3. 帝国海軍

 川路武雄は懐中時計を取り出し、眺める。二本の針は正午過ぎを指していた。しかし武雄は別に、時間に興味などなかった。ただ刻々と過ぎていく時間が苛立たしく、つい恨みがましく確かめる癖がついてしまった。


 利史郎は奪われた怪人を追っている、という情報は得ていたが、彼自身からは何の連絡もない。幾多の死線をくぐり抜けてきた少年――いや、青年だ。武雄は身の心配はそれほどしていなかったが、状況は刻々と悪化してきている。その中にあって希望と言えるのは利史郎の動きくらいなもので、自分には何も出来ない。苛立たしく、歯がゆくてならなかった。


 いや、本当にそうだろうか。自分に何か出来ることはないだろうか。


 もう何度も考えていた事だ。それは常に『何もない』という結論になる。だが考えるのを止められないまま五帝国会議の大使室に戻ってくると、すぐに事務員の一人が武雄を見咎め、寄ってくる。


「どうした」


 尋ねると、彼は二通の電報を差し出してきた。カタカナのみの文字列を頭の中で判読する武雄に対し、彼はやや困惑した表情で言った。


「一つはインド大使館からです。どうやら全国に動員がかかり、兵士が国境に集結しつつあるらしいと」


 思わず舌打ちする。どうやらモリアティは本気で世界征服を狙っているらしい。ビルマとは同盟条約を締結してはいるが、軍は駐屯していない。彼らのみでは英国のインド方面軍を相手に、三日持てば良い方だ。


「ビルマの石炭は帝国の生命線の一つだ。絶たれたらどうなる」


「内地には大きな影響はありませんが、外地向けの石炭はビルマ産の割合がそこそこ」


 つい先日、ロシアに満州の採掘権を渡したばかりだ。これは面倒な事になりかねない。


 ため息を吐きつつ、次の電報を読む。


「ハナお嬢様からです。海軍の動きが怪しいが、どうしたら良いかと」


 確かにそんなことが書いてある。


「ハナの改良したゼンマイに興味があるとかで、奈良原大将が連れて行ったのは覚えているが。一体何処に――」


 そういう所が、ハナは抜けている。自分が何処にいるかも書いていない。だが電報は、津軽にある海軍大湊基地からとなっていた。昔から帝国海軍は自主独立の風が強い。この状況で何か勝手な事を考えているかも知れず、予めハナには様子を窺うよう注意をしていた。


「大湊に行きます。飛行船の手配を」


 言いながら身支度を始めた武雄に事務員は困惑しながら応じた。


「ですが、午後の会議は――」


「どうせモリアティ大使が威張り散らすだけで何も決まらん。君が代わりに出てくれ。黙って座っているだけでいい」


 身支度を調え、幾つか電報を手配してから札幌に向かう。さすがに蝦夷地だ、雪はまだ残ってはいたが、幹線道路上は殆ど溶けている。武雄は馬車を急がせて札幌飛行場に向かい、そこで待っていた小型飛行船に乗り込み大湊に向かわせる。


 浮上した飛行船は、短距離というのもありゼンマイ全開でプロペラを回す。間もなく眼下には蝦夷共和国の首都、箱館が過ぎ去っていき、津軽海峡を越え、陸奥湾に入っていく。


 この辺りは内地で最も貧しい地域と言っていい。斗南はその不毛さ故に懲罰として会津が送られた場所であり、彼らが味わった苦難というのは今でも語り継がれている。それから二百年も経つというのに未だ下北半島はろくに開拓もされておらず、ただただ鬱蒼とした森林が広がり、辛うじて大湊の地だけが海軍の要衝の一つとして切り開かれていた。


 港には、おびただしい数の軍艦が係留されていた。どうやら第四艦隊が集結しているらしい。煙突から盛んに黒煙を上げており、出航の準備が整えられているのがわかる。更に内陸部には海軍航空隊も揃っていた。主に偵察を主務とする小型飛行船が殆どだったが、一際目を引く巨大な姿もあった。二隻ある千代田級飛行戦艦のうちの一隻だ。その濃紺に塗られた船体は空中に係留され黒煙も発していなかったが、地上に巨大な影を落としている。


