2. 亀裂

『モンゴメリー カンラクス』


 モリアティはその短い電報を手にし、身体の奥底から湧き出てくる歓喜を抑えることが出来なかった。よし、よし、と何度も呟きつつ、五帝国会議の廊下を足早に歩く。


「これでようやく、戦争が終わりますね」


 同じように晴れやかな笑みでついてくるラルフの戯言にも、今日ばかりはまともに答えてやろうという気分にさせられる。


「馬鹿め。まだCSAの領土の半分ではないか。まだまだこれからだ。ダンビルとリッチモンドが残っていては、将来に禍根を残す」


「将来? もう彼らは白旗を揚げているんですよ」


「背中に銃を隠しつつな。それでは何にもならん。この際、連中は丸裸にし、大英帝国に逆らうという考えすら起こさせないよう、徹底的に潰さなければならん。CSAは、二十一世紀のカルタゴと化すのだ」


 勢いよく五帝国会議の扉を開くと、同じニュースは他の帝国にも届いているのだろう。日本、ロシア、オスマンの大使たちは額を寄せ合って何事かを話しており、CSA大使のバートレットは数人の随員と青白い顔で唾を飛ばし合っている。


 しかし彼らはモリアティの姿を認めると、一斉に黙り込んだ。


 以前はこんなではなかった。連中は大英帝国の存在自体を無視し、少しでも権益を守ろうとするモリアティの提案は骨抜きにされ、好き勝手にされ放題だった。


 だが今の彼らは、自分の一挙手一投足に注目している。


 それが何よりも愉快で、モリアティは静寂の中椅子に座り、満面の笑みで声を発した。


「さて、今日の議題は何かな?」


 応じる者はない。だが辛うじて議長の川路は意思を取り戻し、議長席に座りながら――それでも言葉を探してから――言った。


「日本、ロシア、オスマンによる停戦案ですが。ご考慮いただけましたか」


「あぁ、あれか。すっかり忘れておった。まだ見ておらん」


「モリアティ大使――」


 苦言を呈そうとする川路を遮り、モリアティはCSA代表の席を指した。


「待て待て。話を始める前に――そこにいるのは誰だ?」


「誰、と言いますと――?」


「なんだ。まだ通知を見ておらんのか。CSA、アメリカ連合国政府は既に民衆から見放されておる。以前から我々は真のアメリカ国民からの支援要請に応えていたが、我々がCSAの暴虐者どもを首都モンゴメリーから追い出したことによって、彼らは新たな政府を設立し、アメリカ合衆国、通称は――US of A、USAとなるかな。を建国したそうだ。我々大英帝国はUSAこそ正当唯一な政府と見なし、五帝国会議の席も彼らに移行することに同意した」


 モンゴメリーを落としたあとの工程として、予めガスコイン侯爵と定めていた内容だ。数日のうちに世界中に繋がる電信網で通知は行き渡るだろうが、彼らは寝耳に水だったらしい。川路大使は見るからに嫌悪の表情を浮かべつつ言う。


「大使、そんな馬鹿げた話が通じると、本気でお思いか」


「馬鹿げた? おい、言葉に気をつけろ。私はアメリカ国民と大英帝国政府の意思を代弁しておるのだぞ。何か文句でもあるのか」


「しかし五帝国会議の席はDloopが定めた物でもあり、彼らの意向も――」


「誰がそんなことを言った。五帝国会議の創立とDloopは無関係だろう」


「――大使、本気で貴方はDloopを敵に回すおつもりか」


「敵に回そうとしているのは貴公ではないか! 彼らの秘書を逮捕した挙げ句、分離主義者共に浚われるとは。呆れて物も言えん。もし連中が姿を現すとしたら、その件の方が先であろうな」


 さすがにこの状況で、殊更に抗うほどの権限は彼に与えられていないらしい。眉をひそめて黙り込む川路から、改めてバートレットに目を向ける。


「とにかく、既にお前はこの場所にふさわしい人物ではない。退席を要求する」


「ふざけた事を。私はCSAの正当な大使であり――」


 バートレットは反論しはじめたが、力は弱く、かき消えそうだった。モリアティはそれを捉え、大声で応じる。


「既にCSAなどという国は存在しない!」


「馬鹿を言うな。内陸部は我々が優位だ。いずれ攻勢に出て――」


「首都を失っておいて、未だ抗うか」


「我々が黙っていても、Dloopが承諾するはずが――」


「しつこいぞ! そのDloopは何処にいる! 相変わらずD領の奥深くに引きこもっておるではないか! 即ち彼らは関与する事はない!」


「とにかくCSA政府は――」


「去るのだ!」


 一喝され、バートレットは見る間に顔を青白くさせた。唇を震わせ、他の三帝国を順に見つめる。ロシアとオスマンは完全に余所を見ており、唯一川路が彼の視線を受け止めたが、ただ気の毒そうな表情を浮かべるばかりで、声を発することはなかった。


