11. 探偵と帝国

「あら、どうしてそうなるの?」


 はぐらかすように言ったエシルイネに、利史郎は頭の中で彼女の手段を挫く言葉を探す。


 彼女は表面的には話し好きな性格を装っているが、事実彼女が口にする言葉の殆どには意味がない。手の内を見せるのを怖れているのは、むしろ彼女の方だ。


 だがそこをどうにかして突破しなければ、レヘイサムには近づけない。


「彼はどうにかして怪人を味方に付けている。どうやって? とても彼が比喩的に〈怪人二十面相〉と呼ばれた理由でもある、巧みな話術だけでは納得できません。あなたもどうして――」


「でも怪人の定義の第一は、『ヒトとは外見に著しい差異がある』。でしょう?」


「もはや僕は、その定義も信じることが出来なくなりました。これまで警察に捕らわれた怪人は二百から三百ほど記録されていますが、似てはいても同一という存在はないそうです。ならば〈ヒトと全く同じ姿をした怪人〉というのも、当然存在しうるのでは――」


 エシルイネは唐突に、右の手のひらを利史郎に向けた。


 そこにある目は布で隠されていたが、利史郎の心臓は一度高鳴る。


「そもそも――」と、 エシルイネは諭すように言う。「そもそも、外見があてにならないのだとしたら――ヒトと怪人って何が違うのかしら。ヒトを殺す? 異能がある? でもそれを言ったら――あなただって怪人よね」


 再び、猛烈な寒気に襲われた。利史郎は息を詰め、本能的に辿り着いた論理を忘れようとしながら応じた。


「僕が?」


「だってそうでしょう! あなたはまだ十七だというのに幾つもの難事件を解決し、今度は得体の知れない異星人と対決しようとしてる。誰とも口をきこうとすらしなかった連中よ? 何年も彼らの元にいた私だって、直接話した事は一度もない。その彼らに見込まれて、二度も話した。いえ、彼らの使徒を介したら、もっとかしら。そんなあなたが、普通の人のはずがない。違う?」


「僕は何も特別なことはしていません。他の人たちより少しだけ、色々な事に気づくというだけです」


「つまり特別な力を持っているけれども、普通の人だというの? ならばレヘイサムが怪人かどうかなんて、それほど重要かしら」


 利史郎は頭を振り、意識を集中させた。


「相変わらず会話の曲解がお得意ですね。僕は別に怪人の定義について話しているのではありません。彼が悉く怪人を味方に付けられるのは、何か理由があるのか。それとも単に、そういう力を持っているだけなのか。それを知りたいんです」


「どうして私に、それを聞くの」


「あなたは千里眼だ。彼の正体を知っている者がいるのだとしたら、あなた以外にない」


「――さぁ、それはどうかしら」


 僅かな間を開けて言ったエシルイネに、利史郎は怪訝に思った。だがすぐに問い返すことはせず、慎重に考える。


 それは、どうかしら?


 その言葉をそのまま受け取れば、こう解釈出来る。『自分は知らない、あるいは知りようがない』。だが彼女の独特の話術が、もう一つの意味を含ませていた。


 自分以外にも、彼の正体を知り得る人物がいる。


 どうにも利史郎には、エシルイネがそう言っているように思えてならなかった。しかもそれをわざわざ、遠回しに――しかも確信を持てないように――利史郎に伝えようとしている。


 だが、何故そんな面倒な事を?


 わかるような気がする。彼女は単に、話を迷走させ相手を混乱させるのが好きなのだ。


 ならば、それに乗ってみるか。


 利史郎はそう考え、次の言葉を探す。


「Dloopは確定的に何かを伝える。だがあなたは真逆の話法を使いますね。あなたの発する言葉は、全く何も言っていないのと同じだ」


「あら。そんなことないわ」


「では教えてください。レヘイサムとは何者ですか」


「あなたは彼を一度捕らえている。その時、散々調べたんじゃないの?」


「残念ながら、あの時は彼の思い通りに動かされただけです。彼について知っていたことといえば、蝦夷人で、分離主義者で、三十から四十程度の痩せた男だという程度で――彼が何者なのかは、全く探りようがなかった」


「つまりあなたは、彼について何も知らないのに――彼を捕らえようとしている」


 利史郎は身構えながら応じる。


「僕は、こう思うんです。彼が何者で、僕が何者であろうと――人殺しは良くないことだと」


「あなた、悪党を殺したことは?」


 即座に首を振る利史郎に、すぐさま問う。


「ならば、殺すかもしれないと思いながら撃ったことは?」


「――何度かは。しかしその場で逃がしてしまえば、更に多くの人が傷つく事になる状況だった」


「つまり誰かを守るために、誰かを殺す。その判断を勝手にやって罪にも問われないあなたは、つまり――〈帝国〉そのものよね」


 僕が、〈帝国〉?


