5. 黒い血

 利史郎とハナは付近の丸椅子に座り、知里は机に腰を載せる。その動きが収まるのを待って、フクロウ博士は口を開いた。


「全てといっても、私が知っている事はごく僅かだ。Dloopに関する記録は、知っての通り五帝国によって殆どが抹消されているからね。別にDloopに命令されたわけでもなく、人の動物的な恐怖心から自発的に行ったのだな。〈触れるな、何が起きるかわからんぞ〉と。そういう具合だ。しかし断片的な記録は、個人の日記やアカデミー異端児たちの地下出版という形で後生に伝わった」


「最古の物は1862年、若い南軍兵士による手記でしたね。彼が初めてDloopと接触した人間だと――」


 一時Dloopについて調べた際の記憶を口にすると、フクロウ博士は楽しげに頭を振った。


「いや。一般にはそのように知られているが、実はもっと以前からDloopは地球に現れていたのではないかという説がある。君たちは1858年に起きた、世界的な異常現象を知っているかね?」


 知里とハナは互いに顔を見合わせていたが、利史郎は記憶にあった。


「日本では近衛公の日記に残されているので有名ですね。世界中で灰が降ったと――場所によっては〈黒い雨〉、あるいは〈黒い雪〉だったと。どこかで大規模な噴火か山火事があったのだろうと言われていますが、未だに発生源は見つかっていない」そして〈黒〉という単語に、利史郎自身首をかしげる。「まさかそれも、Dloopの仕業だったと?」


「二十一世紀初頭に起きた探検ブームは、五帝国の貴族たちが〈黒い灰〉の発生源を見つけようとしたのが発端だった。結果、チョモランマ、楼蘭、ナイル川の源流などが発見されたが、未だ〈黒い灰〉の出所は見つかっておらん。残るは北極南極くらいだが――まぁDloopが蒔いた物だという説は妥当だと思うね」


「前に私、蝦夷で言ったでしょ。〈黒い灰〉の言い伝え。あれのこと?」


 知里が拳に顎を乗せながら問う。利史郎は会話を思い出しながら応じた。


「かもしれません。知里さんは見ましたか、田中久江の吐いた唾は、側室の身体にかかると吸い込まれるように消えた」


「そうだったわね」


「そして蝦夷の伝承に残る〈黒い灰〉も、触れると吸い込まれるように消えてしまった――」


 ふと落ちた沈黙に、フクロウ博士は咳払いして話を続けた。


「ともかく、興味深い説ではある。だが実際に彼らが人類に〈発見〉されたのは、利史郎君の言うとおりアメリカ南部の1862年から、一番遅い蝦夷の1867年にかけてだ――〈現れた〉のではなく〈発見〉とするのは、あまりに僻地にあったものだから、実際いつからそこにいたのか不明なのだね。だから五カ所のD領は全て同時に現れたのかもしれんし、順を追って作られたのかもしれん。その頃の記録としては、地元住民が近づいてみたが、完璧に無視されたという物ばかりだね。公的な接触も全て同じだ。D領から飛び立ったオーニソプターから我々の知る〈ローブに仮面〉という姿のDloopが現れ、周囲にいた人物を一人、中に招き入れた。カリマンタン島については不明だが、それ以外の四カ所については全て、調査に向かった地元の役人が相手だったらしい。そしてそこで交わされた会話については、憶測の域を出ない記録しかない。ともかくそこから先は、一般に知られている通り。五帝国は定期的にDloopから依頼された資源を渡し、代償としてオリハルコンを受け取り怪人を委ねる。それだけの関係が始まった」


「具体的に、どのような資源が提供されているののですか」


「内務省の記録にあるが、昔から同じだ。鉄鉱石、石炭、硫黄、鉛といった鉱石類と、人的資源。君たちの一般的な工場で用いる資源と、ほぼ同じだ。量はそれほど多くない。年間五十万円程度の予算だ」


「食料は?」


「D領で働いている数百人分の物だけだね」


「つまり彼らは、非常に少ない数しかいないか、あるいは――」


「人の食べるような物は、食べない」


 言った知里に、利史郎は人差し指を向けて同意しつつ続けた。


「彼らは一体、何人いるのでしょう」


「どうだろうね」と、フクロウ博士。「Dloopは多くても、同時に二体か三体程度しか見られていない。仮面やローブの図柄は五種類ほど記録されているが――それで全てかは不明だし、個人ではなく種族や職種を表しているだけなのかもしれん。わからんね」