 沈黙は一分ほど続いただろうか。やがてバートレットは立ち上がると、拳を机上に叩きつけ――力なく議場を後にした。


 完璧だ。モリアティの人生において、これほど完璧な一瞬があったろうか。相変わらず川路とパシャは小声で何かを言っていたが、既にロシアはこちらに付いている。連中が手を組んだところで、何が出来るわけもない。CSAを完全に消滅させたあとは、カルフォルニア共和国から太平洋に出る、あるいはロシアと共にペルシャからオスマンを挟み撃ちにしてもいい。インド総督には既に動員を命じてある。ビルマもタイも今では日本の勢力下にあるが、元は英国植民地だ。これを機に取り返すのも悪くない。既に決定的機会は過ぎ去った。もはや大英帝国の勢いを止められる物は、何もない。


 そうモリアティが機嫌良く大使室に戻ってくると、こちらにも未だ未練を引きずる男が待ち構えていた。


「――ふん、そういう手には、もう乗らんぞ」


 モリアティの席に座って足を机上に投げ出している男に言う。その彼は首を傾け、長い髪の奥にある切れ長な瞳を露わにし、勝手に注いだブランデーを少し舐めてから言った。


「確かに。少し使い古されてはいる。部屋に戻ると、鍵をかけていたはずなのに勝手に男が入り込んでいる――相手は突然のことに驚き、怯え、主導権を失うという訳です。ですが閣下、これにはそういう意図はない。別の必要からなされている」


「必要? まぁ確かに。ジョン、おぬしはお尋ね者だ。大手を振って五帝国会議に来られるはずもない。しかし、いつもの透明人間君はどうした? 暫く見ていないが、彼は元気か」


「彼を透明人間と呼ぶのは正確ではありませんが――まぁ、彼には別の仕事が。それに大使閣下のお相手をするには、少々力不足でしたようですし」


「力不足? 何故だ。彼とは仲良くやっていたつもりだが」


「これはこれは、随分なお言葉だ。私は閣下のために随分働いたつもりですが、未だ正当な報酬も戴けず――」


「はっ、報酬だと? オリハルコンを五十本も持って行った癖に、これ以上何を求める」


「お約束では、あと五十本戴ける事に」


 ぬけぬけと言うレヘイサムを、モリアティは眺めた。相変わらず生気に満ちており、自信満々な素振りだ。確かに彼はその自信に違わず、CSAの背後を突き、かき回し、全てを完璧にやり遂げた。だがそれも戦力が拮抗していればの事で、連中の首都を落とした今となってはもう必要ない。そもそも――


「そもそも」と、モリアティは脳内の声を言葉に出した。「あのDloopの秘書の件は、一体何なのだ。最初は単に〈怪人相哀れむ〉かと思っていたが、どうも様子がおかしい。あの秘書は、お主の申しつけを受けてDloopを見張っていたという話もある。気に入らん。一体お主は、何を考えている? 連中に目を付けられては、元も子もないぞ」


「連中に、目を付けられる? 五帝国の均衡を崩そうとする閣下の思惑が、彼らの注意を引かないと、本気でお考えでしたか」全く考えていなかった訳ではない。「だから私は先手を打って、彼らの動きを見張らせていたのです。ご報告が遅れたのは申し訳ありませんが――」


「あくまで私のためだと言うか。しかしオリハルコン五十本といえば、百万の民にも匹敵する価値がある。それでもう十分だろう。まだ不足か」


「オリハルコンは、ただの金属。民の価値には変えられません」


「ふん、分離主義者らしい台詞だ。というよりも反帝国――いわゆる〈民主主義者〉のようにも聞こえる」応じない彼に、続ける。「おぬしに渡ったオリハルコン五十本、一体全体何に使われている事か。それほどのオリハルコンは、逆に必要とし活用できる国は限られておる。帝国外であれば尚更だ。例えばローマ――」


「仮にそうだとして」


「黙れ。まだ話は終わっておらん。例えば、仮に。そうだな、そんな仮定は不要だろう。これ以上我々はヨーロッパのクズ共の腹を満たさせるつもりは毛頭ない。平民共が図に乗りおって。それに気づかぬ私だと思ったか? この辺にしておくのだな。オリハルコン五十本もあれば、飛行戦艦の二隻や三隻は作れるだろう。おぬしらはそれを使ってアフリカあたりで威張ればいい。その程度であれば目を瞑ってやる。だがそこまでだ。もしおぬしらが我々の権益に指先一本でも触れたなら、全力で叩き潰す。ローマ、パリ、ウィーン、マドリッド! その全てを灰にしてヨーロッパに第三の暗黒時代をもたらしてやる。わかったか!」


 レヘイサムは、例によって薄ら笑いを浮かべていた。こちらの言うことなど百も承知。そんな表情だ。そうして全てを受け止めてからこちらの意図をひっくり返すような言葉をひねり出すのが常だったが、今度ばかりは話が違った。笑みを浮かべたままグラスを手に取り、その中の液体を飲み干してから机に叩きつける。そして立ち上がると、モリアティに歩み寄り、言った。


「裏切りには、それなりの代償が必要になりますぞ」


「この化け物風情が!」


 モリアティは怒りに駆られ、書棚に飾られていた拳銃を掴み、引き金を引こうとする。


 だが、彼の姿は何処にもなかった。目を離したのはほんの一瞬、一秒にも満たなかったはずだ。だというのに窓の外にも、前室にも、影も形もない。あの透明人間の証である揺らぐ空間も探したが、それすらもモリアティは捕らえる事が出来なかった。

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