閉じた目の上なら憧憬のキス

 自室で、隼斗は兄の雅斗に勉強を教えてもらっていた。


 嫌になるくらい、意味の分からない言葉が並ぶノートから顔をあげると……

 すぐ近くに、兄の顔があった。


 テーブル越しに覗き込むようにしていた雅斗と視線があう。


 男にしては長すぎる睫が、何回か瞬かれた。自分と不気味なくらいに瓜二つの顔。

 整っている顔をじっと見ていたら、わけのわからない衝動が沸いてきた。


 それを口にしようか迷ってもごもごしていると、雅斗が言った。


「…………なんだ?」


「あの、さ」


 はっきりしろと、視線だけで促された。


「目の上にキスしていいか――?」


 部屋の時間が、一瞬だけ止まったかのようだった。

 数秒後、隼斗は頭をテーブルに思い切りぶつけてしまった。


 当然、眉間に皺を寄せた雅斗に殴られたせいである。

 ぶつかった衝撃で、ノートに皺がよってしまった。


「いってぇな、何するんだよ!?」


 誰が見ても隼斗のせいだが、お星様とご対面したばかりの本人はそれどころではなかった。


「当たり前だろう? お前が変なことをいいだすからだ」


 くらくらする頭を抱えながら、目の前の兄へと抗議をする隼斗。 


「変なことってな……アレにもちゃんと意味があるんだぜ?」


「知っている。どちらにせよ、やる相手が違うだろう」


 そういうのは彼女にでもしろ、と雅斗は小さく呟いた。

 ちなみに、隼斗に彼女は今も昔もいない――雅斗にはきっといるのだろうけれど。


 ふてくされながら隼斗が勉強を再開しようとすると、前から手が伸びてきてノートを奪い去った。


「おい、何するんだよ?」


「今日はもう終わりにしておけ。やるだけ無駄だろう?」


 ノートを取り上げたのは雅斗だった。


 無駄というのは、元からダメだから無駄なのか、さっきの言動が関係しているのかどちらなのか。


 どちらでもよかったが、隼斗の気は未だ晴れなかった。

 ペンや消しゴムを散らかしたまま、テーブルからベッドへと隼斗は移動した。


 兄弟で一つの部屋なので、ベッドもダブルだった。


 上は兄で、下が弟。

 学校が終わって家に帰ってくると、既にそういう風に割り当てられていた。


 後から雅斗に交換するかといわれたが、隼斗は断った。


 そんなに執着していなかったし、何だか情けをかけられたようで嫌だったから。

 兄はそんな気がないだけに、よけいに嫌だった。


 ベッドに寝転がりながら、自分のテーブルで読書を始めた双子の兄を見る。


 自分とそっくりの顔。僅かに違うといえば、髪の色くらい。

 雅斗は黒髪、隼斗は茶髪だった。染めたわけではなく、元々の色素の差だった。


 兄の方が頭もよく、基本的に器用だった。

 運動神経も抜群で、それなりに女子からも人気がある。


 代わりにというのも変だったが、隼斗はあまり出来がよくなかった。


 色々な事が重なりあって、大きなため息を吐いてしまった。

 それに気づいたのか、雅斗が目線はそのままに、言葉だけよこした。


「変な発言の次は、ため息か……どうした?」


「どうしたも何もないんだけどな。羨ましいなあって?」


「羨ましいだと? どうして俺を羨ましがる必要があるんだ?」


 余程不思議に思ったのか、雅斗は本から顔をあげて、隼斗を見た。

 隼斗としては、頭を抱えてベッドに潜り込みたい気分だったが。


 雅斗は天然というわけではないが、少々鈍いところがある。

 勉強ができるからといって、そういうのがよく出来るというわけではないようだ。


「どうしても何も、当たり前だろう? 雅斗の方が出来がいいんだから」


「お前はお前だろう?」


「それは雅斗の意見だろ~?」


 周りの人すべてが、そんな風に思っていてくれたら、どんなにいいだろう。

 親だって、学校の人達だって、双子としてみるんだ。


 小さいときから、よく聞いた言葉。お兄ちゃんはいい子ね、って。

 いいお兄さんを持って幸せねって。


 いつだって比較されてきた。誰も俺を個人として見てくれない。

 見てくれるのは、片割れの兄だけ。


 だから、憧れることはあれど、嫌いにはなれないのだろう。

 でも、と隼斗は自嘲気味に笑う。


 憧れなんてキレイなものじゃなくて、ただの嫉妬かもしれないから。

 毎日まいにち、羨ましくて仕方がない。