 ふむ、と考え込んだ利史郎に、フクロウ博士は怖ず怖ずと付け加えた。


「というくらいだね、私が積極的に伝えられる事は」


 確かに、そこが問題だ。知っていてもそれが重要ではないと思っていれば、些末な事としてわざわざ口に出さないし、そもそも思い出させないことも多い。


 利史郎は記憶を改め、フクロウ博士の記憶を刺激する事柄を探す。


「では、五帝国会議については。それもDloopが対人類の交渉の場として作らせたといいますが」


「それも不正確な情報しかない。Dloopの指示とも、五帝国――当時の五カ国が話し合って勝手に作ったとも言われる。何しろ二百年も前の事だ、既に五帝国自身も忘れ去ってしまっているかもしれんが、そもそも異質な存在に抗うことが出来ないという屈辱もあり、積極的に忘れたのかもしれん」


 それについては、ミッチーこと大久保候と話した事がある。何か記録や言い伝えは残っていないのかと尋ねた利史郎に対し、こう言っていた。


「手紙や何やらは沢山ありますけどね。前に帝国図書館が研究のためって五年がかりで整理してましたけど――あの西郷さんとのヤバいやりとりの手紙は出てきたってのに、Dloop絡みは一切なかったそうですよ。それで曾爺さんが言ってました。『その件については何度も好奇心で尋ねたが、利通候は一切口にしようとしなかった』って」


「大久保家では、禁忌なのですか」


「禁忌ってか、悪い冗談にする人はたまにいますけど。でも、そもそもD領は戊辰の時に蝦夷で見つかったでしょ? そんで利通さんは蝦夷に籠もった幕府連中を攻めようとしてたのに、米英の忠告ってか干渉もあって出来なくなって、Dloopとの折衝するために大鳥の言う独立を認めるしかなかった訳じゃないですか。相当に悔しかったんだろうと思いますよ。知っての通り、利通さんは執念深かったみたいだし。それでさっさと忘れたかったんじゃないすかね」


 この程度だ。当時の政権の中心にあった人物の子孫ですら、何も聞いていない。


 この筋は行き止まりだと感じ、利史郎は別の疑問を口にした。


「Dloopは土星の衛星から来たと言われていますね。これについては」


「実はそれも、確たる裏付けはない。ただテキサスのD領に入った役人の証言、という代物が新聞に載っただけで、CSA政府はそれが正しいとも間違っているとも言っていない。しかし――Dloopが地球外から来たというのは確かなんじゃないかな。旅客飛行船のパイロットによって、オーニソプターが尾から火を噴いて空高く消えていくのが何度も目撃されている。それだけの事が出来る存在が、古くから誰にも知られず地球上に存在していたとは。とても思えん。むろん、彼らと太古の神々、あるいは怪人とを結びつける論説もあるが――どうだろうね。神々ならもう少し、良かれ悪しかれ人類と接触すると思うが」


 だろう、恐らく、不正確。そればかりだ。


 本当に、何もない。フクロウ博士が〈不正確〉とする情報を山羽美千代が活用できたとも思えない。唯一利史郎が把握しておらず、かつ確度の高い情報は、〈黒い灰〉。それくらいだろうか。


 しかし〈黒い灰〉の伝承から、対抗薬を思いついたとも思えない。


 他に何か、山羽美千代が注意を向け、利史郎にそれが出来ていない点はないだろうか。そう必至に考えているさなか、ふと知里が口を開いた。


「D領は、昔からあの状態なの? それとも大きくなってる?」


 フクロウ博士は利史郎と共に、首をかしげる。逆にそれで戸惑った様子をしながらも、彼女は続けた。


「山羽美千代は以前、五カ所のD領全てに行っている。そこで何かを見つけたとか?」


 確かに、その行動もあった。


「ですがD領に行ったところで、何か新発見があったとは思えませんが。あれば誰かが記録に残しているかと」


「じゃあなんで、山羽美千代はわざわざ地球を一周するほど移動してD領全てを見に行ったの?」


「それは――感傷的な意味があるかも――」


「それはないんじゃないかなぁ」ふとハナが口を挟んだ。「美千代ちゃんって、それなりな技術者っぽいし。ほら、技術者ってさ、実際に手を動かすのが習性みたいなもんだから。わざわざ移動しなくても記録に残ってるならそれを読めばいいと思うはずだよ基本。時間がもったいないもん。だから私も旅行って嫌いだし。つまりその子が実際に目で見なきゃと思ったなら、そこに意味はあるはず」