「何故こんな所にまで千代田級を」


 本来は第一艦隊隷下で慣熟訓練が行われている所なはずだ。


 何の通告もしていなかったため多少の悶着があったが、それでも千代田から離れた場所を指定されて着陸すると、すぐに武雄は基地に降り立つ。そこには既に数人の海兵が待ち受けており、中には工兵のような格好をしたハナの姿もあった。


 タラップを降りた武雄に対し中佐を名乗る男が用件を問いただしてきたが、とにかく武雄は一つの言葉を繰り返した。


「奈良原大将に会いたい。今すぐ」


 だが大将はお忙しいだ何だと言って埒があかない。代わりに彼の背に隠れるようにしていたハナが手招きをし、武雄は軍人たちが押しとどめるのも構わず彼女についていく。


「なんか急に移動命令が出たみたい」と、煤や油で顔を真っ黒にしているハナが言う。「それまであれは出来ないかこれは出来ないかって、散々質問攻めにされてたってのに。すっかり放置されちゃって」


「それで大将は?」


 ハナが指し示したのは、第四艦隊の司令部が入る白い建物だった。


 ここには何度か来たことがある。行く手を阻もうとする軍人たちを無視して司令室へと向かうと、そこでは准将の階級章を付けた男――確か第四艦隊司令官だったはずだ――と奈良原大将が、大きな地図を前に話し合っている所だった。東南アジアを中心とした地図の上には幾つかの駒が置かれており、武雄は素早くその意味を読み取ろうとする。


「川路大使。一体全体――」


 これほど海軍の真っ白な制服が似合わない大将もいないだろう。下膨れの顔はどちらかといえば陸軍風で、功績よりも藩閥の力とライバルを蹴落とす事で大将まで上り詰めたと言われている。状況を察した川路は当惑している奈良原大将を見つめ、眉間に寄った皺を解しながら言った。


「第四艦隊をビルマに? あそこは第六艦隊の管轄でしょう」


 奈良原大将は口を噤み、表情を硬くしながらやや間を置き、答えた。


「君には何の関係もない。一体どういうつもりだ? 全く見当違いの所に乗り込んできて――」


「いや。先日説明したばかりではありませんか。レヘイサムが何かを狙っている怖れがある。今、第四艦隊を北方から動かすのは――」


「ならビルマは捨てておけと? それが五帝国会議の大使としての意見か?」


「そうは言っていません。ですがわざわざ第四艦隊を派遣しなくとも――」


「軍を何処に動かすかは、外交官の君に教えて貰う必要はない。さぁ、強引なことをされる前に、帰りたまえ」


 何かが妙だ。そう思えてならなかった。第一艦隊は首都防衛の要だし、第三艦隊は日本海、第五艦隊はオセアニアの抑えに必要だ。だが呉の第二艦隊は、元々機動任務のために置かれている艦隊だ。第六艦隊だけでは不安だというのであれば第二艦隊を合流させるのが筋だ。それもせずに北の守りを受け持つ第四艦隊を向かわせるとは。まるで理に叶っていない。


 いや、まさか。第二艦隊には別の任務があるのか?


 そこに考えが及んだところで、様々な状況の記憶が流れ込んできた。


「――第二艦隊は、カルフォルニアに?」


 途端に奈良原大将は、苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「だから君には関係のない――」


「関係が、ないですと? 北米の太平洋沿岸諸国にちょっかいを出すことが、五帝国会議の全権大使である私に関係がない? 一体全体それはどういう了見です。これは参謀本部――いや、内閣は知っているのですか」


