6. 内務卿

 どうにも二輪車の後部座席は性に合わない。それで知里は利史郎のゼンマイ二輪を拝借し、ガス灯の連なる道をミッチーの蒸気二輪と並んで走った。


「内務卿って、どういう人?」と、知里は風に負けないよう声を張り上げる。「分離主義者や戦争には、どういう態度?」


「後白河っすよ」


 簡単に吐き捨てたミッチーに、首をかしげる。


「ご――何?」


「後白河天皇。まぁ、政治的な妖怪の代名詞ってか。近衛さんって先代先々代と若く亡くなってたでしょ? 流行病で。それで今の近衛さんは随分苦労したみたいで。親類縁者も全然いなくなっちゃってたもんだから。けど権謀術数を駆使しまくって――ほら、ウチの母親も近衛さんの妹だし――で、内務卿にまでなった。でも政治的な信念なんてないっすよ。ただ保身のためなら何でもするって感じで。色々大荒れに荒れても最後に生き残るのは近衛さんなんす、いっつも」


「それで?」


「それで――当然分離主義者なんて連中は大嫌いで、レヘイサムもとっとと反逆罪で死刑にしろって法務卿に圧力かけてたみたいっす。民権派とか外地に対しては強硬っすよね、昔から」


「だからわざわざ、桜田門にまで出向いて現場にハッパをかけてた?」


「ま、それくらいはやるんじゃないすか。色々と動く人だから。戦争の件は、ここんとこはCSAに肩入れする方向に傾いてるっぽいっす。ほら、あぁいう人はどっかが一方的に強くなるのは絶対に嫌だから」


 あまり近衛卿についてはよく知らなかったが――少なくともレヘイサムに狙われる要素はあるようだ。


 つまり牧野警部の狙いは、近衛内務卿の暗殺か? 利史郎はそれに感づき、知里に警告してきた?


 途端に背筋に寒気が走る。知里はミッチーを促しゼンマイ二輪を加速させると、日比谷を過ぎたあたりで妙な蒸気車が目に入った。石炭に何かの塗料を混ぜているのか、吐き出される煙は赤、外装に無駄な歯車やクランクを無数に付け、ひっきりなしに上げられる汽笛は音階を奏でている。


 あれだ、というようにミッチーは指をさす。彼が運転席の窓を覗き込んで運転手と言葉を交わすと、パンク蒸気車は脇道に逸れていく。


「目立っていいでしょ?」言って、ミッチーは前方を走る四頭立ての馬車、そして少し遅れてついていく一頭立ての辻馬車を顎で示した。「あれ、近衛のおっさんが乗ってます。警部はそっち」


 二人は距離をあけてついていく。既に手旗信号の交通整理員はいなくなっている時間で、馬車は滞ることなく進んでいった。やがて辿り着いたのは麻布にある閑静な住宅街で、華族や議員の屋敷が建ち並ぶ一帯だ。皇居周辺と違って辺りには木々が生い茂り、月明かりを遮りそこかしこで闇が沈んでいる。やはり要人が多く住んでいるということもあって巡回する警官隊も見かけたが、とても全てを監視することなど不可能だろう。


 馬車は煉瓦塀に囲まれた屋敷に辿り着き、豪華な装飾の施された門から中に入っていく。ミッチーに聞くまでもない、近衛卿の邸宅だ。警部の馬車はその一区画前で止まっていて、煉瓦道の上に降り立った彼は広い前庭の向こうにある屋敷の中に明かりが灯るのを確かめてから、闇を選んで裏手に回っていく。そして使用人用の小さな裏門に辿り着くと、塀に寄りかかり安煙草に火を付けた。


「何してんすかね?」


 更に少し離れた闇の中から様子を窺いつつ、ミッチーは言う。当然、まだ知里にはわからない。少なくとも何かを待っているのは確かだ。


 そうして彼が煙草を三本ほど灰にした頃、動きがあった。門が内側から開き、小袖に股引という姿の下人が現れた。彼は警部を見咎め二言三言話すと、幾ばくかの紙幣を握らせられる。途端に卑屈に何度も頭を下げ、下人は提灯片手に何処かへ去って行った。そして警部は鍵の開きっぱなしの裏門から、慎重に身体を滑り込ませていく。


 すぐ、知里とミッチーも動いた。門に駆け寄り物音がないのを確かめてから手をかけたが、警部はわざわざ閂を閉じてしまっていた。三メートルほどの高さのある塀を見上げ、知里はミッチーに手を貸すよう手で示す。彼が組んだ両手に足を乗せ、塀の上に飛び乗る。続いて彼が登るのを助けてから、芝生の上に飛び降りた。途端、ミッチーが身体中に付けている歯車だの何だのがガシャガシャと音を立てる。知里に睨み付けられ、彼は苦笑いしながら上着を脱ぎ、静かに木陰に隠した。


 屋敷は白塗りの三階建てで、さすが近衛家だけあって部屋数は数十はありそうだった。しかし明かりの灯っている部屋は二つだけで、一つは一階の隅だから使用人の部屋だろう。もう一つの三階にある窓が、恐らく近衛卿の部屋だ。そして警部はというと、その使用人部屋の隣にある明かりの落ちた窓から身を入れようと、窓縁に足をかけているところだった。きっと先ほどの下人を買収し、鍵を開けさせておいたのだろう。


