四章 大戦前夜

1. 大戦前夜

 川路武雄は今日も電報テープの貼り付けられた紙を読む。綺麗にタイプされた軍部からの日次報告もあったが、それでは状況に対処するのが難しくなっている。不確かなものであっても全ての情報に目を通さなければ危うい。それほどに大英帝国の進軍速度は驚異的で、開戦から僅か一月で東海岸の北部諸都市は陥落し、CSAの中心である南部に迫っている。


 原動力となっているのは、レヘイサムを首魁とする独立軍だ。英国側の形勢が不利になると度々現れ、敵の背後を突き、要塞を壊滅させる。CSAもその存在に気づいてはいたが、あくまで大英帝国の精鋭による遊撃軍だろうという認識しかないようだった。その戦力も根拠地も把握できておらず、されるがままになっている。


 川路としても、あえて彼らの情報を開示する必要性を認めなかった。CSAの太平洋進出は長年の懸案事項だった。彼らの肩を持つ義理は大日本帝国にはなく、さりとて表だって敵対する理由もない。軍部ではこれを機にカルフォルニア共和国など西海岸諸国を支配下に収めるべきだという声が高まっていたが、川路と外務省はそれを懸命に押さえ込んでいる。大日本帝国はアジアとオセアニアの面倒を見るので手一杯だ。太平洋を隔てた違う文化圏を安定して統治できるはずがない。


 だがここに来て、ロシアとオスマンが妙な気を起こし、勝手に軍部に接触している気配がある。彼らの狙いはCSAの蚕食ではない。快進撃を続ける大英帝国を、脅威に感じ始めたのだ。


「大使。ちょっといいかな」


 扉がノックされ、赤ら顔が隙間から覗いてくる。もはや最近はアポイントメントを取ることすらしない。ロシア大使ペリーエフはするすると室内に入ってきて、川路が隠そうとした電報を盗み見る。


「あぁ。シカゴもあっさり落とされたか。さすがにあそこは手間取るだろうと思ったが――」


「元々カナダ自治連合はイギリス寄りでしたからね。彼らが力を示せば、CSA側に付く理由がない」ふむ、と唸るだけのペリーエフに、仕方がなく川路は尋ねた。「それで、ご用件は」


 再び、ふむ、とペリーエフは喉を鳴らす。そして窓際にあるドリンクを目ざとく見つけ、勝手にウィスキーを注いで喉を潤す。


「先日、奈良原海軍大将と会った」


 そんなことは、とっくに把握している。


「それで?」


「例の新型飛行戦艦を自慢していたよ。早く実地で試してみたいと」


「――それで?」


「なぁ川路大使。この際、ざっくばらんに話そうじゃないか。モリアティをどうする。このまま増長させておくつもりか?」


「我々には関係ありませんので」


「それは君らは地球の正反対にいるからそうかもしれんがな。昨日の事をどう思う。奴め、偉そうにペルシャから手を引けだなどと」


 まったく、関わりたくない。どうして日本がペルシャの心配などしなければならないのか。


「パシャ大使も苦い顔をしていたじゃないか。そもそもオスマンはイギリスがメソポタミアにいること自体が気に食わんのだ。いっそのこと中東は我々が――」


「お好きにされればよろしい」


「つまりそれは、日本はシベリアには手を出さんと。そういうことか?」


「誰もそんなことは申しておりません」


「なぁ川路大使。これは一国の利害の問題ではない。世界秩序の問題だ。このままイギリスが北米大陸を支配したら、日本だって困るだろう。インド、オーストラリア、アメリカ。三方から包囲される形になるのだぞ?」


「勝手に潰し合え――私は散々調停を主張したのに、あなたはそう仰った」


「ここまでCSAが不甲斐ないとは思わなかった。それは大使だって同じだろう」


「ま、今は何とも申し上げられません。これから別件がありますので。お引き取りを」


 ペリーエフは何か言いたげに立ち尽くしていたが、結局はグラスを掲げ、一息に飲み干し、背を向ける。そこに川路は声をかけた。


「奈良原大将は、もう貴方にはお会いしたくないそうです。迷惑だと」


 ふん、と苦笑いし、太ったロシア人は去って行った。


 困ったものだ、と思いながらため息を吐き、額に手をやる。


 内務卿の意思は明確だった。局外中立だ。従来の分析では、大日本帝国の生産能力は他の帝国の半分ほどしかない。千代田級はローマ共和国や非同盟諸国に対するハッタリであって、あんな飛行戦艦二隻程度を深刻な脅威として捉えている帝国はない。それがたとえ打ち負かされつつあるCSA相手だろうと、対帝国戦争など遂行不可能なのだ。


