8. 及ばぬ一手

 これは一体、何だ。


 信じられぬ思いで眺める利史郎に対し、Dloopは機械的な口調で続けた。


『放射性核物質は、動力機関の燃料になるだけではない。このような爆弾にもなり得る。しかも比較的簡単に、だ。我々がこの星に介入していなければ、2077年現在までに――恐らく人類は滅ぶか、相互破壊により数千年前の状態に逆戻りしていただろう』


 なかなか映像から目が離せず、恐怖と混乱で何も考えられなかった。


 しかし――いや、これも彼らのやり口だ。


 利史郎は辛うじてその切っ掛けを掴み、胸の中で渦巻いている感情を抑え込もうとする。


「証明にはならない。これは作り物でしょう。僕がこれを信じる理由はない」


 すると新しい窓が開き、幾つかの化学式や構造図のようなものが表示される。


『人類は未だ素粒子を体系的に理解出来ていない。核変換も錬金術的にしか捉えられておらず、初歩的な原子炉を作り出せたのも偶然の産物ではあるが――しかし人類が既に手にしている知識に置き換えれば、このように発展させ核分裂反応を兵器に転用出来る人物は出現しうる。例えば――』


 新たな画面が開き、一人の老人が映し出された。


 黒薔薇会の中で、未だ唯一行方がわからない人物。伊集院昭典。


 利史郎は唐突に寒気がした。彼の存在をすっかり見落としていた。そもそも山羽美千代が開発した〈機関〉は、伊集院の研究が元になっている。そして彼は失踪の直前、ガスマスクの二人組と会っていた。更にガスマスクの二人組は、レヘイサムの手下である可能性が――


『だから君らは、愚かだというのだ』


 利史郎の動揺を察し、Dloopは言う。


 確かに、ピッチブレンドの特性を熟知している彼ならば、こうした爆弾を作る役目には最適だろう。これほど重要な要素を、今の今まで見落としていただなんて。


「認めましょう。僕は愚かでした」


 Dloopは小さく頷く。するとようやく映像が消え、汗を拭う余裕が生まれた。大きく息を吐き嫌な気分を忘れようとする利史郎に対し、Dloopは言う。


『だが望みはある。だから私は話している。結果、私が提示した証拠をもってしても、君には事態を疑う要素は残りうるだろう。しかし君は、これが嘘だと証明することも出来ない。そうである限り、君は行動する動機を持ち得る。また一方で、君が彼の活動を止めることに不都合もないはずだ。五帝国会議はしきりに我々の介入を望んでいる』


「えぇ。父ならば、そう考えるでしょう。どうにかして戦争を止めようと」


『他に疑問や懸念は?』


 疑問や、懸念だって?


 利史郎は思わず笑い、帽子を頭に乗せた。


 確かに、交渉は行き詰まったように思える。完敗だ。


「しかし――申し訳ありませんが、僕はそれほど賢くありませんので。少し考えさせてもらいます」


 言って背を向けた利史郎に対し、Dloopは言った。


『君が試みに成功すれば、我々も人類に対する見方を変えるかもしれない』


 ふと息が詰まり、立ち止まる。


 しかしその言葉の意味を質す気力は、利史郎には残っていなかった。


 長い通路を歩きエレベータに乗り、目を閉じる。


 やはり僕では彼らに、二手――いや、三手ほど及ばない。


 それが率直な感想だった。彼らの示唆した事は意外ではあったが、何も新しい事はない。今まで利史郎の得ていた情報を勘案すれば、自ら辿り着けていたはず。彼らに何も問わなくとも、同じ結果は得られていたというのに――


 そう、あの人工太陽のような恐ろしい爆弾でさえ、少し想像力を働かせれば推理可能だった。ハナは言っていた。山羽美千代の〈機関〉は、考えるだけ無駄なレベルの代物だと。ハナのゼンマイですら、暴発すれば下手な大砲以上の威力がある。同じように山羽美千代の〈機関〉が暴発すれば、恐ろしい代物に化けるのも当然だ。


 果たしてレヘイサムはそこまで考え、伊集院を味方に引き入れたのだろうか。あるいはただ、優秀な科学者を手元に置いておきたかっただけ?


 わからない。だが事実は限りなく前者に近いように思える。ひょっとしたら伊集院は既にかの爆弾の開発を終え、レヘイサムはそのスイッチを手にしているかもしれない。最悪の事態を考えれば、そう想定して動かなければ。


 いずれにせよ、彼はどうにかしなければならない。Dloopの依頼という事実を抜きにしても、レヘイサムの手にしている物は――二つの理由で危険すぎた。


 一つ。Dloopは世界の平静を望む。だから事態の過激化を避けるために利史郎を雇った。しかし利史郎が失敗したならば――彼らはより、直接的に脅威を排除しようとするに違いない。それがどういった形になるのかは、考えるのも恐ろしい。


 しかし、より危ういのは――彼らが言うように、あれほどの巨大な力は――科学的にも社会的にも――人類に制御できる物だとは、とても思えない。だというのにそれに最も近づいているのが、人類の中で最も危険とも言える男――レヘイサムなのだ。