 彼と同じ所から入るのは賢明ではない。知里は厩の奥にあった裏口に向かい、再び解錠道具を取り出して鍵穴に取りつく。今度はものの十秒ほどでピンが外れ、二人は静かに中に身を入れて警部の影を探した。


 いざとなったら、止めなければならない。そう知里は太腿から小型拳銃を取り出して構えつつ、厚い緋色の絨毯を静かに駆ける。すると角を曲がったところで、警部が足音を殺して慎重に進むのが目に入った。窓から差し込む月明かりを避け、飛ぶように動きながら階段の手すりに手をかける。そして三階に辿り着くと、懐に手を入れながら内務卿の寝室へと向かっていった。


 これはもう、猶予がない。そう知里は思い影から身を晒しかけたが、警部が取り出したのは懐中電灯であり、取りついた扉は二つ手前の物だった。僅かに蝶番が軋む音を立て、彼は一旦手を止めて周囲を窺い、先ほどよりもゆっくりと扉を押す。


 間もなく、部屋の中から光がちらつきはじめた。そっと覗き込むと、そこは内務卿の書斎らしかった。警部は机上や引き出しを改め、書簡や書類を改めている。


 暗殺ではなく、密偵か。


 何れにせよ、現場を押さえれば言い逃れは不可能だ。知里は拳銃を構えながら戸口に立ち、低く声を発した。


「警部」


 途端、まさに跳ね上がるようにして牧野警部は振り向いた。そして手回し電灯を知里に向けると、口を何度か開け閉めしてから、ようやく言った。


「――知里。何をしている」


「それはこっちの台詞よ。腹ばいになって、手を頭の上に」


「待て待て! 落ち着け。とにかくここは出て、話を――」


「馬鹿言わないで。外にはレヘイサムの手下でもいるの?」


「レヘイサム?」そこで警部は、知里の意図を察したらしい。途端に項垂れ、頭を振り、呆れたように言う。「冗談じゃない。誰があいつの手下になるよ。一体どうしてまたそんな話に――」


 知里は鈍く震え続けている腕輪を掲げて見せた。


「よくもまぁ、何十年も隠し続けられたものね。でもこの腕輪は言っている。警部が実は、怪人だって」


「俺が、怪人? 何だそれは! 何でそんな話になる! 待て。とにかく話を聞け」


 ゆっくりと窓に向かおうとしている警部を察し、知里は銃口を揺らして見せた。


「おっと、それ以上動かないで。いくら警部が相手だって、私は平気で撃つ」


「――わかってる。お前はそういう奴だ。だが聞け。俺は別に内務卿をどうこうしようとしてた訳じゃない。むしろ怪しいのは――そっちの方だ!」


「そっち?」


 様子を窺っていたミッチーが呟く。警部は激しく頷き、机上の書簡を手にする。


「内務卿だ。レヘイサムは繰り返し俺たちを出し抜いている。そして昨日なんか、極秘の怪人の移送まで嗅ぎつけられた。俺が散々手を入れて、抜かりないようにしてたってのにだぞ?」


「――警部がまた、何かヘマをしたのよ」


「また、だと? いいか知里、俺は確かにお前さんや利史郎君ほど賢くはないがな、それなりの経験と勘はある。今回に関しては、さすがに連中の動きは見事すぎる。内部のどっかからか情報が漏れてるとしか思えん。だが奴に逃げられてからこっち、報告は警視をすっ飛ばして内務卿にしかしていない。つまり状況の全てを把握してるのは、俺と内務卿だけなんだよ。すると疑わしいのは?」


「――まさか、内務卿が分離主義者と通じてるっての?」しかし知里の手にする腕輪は、怪人が近くにいると言い続けている。「ちょっとそれは、途方もなさ過ぎるお話じゃない? 帝国の中心に居る人が、反帝国の旗手であるレヘイサムと手を組む? そんなことがあるはず――」


 困惑しつつ言った時、知里は妙な反応を感じていた。


 腕輪の震えが、大きくなっている?


 しかし目の前の警部は動いていない。


 その警部は苛立たしげに手を振り、手回し電灯を机上に置いて片手を差し出していた。


「とにかく、ここで口論してるのは不味い。おい、ちょっとその腕輪を見せて見ろ。俺が怪人だって? 馬鹿馬鹿しい、きっとそいつは何か別の物を――だいたいレヘイサムが内務卿を狙うなら、こんなくたびれた中卒の警部を使うはずがないだろう!」


 警部が押し殺した声を上げ続けている間にも、腕輪の震えは大きくなっていた。


「ほら、姿を消せる奴がいたろう? あいつなら内務卿なんて簡単に――ほらあいつだよ。何て言った?」


「――透明人間、か?」


 言ったのは知里ではなかった。ミッチーでも、牧野でもない。


 振り向くと背後に、緋色のナイトローブを纏った大柄な老人が仁王立ちしていた。

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