10. 白粉婆の記憶

 エシルイネ、〈千里眼〉は地元警察署に預けていたが、明らかにそれは彼らの能力を超えていた。一晩だけの事ながら、十人ほどの警官たちはレヘイサムの襲撃を恐れて疲労困憊していて、引き取りに来た桜田門の面々を見て安堵の表情を浮かべる。


 引き出されてきたエシルイネは、完全に盲目状態のように見えた。一人では歩くことも出来ず、ただ警官に引かれるまま、恐る恐る歩み護送車に載せられる。


「あれは、効き目があるのか」


 彼女の両手にある目は、オリハルコンが編み込まれた厚手の布で覆われていた。それを指しながら尋ねた牧野警部に、利史郎は頭を振りつつ答える。


「オリハルコンは怪人の能力を封じる事もあるので、思いつきで試しただけですが」現にそれで、左手の腕輪は反応しなくなっている。「ですが彼女は賢いですから、僕らを油断させるための芝居かもしれません。くれぐれも油断なきよう」


 やれやれ、とため息を吐く牧野警部に、今度は利史郎が尋ねた。


「箱館から船ですか」


「いや貨物列車に潜り込む。その方が目立たない」そこで彼は辺りを見回しつつ尋ねた。「知里はどうした。あいつは何をやってる」


「謹慎中でしょう。フクロウ博士の屋敷にいます」そうだった、と宙を見上げる牧野警部に続けた。「彼女を満州に引っ張り出したのは、この僕です。どうかこの辺で」


「いや、そういう問題じゃない。勝手に動くなと散々言っているというのに、あいつは好き勝手ばかり――俺はそれを矯正してもらいたくて君に預けたつもりなんだがな」


「彼女はあぁだから、優秀な刑事なんです。牧野さんがクビにするなら、僕が雇います」


「止してくれ。そうもいくかよ。こっちにはアイツを拾い上げたメンツってもんがある」


 愚痴りつつ、牧野警部は馬車に乗り込んだ。


 汽車ならば帝都まで二日から三日はかかるが、牧野警部は短時間で十分な手配を整えてくれていた。警官たちは地元民と見分けがつかないほどの変装をし、馬車は混雑する市場で何度も乗り換えられ、箱館から津軽への船は漁船が複数確保されていた。偽装の荷物を別々に積んで行方を眩ますという念の入れようだ。


 そして夜半過ぎに津軽に辿り着き、青森駅では貨物車両の一つに密かに乗り込む。エシルイネは予め用意されていた檻に押し込められ、交代で常に三人の警官が見張りに付くことになっていた。


 彼女は色々と諦めている様子だった。刃向かうことはなかったが、口を開くこともない。ただ足を折って床に座り込んでいる彼女の白い顔を見つめ、利史郎は言った。


「いつ、レヘイサムと?」


 エシルイネは身を起こし、声のする方向に顔を向けた。


「もう、蝦夷は出たの?」


「――えぇ。そろそろ津軽を抜けて羽州です」


 汽車の揺れを感じるよう、宙を見上げた。


「私、蝦夷から出るのは初めて。でも、それほど暖かくないのね」


「いつ、レヘイサムと?」


 重ねて尋ねる。エシルイネは尖った口を大きく開く、例の独特な笑みを浮かべて見せた。


「少しDloopと話し慣れると、そうなるのよ。無駄なことは言わなくなる。でも残念だわ、あなたとはもっと、沢山お話をしたかったのに」


「例えば、何を?」


「そう、例えば――あなたについて」


 利史郎は思わず身震いした。そして寒気が収まるのを待ってから答える。


「それが僕に効果がある質問だと聞いたんですか。彼から」


「あら、何の話? 私はただ、有名な少年探偵の活躍話を聞きたいだけなのに」


「そう、僕は探偵ですから。尋ねるのは慣れていても、尋ねられるのは慣れていないんです」


 子供を相手にするよう、彼女はひとしきり笑った。


「アリシレラと同じね。自分が何者かを明かすことが、相手に弱みを見せることになると思ってる。それとも本当にわからないのかしら、自分という存在の意味について。でも平気よ? 私はあなたの敵ではないから」


「ならば答えてください。レヘイサムは、今、何処に?」


「どうしてそう、私が彼の手下だと決めつけるの。私が怪人だから?」


「あなたは彼が何をしようとしているか、知っているのですか」


「何をしようとしているの?」


 目は口ほどに物を言うというが、それが今までどれだけ利史郎を助けてきたか、はじめてわかった。目のない人物を相手に尋問をするのが、これほどまでに難しいとは。


 視線や目の動きから心理状態を読むことも出来ず、利史郎はため息を吐きながら頭を掻いた。


「では、何かお話しましょうか。あなたは僕の、何が知りたいんです」


 やった、とわざとらしく喜んで見せ、エシルイネは細い顎に人差し指を置いた。


「そうねぇ。じゃあ、初めて怪人と戦ったのは?」


「あれは――三年前でしょうか。夜な夜な吉原の芸者さんが惨殺され、皮を剥がれるという事件が相次ぎました。ご存じですか」


「吉原の皮剥ぎ事件? あれ、あなたも関わっていたの?」


「惨い事件でしたから。子供が解決に関わっていたと知れたら、警察が批難を浴びる。それで伏せられていたんです」


「へぇ。それで? どうやって犯人を見つけたの?」


「最初は芸者相手の色恋沙汰か、芸者という仕事を憎む厳格な人物の犯行ではと思いました。警察もそれにそって捜査を行っていましたが、殺された三人の芸者さんたちに共通の客はおらず、僧職や教職を調べても怪しい人物の噂すらなかった。また皮の剥ぎ方が非常に手慣れていましたから、屠殺業者も当たりましたがこれも空振り。そうこうしている間に四人目、五人目の犠牲者が出て、相変わらず手がかりは一切ありませんでした」


