8. 機関と帝国

 飛行船がいくら進化したとしても、いまだ帝都から満州長春までは丸一日かかる。その前半は主に、ハナが蒸気機関と飛行船の関わりについての独演会を実施していた。それは利史郎が望んだものだったが、一時間もすると話が専門的になりすぎ、とてもついて行けなくなってくる。


「要するに全ての問題は石炭なんだな」しかし重要な点は抑えたつもりだった。「石炭の持ってるエネルギー量、そしてその重さ。いくら蒸気機関が軽くなってエネルギー変換効率が高くなったとしても、全ての移動機械は石炭の重さに制約を受けるんだよ。CSAは浮き袋を使わないで空を飛べる〈飛行機〉を研究してるけど、最初から実用的なのは無理って結論になってんだよね。っていうのも二百年前にジェームズ・スコット・ジュールって人が熱の仕事当量の計算の仕方を編み出して――ってまぁそれは長くなるから省略するけど、それによると蒸気機関グライダーは何十メートルかは飛べるけど、長いこと飛ぶにはそれだけ石炭を積まなきゃなんないんだから、まぁ重くて無理って結論。ほら、こないだ新しい飛行戦艦出来たじゃん。千代田。普段は蒸気機関で飛んで、戦う時は予め巻いておいたゼンマイも使って速力を上げる。賢いね。あれがまぁ、蒸気機関を使って戦争するにはいいとこだよね。あれ以上は、それこそ飛行機を実用化するには、もっと仕事当量の高い燃料を使わなきゃ無理。例えば油とか。でも戦争のために菜の花畑をどんだけ作る気? って話。馬鹿馬鹿しいよね、費用対効果が合わないよね」


 そこでふと、利史郎は考える。


「ですが姉さん、山羽美千代の〈機関〉だったら?」


 一方的に話し続けるだけだったハナは、不意な突っ込みを受けて沈黙する。そして二、三度首をかしげてから、腕組みしてため息を吐いた。


「その〈機関〉ってのがどんだけ強力かわからない現状じゃあね。だいたい燃料がなんなのかもわからないし。でもさ、そんだけの〈機関〉があったら、空を飛ぶよりももっと有用な使い道があると思うけど」


「例えば?」


 そこで改まったように、ハナは利史郎を見つめた。


「結局〈機関〉ってのが何なのか、弟君は理解していないと見える」


「――えぇ、わかりません」


「素直でよろしい。ではこのハナちゃんが講釈してしんぜよう。〈機関〉とはすなわち、〈物質に蓄えられている運動量を再生する〉という人類史上最高の発明品なのだよ」


 運動量を再生する。


 いまいち腑に落ちない利史郎に、ハナは指を立てて説明する。


「蝦夷地は今でも未開の荒野が広がってるでしょ。なんで開拓しないの?」


「それは――人がいないから、でしょうか。今でも開拓団が募集されていますし」


「じゃあ人に求められてるのは何? いや答えなくていいよ、連中に求められてるのは、木を切って畑を耕す〈運動量〉。それはいい?」


「まぁ、最終的には、そうなんでしょうね」


「では人に運動量を与えるのは何か?」


「それは――食料でしょうか」


「その通り。つまり人は食料を食い、蒸気機関は石炭を食って動く〈機関〉と言える」乱暴かも知れないが、そうなのだろう。「ここで面白い記録がある。その物質が蓄えている運動量をカロリーっていう値で示せるけれど、石炭は一キロで6000キロカロリーほど発揮できる。そして人の主食である米は――どれくらいだと思う?」


 なんとなく、話の筋は読めてきた。


「相当に低いんでしょうね」


「なんと1500キロカロリーしかない。つまりだよ弟君、同じ重さの燃料を帝都から蝦夷に送ったら、蒸気機関は人の四倍働けるんだよ。まぁ人は寝たり遊んだりするのにもエネルギーを使うから、実際にはその倍くらいはある。加えて問題なのは、米を一キロ、石炭を一キロ作り出すのに必要なエネルギー量だ。これは複雑な計算になりそうだけど、簡単な考え方がある。値段だよ。米は現状、一キロで五円する。そして石炭は? なんと一円。つまり合算すると――蒸気機関は人間機関より、四十倍も効率的な〈機関〉だと言えるワケ」


 ふむ、と利史郎は考え込む。確かに蒸気機関は漠然と受け入れていただけで、その本質はあまり理解していなかったらしい。


「つまりこういうことですね。根本的な〈機関〉の重要性は――〈機関〉は燃料という形で保存された運動量を、別の場所で再生させることが出来るという点。そしてそれは燃料の持つ単位質量当たりのエネルギー量が大きければ大きいほど効果的である」


「その通り! それで話は戻るけどさ。山羽美千代ちゃんの発明した〈機関〉だけれど、燃料の持つ質量当たりのエネルギー量――これはエネルギー密度って言うんだけど――それと価格がわからないと、真価はわからない。でも仮にそれが石炭の倍もあったら――そしてそれが石炭と同じくらい安かったら――浮き袋がなくても空を飛べるだろう。でも、それは本質じゃない。石炭の倍、効率的な〈機関〉。それはつまり、人類の拡張速度を倍に出来るんだよ。蝦夷や満州の荒野も、呂宋のジャングルも、ビルマの湿地も――今の倍の速度で農地になっていく。すると人口がどれだけ増える? どれだけ暇人が増えて、学問し始める? 蝦夷も、満州人も、呂宋人も、みんな日本人と同じくらい――あるいはそれ以上に学を持つ。それで新しい薬、新しい肥料、新しい機械がどんどん発明されて、それで世界は――どうなる? 帝国の優位性はなくなって、みんな好き勝手し始めて――とか考えるとさ。恐ろしい話だよね」


