止めた理由について宮越は多くを語らない。

結局、日本にもスペインにも宮越だけのサキ子はどこにも居なかった……。そういうことかもしれない。


        *


 仮眠室のブラインドカーテンを閉じた九条大河は簡易ベッドに寝転がった。そのまま、浅い眠りと鈍い目覚めを行ったり来たりの九条の耳にスマートフォンの着信音が届く。


 着信音の主はプライベートのスマホだった。トークアプリに通知が一件、メッセージの送り主は南田だ。

〈午前4時37分、娘誕生。母子共に健康。〉たった二行の素っ気ないメッセージが、凍えた心を温めてくれる。土砂降りの嵐の最中に、そっと差し出された傘みたいだ。


『そっか。産まれた……。良かった……』


 陣痛が始まったと義両親から連絡を受けた南田は刑事の仕事と妻の出産、どちらを優先すべきか迷っていた。

苦悩して動けずにいる南田の背中を押したのは九条だ。


刑事は他にいくらでもいる。けれど南田の妻と子にとっては、南田だけが夫であり父親だ。同僚達に送り出されて妻の待つ病院に走り出す南田の背中はこれまでで一番、頼もしかった。


 現在時刻は10月24日午前5時19分、ブラインドカーテンを開ければ、間もなく夜明けを迎える群青ぐんじょうの晴れた空が映り込む。


『よりによってアイツと同じ誕生日かよ……。強がりな女にならないといいけど』


あれだけ悩んだ娘の名前はそのうち耳にタコができるほど聞かされるから、今は聞かなくてもいい。


『ハッピーバースデー……』


 いずれ会うことになる、まだ名も知らぬ相棒の娘と忘れられない女の名前を、空気に乗せて呟いた。


 ──あといくつ夜を越えたら君を忘れられるだろう?



【Blue Hour】―END―

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