5. 蝋管は語る

 Dloopは地球に植民地を作るにあたり、オリハルコンの提供を申し出ました。しかし冶金学が十分に発達していなかった当時、オリハルコンの特殊性に気づいた人間はごく僅かしかいませんでした。それでも〈帝国〉はDloopの発達した科学技術を恐れ、領域の割譲および自由通行権、治外法権を与えよという要求を受け入れることにしたのです。


 五帝国は幾つかのサンプルとともに引き渡されたオリハルコンを有識者に委ね、その用途を探ろうとしました。本国では帝国山羽重工の礎を作った山羽虎夫、釜石製鉄所の前身である橋野鉄鉱山を興した大島高任、そして『からくり儀右衛門』として知られていた田中久重が調査分析にあたりました。


「これは、本当に金属か?」


 芝浦製作所の創設者である田中久重はオリハルコンを初めて触れたとき、そう思ったそうです。当時の冶金学はまだ進歩の段階にありましたが、それでも久重は直感的にオリハルコンの異常性に気づき、懸命に研究を行おうとしました。


 金属には幾つかの基本的な性質があります。常温で固体であること、光沢があること、曲げたり伸ばしたりすることが容易であること、熱をよく通すことなどです。オリハルコンもDloopより引き渡された直後のインゴット状態では鉄とよく似た性質を持ちますが、加工を試みた三人はそこで幾つかの不思議な性質に気づきます。山羽虎夫はオリハルコンの断熱性と高引っ張り強度に気づき、後にオリハルコンに特化した蒸気機関と基礎的な都市送圧網の開発に成功します。大島高任は様々な金属との特殊な融和性に気づき、鉄の精錬と合金に用いる手法を確立します。そして田中久重はオリハルコン合金の持つ高弾性を発見し、ゼンマイに応用することを考えました。しかし長年の研究を経ても、久重はその高弾性ゼンマイの持つポテンシャルエネルギーを安全に格納出来る容器を作ることができませんでした。彼の夢は百年後、田中久江の画期的な八角格子構造化格納容器と熱による弾性応力制御技術の発明によって実現することになったのです。




 利史郎は本を閉じ、新たな発見を〈狂人の壁〉にプロットしようと毛糸を手繰った。


 大島高任。田中久重。山羽虎夫。三人の写真を壁に貼り付け、〈オリハルコン〉の文字と繋ぐ。オリハルコンはDloopと繋がり、Dloopは〈機関〉と繋がる。〈機関〉は山羽美千代と繋がり、また大英帝国、レヘイサムと繋がる。そしてレヘイサムは〈帝国〉と繋がり、〈怪人〉とも繋がる。


「――それ、何か意味あるんすか? ただ目茶苦茶にしか見えないんすけど」


 ソファーに座っていたミッチーが、首を斜めにしつつ言う。隣に座るハナはリンゴを丸かじりしつつ応じた。


「あたしも〈狂人の壁〉は苦手だなー。黒板のが好き」


 利史郎は二人に、振り返りもせず応じた。


「いえ。違いますよ。色々見えていなかったところが見えてきた」


 最大の繋がり。それはレヘイサムと大英帝国だ。それが見えた途端、様々な要素が濁流のように合流してくる。ロシアに流されていたと思われていた高性能蒸気機関。二郎の秘書、森房子。そして彼女にロシアとの繋がりが指摘されていた〈黒女〉。しかしこれは嘘だ。〈黒女〉とロシアの繋がりはない。であれば彼女は誰に命じられて動いていたのか? レヘイサムか? ではその繋がりは――


「――やっぱり、あんた頭がどうかしたんじゃ?」


 声がして、利史郎は振り向いた。いつの間にかハナとミッチーの間に、知里が足組みして座っていた。それなりに彼女も疲れている様子だった。つり上がった目の下には隈が出来ていて、いつも綺麗なイギリス編みにしていた髪も、今は首筋で簡単に纏めているだけだ。