 あの力を彼が手にしたならば、一体どうするか。Dloop同様、利史郎は彼の思考に未だ追いつけていないが、帝都の真ん中で爆発させたとしても、さほど驚かない。


 そう、確かにまだ、彼には追いつけていない。しかし近づいてはいる。ここからどうにかして、彼を抑えなければ。


 果たしてそれをするには、どうすればいいか――


 考えている間に扉が開き、目の前に白々としたロビーが広がった。左手首の腕輪が小刻みに震え始める。そこでは来たときと同じようにしてエシルイネが待ち受けていて、利史郎に笑みを向けてきた。


「如何でした?」


 利史郎は暫く彼女を眺め、エレベータの中で考えていたことを反芻した。


 レヘイサムを止める必要がある。しかも早急に。


 しかし彼が何処に潜んでいるのか、手がかり一つない。しかし宛ては幾つかある。そしてその中でも最も有力な物が、目の前に存在している。


 やるしかない。


 利史郎は足を進めて真っ白な部屋を出て、突き当たりの窓から空を眺める。腕を組み、項垂れ、考える素振りを続けていると、エシルイネが追ってきて話しかけてきた。


「大丈夫? 気分でも?」


 やはり、彼女は密偵だ。


 エシルイネの反応で、そう確信する。Dloopによる人類に対する密偵――


 だが同時に彼女は、別の役割も帯びている。


「――以前、僕は尋ねました。『Dloopは嘘を吐くか』と。するとあなたは、こう答えた。『彼らは必要に応じて、必要なことを言う』」


 振り向きつつ言った利史郎に、扉の手前で立ち止まっているエシルイネは興味深そうに応じた。


「今度は、一体何の話をしたの?」


「そう、それが問題です。僕は一体、何の話をしたのか。まだ十分に理解出来ていません。彼らは必要のためならば、何でもする。それは論理を駆使し僕を欺き、良いように使おうとする事も含まれる」


 声を落としつつ言うと、ついに彼女は好奇心、もしくは使命感にあらがえなくなったらしい。更に足を一歩踏み出し、Dloopの大使室から身を外に置いた。


「彼らに、何をしろと言われたの?」


「――彼は、こういう事態を予測していたはずだ。〈自分のやろうとしていることは、確実にDloopの注意を引く。だから彼らの周囲を見張らなければ〉」


 不意に息を詰め、エシルイネは身を引こうとする。だが利史郎は即座に彼女の右手首を掴み、宣言した。


「エシルイネさん。あなたを五帝国に対する密偵容疑で告発します」


 途端に利史郎の左手の腕輪は激しく震える。露わになった彼女の手のひらの眼は驚きに見開かれ、利史郎を見つめ続けた。


 衛兵、と叫ぶと、すぐさま蝦夷共和国の礼服を身に纏った兵士二人が駆け寄ってくる。何か起きるかもしれない事は、予め伝えてあった。利史郎の指示を受けて、彼らは後ろ手にエシルイネを拘束する。


「どういうこと? 私はDloopの外交官の一人――」


 未だ事態を信じられないようにして言う彼女に、利史郎は答えた。


「いえ。あなたのような存在は登録されていない。そもそもDloopに関しては誰一人、外交官としての権限は持っていないんです。正式には。だから外交特権は適用されません。しかもあなたは――自分からDloopの領域から出ている。ただの一人の怪人として処遇されるのに十分な状況です」


「気でも違ったの? こんなこと、大使がお許しになるはずが――」


「それはいずれわかります。尤も、彼らほどの知能を持つ存在が、この展開を予想していないはずはありませんが」


 ようやく彼女は、そこに考えが至ったらしい。


「――そう。そういうこと」


 呟いたきり、エシルイネは大人しくなった。そのまま兵士に脇を抱えられ、連れ去られていく。そして彼女の姿が見えなくなった頃、影で様子を窺っていた川路武雄が現れ、利史郎に言った。


「また、思い切った手に出たな」


「すいません。でも、やるならば今しかありませんでした。彼らは僕に――」


「レヘイサムをどうにかしろと依頼してきたのか?」


 開いた口が塞がらなかった。相変わらず硬い表情を続けている武雄に、利史郎は辛うじて応じる。


「何故、それを?」


「彼らは何かを待っている。そう思っただけさ。それがお前かもしれないと考えただけで」納得いかず重ねて問おうとした利史郎を遮り、彼は続けた。「しかし、それでどうするつもりだ。彼女がレヘイサムの手下だという確信があるのか」


「――九割九分」


「アレがそう簡単に口を割るとでも?」


 怪人を〈アレ〉呼ばわりする人間は多い。武雄もそうだと知って少なからず衝撃を受けたが、顔には出さず応じた。


「少なくともこれで、レヘイサムに揺さぶりをかけることが出来ます。彼は何故か僕をからかって楽しんでいるような所がある。食いついてくればこちらの持ち手が増えますし、釣れなくとも彼と繋がる線は〈千里眼〉である彼女ならば見いだすことが出来ます」


