4. 繋がる記録
揺れを感じ、目を覚ます。最初は何かわからなかったが、サイドテーブルに置かれた水差しの水面が揺れるのを見て地震だと悟る。それはすぐに収まり、利史郎は眩しさに目を細めながら窓の外を見た。窺える低層の建物は全て新雪に覆われていて、キラキラと輝いている。その蒼い透き通る空を、銀色の機械が高速で過っていった。Dloopのオーニソプターだ。やや遅れて響いてきた轟音は、壁に掲げられている振り子時計を揺らす。七時だ。他には少年が一人、床の上で眠り込んでいるのが見える。厚く毛皮を被っていたが、その枕元に置かれているシルクハットで誰かはすぐにわかった。何度か呼びかけたが応答がない。まだ痛むだろうかと心配しながら少し大声で呼ぶ。
「大久保候!」
突然少年は身を跳ねさせ、中腰になって周囲を窺い、ようやく利史郎を目にとめて安堵の息を発した。
「良かった先生、超心配しましたよ! 今、すぐに医者を――」
「それより、今日は何日ですか」
「えっと――二月二日ですけど」
前の記憶から一晩だろうか。どうにも時間の感覚がはっきりしない。
「そうですか――しかし大久保候」すぐに厳しい表情で指を一本立てる彼に、言い直した。「ミッチーさん。どうしてここに」
「そりゃ先生と美千代さんが心配だったからっすよ! それにお伝えしたいこともあったし――なんかハナさんも来たがったけど、あの人寒いの超嫌いでしょ? だから向こうの調べ物は任せて俺だけ来たんす」
きっと大久保家は大騒ぎだろうなと思いつつ、利史郎は彼が携えているファイルフォルダに目を向けた。
「それで、伝えたい事とは?」
「山羽二郎の第一秘書ですけどね。知ってますか」
意外な名前に首をかしげる。二郎と田中久江がロシアに繋がっていると示唆した、あの行き遅れの女性。
「彼女が、どうかしましたか」
「二十世紀堂の親父さんと繋がっていました」繋がっていた、とオウム返しする利史郎に、タイプされた紙を差し出す。「岩山さんを見張ってたら餓鬼の使いが手紙を持ってきて。とっ捕まえて聞いてみたら、その第一秘書からだったようで」
「何が書いてあったか、わかりますか」
「それが岩山さん、読むなり炉で燃やしちゃったんです。相当深刻そうでした。それで差出人の第一秘書の方を調べてみたんですけど、彼女、山羽の番頭の娘らしいっすね。森房子っていって。親父さんについて子供の頃から五帝国中を回っていたようで――」
「待ってください。それはロシアも含まれますか?」
「えっと」ミッチーは利史郎に手渡した紙を覗き込んだ。「そこに全部書いてあります。十歳から三年、サンクトペテルブルクにいたようですね。それが?」
大問題だ。それだけロシアにいて、しかも番頭の娘とあれば、言葉程度教わっていないはずがない。
しかし彼女は、ロシア語はわからないと言っていた。
どうしてあんな嘘を? どうして岩山と繋がっている?
頭を抱えた利史郎に、ミッチーは心配そうに寄ってくる。
「大丈夫っすか? やっぱすぐ医者を――」
「いえ。そうじゃありません。すっかり混乱してしまって。他には?」
「えぇと、黒薔薇会で一人だけ何者かわからなかったおっさん、誰だかわかりました。伊集院昭典っていって、肥料や農薬を作ってる大東化学って知ってますか。そこの元社長です。パンク仲間の中に、そこの株主の息子がいて知ってました」
聞き覚えはある。一代で業績を伸ばした新興企業だ。
「しかし確か、大東化学の社長は去年亡くなったと――」
「いえ、死んではいないです。仕事は息子に任せて殆ど引退してたらしいんすけどね、去年失踪したって」
既に田中久江に始末されていた?