「それで、それで?」


「警察は思いあまって、婦人警官を芸者に変装させ、夜の道を歩かせたりもしました。しかしこれも釣れる様子がない。それで僕は――出発点に戻り、根本から考えることにしました。何故、芸者なのかと。芸者とは何者なのかと。今となっては、夜の仕事は様々です。銀座、新宿、伊勢佐木町もある。だというのに、何故吉原だけなのか。これほど吉原の芸者が連続して狙われれば、いずれ足が付く。夜の仕事を憎んでいるのであれば、別の場所を狙う方が安全だ。それでも吉原の芸者を狙うのは何故か?」


「どうして?」


「それで僕は、芸者という仕事について考え直すことにしました。芸者と言えば、豪華な髪を結い、着物を着て、白粉を塗って――そこでふと、僕は思いつきました。ひょっとして皮を剥ぐという行為は、芸者に対する憎みではなく――」


「まさか、白粉?」


「そう考えると、芸者さんだけが狙われ偽の婦警さんでは釣れなかったのも納得いきます。実際調べてみると、吉原の多くの芸者さんが愛好している化粧品店の女主人が、半年前に隅田川で水死体として見つかっていたことがわかったのです。水死ですから、皮膚の状態なんてわかりようがありません。しかしそこで改めて全ての事件を調べてみると、現場は全て堀の近くと言えなくもないことがわかりました。そこで隅田川に至る堀を改めていくと――」


「怪人が?」


「そうは簡単にいきませんでした。なにしろ隅田川の川岸、堀の橋の下、そうしたところはあばら家が密集しています。しかし犯人は移動に小舟を使っていると睨み、僕は船を集中的に調べた。そして、見つけました。縁に白い手形のついた小舟を。ですが犯人の姿は何処にもない。そこで僕はあえて船をそのままにし、犯人が再び殺人を犯そうと現れるのを待ちました」


「一人で? 警察は?」


「こう言ってはなんですが、彼らは隠密捜査には向いていません。恐らく協力を依頼していたならば、犯人は感づいて逃げてしまっていたでしょう。そうして僕は川縁で筵を被り、一晩待ち、二晩待ち――そして三日目の事です。腰の丸まった老婆が一人、船に近づいてきました。とても五人を殺した犯人が老婆だとは信じられず、僕は踏み込めなかった。しかし老婆は身軽に船に飛び乗り、恐ろしげな笑い声を上げながら艪を漕ぎ始めましたのです。それは驚くべき速さでした。全力で駆けても追いつけず見失ってしまい、何とか吉原の近くで泊められている小舟を見つけましたが、既に空です。しまったと思い辺りを必死で探し回っていると、ふと濃密な白粉の臭いがしました。それを辿っていくと、三味線の音色と男女の奇声が響く狭い路地で、老婆が一人の芸者さんと対していたのです。『綺麗な肌だねぇ、その白粉を少し分けてくれんかね?』老婆は言いました。当然芸者さんは気味悪がって断り、避けていこうとします。すると老婆は次第に語気を強くし、『くれ、よこせ、よこせ!』 そして手にした鉈を振りかぶって芸者さんに襲いかかったのです」


 エシルイネは、きゃぁ、と白々しく悲鳴を上げる。利史郎は苦笑いし、続けた。


「当時僕は拳銃を持っていませんでした。代わりにあったのはパチンコです。僕は咄嗟にそれを取り出し、鞄から一番大きな鉄球を掴み、引き絞り、放った。狙い通り鉈を弾き飛ばしましたが老婆は全く怯まず、素早く鉈を拾い、今度は僕に襲いかかってこようとします。次に狙ったのは足です。パチンコとはいえ、鉄球が当たれば骨が折れても不思議じゃない。しかし老婆は少し立ち止まっただけで、痛がっている様子もない。そこでようやく、僕は老婆の顔を捕らえました。なんと彼女は殺した相手から剥いだ皮を継ぎ接ぎし、顔に被っていたのです。それでさすがに、噂に聞く怪人だと悟りました。そこからは無我夢中でパチンコを放ち、気がつくと老婆は倒れ、動かなくなっていました」


 エシルイネは神妙な様子で口を噤んでいる。利史郎はあの恐ろしい老婆の遺骸を思い出しながら続けた。


「後から彼女は〈白粉婆〉と呼ばれ、三類の怪人に分類されました。白粉を長く使っていると、子供が流れてしまう事があるそうですね。それを悲しみ、自らの身上を恨み、あぁした物の怪になってしまうとか。本当かは知りませんが、とにかくこれが、僕が最初に怪人と相対した顛末です。そして僕は、あの事件で一つ学びました。出来事には必ず根があります。この場合は白粉。ですが僕は容易にそこに辿り着くことができず、犠牲者を増やしてしまった。どうすれば良かったのか? 最初からもっと、芸者とは何者なのか、他の遊女と何が違うのかを考えるべきだったんです。それは今回の事件に関しても、同じ事が言えます。僕はもっと早く、この世界を動かしている『機関』とは何なのか、Dloopとは何者かを考えるべきだった。そうすれば山羽美千代さんも救えたかもしれない」


 エシルイネはふと顔を上げ、言った。


「それで今は考えてるの? 『レヘイサムとは何者か?』と」


 利史郎は小首をかしげ、彼女を見つめた。


「やはり、レヘイサムは怪人ですか」


 尋ねた利史郎に、エシルイネは時々見せる、あの禍々しい笑みを浮かべてみせた。

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