「あぁ知里さん。すいません、呼び出して。ですがさすがに今、僕が桜田門に行くのは賢明ではないと思って」


 数秒、知里は利史郎の表情を窺うように黙り込む。やがて額に落ちてきた前髪を掻き上げて、鞄から取り出した煙草に火を付けつつ言った。


「よく来ると思ったね。普通、呼ばれても来ないわよ?」


「来ると思いましたよ。仕事から外されて、黙って引き下がるような人ではないでしょう」


「給料以上の仕事はしないのも、私」


 と、灰色の煙を吐き出す。利史郎は笑いかけたが、胸に痛みが走って苦笑いになった。


「じゃあ、僕が依頼料を出しましょう。日給五円で如何ですか」


「金で釣られるのも嫌。それに公僕は副業禁止」


「ではプライドで支払います」


「プライド? あんたが私の自尊心を満足させてくれるの?」


「間接的に」そして〈狂人の壁〉を指し示す。「僕たちが知っている事件の全貌です。こと、この五帝国体制に関わる全ての事象と複雑に関連している。その枝葉がどこまで伸びているのか、誰がどういう思惑をもって動いているのか、まだ不明です。しかし起点はたった一つ、山羽美千代さん。彼女は今、どこにいるのか?」


「待って、待って」知里は苛立ちながら、「あんた、山羽美千代がまだ生きてると思ってるの? 美千代はレヘイサムに利用された。レヘイサムは彼女に与えていた住処を証拠隠滅のために燃やした。終わり。彼女が生きてるはずがないじゃない」


「いえ。彼は、山羽美千代さんを解放したと」


 何のことかわからなかったのだろう。混乱し、ハナ、ミッチー、そして利史郎に目を向ける。


「彼? 誰」


「レヘイサムです。彼は僕に会いに来ました」


 そして石狩での事を話すと、知里は煙草を振り回しながら言った。


「真に受けるの? そんな話」


「ええ」


「何故!」


「何故? 彼は悪党で大量殺人者ですが、嘘を吐いたことはない」


「いや。いや。もういい。もう謎はウンザリ。私たちはこの事件の核心について、何か一つでも解き明かした? 何か見つけるたびに疑問が増えるだけ。無理。これは何か大きすぎる問題か、じゃなきゃ巨大な偶然によって生まれた物。私たちの手には負えない」


 知里は予想通り、もはやこの事件と関わること自体に辟易している様子だった。自分は外された。その事実と向き合うのが嫌なのだろう。大きなため息を吐き、窓の外の蒸気と粉塵で煙った帝都に目を向ける。


「お願いします」利史郎は正直に言った。「知里さんの力が必要なんです。あなたには僕にない視点、知識、それに行動力がある。この事件を解決するためには、どうしてもあなたの協力が不可欠なんです」


「なんでそこまで? 私らはもう外されたのよ。華族の無茶なお嬢ちゃんが国際的な陰謀に巻き込まれていようが、もう私らには関係ない。でしょ?」


「だから僕は、プライドを差し上げると言ったんです。外されたあなたが牧野警部より先に事態を解明出来たなら――」


「そういうの、職務不服従って言うの」


「知里さんの得意技、ですよね」


「――あぁ言えばこう言う」不平そうだったが、それでも心は揺れているようだった。「でもね。私は置いといて、なんであんたは、この事件にそんなに執着してるの? 名探偵川路利史郎はさ。自尊心なら十分すぎるほど世間からもらってるでしょ。この事件だって私が泥を被るだけで、あんたには何の責めも――どうして? なんでそこまで拘るの」


「それは――」何度この問いを受ければいいのだろう。同じ事も繰り返し問われれば、ゲシュタルトが崩壊してしまう。「何故探偵をやってるのか? 最近それを聞いてきたのは、知里さんで四人目です」


「それで? いつもは何て答えてるの」


「仕事だから。あるいは何の罪もない女性を救うために。わからずに答えないこともあった」


「それで?」


 それで?


