7. 宣戦布告

 会議は最初から紛糾した。モリアティの見るところ、CSA全権大使バートレットは完全に正気を失っていた。議題の説明からして要領を得ず、ただ顔を真っ赤にして唾を飛ばし連呼するだけだった。


「こんなことは、絶対に許容できない!」


 誰に対して言っているのかも不明確だった。それはそうだ、今回はCSA本土の造船所が襲われたということもあり、多くの情報がもたらされた。それによるとノーフォーク上空に黒塗りの小型飛行戦艦が現れ盛大に砲撃を行い、それと同時に蒸気戦車とおぼしき機械五台ほど、そして五十名ほどの超常的な身体能力を持つ歩兵が現れ、全てを破壊し尽くしたという。


『飛行戦艦は、明らかにロシア製の特徴あり。動力は山羽重工製オリハルコン二号機関に酷似。』


 この電報がバートレットを狂わせたに違いない。彼は全て、大英帝国の仕業と信じて疑わなかった。しかしそれが覆され――場合によっては五帝国中、三帝国が敵になっているかもしれない状況に陥っている。最悪な事態だ。モリアティでも同じ立場に置かれれば、本国からの強大なプレッシャーで狂っていたかもしれない。


「何のことかわかりませんな。誰かがウチの飛行戦艦を真似しただけでしょう」


 ロシアのペリーエフ大使は、相変わらずウォッカを飲みながらしらを切る。彼の場合、何処まで本当のことを言っているのかわからない。そもそも何も確かめず、適当な事を言っているだけかもしれない。


 それに対し、日本の川路大使は比較的読みやすかった。


「大使の仰るような組織については、我々は一切関与しておりません」


 彼は嘘は言わない。とても大使という役職にそぐわない資質だったが、それがいい方向に働くこともままあった。特に大日本帝国のような後進の帝国では、誠実さでもって中立を貫くのも悪くない手だ。そう、このような面倒な状況では特に、旗幟を曖昧なままにしておけるのはメリットになる。それ以上突っ込めばやぶ蛇かもしれない、という恐れを相手に抱かせるからだ。


 だがそうした姿勢では、今のバートレットは到底満足できない様子だった。


「待て待て大使、あなたは私の質問に一切答えてませんぞ。私は、あの飛行戦艦に用いられていたのは山羽の蒸気機関なのかと聞いたんだ」


 川路大使は少し間を置いてから答えた。


「不明です」


「不明? 不明だと? つまりあれか、あなたの国では、飛行戦艦に利用可能な最高級のオリハルコン蒸気機関が何処に輸出され、何に利用されているか、全く把握されていないと?」


「何処に輸出したかは把握しています。CSAにもここ三年間で、合計五基、提供している。それはそちらで開発中の新型戦艦で使用するとのことでしたが、我々も別に監査する権限が与えられている訳ではない。貴国が何かしら――例えば噂になっている飛行機というものの研究に流用されているとしても、我々には把握のしようがない」


 ほら見ろ、やぶ蛇だ。バートレットは歯ぎしりして黙り込む。その様子があまりにもおかしくて、モリアティは一緒に舞台で踊りたくなり声を上げた。


「バートレット君、少し落ち着いたらどうだね。川路大使の言うとおり、それが何処で作られたとか、今はそいうことを詮索しても仕方がないんじゃないかね? もう少し状況が明らかになるまで、調査を続けるべきではないかな。なんなら五帝国会議で調査団を送るのもいい」


「そうだ、それがいい」唯一部外者でいられているオスマンのパシャ大使が気楽に言った。「調査団を送ろう。あ、そういえばオンタリオやドミニカの調査団は、どうなっていたかな? あれを派遣したのはCSAが侵攻した時だったか? それとも無様に一掃されてからだったか?」


 ペリーエフとモリアティは追随して笑い、川路大使は相変わらず真面目ぶって黙り込んでいる。


 そしてバートレットは――両手で机を叩き、立ち上がった。


「モリアティ――この支配欲にまみれたクソ狸め。このまま我々が黙っていると思うなよ。私には権限が与えられている。私の気分一つで、二百年間保たれていた平和が――」


「平和だと?」モリアティも立ち上がった。「この世界の何処に平和があった。オンタリオは? ドミニカは。お前ら奴隷商人どもは、自らの力を過信した報いを受けておるのだ。身の程を知らない田舎者が我を忘れて――」


