6. petroleum

「え、これが〈黒い血〉なの? 全然動かないじゃん」


 ハナは不思議そうに言って、瓶をぶんぶんと振り回す。利史郎は慌てて瓶を取り返し、慎重に机に置いた。


「きっかけはわからないんです。でも動きます。時々。それより――」と、記憶を探りながら言う。「姉さん、確か石油は二十世紀の前半には枯れてしまったのですよね。掘られていた場所はどこでした」


 ハナ唸り、覚えていないという様子でフクロウ博士を見る。彼は当然応じた。


「テキサスだ。D領がある周辺だね。他にもロシアのカスピ海周辺、それに日本でも沢山採れた。長岡あたりだ。それと石狩」それでさすがに気づいた様子だった。「――待ってくれ、D領と、重なっている?」


 彼は振り返り、棚の高い位置を見上げる。そして背後のはしごを登って一本の巻物を掴むと、一息に飛び降りて机上に広げた。世界地図だ。


「当時の油田が記された物だ。アメリカ南部、テキサス周辺。ロシアのカスピ海周辺。日本の長岡、石狩」


「カリマンタン島と、メソポタミアは?」


「いや、その記録はないが。しかし未発見の油田が周辺にあった可能性はある」


「それを根こそぎ地面から吸い出している――だからD領では地震が多い?」


 知里の問いにフクロウ博士は駆け、大日本帝国地質学会が纏めた資料を持ってくる。そこに小さくはあるが、世界地図上に地震の発生記録がプロットされていた。利史郎はその集中地帯を油田地図に重ねてゆく。多くは太平洋沿岸に集中し、他は何らかの線上に並んでいたが、その法則に従わない異常が確かにあった。


「最近、オスマン人貴族が発表した興味深い説があります。地球の大陸は移動しており、その接触点で地震が起きるのだと。確かに世界中の地震の発生点は線上に並んで法則に従っていますが、それに外れている箇所が幾つかある。D領の五カ所。それに他にも何カ所か――北海。満州。それに大コロンビア――」満州、で引っかかった。「博士、Dloopのオーニソプターが目撃された地点、確か二十世紀のどこかの貴族が収集していませんでしたか。すぐに発禁処分にされた――」


 フクロウ博士は部屋から飛び出て、しばらくして簡単に閉じられた本を携えてくる。その中程に世界地図があり、利史郎はそれを参照しながら油田地図に丸を描いていった。


「やはり。大陸移動説の線から外れた位置にある地震集中地帯では、オーニソプターが高い頻度で見られている」


「つまりこういうこと?」眉間に皺を寄せながら知里が割って入った。「Dloopはその石油ってのを掘りまくってる。それでD領やオーニソプターが見られた辺りは、地震が多い」ただ肩をそびやかした利史郎に、首をかしげた。「そんな凄い物なの? 石油って。何なのそれ」


 利史郎は一度深呼吸して落ち着き、ハナに促す。彼女は指を立てながら説明した。


「石油ってのは、地面から沸く油。石炭は大昔の植物が石になった物みたいだけど、石油は代わりに動物が腐った物だとかいう人もいるね。ホントか知らないけど。でもこんな感じで、黒くてベタベタしてるの。火を付けると燃えるよ」


「それって――蒸気機関とかに使われてたの?」


「石油は昔から知られてて攻城兵器なんかに使われてたんだけど、普段使いには難があったんだよね。むっちゃ臭いし燃やすと煙いの。でもそれを例の蒸留ってので綺麗にする方法が発明されて、じゃあこれ使えるじゃん! って事になったのが二百年くらい前。そんで蒸気機関以外にも内燃機関ってので使われ始めてさ、確かに石炭の倍のエネルギーがあって、液体だから扱いやすいってのもあって、将来性はあったんだけど。枯れちゃった」


「あんたたち姉弟で話してたわね。石炭じゃ飛行機は飛ばせない、って。そのこと? 石油だと空は飛べる? そのためにDloopは地球に来た?」


 うーん、と少し唸ってから、ハナは答えた。


「それは確かに石油ならオーソニプターみたいなのも飛ばせるかもしれないけどさ。でも――さっきも言ったけど、Dloopがわざわざ土星から地球まで、石油程度を掘るために来るとは思えないなぁ。だいたい地球にだって、もっと凄い燃料があるっぽいじゃない? 山羽美千代ちゃんの使ったピッチブレンド。あれはあれで得体が知れないけど――でもあの科学者が隠棲してた山陰のあたりでオーニソプターが沢山見られてるって話しも聞かないし。せっかくの推理を無駄にして悪いけど、違うような気がするなぁ」


「僕はそんな推理、していませんよ」目を丸くするハナから、フクロウ博士に顔を向ける。「博士、山羽美千代さんが作った液体は、下剤だと言いましたね。それに石灰、灰汁――どちらも洗剤に使われる。油を分解する物だ」


