12. 川路武雄全権大使

 フライング・ホイールの庇にあたる位置に、五帝国会議はあった。明治中期に建てられた宮殿風の洋館が今も現役で、正面が実質的に大日本帝国の属国である蝦夷共和国の管轄であり、裏手がD領に繋がっている。ライフルを捧げ儀礼服を着た二人の兵士が待ち構える門に向かうと、脇にある受付に促された。あらかじめ電報を打っておいたおかげで、話は通っていた。一通りの身体検査を受けた後で、召使いに案内される。これほどの壮麗な洋館は、帝都でも赤坂離宮くらいだろう。精細で美しい装飾類に目を配りながら、知里は尋ねた。


「どうしてお父さんは警察関係じゃないの。川路家なのに」


 何度か聞かれたことのある質問だ。


「父も元警官です。しかし若い頃に担当したオスマン領事殺害事件での国際的な調停手腕を見込まれ、外務省に。上司との折り合いも良くなかったようで――」


「じゃあずっとあっちに行ったり、こっちに行ったりでしょう。あまり会わないの?」


「――そうですね。たまに東京に来ることはありますが。二年ぶりくらいでしょうか」


 二年、と驚きとも困惑とも取れる言葉を呟く知里の前で召使いは歩みをとめ、両開きの扉を押す。中は事務室らしく、二人の書記官が机に向かっている。更に奥に通じる扉を開くと、そこが大使の執務室だった。壁一面に本棚が並び、暖炉の火が赤々と燃えている。一度に溢れてきた温かな空気に、利史郎はマフラーを取りつつ正面の人物に言った。


「来ました」


「――あぁ。少し待ってくれるか。君も」


 こちらに目もくれず、机上で羽ペンを走らせている。召使いは扉の前で畏まり、利史郎は知里を促し暖炉の前にあるソファーに腰掛けた。


 そして、父、武雄の顔を覗う。少し痩せたろうか。皺と白髪も増え、鼻の下に蓄えている髭も細くなっている。それは五帝国会議議長という立場にあるのだ、当然だろう。そのまま数分、彼は手紙を書き終え蝋で封印すると、待ち構えていた召使いに渡した。


「東京の近衛公宛てだ。急いでくれ」そしてサイドテーブルに向かうとグラスに酒をつぎ、ようやく利史郎に目を向けた。「ウィスキーは?」


「僕ですか? 飲みません。あれば水を」


 同じくグラスを向けられた知里は、やや窮屈そうに応じた。


「戴きます」


 立ち上がった二人にグラスを渡し、自分でも少し口にしながら、武雄はソファーに倒れ込むよう座った。そして目頭に手を当て、息を吐く。


「お忙しい所、すいません」


 言った利史郎に、武雄は身を上げた。


「いや。ちょっと時期が悪かった」


「オンタリオの件ですか」


 僅かに口を歪ませ、彼は話題を変えた。


「探偵事務所を開いたと聞いたが。何故だ? どうして警視庁に――」


「あそこは父さんや祖先の存在が大きすぎて。僕が入っても腫れ物扱いされ、栄誉職に追いやられてしまう」


「だろうな。私も大変だった。現場が好きか」


「好きと言うより――何事も自分の目で確かめたい質で」


 自分で自分の言葉に驚いた。今まで考えもしなかった事が、簡単に口から出てきたからだ。しかしすぐ、利史郎は似たような会話をしたばかりだったことに気づく。レヘイサムだ。何事も自分の目で確かめたい――それは自分ではなく、彼の口から出てきた言葉だ。


 つまりレヘイサムは――利史郎の本質を見抜いていたということか。それとも自分が、彼に感化されてしまっているのか?


「ま、ハナにしても、裏であれこれするのは苦手な家系らしい」


 武雄の言葉に我に返る。


 つまらない事を考えている場合じゃない。利史郎は両手を膝の上で組み、目的を口にした。


「ご存じかもしれませんが、今、山羽家の件を」


「聞いてはいる」


「それで事件には――Dloopが関わっている可能性があるのです」


 利史郎は事件のあらましを説明する。特に武雄は何の感情も見せず、ただ黙って話を聞いていた。それが外交官の技なのだろう。ただ山羽二郎が密輸を行っていたらしいこと、そして山羽美千代が謎の動力機関を開発していた事を話した時だけ、僅かに眉間に皺を寄せだ。


「それで――もし可能ならば、Dloop大使にお会いしたいんです。事件について、何か思い当たるところがないか伺いたくて」


 数秒、武雄は手の中でウィスキーを転がして考え込んでいた。そして何かを決断したようにグラスの液体を飲み干すと、立ち上がって執務席に座る。そして引き出しから取り出した一枚の書類に書き付けを行うと、事務室の扉を開いて言った。


「陸奥さん、これをアダル大使に」


「――Dloop大使、ですか」


 困惑した声が返ってくる。武雄は直接答えず、ただ書類を突き出していた。


 わかりました、という声を受け、武雄は扉を閉じてソファーに戻る。そして再び考え込むように額に手を当てると、改まって利史郎に尋ねた。


「あらかじめ言っておくが、Dloop大使との面会希望が叶ったことは二百年間で数例しかない」


「知っています。まぁ、父さんに挨拶するのが目的でしたから。それは期待していません」


「そうか。しかし待つ間、もう少し詳しく聞かせてもらいたい。状況について」


 そして武雄は、利史郎も感心するほど的確に説明の穴を突いてきた。主にロシア関係、そして山羽美千代が開発しただろう装置についてだったが、その双方について利史郎は十分な情報を得られていない。