 言った利史郎を数秒眺める。そして何の躊躇もないことを読み取ると、ため息を吐きつつ頭を振った。


「三段構えか。恐れ入ったよ。噂には聞いていたが、お前は随分な戦略家だ」


 答えに詰まった利史郎の想いを、武雄は確実に拾い上げた。再びため息を吐いて利史郎の肩を叩く。


「これはお世辞でも皮肉でもない。上手い戦略だと正直に褒めてるんだ。もはや、お前以外にレヘイサムを抑えられる人間はいないし、私はお前に頼るより他に手はない」


 どうにも本心とは思えず、踵を返して引き上げていく武雄を追いつつ利史郎は言った。


「出過ぎたことをしすぎているのは承知しています。これは国際問題どころか、得体の知れない存在をも相手にしている。僕なんかが勝手をするのを危なっかしく思うのは当然です。しかしDloopもレヘイサムも、何故か僕を――」


 そこで彼は振り返り、不思議そうに利史郎を見つめた。


「一体何の話だ」


「それは――僕も何故、彼らが僕に注意を向けるのか、正直わからないんです。ですがこのような状況では、僕が最善を尽くすしか方法は――それは父さんが未熟な僕を捜査から外すよう桜田門に圧力をかけたことも当然ですが、しかし――」


 しかし武雄は、まるでわからない、というように片手で遮る。


「待て待て。一体何のことだ? 私はそんなことはしていない」


「え? しかし桜田門の牧野警部から――」


「確かに内務卿に手紙は出したが、ただ息子をよろしく頼むと書いただけだ。あるいは何か誤解があったかもしれんが」そこで彼は、細く鋭い目で利史郎を真っ直ぐに見つめた。「私には異星人にしろレヘイサムにしろ、連中がお前に注意を向ける理由がわかる気がする。単純に言えば――頭が回る。それだけだが、それだけだから扱いが難しいんだ、彼らのような存在からすれば」


 何か筋の通った理屈がありそうだったが、利史郎にはそれを見つけられなかった。ただただ首をかしげると、武雄は言葉を探してから続ける。


「そうだな。ここにとてつもなく賢く、頼めば何でも解決してくれる探偵がいるとしよう。当然、皆がそれを使いたがる。しかし――悪人や、問題を起こしている側からすれば、当然彼は敵だ」


「――それは、そうでしょうね」


「そして当然、殺せる時に殺そうとするだろう」


 そうだ。当然、その通りだ。しかもレヘイサムにしろDloopにしろ、利史郎を殺す機会は何度もあった。


 だが、利史郎は生きている。殺されそうになったことすらない。何故?


 混乱する利史郎に哀れみに似た眼差しを向け、武雄は続けた。


「だから難しい存在なんだ。つまり――連中はこう考える。彼は、本当に正義の味方なのか? 何故、彼は探偵をしている? 法を信じているからか? それとも単に――〈それが出来るからやっているだけ〉なのか?」


 息が詰まり、頭から怒濤のように血が失せていった。


 その狼狽を隠すことは出来なかったろう。武雄はそれを察したように、小さく息を吐いてから続けた。


「ならば上手く使えば、その優秀な頭脳を味方に出来るかもしれない。そう思わせてしまう所がお前にはあるんだ。だからレヘイサムだけでなくDloopですら、お前を簡単に殺したりせず、利用しようとする。私が心配するところがあるとすれば、その一点だけだ」


 そうだ、全くもって、その通りだ。


 どうして誰も彼も、〈何故探偵をやっているか?〉と尋ねてくるのか。


 答えは簡単だ。彼らは利史郎に信念があるのか、自分の役に立つ存在に出来るかどうか品定めしていたのだ。


 ようやく、そこまではわかった。


 だが、その先は?


 空白。相変わらず、真っ白な空間があるだけだ。


「父親としては何か助言すべきなんだろうが――」武雄は数秒言葉を探したが、結局何も見つけられなかったらしい。再び背を向けて歩みつつ言う。「すまない。私からは何も言えない。お前自身で答えを見つけなければならない問題だ」


「法は――?」辛うじて魅力を感じる言葉を口にする。「父さんは、法を信じていないのですか」


「所詮、法は人が作った物だ。国や宗教によっても違う。くだらん、とても信仰の対象などではない」


 愕然とした。利史郎には全くなかった視点だ。


 しかし、どうも川路家の微妙な親子関係の原因は、武雄に相当の比重がありそうだ。Dloopに対するのと同じように、父親という言葉も利史郎を束縛していたらしい。一人の人間として見た場合、武雄は――相当な変人である可能性が高い。


「では父さんは、そもそも何故、警官になったんですか」


 そこで彼は、初めて見せる気まずい表情を浮かべながら答えた。


「川路家の男は警官になる。それが当然の道筋だった。他にやりたいこともなかったしな。ま、それで別に後悔もしていないが。だから私には、何の助言も出来ないんだ」


 これをレヘイサムが聞いたら、なんと言うだろう?


 しかし利史郎は何故か嬉しくなり、笑みを浮かべながら武雄を追った。

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