「あ。あぁ。確かに。それに詳しくは話さなかったが、生薬の方は本来やせ薬とされている漢方薬が元らしいとは思っていた」


「つまり、油を溶かす?」


「まさに。つまりこの山羽美千代さんが作った薬は、強力に油を分解するのを目的にしている?」


「試してみましょう。ここに石油は?」


「待てよ? 確かあの辺に――」


 フクロウ博士は高いところにある棚を見つめ、飛び上がって掴もうとする。しかし今の博士の背丈はハナと同じくらいしかない。代わって知里が瓶を取り、利史郎に渡す。ラベルには〈petroleum〉と記されていた。


 蓋を開けて臭いを嗅ぐ。〈黒い血〉ほどではないが、確かによく似た臭いがした。焦げ臭く、酸っぱいような刺激がある。フクロウ博士が差し出したペトリ皿に傾けると、どろりとした粘性を見せながら垂れていく。ぷつぷつと表面に泡が浮き、利史郎は寒気を覚えながら山羽美千代の薬を手に取る。


 既に残り少なくなっている液体にガラスストローを差し込み、一方の穴を指で塞ぎ、慎重にペトリ皿の上に持って行く。そして指を離すと――ほんの一滴の滴が落ちた途端、石油は四方に弾けた。狼が羊の群れの中心に投げ込まれたかのように黒い液体は逃げ惑い、やがて壁に追い詰められると自らを覆っていた粘性をも奪われ、さらり、と溶けた。


 液体が溶ける、という表現も不思議だが、まさに溶けた。黒いドロドロとした液体は水のようにさらさらになり、あれだけきつかった臭いも消え失せていた。


 念のため通常の石鹸水で比較実験もしてみたが、山羽美千代の薬ほどの力はなかった。黒い液体を覆いはしたが、ストローで馴染ませてようやく少し溶ける程度だ。


「――石鹸会社に売り込めば、一財産作れそうですね」とうに確信はしていた。しかしその確信を裏付ける記録が次々と見つかり、利史郎は自信を深めていく。「つまり、こういう事です。山羽美千代さんはD領の地震、石油の枯渇、そして蒸留塔から、Dloopが地球に来た理由が石油にあるのではと推理した。ですがそれが彼らにとって、価値のある燃料ではないことくらい、ピッチブレンドの存在を知っていた彼女ならすぐわかったでしょう。では、Dloopは何のために石油を求めたのか?」


「〈黒い血〉――」


 呟いた知里に、利史郎は指を向けた。


「そうです。彼らの使う〈黒い血〉は、石油に酷似している。つまり――Dloopにとっての石油とは、僕ら人類にとっての水のような、欠かせない物質だとしたら? 山羽美千代さんはそう推理し、油の分解剤で彼らに抵抗できると考え、実際にそれは成功した。そして最後に――姉さんの疑問に戻ります。何故彼らは、わざわざ地球に来なければならなかったのか? 姉さん、先ほど自分で仰いましたよね。石炭は太古の植物の化石が炭になったものであり、石油は動物の化石が油になった物だと」


「そういう説もある、って話しだけだけど」


「――まだ、わかりませんか」


 思わず笑みを浮かべながら尋ねた利史郎。数秒ハナは顔をしかめて考え込んでいたが、ふと指を鳴らして言った。


「そっか! 石油は生き物がいる星でしか採れない! それで他の星に生き物がいなかったら、地球に来るしかない!」


 答えを受けて、地図に手を打ち付けた。


「〈全てが、必然から為される〉」利史郎は彼らの言葉を使った。「嘘も、沈黙も、彼らにとっては全て必然なんです。彼らは石油の採掘を安定して行いたかった。その事実を知られ、人類との間に諍いが起きることも避けたかった。だから山羽美千代さんのような推理が出来る人物を生まないように――科学者の暗殺を繰り返し、人類を出来るだけ無知で、未熟な状態にしていたんです。ようやく山羽美千代さんの気持ちが理解出来たような気がします。Dloopのしていることは擁護のしようがありません。謎の異星人? 超技術を持った至高の存在? いや何のことはない。彼らは史上最大の怪盗だったんです」


 ひょっとしてこの問題は、自分の手には負えないのではないか。そう何度も考えてしまっていた。知里が言っていたように、この事件は『何か大きすぎる問題か、じゃなきゃ巨大な偶然によって生まれた物』であり、実は利史郎には本当は探偵としての力など何もないのでは。そう思えてならなくなっていた。


 しかし、そうではない。得体の知れない事件、得体の知れない異星人が相手であろうと、結局は全てが道理で解釈出来る。自分には探偵としての力があり、事態に正しく対処し掌握することが出来る。


 そう、僕にはそれが出来る。ではこれから、何をどうするべきか――


 考えたが、目は自然と壁に貼った日本地図に向けられていた。


 蝦夷、D領。


 やはりまずは、そこに向かう以外にない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る