7. 必然

 川路利史郎は再び、白く長い通路を歩いていた。行き当たりの扉に近づくと、音もなく左右に開く。身を刺すような冷気の向こうには、以前と同じように円形の舞台に立つ仮面の巨人が存在していた。


 彼、もしくは彼女は、身動き一つせず、ただ見上げる利史郎に仮面の両眼を向けている。以前に相まみえた時は相当な混乱もあり、言葉を探すので精一杯だった。しかし今回は違う。彼が不自然なほど静止しているのも見て取れたし、足下から数本の管が伸びローブの中に沈み込んでいることも気づいた。


 あるいは、石油だろうか。彼らは空気に身をさらすことすら出来ないのか。


 そう観察する間にも、Dloopは一言も発しなかった。利史郎が訪れたという事実によって、殆どの会話を済ませているのだろう。だから利史郎にしても、石油の強奪、そしてそれを安定的に行うために人類の発展を阻害していたという事実を詰問する意図はなかった。


 聞きたかったことは、ここから始まる。


「僕にはまだ、わからないことがあります。それは――あなた方は本質的に、善なのか、悪なのか」


 そもそも彼らには、善や悪という概念はないのかもしれない。だがこれも、手持ちの情報だけでは推理不能だ。そして相手が推理不能な事に関しては、Dloopは回答の義務を持つ。それが彼らの文化だ。


〈必然だ〉


 彼は仮面の奥底から、粘性の液体を通したような声を発する。


 必然。その言葉についても、利史郎は疑問を抱えていた。


「必要だから行う。あなたはいつも、そう仰る。ですがその必要とは、誰にとって、何のための必要なのですか」


〈生存だ〉


「誰の」あえて曖昧にしている。それに気づいて問うと、彼は沈黙した。利史郎はすぐ、追撃を行う。「この場合、沈黙は答えになりません。察するのは不可能です。答えてください。生存とは、誰の生存ですか。それに生存という言葉の定義は? ただ心臓が動き、毎日、毎世代が同じ事を繰り返し、進歩もしない状態も生存と――」


〈理解するべきだ〉


「何を!」


〈お前が生きていられる理由だ〉


 初めて、威嚇的な意図を感じた。


 確かに、それは考えの外にあった。Dloopにとって利史郎の存在は、人類の進歩を促そうとする科学者たちと同様――あるいはそれ以上に、厄介なものとなっているはず。だから抹殺の対象となっていてもおかしくないし、彼らにとってはそれも容易だったはず。


 だが、利史郎は生きている。彼らは意図的に利史郎を生かしている。


「田中久江を介して、あなた方は仰った。〈僕はあなた方を理解出来る。だから理解するべきだ〉と。何故。何のために。どうして僕は生かされて――」


 Dloopは身を、側面の壁に向けた。そこには以前と同じように映像が浮かび上がる。現れたのは黒塗りで、小型ではあったが重装備の飛行戦艦だった。夜の闇の中に朧気に浮かんでいるそれは、盛んに地上目がけて砲撃を繰り返す。やがて遠方の夜空の中から、三百メートル級巨大飛行戦艦の影が二つ浮かんできた。それらはストロボを発光させるように、激しく砲撃してくる。小型飛行戦艦は高い機動性を見せて照準を定められないようにしていたが、百近い砲門から放たれる砲弾の全てを躱すことは不可能だった。オリハルコン合金で覆われてた浮き袋を一発が掠め、船体が大きく揺れる。


 しかし小型飛行戦艦は、通常の下部デッキとは別に、浮き袋の脇にも大型のデッキを備えていた。そこから投下されたのは、Dloopのオーニソプターとはまた別の形をした飛行機械だった。鳥のように翼を広げてはいるが羽ばたかず、機体の後尾に付いたプロペラで大気を漕いでいく。


 山羽美千代の〈機関〉か。


 すぐに利史郎は悟った。現れた四機のプロペラ飛行機は不思議な高音を立てながら飛翔し、彼方の大型飛行戦艦に向かっていく。満足な武器は積めないのだろう、戦艦を沈めることは出来ない様子だったが、それでも砲撃は止んで小型飛行戦艦は次の行動に出ることができた。前後の格納庫が次々に切り離され、ケーブルを伸ばしながら地上へ降下していく。中から現れたのは金属に覆われた戦車と怪人兵士たちだった。彼らは混乱するCSA兵たちに次々と襲いかかり、片っ端から砲撃を浴びせ、八つ裂きにしていく。その血に染まった襟には、一様に同じ印が描かれていた。二重円に十字――標的印だ。