 ふと悪寒を感じ、利史郎は腕を抱いた。


 とてもそんな世界は想像出来ない。


 更に恐ろしいのは――ハナはあえて、その可能性を無視したがっているようだが――本当に恐ろしいのは、そのエネルギーが全力で諍いに向けられた場合だ。長年夢見られては忘れられてきた飛行機、戦車。そうした物が実際につくられるようになれば――戦争の規模は倍どころでは済まなくなる。


「ひょっとしてDloopは、それを恐れているんでしょうか。確かに美千代さんの〈機関〉は、Dloopの持つ物と比べれば玩具のようなものでしょう。しかしそれを元にどんどん人類が拡張していけば、いずれ彼らとの利害が衝突する事になるかもしれない。彼らはそれを恐れてる――」


「どうかしらね。でも私には、人類同士が潰し合う未来が見える」


 知里は言って、ラジオのボリュームを上げる。どんなニュースでも常に平静でいたアナウンサーが、この時ばかりは緊張を含ませて原稿を読み上げていた。


『繰り返します。本日午後開かれていた五帝国会議にて、アメリカ連合国はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国に対し宣戦を布告しました。それに伴いCSAは他の帝国に対し憲章第三条の確認を求め、ロシア、オスマン、そして大日本帝国は宣言を実施しました。政府はCSAおよび大英帝国に居住する帝国民に対し平静を呼びかけていますが、カリブ海に居住する――新しいニュースが入りました。宣戦の布告を受けた大英帝国は、カリブ海に艦隊を派遣。その一部は既に北アメリカ大陸の東海岸に上陸した模様です。一部では激しい戦闘が行われているとの報告もあり――』


「中立宣言、しちゃったんだ。ミッチー、ちゃんと父さんに言ってくれたのかな」


 ハナが果物籠からリンゴを取り上げつつ言う。利史郎は窓の外に目を向けた。既に飛行船は朝鮮半島に辿り着き、雪に覆われた土地を北西に向かって進んでいる。


「そもそもレヘイサムが何を狙っているのか、未だにはっきりしない。彼はどうして大英帝国に手を貸しているのか。それがわからないうちは、父さんも迂闊には動けないでしょう」


「それよ。それが一番の問題。分離主義者が帝国に手を貸すなんて、誰が考えられる? それで私たちは随分遠回りすることになった。何故?」


「あくまでも想像ですが――彼は安定した五帝国体制を破壊しようとしているのではないでしょうか。戦争が広がり混乱が続けば、属国が帝国の軛から逃れるのも楽になる。それは歴史が証明しています」


「どうかしら。誰が帝国からの離脱なんて望んでるの? レヘイサムの組織なんて、百人いるかいないかって程度の物なのに。帝国が動揺したら、あいつに蝦夷の三十万がほいほいと続くとでも? もしそれを狙ってるのだとしたら、あいつはやっぱり相当の馬鹿」


 意外に思って、利史郎は知里を見つめた。


「てっきり知里さんは、分離主義とはいかないまでも――反帝国なのだと思っていました。まさかそんなことを言うとは」


 知里は例によって鼻を鳴らし、窓から下界を見下ろした。


「世の中、馬鹿が多いのよ。まだ帝国は賢い。少しだけ、だけどね。何故だかわかる? 今の帝国は差別はするけど、表だって殺しはしない。生かさず殺さずを心得ていて、どんな民族だろうと利用する。民族主義は? きっと蝦夷が反乱を起こして独立したら、真っ先に倭人が虐殺される」


「――それは、極端な見方かと」


「そうかしら? それこそ歴史が証明してるはずよ。西欧は共和国連合としてまとまるまでに、どれだけ戦争と民族浄化を続けた? 百年? 百五十年? それこそ植民地は離反して、石炭も使い果たして、今じゃ蝦夷以下の不毛の地じゃない。東欧も北アフリカも、早々に帝国の傘下に入って良かったと思ってるはずよ。どう? この歴史は、レヘイサム程度の力じゃ覆るはずがない。でも結局は――Dloopよ。連中がどう動くかで世界は決まる。ま、いずれにしても、私たちが世界情勢に対して出来る事はない。今は山羽美千代を追うだけ」


 相変わらず、この女性はとても経歴にそぐわない知能を持っている。一流の家庭教師に師事した華族の姫君であっても、この情勢分析は難しいだろう。とても天才では片付かない。


「あなたは、一体何者なんですか」


 長旅で手持ち無沙汰だったというのもあるだろう。利史郎は思わず尋ねてしまった。すると彼女は馬鹿馬鹿しそうに苦笑し、応じた。


「あんたこそ、何者なの。答えは見つかった?」


 これだ。頭の瞬発力では、とても知里には敵わない。利史郎は諦め、次々と新しい情報が報じられるニュースに耳を傾けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る