9.誕生、ブルーモーメント①

 警視庁に連行された宮越晃成と堀川綾菜は殺人と死体損壊、及び死体遺棄の罪を認めた。二階堂殺害の動機は九条の推測通りだった。


 師弟関係にある二人の画風は元々近接していたが、2018年以降に発表された両者の絵はより互いに似通った作品が多くなっていた。


 近年の宮越と綾菜の画風の類似に気付いた二階堂は、宮越が絵を描けない状態にあること、近年の宮越の作品はすべて綾菜が描いているのではないかと宮越を問いただした。


“日本の美術界にとって重大なスキャンダルとなり得る事実”、それを暴いて二階堂は一体何がしたかったのか。

宮越を恐喝して金を強請ろうとしたかもしれない、秘密を口外しない代わりに綾菜との肉体関係の取引を持ちかけたかったのかもしれない。

何を思っても死人に口無しだ。


 口論の末に宮越はアトリエに置かれた綾菜のカナヅチで二階堂を殺してしまった。

大阪にいた綾菜は二階堂の殺害をグループ展の打ち上げ最中にかかってきた宮越からの電話で知った。


 綾菜が不在の日はギャラリーバーも休業日。幸い犯行日の翌日、月曜日は店の定休日でもあった。


綾菜は自分が帰るまで死体はそのままにして、アトリエに誰も入れないよう宮越に指示を出した。宮越が20年前の殺人事件を綾菜に明かしたのもこの時だった。

彼は涙ながらに過去の罪を独白したらしい。


「先生が20年前に人を殺したと知っても怖くはなかった。私は先生を守りたかった」


 恩師が隠し持った残忍な過去を知った後も彼女は何食わぬ顔で打ち上げに参加し、画家仲間と酒を酌み交わしていたのだから相当な精神力だ。


「大阪にいる間、死体の処理をどうすればいいか必死で考えて、20年前の事件を真似てバラバラに解体してしまえばいいんだって思ったのよ。分解すれば運びやすくなるし、20年前の先生の殺人へのオマージュにもなる」


 下北沢のアトリエに帰宅した綾菜は一昼夜かけて二階堂の身体を切断した。

風呂場からはその場所に血液が付着した証拠を示すルミノール反応が検出され、死体の切断に使用した電動ノコギリと宮越が二階堂を殴打したカナヅチも両者のアトリエから見つかっている。


 遺棄現場の杉並区和泉は綾菜が3年前まで住んでいた町だ。杉並区和泉の可燃ゴミ収集日は水曜日。

綾菜が組み立てたロジックでは死体の処理は水曜朝に間に合う計算だった。


 杉並区推奨の黄色いゴミ袋は世田谷区への引っ越しで不要となり、自宅のクローゼットに未開封のまま眠っていた。綾菜は切断した身体をゴミ袋に詰め、水曜の早朝に杉並区のゴミ集積場に遺棄した。


遺棄に利用した車はギャラリーバーの敷地に停まる綾菜のセダン。調べれば何らかの物証が出てくるだろう。

以上が、杉並バラバラ殺人事件の真相だ。


 取り調べ室で向き合う九条と綾菜に笑顔はない。できれば、こんな場所でこんな形で、彼女と相まみえたくなかった。


『宮越さんの罪を隠すためにどうしてそこまでするのか、俺には理解ができない』


 目の前にいるのは“忘れられない女”とよく似た顔の、別の女。

当たり前だが、彼女と綾菜は根本がまるで違う。たぶん綾菜の方が要領がよく、ずる賢い。


「画家ってね、作品が売れないと死人も同然なの。存在をないものとされる。大学を卒業してしばらくは収入もなくて生活も苦しかった。毎日毎日、売れ残った絵と心中してる気持ちだった。創作活動も生活も八方塞がりになった私を先生はあそこに住まわせて、アトリエも用意してくれた。先生も脳梗塞の手術を終えて退院したばかりで生活のサポートをしてくれる人が必要だったから、ギブアンドテイクってわけ」


 傍目には綾菜の画家人生は順風満帆で華やかな生活を送れているように見える。しかしそれは見かけだけのハリボテの華。


 彼女の作品が掲載された画廊のSNSや美術系サイトをよく見れば、画家・堀川綾菜の紹介文は〈美人画家、美貌のアーティスト〉などの容姿をもてはやすフレーズで飾り立てられている。


人々の関心は綾菜の人目を惹く容姿であって、彼女が生み出す作品ではない。綾菜がそれを嘆けば、ないものねだりと批判される。

画家としての実力より容姿が目立ってしまっても注目されるだけマシだと、ねたむ人間もいただろう。


「先生は私にも色盲を隠していたけど、一緒に生活していてすぐに気付いた。先生はもう絵が描けない。でも新作の要求は山のように来る。……だから私が宮越晃成として代わりに描いた。私と先生のタッチは似ているし、模写は得意分野だったから予想以上に上手く仕上がった。画商もコレクターも誰も本当の作者に気付かないのよ。可笑しくて笑えるでしょ?」


 目の肥えた画商とコレクターが気が付かなかった“現在の宮越晃成の絵画”の本当の作者に気付いた唯一の存在が、二階堂だ。


ギャラリーストーカーのブラックリストの常連だった二階堂には、確かに絵画への審美眼が備わっていた。まさかその審美眼が仇となって殺されてしまうとは。

自業自得の面は否めないものの、二階堂が哀れだ。


「残酷よね。私の絵は世間での評価がされなかったのに“宮越晃成の名がついた絵”になるだけで評価がもらえた。私が描いた作品が私の名前では売れなくて、先生の名前がついた途端に高値で売れる。宮越先生のコレクターは作品そのものじゃなく、名前で購入する馬鹿が多いのよ」


 古今東西、広く名の知れた芸術家達は死してようやく評価を得る者が多かったと聞く。存命中は見向きもされなかった芸術家の作品が死後に価値を見出された話は数多と溢れている。


宮越の亡霊に甘んじるしかなかった綾菜の苦悩、どんな手段を使ってでも画家であり続けた絵画への執着、恩師の名声を利用する野心……。


 彼女は宮越を守りたかったと語ったが、恩師を守るために死体の切断を請け負えるとは思えない。

綾菜が真に守りたかったものは“宮越晃成の名前がついた自分の絵”ではないのか?


それが綾菜の正義だとしても何ひとつ共感も理解もできない。宮越と綾菜のいびつな共依存関係も単なる盲目的な崇拝の感情だけではない気がした。


『折り紙の赤とんぼは、宮越さんが大学時代に君に教えた折り方だと言っていた。何故、死体に赤とんぼを添えた? アレがあったから俺達は20年前の連続殺人との関連を疑うことになったんだ』


 杉並バラバラ殺人と20年前の女性連続殺人を結びつける所以ゆえんが血まみれの赤とんぼだ。二階堂の死体の傍らに赤とんぼの折り紙がなければ、20年前のドラゴンフライの事件は浮上しなかった。


は私の作品だもの。完成させたらサインを書き込まないといけないでしょう?」


 バラバラに切断した死体を自分の作品と称した女の嘲笑ちょうしょうが、取り調べ室に虚しく響く。


 ──“私ね、きっと九条さんのこと好きになる”──


 待宵の月の下で囁かれた甘い言葉を思い出せば、瞼の裏に涙の予兆を感じて彼は目頭を押さえた。

もっと早く出逢えていたら……そう思っているのは彼だけかもしれない。もっと早く出逢えていたって、きっと何も変わりやしない。


 瞳の雫を溢さないように必死で抑えても、心の雨はいつまでも止まなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る