「我々アメリカ連合国は!」叫び、バートレットは宣言した。「我々アメリカ連合国は、現時点をもってグレートブリテンおよびアイルランド連合王国に宣戦を布告する。そして五帝国会議憲章第三条によって、他の三帝国に対しては局外中立の宣誓を要求する」


 ほほう、これは――本気で気が違っている。


 モリアティは湯気を上げそうなほど赤くなっているバートレットの顔を見つめた。独立部隊の背後に大英帝国が存在するという確証もないまま、こうした暴挙に出るとは。CSAの政治家共は、ウェストミンスターの連中に負けず劣らず阿呆ばかりらしい。


 だが、可能性として考慮はしていた。既にガスコイン候が手を回し、王立海軍と海兵隊がカリブ海に展開済みだ。命令があれば即、東海岸に上陸するだろう。


「宣誓する」真っ先にパシャ大使が言う。


「勝手に潰し合え」ペリーエフは吐き捨てる。


 そして川路大使は、俯いて黙り込んでいた。第三条は恐るべき世界大戦の勃発を防ぐために設けられた条項だ。Dloopの発案であるため、D条項とも呼ばれる。その内容は、帝国間戦争に関わる帝国に対してはオリハルコンの供給が停止されるというものだ。


 まさか日本が、CSAにつくはずがない。


 モリアティは確信していたが、問題は彼の生真面目さだった。彼は本気で――権力者としては異常とも思える態度で――平和を信奉していた。きっとこの期に及んでも調停の可能性を探っているに違いない。その彼が薄く口を開きかけた時、会議場の扉がノックされ係員が入り込んできた。その彼は議場の異様な空気に当惑しつつも、小走りで川路大使の側により何事かを耳打ちする。それを受けた彼は眉間に皺を寄せ、議長の権威である木槌を叩いた。


「ここで一時間の休会とします」


「休会だと? ふざけるな川路!」


 噛みついたバートレットに、川路大使は冷たい視線を向けた。


「私は五帝国の信任を得て議長となったのです。ご不満があるなら解任決議を起案してください」


 そうして大使は議場を後にする。パシャとペリーエフは呆れた様子で雑談を始め、バートレットは苛立ちながら葉巻に火を付ける。


 これほどの状況で休会を宣言するとは、どういうつもりだ。


 モリアティも不審に思い、議場を出て川路大使の姿を探す。彼は各帝国の随員や秘書で一杯になっている控え室から出て、冷え込んだ廊下に向かっていた。早速駆け寄ってこようとするラルフを片手で押しとどめ、一人で後を追う。すると彼は五帝国会議のロビーで、一人の若い男と会っていた。十代前半のようにも見えるが、その胸に付けている記章は豪華絢爛だった。一度挨拶した覚えがある。あれは大日本帝国の元老の家系である、大久保家の当主だったはずだ。


 最敬礼した川路大使に対し、少年は若いにも関わらず威厳に満ちた態度で頷く。そして彼を外に促すと、五七の桐紋章が描かれた馬車に乗せ、慌ただしく何処かへ連れ去っていった。


 何だか知らないが、気に入らない。


「川路大使、妙な気は起こさんのが身のためだぞ?」


 呟き、議場に戻ろうと踵を返す。


 その瞬間、モリアティは白装束の女の姿を見た気がした。目映いほど白い着物に黒い真っ直ぐな髪、そして奇妙なことに、両眼を白い布で覆っている。更に奇妙なことには、彼女は薄暗い和室に座っているのだった。その女は集中するように両手を膝の上に載せ、大きく深呼吸する。やがてぷつりと息を止めると、右手を差し出し、モリアティに向けた。恐るべき事に、その中央には大きな目が蠢いていて――こちらを真っ直ぐに見つめている。


 いや、そんな馬鹿な。


 思った瞬間、猛烈な目眩に足下が揺らいだ。すぐに何者かが駆け寄ってきて脇を抱えられる。その時には既に、モリアティは間違いなく五帝国会議の廊下に自分がいることを確信していた。


 今のは何だ。


 きっとジョンの仕業に違いない。こちらは約束を果たしたのだから、見返りを寄越せということだろう。異常者と人間のなり損ないの寄せ集め風情が、どこまでつけあがるつもりか。


 とにかく、もう少しだ。もはや事態は、後戻りできない所まで進んでいる。あの男が何を考えているか知らないが、CSAの挑発には成功した。あとは利用するだけ利用して捨てればいい。その時が来るまでは、あの異常者たちには幾らでも卑屈になろう。


「わかっている。そう急かすな」


 言いながら、モリアティは心配し脇を支えている随員を振り払った。

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