3. からくり

 平日で大雪というのもあって、浅草は閑散としていた。物売りの姿も殆ど見えず、車引きたちも暇そうに寄り集まり、代わる代わるキセルを吸っている。とても利史郎の凝り固まった頭を解せそうな雰囲気ではなかったが、こんな時こそ行くべき場所がある。花やしきだ。


「まさか、本気ですか。お上りさんじゃあるまいし」


 いつもは大勢の観光客が順番待ちをしている受付も、今はガラガラだ。苦笑いで立ち止まる利史郎の背を押しつつ、ハナは言う。


「何言ってんの。今は普通に帝都の若者も来るんだよ?」


「僕は気が進みません」


「まぁまぁ、そう言わずに」


 一円で大人二枚。目論見通り、どの見世物も待ち時間は殆どなかった。ライオンの火の輪くぐり、ヤマガラの芸、そして今話題なのはトラの五つ子だ。さすがにここは人だかりが出来ていて、利史郎に脇を抱えて持ち上げてもらわないと見えなかった。続いて向かうのは、定番のお化け屋敷。さすがに昼間からだと警戒心が薄れてしまうが、それでも怖いものは怖い。ここは来る度に違う趣向がこらされていて、今日は入った瞬間から白い布のお化けのようなものがつかず離れず追ってくる。最初は馬鹿馬鹿しくて笑っていたが、次第に怖くなってきて自然と駆け足で抜けてしまった。他にも観覧車やメリーゴーランドといった遊具を経由して、最後に足を向けたのが活人形エリアだ。ゼンマイや蒸気で動く様々な機械が置かれていて、ガチャガチャドンドンと耳にするだけで興奮する音を立てている。作者の工夫も凄いもので、舞台の上で踊る人形が突然化け物に変化したり、どこにも動力がないように見える鉄の玉が延々とフープの中を動いていたりする。そのどれもが今となっては仕組みを想像出来るが、未だにわからない物も幾つかあった。


「姉さん、この出し物が好きでしたよね。昔から」


 台の上で踊っている人形が、上から幕が降りてきた瞬間に消えてしまう。床に切れ目はなく落としようはないし、一体どういう仕組みだろうと眺め続けつつ応じる。


「そうだっけ?」


「いつまで経っても離れようしないものだから、花田さんも困ってお菓子で釣ろうとするんですけど、全然効果がなかった」懐かしい子守の女性の名前に、彼自身が感慨を受けたらしい。笑い声を上げて続ける。「懐かしいですね花田さん。今頃何をしてるでしょう」


「亡くなったよ。知らない?」


「――え、そうなんですか」


「一昨年だったかな。結核で」


 話したような気がしていたが、忘れていたらしい。そうですか、と彼は声を落とし、ハナと並んで手すりに寄りかかりつつ言った。


「池上象二郎氏の薬。やはり本物だったようです。フクロウ博士によると、結核や肺炎に覿面の効果があるとか。今は医学院で調べられていますが、あれがもっと早く世に出ていれば、花田さんも死なずに済んだかもしれない」


「かもねぇ」


「そう、結核ですよ。ここ何十年も、帝国の死亡理由の一位に居座り続けていた結核。それが本当に池上氏の薬で全て救われたなら――姉さん、前に言っていましたよね。もし山羽美千代さんの〈機関〉が本物なら、世界は一変する――農業の収穫が増え、新しい薬が発明され――」


「言ったね」


「姉さんはそれ、良いことだと思いますか」


 また世界のお話だ。ハナはウンザリしつつ応じた。


「止しとくれよ。そんなこと考えたくないよ私は」


「何故です。姉さんは既に、試作とはいえゼンマイにもの凄い改良を施してる。あれが全世界に広まれば、そういうことも考えざるを得なくなるじゃないですか」


「考えるってのは責任を負うってことだよ。だから私は考えないし、考えたくない」


「――それって、酷く無責任のように思えます」


「なんで私が全世界の行く末なんかに責任を負わなきゃならんのよ。そういうのは議員先生や王様がすることでしょ?」


「でも、彼らが間違った判断を下したら――?」


「みんなで寄ってたかって吊せば? ヨーロッパみたいに」


「そして僕ら全員が責任を負うことになる」


 利史郎は大きく息を吐き、暗い顔で考え込む。


 まったく、せっかく発想の転換を促そうとしたのに、まるで効果なしだ。ハナは無理に声を変えて正面を指した。


「それよりさ、これ、どうなってんだと思う? 何処にも隠せるとこなんてないのに、一瞬で人形が消えちゃう。凄くない?」


 利史郎は目を上げ、軽く眺めただけで答えた。


「鏡です」


「鏡?」


「舞台が二つあるんです。今見えているのは人形がいる舞台。それが――」上から幕が落ち、人形が消える。「鏡の角度が変わって、人形がない舞台が見える角度に切り替わるんです。ほら、装置の脇には壁があって、この正面の角度からしか見られないようになっている。舞台が暗いのも明かりの反射を防ぐためです」