 あまりの指摘に当惑する利史郎に、彼女は矢継ぎ早に続けた。


「だってそうでしょう? それは警察の人たちも同じような事をやっているけれど、あの人たちには色々な決まりがある。でもあなたには? 何もない。好き勝手に考えて、好き勝手に罪人を殺す」


「そんなことはありません。僕は十分に常識的な判断を行うように心がけて――」


「それよ!」唐突に叫ぶエシルイネに、利史郎は身を震わせた。「それ。〈常識〉という物――沢山の人が共有している共通概念、とで言うのかしら。わからないけれど、それこそが〈帝国〉なのよ。誰も、何も、悩んだり、考えたりしなくても、〈そうすればいい〉という仕組みが出来上がっている――そこで優秀とされる存在は、レヘイサムや怪人のような常識外な存在に対しても、常識を強制させることが出来る存在――それこそが川路利史郎、天才少年探偵――そう、そういうことかしら」


 勝手に納得しているようなエシルイネに、利史郎は額に浮かんできた汗を拭いながら応じた。


「似たような事を山羽美千代さんも仰っていました。それこそが〈帝国〉の限界だと」


「そうね。それは正しいかもね」そして悪戯っぽく笑い、「それで貴方は、どんな方法で私に常識を強制しようというのかしら」


 僕が〈帝国〉そのもの。


 その考えはあまりにも壮大すぎ、かつ哲学的すぎ、むしろ逆に頭から遠ざけるのは簡単だった。


 目的を忘れるな。


 利史郎は自分に言い聞かせ、顔を上げた。


「その理屈からすれば――怪人は人を憎んでいると言われます。しかし彼らが憎んでいるものは実は、〈帝国〉ということになる」


「まぁ、そういう言い方も出来るでしょうね」


「あなたも、〈帝国〉が憎いですか」


 それはレヘイサムと同じ思想だ。貴方はそれに共感したのか。


 利史郎はそういう道筋を描いていたのだが、やはりエシルイネは十分に賢い存在だった。


「あら、私は〈帝国〉が〈悪〉だなんて話、してたからしら。そんなつもりはなかったけれど。〈帝国〉は〈帝国〉で、良い所もあるわよね。常識に従って生きていれば、それなりに暮らして、それなりに死ねる――大多数のヒトはそれを望んでる」


「一方のあなたは幼いころに山狩りされ、人々の――〈怪人は悪だ〉という常識による憎悪に晒され、殺されかけた。あなたはさぞ、恐ろしかったでしょう」


「そのお話に拘りたいのね。いいわよ? それで?」


「貴方は〈帝国〉を憎んでいる。そして貴方は僕が、〈帝国〉を体現した存在だと言った。つまり貴方は僕を憎んでいる。そんな相手に協力する筋合いはない――そう思うのは当然です。しかし――それと同時に、僕は一つだけ怪人の心理についてわからないことがある。それは――あなたは自分が怪人であることを、どう思っているのですか?」


 エシルイネは眉間に皺を寄せ、馬鹿馬鹿しそうに問い返した。


「――なんですって?」


「やはり人と同じように、帝国と同じように、自身をも――自身の生い立ちについても、憎んでいるのですか」


 彼女は言葉を失った。苛立ったように口を噤み、少しだけ間をあけてから応じる。


「変えようのないことを考えても仕方がないわ」


「考えないようにしている。つまりそれは、憎んでいると言っているのと同じだ」


「まぁ、そう受け取りたいのならどうぞ? それで?」


「それで――その感情は、他の怪人たちも同じなのでしょうか。彼らは大抵、負の感情に支配されている。だからやはり、たいていの場合、エシルイネさんと同じように自分自身についても憎んでいるのだとしたら――」