 ハナがそう言うなら、間違いないだろう。


「もう一度、蝦夷に行ってみるべきでしょうか」


 考え込んだ利史郎が言うと、再びフクロウ博士が咳払いしてから言った。


「とりあえず、知里さんの質問に答えよう。D領の外観は二百年前に描かれたスケッチから大きく変わっていないらしい。恐らく変わっていないのだろう」


「私、D領って行ったことないんだよね。どんなとこなの?」


「少なくとも蝦夷はクソ寒いし、地震が多い」ハナの疑問に、知里が素っ気なく答える。そこで彼女は自ら不思議そうにして目を上げた。「あの地震って、何なの? 他のD領でも地震があるの?」


 その問いにはフクロウ博士が簡単に応じた。


「あぁ。D領では全て、地震が多い」


「たまたま?」


 フクロウ博士からの困ったような視線を受け、利史郎は仕方なく応じた。


「以前からDloopが何かしているんだろうと言われているようですが――」


「連中はあの壁の中で、何をやってるの? あの工場で何を作ってるの?」


「さぁ。地下から何かを掘り出しているか、何かを作ってるんでしょうか」


「地下に石炭か、金でもあるの? それを二百年も掘り続けてる?」


 言われてみると、確かに奇妙だ。ふむ、と考え込むと、ハナが頭を振りつつ言った。


「でもあんな羽ばたき機械を飛ばせる連中が、わざわざ金や石炭を掘るために地球まで来るとも思えないけどね。土星でしょ? 木星も、火星もある。だいたい金なんて、実利的な価値なんて皆無だよ? 石炭だってオーニソプターの燃料になると思えないし」


「彼らは人類に、オリハルコンを提供している。それを作っている訳ではないんですかね」


 尋ねた利史郎にも、唸りつつ否定する。


「って言っても、全世界で年に一トンもないくらいだもん。あんな馬鹿でかい工場なんて必要ないはずだよ――馬鹿でかいんだよね?」


 利史郎は鞄を探り、資料ファイルを取り出す。そして中に挟んでいた十枚ほどの写真を差し出すと、ハナはそのセピア色に劣化した紙に目を細めながら言った。


「――へぇ。ここまで色々な角度で撮られてるのは初めて見た」


「それもやはり、帝国によって意図的に遮断されてますからね」


「なんか知らないけど、すんごー」


 感嘆の声を上げ、食い入るように写真を眺め続ける。そこで利史郎は別の疑問を口にしようとしたが、その前にハナは選び出した数枚を指し示し始めた。


「おー、これは発圧所みたいだね。蒸気出てる。これは高炉っぽいし、それでこっちはまさか――蒸留塔? こんな馬鹿でかい? でもそれっぽいなぁ。すっかり過去の遺物だと思ってたけど、Dloopは何に使ってるんだろ」


 彼女が指し示しているのは、D領の中でも特徴的な円筒形の塔だった。


「姉さん、この工場の仕組みが、わかるんですか」


「まさか。それっぽいって言ってるだけだよ」


「でもその、蒸留塔? というのは――何か妙なんですか」


「妙だよー。だって用途が微妙だもん」


「用途が、微妙?」


「そ。昔はアメリカででっかいのが作られてさ。それの記録は見たことあるんだけど。でも〈石油〉はすぐに枯渇しちゃったから――他にはお酒を造るのにも使われるけど、まさかDloopがそんな大酒飲みとも思えないし――」


 〈石油〉。


 その単語を聞いた途端、心臓が猛烈に収縮し、逆に脳から血が失せ、視界が一度に狭まった。膨大な記憶、記録、言葉が交差し、一点に集まっていく。それはDloopと会話した時の感覚に近かった。間違いない言葉。間違いない要素。それが唐突に示され、利史郎は理解する。それが――間違いなく唯一の物だと。


 そうだ。石油。確かそれは、黒くて粘性があり、液体の石炭のような物だったはず――


「姉さん、姉さん」利史郎は無意識に立ち上がり、フクロウ博士の資料棚の中で一際注意深く置かれている一本の瓶を取り、ハナに差し出した。「姉さん、これが何に見えます」


 彼女は怪訝そうにしつつも瓶を手に取り、振り、斜めにし、底から眺め、完全に密閉された蓋に鼻を近づけ――そして最後に、言った。


「石油じゃないの?」


「それって――」


 知里が眉間に皺を寄せて言う。利史郎は震える手で瓶を掲げ、ラベルを改めた。


「えぇ、そう。これは石油じゃない――僕らにとっては、〈黒い血〉として知られる物です」

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