そう考える利史郎の心を読み、ミッチーは言う。
「いや、田中久江は無関係っぽいっすね。出雲に庵みたいなのを作って怪しい実験ばっかしてたらしいすけど、失踪する直前に面白い連中と一緒にいるのが見られてます。誰だと思います」
挑まれるということは、利史郎が知っている相手だということだ。
すると可能性としてありそうなのは――
「――ガスマスクの二人組?」
「さすが利史郎先生! そうなんすよ。だからひょっとしたら、こっちこそ本当にロシアに拉致されたのかも」ふむ、と唸る利史郎に続ける。「最後にこれはハナさんが芝浦製作所で見つけた女久重の記録類です。『まだ全部読んでないけど、とりあえず渡しとくー』って言ってました。これといった発見はないようですけど」
利史郎はファイルフォルダを受け取ったが、中身を改める気にならなかった。
何かを考えようとしても、まだ頭に血が巡っていないらしい。気を抜くと意識が飛んでしまう。利史郎は頭を振って顔を拭ってから言った。
「ミッチーさん、知里さんは見かけませんでしたか。彼女に蓄音機を探してきてもらいたいんですが――」
まずはそれだ。考えるのは全ての情報を揃えてからでいい。
そう思ったのだが、ミッチーはまたしても意外な言葉を口にした。
「あぁ。あのおっかない人なら、帝都に帰るっつってましたよ? 聞いてません?」
「帰る?」驚いて飛び上がった。途端に胸が痛み、息が出来なくなる。それで慌てて介護しようとするミッチーを押しとどめ、利史郎は尋ねた。「帰るって、どうして」
「さぁ。朝一の飛行船に乗るって言ってたから、今頃は津軽あたりじゃあ――ちょっと、何やってんすか」
少し動くたびに胸に鈍痛が走ったが、動けないほどではない。なかなか足に力が入らずベッドから降りるのに苦労したが、それでも一度立ってしまえばどうにかなりそうだった。
「こんな状況で、勝手に帰るだなんて」何かあったとしか思えない。「ミッチーさん、すいませんが少し肩を貸してください」
反対するミッチーに押し込んで、利史郎はコートを羽織り部屋を出る。そして彼の腕を掴みながら病院のロビーまでくると、丁度牧野警部が靴の雪を落としながら入ってきたところだった。驚いて目を丸くしつつも挨拶しようとする牧野に、利史郎は詰め寄る。
「警部、どういうことです。知里さんを切ったんですか」
当惑し少し天井を見上げてから、彼は言葉を選びつつ言った。
「切ったというのは言い過ぎだ。ただの配置転換だよ。妙な〈黒女〉、Dloop、仕舞いには分離主義者! 無理だ。今となっては、彼女には大きすぎる事件だよ」
「父ですか」
最初から確信していた。やはり牧野警部は曖昧に表情を濁し、やがて諦めてため息を吐いた。
「俺にどうしろってんだ。俺はただの中卒の木っ端役人だぞ? 内務卿が急にきた時は肝が冷えたよ。誰だこの爺はって、最初は偉そうに煙草吸いながら応じちまって――」
「それで? 知里さんは反抗的だから切れと言われたんですか」
「違う。知里を外した理由はさっき言った通り、ただの適材適所だ」
「では父からは何と」
「――君を外せと」
事件に政府から横やりが入ったことは何度かあったが、こんな風に怒りで何も考えられなくなったことは初めてだ。すぐに無言で外に向かおうとする利史郎の前に、牧野は慌てて回り込んでくる。
「待て。気持ちはわかるが、無理だ。寝てろ」
「お断りします」
「まったく、親父さんの気持ちにもなってみろ! まだ若い男爵家の跡取り息子が、たいした金にもならん仕事で重傷を負ったら――」
「それは牧野警部も川路家の人間は避けたいでしょうからね。僕に何かあったら、この通り。後が面倒だ」
「そんな風に思ったことはない! 君は本物の名探偵だ!」
「それは違います」車回しで待ち受けていた辻馬車の扉に手をかけつつ、利史郎は振り向いた。「名探偵は知里さんです。彼女なしでは、この事件は解決出来ない」
「――それは本気で言ってるのか?」
利史郎はミッチーの手を借りて馬車に乗り込む。そして行き先を命じると、途方に暮れた様子の牧野警部が叫んだ。
「どうするんだ?」
「帝都に帰ります」
「待て待て!」馬車の窓枠に身を寄せ、牧野警部は周囲を窺ってから小声で囁いた。「CSAと大英帝国の件、知ってるな?」
「――それが?」
「大英帝国は、よくわからん強力な独立部隊でCSAの外地を荒らし回ってる。それは?」
「詳しくは」
「だろうな。国家機密だ。しかし、そうらしい。それで全権大使はその部隊に、山羽から消えた蒸気機関と山羽美千代の作った〈機関〉が流れてるんじゃないかと睨んでる」
――そうか、そういうことか。
バラバラで理解不能だった要素の一つが、ようやく見えてきた。
「つまりこれは、五帝国体制の未来に関わる重大問題だ。おい、これを外に漏らしたと知れたら、首が飛ぶだけじゃ済まない。俺は確実に逮捕されて実刑だ。わかってるな?」
利史郎は小さく頭を下げてから、前の窓を叩き出発を命じた。
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