「知るも知らんも、御前会議の決定事項だ」


 まさか。そんなこと、あり得ない。


 耳を疑い硬直する武雄に、奈良原大将は机に両手を突きつつ、仕方がなさそうに言った。


「君もわかってるだろう。CSAはもう死に体だ。今のうちに太平洋岸諸国を我が帝国の影響下に置かなければどうなる。代わりにイギリスがそれをやり、太平洋の殆どが連中に握られることになる。やるならば今しかないのだ。そのために第一、第二艦隊は派遣される。ビルマには第四艦隊を動かすしかないのだ」


「第一艦隊も? では帝都の守りはどうするのです!」


「どう? 君は何を怖れている。分離主義者への対応はそもそも、軍の管轄ではない。飛行船の一隻程度ならば、警察と沿岸警備隊で十分対応出来るだろう」


「いやしかし――」


 呆れたようにため息を吐き、奈良原大将は片手を挙げた。


「君は何を勘違いしている。私は君の立場を思って、善意で機密を口にしたのだぞ? それくらいわかってもらわんと。いずれ君にも内務卿からの連絡が――いや、こんな所に来なければ、既にその意を含めた電報を受け取っていたかもしれのだ」かも、しれない。「さぁ、わかったらさっさと蝦夷に帰りたまえ。あとは――ロシアを何とかしろ。連中の腐った性根にもいい加減にうんざりだ。ペリーエフを捕まえて離すな。そのためなら、蝦夷の炭鉱の一つや二つ、くれてやればいい」


 外交官風情が、というところだろう。だが武雄は武雄で、軍人風情が、と心の中で吐き捨てていた。蝦夷の炭鉱の一つや二つ? そんなことをしたら内地で必要な石炭の半分が絶たれる。途端に暴動が起き、帝国は崩壊するだろう。


 だがこの状況では、言うべき言葉も別の手段も見当たらなかった。仕方なく軽く頭を下げ、出口を塞いでいる軍人を押しのけ、廊下に出る。


 しかし、解せない。


「内務卿と言ったな?」


「何?」


 困ったようにハナに問い返され、武雄は考えが自然に口に出ていたことを悟った。


「いや。奈良原大将だ。大将は私に、内務卿から連絡がある、と言った。外務卿からではなく。何故だ」


「さぁ。重要な事だからじゃない?」


 かもしれない。確かに外務卿の力は内務卿には遙かに及ばず、帝国の重大事であれば明らかな外務であっても内務卿が受け持つ事が多い。


「しかし内務卿は、北米侵出には反対だった。つい先日も内閣の意思を確認したばかりだというのに、何故今更――あの人が幾ら狸だとしても、らしくない。やるならやるで、もう少し状況を固めてからやろうとするはずだが――今やれば、それこそロシアの侵攻を招きかねない」


 ハナは昔から、政治に興味がない――というより、全く頭に入ってこない質だった。それでただとぼけた顔を続けている彼女に、武雄は外に出て周囲に誰もいないのを確かめてから言った。


「ハナ、お前は千代田を止められるか?」


「ちよだを、とめる?」


 全く理解出来ないように問い返した彼女に、周囲にはさりげなく歩いている風を装いながら続けた。


「四艦隊も外征に出しては、内地の殆どが無防備になる。せめて千代田は確保しておきたい。暫く――そうだな、二日は飛べない程度に壊してもらいたい。それでも何かあれば、すぐに直せるように。出来るか?」


「えっと――それは二号機関を壊しちゃうのが手っ取り早いかな。あれって限界まで軽量化してるから、色々なとこがあんま考えられてないのよね。だからちょっと細工をしちゃえばすぐに――」


「誰にも知られずやれるか」


「ま、今は千代田が家みたいなもんだし。全然余裕」


「千代田が、家?」驚いて問い返す武雄にも、ハナは無邪気な笑みを向けるだけだ。「一体お前は、海軍で何をやらされてる」


「んー、まだ秘密!」


 周囲は利史郎ばかりに目を向けているが、武雄はハナの方が心配でならなかった。利史郎はまだ、考えが読める。だがハナに関しては、昔から殆ど――いや、全くと言っていいほど、武雄には理解不能だった。

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