「レヘイサム――」


 呟いた利史郎に対し、Dloopは言った。


〈好ましくない〉


 相変わらず、巫山戯た言葉だ。


 好ましくない? 何とも傲慢な言葉だろう。だが彼の意図はすぐにわかった。


「CSAと大英帝国の戦争は、安定を脅かす。それはあなた方が石油を掘り尽くす妨げになりかねないと。そういう訳ですか。だから僕に、彼を止めさせようと?」


〈山羽美千代〉


 唐突に出た名前。


 さすがにこの話法にもうんざりしてきた。彼女が何だというのか。今の会話に彼女が関わる余地なんて、何処にも――


「あぁ、まさか。彼女の〈機関〉。レヘイサムに渡った彼女の〈機関〉が発する毒は、そんなに危険な物なんですか」


〈認識しろ。放射性核物質は、君らには早すぎる〉


「放射性――いや、ですが。そうであれば、放っておいても彼は死ぬ。あなた方が気にすることはないでしょう。彼の活動があなた方を脅かすことはなくなり――」


〈答えだ〉


 何の?


 一瞬問い返そうとしたが、利史郎は理解した。彼は利史郎の最初の問いに、ずっと答えようとしていたのだ。


「その放射性――核物質というのは、人類を滅ぼしかねない。だから僕に回収しろと。つまり――あなた方はあくまで、人類にとって〈善〉だと? いや、いや」利史郎は頭を振った。「嘘だ。あなた方は、あなた方のいう〈必然〉のためなら、平気で嘘を吐き、隠し事をし、論理をねじ曲げる。今もそうだ。それほど放射性核物質が危険ならば、自分たちで回収すればいい。それこそ――石油のように! だがそれをしないということはつまり、あの物質は僕ら人類以上に、あなた方にとって致命的なんだ。だからほんの僅かでも近づきたくない。違いますか」


 Dloop、Dloop。


 あの音が、また響いた。


〈僭越だ〉


「その言葉は前にも聞いた。何が僭越ですか。結局あなた方は、自分たちの事しか考えていない。それが人類のため? 自分たちのためでしょう」


〈だから君らには、まだ早すぎるのだ〉


「いいでしょう。百歩譲って、あなた方の言う〈必然〉が、人類とDloop相互利益のためだと仮定しましょう。ですが僕らには、それを信じる術がない。石油のないことが、放射性核物質のないことが、人類にとって良いことだと。どうして信じられます。一体何の理由があって――」


 コイルの唸るような音が、室内全体に響き渡った。


 何事かと言葉を止めて周囲を見渡す利史郎に対し、どこからともなく流暢な言葉が投げかけられてきた。


『これ以上の交流は耐えがたい。しかし君以外の優良な選択肢を改めて探す時間と資源を考慮した場合、耐えざるを得ない状況だ。それ故に、特別に君たちの言葉を使用することにする』


 エシルイネが言っていたという、翻訳装置が起動したのだろう。利史郎は思わず帽子を脱いで胸に当てつつ、答えた。


「それは――光栄です」


『いや、非常に遺憾だ。人類は本当に鈍すぎる。既に答えは提示してあるというのに、くどくどと説明を求める』と、Dloopは壁に映し出されているレヘイサムの戦闘に目を向けた。『これがそうだ。ほんの一欠片の放射性核物質――それを君らは発展のためではなく、破壊のために用いた。それでどうして、君ら人類を信用出来ると言うのか。確かに君が指摘したように、放射性核物質は我々にとってごく微量でも致命的になり得る。だから安全に確保するような作戦は不可能だという理由もあるのだが――しかしそれ以上に、石油も、放射性核物質も、我々と満足に会話も出来ない君たちには――早すぎるのだ』


「しかしそれは――以前、田中久江さんにも言ったように。ここは僕らの世界です。あなた方にどうこうする権利はない」


『君は何も知らない』


 唐突に画面が真っ白に焼き付いた。あまりの眩しさに目を細めると、次第に白は黄色に、黄色は橙に落ち着いていき、天と地とを繋ぐ巨大な煙が立ち上る様が見て取れるようになった。どれほどの大きさなのか、見当も付かない。だが切り替わった画面では煉瓦造りのビルが根こそぎ吹き飛ばされ、蒸気機関車が木の葉のように宙に舞い、木々がなぎ倒され、地がえぐれ、全てが焼き尽くされていく様が延々と続いた。

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