 それはわかる。川路としても同じ意見だった。しかしペリーエフの言うことも十分に理解している。ここのところの大英帝国は――モリアティは勢いに乗っていて、放置しておけばどうなるかわからない。CSAを平らげた後は、帝国最弱の日本に矛先を向ける、という事になっても不思議ではない。


「カルフォルニアは、一体どちらの味方なのだ?」この日の非同盟諸国を交えた大会議でも、彼は血気盛んだった。「どうしてまだCSAに港を使わせている。前々から我々は懸念を表明していたはずだ。太平洋艦隊など連中の肥大した野望を象徴するものであって、百害あって一利なしだとな!」そして困り顔を続けているブラジル大使にも指を向ける。「それに南米もだ! 君らはいつまでCSAの腰巾着を続けるつもりだ? ブラジル帝国の名が廃るぞ。我々は新大陸の秩序維持は、CSAではなく貴国こそ最適だと以前から考えていた。さぁ、そろそろ決断を下せ! CSAと縁を切るのだ!」


 劣勢に立たされているとはいえ、さすがにCSA大使バートレットは黙っている訳にはいかなかった。


「ふざけるなモリアティ! 肥大した野望という言葉は、貴様にこそふさわしい。一体何処まで戦火を広げれば気が済むのだ?」


 互いに掴みかからんばかりの言い合いが始まる。ここ一月は、常にこんな状況だ。


 だがやはり、最近のモリアティの言動は危うい。以前までは酒好きの気のいいイギリスの田舎貴族という風でしかなかったのに、まるで人が違ってしまっている。ここのところ彼の声望は本国でも高まっていると聞く。もし彼の意見がウェストミンスターで重視されているのだとすれば、日本にとっても先行きは非常に暗いとしか言い様がない。


 それとなくそういう分析を内務卿と外務卿に送ってはいたが、ではどうする、と問われても、川路に名案はなかった。ロシア、オスマンと組んで圧力をかけるタイミングは、完全に逸してしまっている。モリアティを止めるのはもう、戦火を交える覚悟がなければ不可能だ。しかしペリーエフもパシャも、他の帝国を焚き付けるだけで自らが先頭に立ちイギリスを封じ込めようという気概はない。そう、外交というのは利害計算だけではない。結局はその場に立つ人間の資質に大きく影響されてしまうのだ。そして今は、狂気に支配されているモリアティに対抗できる人物は、ここにはいない。


 もし大日本帝国に出来る事があるとすれば――それはレヘイサムの軍隊を封じること。それだけだ。かの独立軍がモリアティに手を貸せなくなれば、戦線は膠着し停戦の機運も高まるだろう。その可能性に賭け桜田門に捜査を急かしていたが、未だ調査中というだけで進展している気配がない。


 どうやら川路が思っていた以上に、あの帝国山羽重工の事件における利史郎の役割は大きかったらしい。それで川路は利史郎宛てに進捗報告を求める手紙を送ったが、未だ返事はない。


 まったく、どうしたものか。


 川路が未だに一縷の望みを抱いていたのは、Dloopだ。彼らは安定を望んでいるはず。そう信じていた。もし彼らがD領から、あの数機のオーニソプターを前線に向かわせれば、それで戦争は終わる。


 しかし彼らは相変わらずD領に引きこもり、以前以上に姿を見なくなってしまった。日に一度は見かけていた飛行機械も発着の頻度が落ちているように見える。


 一体何が、どうなっているのか。


 何度かアダル大使に面会を希望してみたが、反応はない。


 やはり唯一残された伝手は、息子の利史郎だけだ。川路は紙とペンを取り、文章を綴る。


『リシロウノ ジョウキョウ カクニンシ ホウコクセヨ』


「大鳥さん、これを娘のハナに」


 言って書記官に渡し、腹の上に手を組んで椅子を回し、窓の外に広がる曇り空を見上げた。


 今日もまだ、飛行機械の轟音を耳にしていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る