 相変わらず空っぽだ。この〈狂人の壁〉のような複雑さは皆無。かといって単純ではない。その問いの先には、ただの空虚が広がっているだけ――


「――あぁ、そっか。楽しいんだ」


 したり顔で知里が言った。


 楽しい? この空虚が、楽しいという感覚?


「それはあり得ない」


 言った利史郎に、知里は嫌らしい笑みを深くして身を乗り出してくる。


「覚えてるよ。あんたがあの蝋管を見つけた時さ。普段は冷静沈着って感じなのに、すんごい興奮しちゃって。まぁわからないでもないよ私も。でも不道徳よね、ヒトの不幸で楽しむのはさ。そうは思わない?」


「全く、その通りです。僕は探偵という仕事に楽しみを見いだしたことはありません」


「ま、いいけど。でもそれがわからなきゃ、レヘイサムの裏をかくことは出来ないと思うけどね」


 相変わらず、痛いところを簡単に突いてくる。


「――それですよ。その鋭い指摘が、僕には必要なんです」


「適当言ってるだけだけどね」


 利史郎にとっては怪我の具合を悪化させるような会話だったが、それでもようやく知里は機嫌を直してくれたらしい。煙草をもみ消して立ち上がると、腰に両手を乗せて言った。


「で? 何をどうしたいの」


「まずは蝋管を聞きます」


 言って利史郎はポケットから筒型のシリンダーを取り出し、蓄音機にセットした。


 針を乗せて数秒、激しく咳き込む音がする。そして続いて流れてきたのは、酷く疲労したような美千代の声だった。




『一月二十六日。どうしてこんなことになっちゃったのか――考えれば考えるほど不思議に思える。これは最初から、誰かが仕組んだ計画だったのか。でしょうね。そうとしか考えられない。レヘイサム――一体どういう人間なのか。彼に操られるのは駄目だとしか思えないけれど、彼の要求に応える以外の選択肢を奪われ、今、こうして、ここにいる。疑問は山ほどある。彼はDloopの事を何処まで知っているのか? 確かにあの金属片で私は問題なくD領に入ることが出来た。あの自動工場は――私の推理を裏付ける物だった。彼らは間違いなく、父さんを抹殺した。けれどどうやってそれをみんなに伝えたらいいのか――黒薔薇会は常に及び腰だ。証拠がいる? そう、確かに私が見た物だけでは証拠にならない。それはわかってる。一方でレヘイサムは確実な情報を私にくれるという。本当だろうか? でも私は、そうに違いないと考えてここに来た。けど、彼が私のそうした考えを汲んで、私を操ろうと適当なことを言っているんじゃ? ――駄目。何を考えても堂々巡り。とにかく材料は揃った。これもまた問題だ。彼らは〈機関〉を一体何に使うつもりなのか。彼は言った。〈独立のために〉。フン、作り方を教えるのはいいけど、こんな〈機関〉程度じゃ、どう足掻いても〈帝国〉には勝てない。でも彼なら何かしでかすんじゃないか、そうも思えてならない――私はどんどん深みに嵌まってる。独立? 私たちが本当に独立しなきゃならないのが何なのか、レヘイサムのような分離主義者にはわかるはずもない。でしょう? 父さん。でも私はどうにかして証拠を掴んで、全人類に知らしめたい。〈連中は人類の敵だ〉と。だからまず、この〈機関〉を完成させなきゃ。でも体調は最悪。だるくて熱が酷い――彼の技師は明日にならないと来ないし、少し横になってから作業を始める。』




 蓄音機の針が外れる。利史郎は当惑しながら言った。


「D領に、入った? それに――山羽一郎氏を殺したのは、Dloopだと?」


「やっぱりこの娘は、頭がどうかしてる」


 呆れて言った知里。今度ばかりは利史郎も同感だった。


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