「だと、したら?」


 今度は少し、面白そうに応じる。だが彼女の口元は、続く利史郎の言葉を受け、次第に硬直していった。


「そして、その変えようのない事を変えられるのだとしたら、それはとても魅力的な誘いとなるでしょう。そうです。もし、もしです。あなたが怪人から人に変われ、あなたの言うところの〈何も考えなくてもいい帝国〉の一員になれるのだとしたら、なりたいですか? そしてもし〈帝国〉の一員になれたとしたら、僕に協力してくれますか?」


 利史郎が投げたのは、途方もない曲球だったはずだ。さすがのエシルイネも意図を読み取れず、困惑のような、怯えたような笑い声を上げた。


「ごめんなさい、さっぱりわからないわ。何のお話? まさか噂の怪人博士のように、私も何処かの屋敷に閉じ込めて協力させようというの? 悪いけれど、それはとても〈帝国〉の一員になったとは――」


「いえ。貴方がそう望むのならば、僕はあなたをヒトにすることが出来ると思います」


「――え?」


「言葉通りの意味です。あなたから怪人の要素を抜き去り、ただのヒトに変える。そうすればあなたも、〈帝国〉の一部――ごく普通の、何の変哲もない常識的な存在として、常識的な苦労をし、常識的な幸せを味わうという、常識的な一生を過ごすことが出来る――そう。あなたがそう、望めばのお話ですが」


 当然、エシルイネは利史郎の言葉が、何かの悪い冗談か、壮大な罠の一部に違いないと信じていた。じっと利史郎のいる方向に布で隠された眼孔を向け、唇を舐め――それでも彼女は、これまでのような気の利いた言葉を紡ぎ出す事は出来なかった。


「比喩にしては生々しすぎるわね。そんなあり得ない前提でお話をされても――」


「近頃、僕はある現象を知りました。とある特殊な鉱石を怪人に近づけると、数週のうちに姿形が変わり人となります。恐らく貴方の場合、その手にある瞳は消え、普通の人と同じように眼孔から物を見るようになるでしょう。そして恐らく、異能も消え去る」


 ついにエシルイネは語彙を失った。唇を薄く開いて当惑するだけの彼女に、利史郎は続ける。


「これはまだ十分に実験された事ではないため、あなたの命に危険が及ぶかもしれない。しかし僕が思うに、あの現象は怪人に対して汎用的に適応できる事象だと思います。そして異能を失った怪人はもう、特別扱いする理由もなくなる。あなたは〈帝国〉の一員になれるんです。どうですか」


「――どう、って?」


「レヘイサムがあなたに、どんな条件を提示しているのか知らない。しかし考えてもみてください。レヘイサムは――少なくとも、見た目は完全に人間なんです。彼は望めば〈帝国〉の一員として、一般的な生き方をすることが出来た。しかしあなたは? 思想や主義主張は関係なく、生まれで否応なく帝国から拒否された。あなたと彼は違うんです。彼は平穏な生き方も出来たというのに、自ら分離主義者の道を選んだ。あなたは? そうでない道があったとしても、やはり彼の僕(しもべ)である道を選びますか」


「――別に僕(しもべ)なんかじゃないわ」


 エシルイネは苦悶の末、初めて素の言葉を発した。利史郎はそれを逃さず、たたみ込む。


「僕(しもべ)でなければ何だと言うんです。同志ですか。彼の思想に共感したとでも? いや、いや、あなたは現実的な人だ。とても彼の描く絵空事に乗るような人ではない。そう、絵空事です。彼のしようとしていることがなんであれ、Dloopに目を付けられては――待っているのは破滅だけだ。それともあなたもまた、彼と同じように破滅が望みなのですか。自分の思い通りにならない世界なら、壊れてしまった方がいいと? なんて身勝手な考えだ。世界はあなたやレヘイサムだけの物じゃない!」


「何を知ったように――!」


「ならば僕を納得させてみてください! 無差別に人を殺し、この五帝国体制を混乱に陥れようとする彼の企みの、何処に理があるというのです!」


 エシルイネは真っ白な肌を紅潮させ、叫んだ。


「あなたは結局、天才でも何でもない。あなたは彼の事を、なにもわかってない!」


「それは一体――」


 その時、不意に手首の腕輪が小さく震えているような気がした。まさか、と思い、利史郎は立ち上がって天井を見上げる。だが既に、腕輪の振動は明らかに極大に向かっていた。


「みなさん――!」


 控えていた警官たちに警戒を命じようとした直前、轟音が響き、床が揺れ、視界は真っ白な煙に覆われ――瞬く間に、何も見えなくなった。

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