 言われてみると、上から幕が落ちてくる瞬間に舞台全体が瞬く。なるほどなぁと唸りながら腕を組むハナに、利史郎は続けた。


「姉さんは機械に詳しいから、機械的に見える問題は機械でどうにかしていると思い込んでしまうんです。実際は手品なのに」そこで何か、思い出し笑いをする。「前に面白いことがありました。鍵のかかった地下室に入ろうと姉さんからもらった解錠装置を仕掛けて待っていたら、知里さんが斧を持ってきて振り下ろした」


「知里っちらしいねぇ」


「えぇ。彼女は面白い人です。不思議な視点を持っていて、何度も驚かされた」


「今、何してんの? 最近見かけないけど」


「休暇を取っているようです。詳しくは知りません。僕は見捨てられたようで」


 あり得なくはない。ここのところの利史郎は常軌を逸している。実利的な知里は付き合っていられないだろう。


「ま、なんにせよ。素人の方が真理を見通すって事は、よくあるからね。細かい事がわかんない方が、全体に気を配りやすいし。知里っちは学がない分、そういうのが得意なんだろね」


「それが不思議なんです。彼女は確かに労働者階級の立ち振る舞いをするのに、とても学がないようには見えなくて。一体何者なんだろうと――」


 そこで言葉が途切れ、ふと利史郎を見上げる。すると彼は手すりを掴んだまま凍り付いていて、瞬き一つしない。大丈夫だろうかと手を目の前で振ると、彼はその手首を掴んで向き合った。


「姉さん、Dloopとは何者です」


 また面倒な事を言い始めた。こういう時は、とりあえず適当な事を答えておくに限る。


「えっと、土星人?」


「正確には土星の衛星、タイタンの住人と言われます。しかし、タイタンとはどんな所です? 暑いですか。それとも寒い?」


「何の話?」


 利史郎はハナの手首を捉えたまま、ずかずかと歩き始める。


「僕はずっと、僕の推理に確信を持てずにいた。なぜならDloopの思考が、僕の想像の及ばないほど広大だからです。だから僕は、今までに彼らが世界に及ぼした影響を調べることで、彼らの思考を理解しようとしていました。そうすれば自分の推理にも確信をいだけるようになる――そう漠然と考えていたんです。それが山羽美千代さんの願いを叶えることにもなる――かも、しれないと。


 しかしそんなことは無意味だった。姉さんの言った通りです。僕は近視的すぎた。何しろ僕は、〈Dloopとは一体何者なのか、まるで知らないのです〉。それでは確信なんて、絶対に得られるはずがない」


 確かに、それは大問題だ。


 花やしきを飛び出し、利史郎はすぐに辻馬車を捕まえて新宿へと向かわせる。ハナは彼の向かいに飛び乗りつつ首をひねった。


「でもさ、私もオリハルコンがなんなのかわかんないまま使ってるよ? だってわかりようがないんだもん。Dloopの事だって、私らにはわかりようが――」


「えぇ。僕らはみんな、その固定概念に縛られているんです。『オリハルコンはよくわからないが、便利に使える物。だからそれを超える金属なんて考えられない。そしてその供給者であるDloopは得体の知れない異星人であり、強力な力を持っている。下手に関わって怒りを買っては世界が破滅する――だから見ない、触れない』。そう、これは二百年間も人類を縛り続けた、強大な束縛です。美千代さんが言っていたのは、このことだったんです。ですが一度それを離れてみると――気づく事が幾つもある。僕らには重大な手がかりがあるんです」


 それきり利史郎は黙り込み、爪を噛みながら窓の外を見つめる。きっと頭の中で、新しい視点で膨大な記憶を突き合わせ始めたのだろう。


 行き先はわかっている。フクロウ博士の屋敷だ。


 けど困ったな、と思いながら、ハナは渋々言う。


「あのさ、弟君。色々と大変そうだから黙ってたんだけど――ちょっと、フクロウ博士は今、問題なんだよね」


「問題? 何がです」


「それはその――まぁいいや、行けばわかるよ」


 とても上手く説明できる気がしなかった。首をかしげる利史郎に冷や汗をかきながら笑みを浮かべて見せて、ハナは鞄からリンゴを取り出して丸かじりした。

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