「周りはね、兄貴みたいな考えかたじゃないんだよ」


「気にしなければいいだけだろう。あまり考えすぎるのもよくない」


 そういうと、雅斗は視線を本へと戻した。

 部屋の中には、本のページを捲る微かな音が響いていた。


 隼斗は体を反転させて、枕に顔を埋めた。


 明かりが眩しかったのと、情けない顔を見られたくないのと両方だった。

 あれでも本人はちゃんと隼斗を心配してくれている。


 出来損ないとか、だらしがないとか、冷たく突き放してくれたなら、嫌いになっていた。


 むかついて、絶対に追い越してやる、とかそういう風にも思えたかもしれない。

 しかし、隼斗の兄はかなり優しい部類に入るのだった。


 今日みたいに話を聞いてくれるときもある。無論勉強を教えてくれたりもする。


 だからそんな雅斗に、並びたいと隼斗は思っている。

 追い越すのではなく、同じ場所に。

 隼斗は隼斗だし、雅斗は雅斗。兄になれることはない。


 それでも憧れてるから、頑張って背伸びをする。


 そのたびに、周りの人に突き落とされる。いつも見ているのは兄の背中。


 一人で勝手にもがいて、傷ついて、兄に慰められる。


 隼斗は自分でもとんでもない奴だとよく思う。


 うってかわって、雅斗は周りの眼をまったくと言っていいほどに気にしない。


 特定の人とつるんでいるところなど見たことがない。

 関心があるのは、隼斗にだけのようで。


 ちょくちょく、隼斗のことを気にかけてくれるのだ。


 だから時折、兄のセカイがそこで閉じてしまっているのじゃないかと心配になることがある。


 本人は自分が弟から羨ましがられる理由はまったくわかっていない。

 いつまでたっても、隼斗は同じ場所から動けないでいる。


 純粋に兄を慕っていた頃には戻れないままに、行ったり来たりとかなり不安定。

 そのたびにそっけない振りをしている雅斗が、内心では心を砕いている事を知っている。


 同じ場所に並びたいなんていっておきながら、全然フェアじゃない。

 それでも憧れてしまうのは何故なのだろう。


 双子という、特別な二人だからなのか。ただ単に、隼斗が嫉妬深いのか。

 どちらにせよ、よくわからなかった。


 堂々巡りになる頭の中を整理しようと、隼斗はベッドから起き上がった。


 何気なく視線を横にやると、本を読んでいたはずの雅斗とばっちり視線があった。

 それに気づいたのか、雅斗はすぐにそっぽを向いてしまった。


「……どうしたんだ? 何か用?」


「別に。静かになったから、眠っているのかと思っただけだ」


 あんなに眩しい部屋で寝れるわけがない……と思いながら、ベッドから降りて扉へと向かう。

 スタスタと歩いていく隼斗を見て、雅斗がいう。


「何処へ行く? この時間帯はあまり外出しないほうが……」


「だ、れ、が、外に出るっていったよっ!? 風呂に行ってくるだけだよ」


「風呂なら、さっき入ったはずだが」


「頭すっきりしないから、水風呂でも」


「……風邪を引かないようにしろよ」


 じろじろと見ながら雅斗は言った。

 わかってる、とだけ返して隼斗は部屋をでた。


 


 部屋の扉を閉めると隼斗は立ち止まった。その顔には苦笑が浮かんでいた。

 やっぱり、兄貴は優しいな。


 気になっているのなら、はっきりといえばいいのに。

 あんなにじろじろ見られていたとは。


 兄貴に心配させないようにしないと。


 余計な気を使わせないようにさせつつ、同じところへ並びたい。

 自分で考えておきながら、とてつもなく無理な気がした。


 それでも、この憧憬がある限りは自分でいられるような気がした。


 よく考えれば、何も望まれないよりは、無理なことでも望まれる方がいいのかもしれないから。

 雅斗は雅斗、隼斗は隼斗のままで。


 すっきりとしないままでも、いいのかもしれない。


 隼斗は階下のお風呂場へと向かって歩き出した。



 望まずとも降り積もる思い ただ密やかに心を侵食してゆく


 片割れへと向かえば砕け散る 破片は己へと突き刺さるだけで



 時と共に 憧憬はどこまでも流れていく


 


 


 


 



 閉じた目の上なら憧憬のキス  

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