「なにぶん、捜査を始めたばかりで。まだわからない事が色々と――」


 弁解しかけた利史郎を、片手で遮る。


「それで、これからの方向性は?」


「まだ詳しくは。ただ美千代さんが石狩に来た可能性は高いですから。彼女の痕跡を探します。あとは東京で協力者が動いていますので、それ次第――」


「この方面は疎いから教えて貰いたいんだが、密輸出された蒸気機関――三号が二基、二号が二基。これはどの程度の代物だ」


「どの程度? そうですね。先日就航した千代田級飛行戦艦には、二号が二基使われています。一号に比べて出力は限定されますが、軽量――つまり飛行戦艦の場合、それだけ石炭や武器を余分に搭載できる利点があります。三号は千代田級以前の飛行戦艦、それと通常戦艦、ユーラシア急行、あとは地方の発圧所でも使われています。概ね一万人に対して一基程度――」


「ロシアへの密輸は、半年ほど前から行われていたんだな?」


「二郎氏の手帳によれば、そのようです。しかし――」


「その山羽美千代が作ったという装置だが――完成したのは、一、二週間ほど前ということだな?」


「はい」答えたが、あまりの性急さに不審に思えてきた。「何故、〈機関〉の類いにそれほど拘るのですか。何か思い当たるところが?」


 再び額に手を当てて考え込む。どうやらそれが武雄の癖らしかったが、利史郎も初めて気づいた。それほど彼の仕事に関わったことがなかったからだろう。ともかくもしばらくそうして考えを纏めると、彼は難しそうに切り出した。


「いや。とにかく事件の進捗があれば、すぐに詳細を知らせて欲しい」


「一体、何の権限で?」


 驚いた。それまで黙っていた知里が、急に強い口調で問いただす。


 実のところ、同じ言葉が喉元まで出かかっていた。しかし口にするのは無理だったろう。それもあって咎めることもせず見守っていると、武雄は改めて知里を眺め、応じた。


「君は――」


「警視庁、刑事部捜査一課、知里巡査です。利史郎さんへの依頼は警視庁が行ったものであり、外務省の管轄ではありません」


「ならば内務卿に話を通そう。それでいいかな」


 簡単にあしらわれ、知里は口を噤む。しかしそれで好戦的な彼女が収まるはずもなかった。


「何故です。どうして外務省が、この件に関心を? 事は重大です。帝国を支える山羽家が潰れかねない状況なんです。何か知っているのならば――」


「悪いが説明は出来ない」


「ならば進捗の報告はお断りします」


 困ったように知里の上気した顔を眺める。そして利史郎に目を向け、言った。


「随分威勢のいい刑事さんと組んでるな。お前も同意見か?」


 答えに困る。しかし知里に肘打ちをされ、揺れていた天秤が一方に傾いた。


「――えぇ。一方的にこちらが情報を提供するような関係を結べば、事態の掌握が不可能になる。ならば最初から組まない方がいい。お断りします」


 知里は思い切り利史郎の背中を叩いた。すっかり共犯にされてしまったが、それほど後悔はなかった。武雄は交互に二人を眺めていたが、やがて諦めたように首筋を掻くと、両膝に手を置いた。


「お前の探偵としての仕事ぶりには敬服するが、これ以上は話せない。捜査の進捗報告は、内務卿に正式に依頼をする。いいかな」


「いいも悪いも、それって脅迫と同じ――」


 更に知里が噛みつこうとしたところで、扉がノックされる。武雄が応じると書記官の一人が顔を見せ、酷く困惑した様子で言った。


「あの、アダル大使が――面会に応じると」


 さすがにこの時ばかりは、武雄も平静を装うことに失敗した。眉間に皺を寄せ、立ち上がりながら問いただす。


「本当か? どうして――何か言っていたか?」


「いえ。相変わらず、例の女性の声だけですから。ただ書類を提示すると、わかりました、とだけ」


 それから何重にも武雄は書記官を問いただし、やがて確かに許可されたらしいというのを確信すると、額に手を当てながら呻いた。


「一体、何がどうなってる」


「では、私たちはこれで」


 楽しげに言って知里は立ち上がる。利史郎も続いて部屋を出て行こうとしたが、武雄は鋭く呼び止めた。それでも何かを思い悩むように呻き、やがて意を決したように言う。


「わかるか。これは――相当に異常な事件だ。後はあの刑事さんに任せて、お前は手を引け。今すぐ帝都に帰るんだ」


「――父さんは、僕の仕事ぶりに敬服すると」


「それはそうだが――それとこれは話が別だ。Dloopだぞ。あの得体の知れない異星人が、ヒトに関わろうとしてる。いいことである、はずがない」


「かもしれません。でも僕は、それを確かめる必要がある」


「何故だ」


 何故?


 その答えもまた、驚くほど簡単に現れた。


「仕事ですから」


 武雄は言葉を失ったようだった。利史郎は頭を下げ部屋を出て、待ち受けていた知里を促した。

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