13. 千里眼

「なんかさ。悪かったね。久々の対面をぶち壊して」


 廊下を歩きながら言った知里に、思わず利史郎は吹き出していた。途端に彼女は薄い肌を紅潮させて詰め寄る。


「なにそれ。笑うところ?」


「いえ。知里さんが、そういう細やかな神経をお持ちとは思わなかったので」重ねて反論しようとする知里を、利史郎は遮った。「すいません。言い過ぎました。でもいいんです。父とは昔から、あんな感じですから」


「――なんか、あんまり親子って感じがしなかった」


 そうなんだろうな、と思う。だが利史郎にとってはこれが普通で、逆に事件で様々な親子関係を見てきて、ようやく川路家は一種独特なのだと知ったくらいだ。


「親子ってものが、僕にはよくわかりません」利史郎は正直に言った。「もちろん、一般論としての親子関係は把握しています。しかしそれを僕に当てはめることは出来ない。知里さんは?」


 言ってから、不用意な発言だと悟った。やはり彼女は苦笑いして応じる。


「さぁね。もう何年も前に死んでるし」


 そこで行き当たった扉に、知里は絶句した。利史郎もだ。案内からは、行けばわかる、と言われていたが、確かにその通りだ。


 銀色に輝く二枚の金属が行く手を塞いでいた。こんな綺麗な金属は見たことがない。曇りも、歪みもなく、鏡のように二人の姿を映し出している。


 これはどうやって開くのか。


 考えながら歩み寄ると、唐突に金属は左右に分かれた。何処にも取っ手もなければ、レールも、動力も見当たらない。些細なことだが、これだけでもDloopの科学というものが、遙かに桁外れであることが窺える。


 内部は白い陶器のようなもので覆われていた。もちろんタイルのような繋ぎ目はなく、一面が薄い輝きを発している。床はゴムに近い僅かな弾力のある作りで、どういう素材なのか全く見当が付かない。


 そこは待合室のようだった。四脚のシングルソファ、一脚の丸テーブルが隅にあるだけで、先はまた金属の板で塞がれている。どういった作りになっているのか、二人が部屋の中央まで歩み出ると、背後の金属が自動で閉じた。


 さすがに利史郎も面くらい、何が起きるのかと不安になりはじめた頃だ。どこからともなく女の声が響いてくる。


『お名前を』


 優しげな声だった。書記官が言っていた『女の声』とは、この事だったのか。そう思いつつ、利史郎は答える。


「川路利史郎。探偵です」


「知里新子。警視庁捜査一課」


 続けて言った知里。彼女は警戒心が強い。声には殺気が籠もっていた。


 だからだろうか。意外なことに声は含み笑いらしき音を発し、楽しげに言った。


『知里新子――似合わない名前ね』


 何の話だろう。そう表情を窺うと、知里は当惑して口を半開きにしていた。


「――悪い?」


 辛うじて答えた知里。だが正面の金属が左右に分かれ、そこに人影が現れると、彼女は言葉を失って相手を凝視していた。


「お待ちしていました、利史郎さん、それと――アリシレラ」


 白い和服の女だった。年の頃は二人と同じくらいだろうか。細く利史郎と同じくらいの背丈で、黒く真っ直ぐな髪を背に垂らしている。卵形の顔は端正で整っているようだったが――その両目は、彼女が纏う白無垢と同じくらい白い布で覆われていた。


「エシルイネ」


 知里は呟く。まさかこんなところで出会うとは思っていなかったのだろう。一体どういう関係なのかと見守っていた利史郎に、エシルイネと呼ばれた女は微笑みつつ言った。


「以前、彼女に捕まったの」


 目を向けた利史郎に、知里は忌々しげに答えた。


「私だって、怪人の一人や二人、捕まえたことがある」


「怪人?」


 そうは見えない。ただの――


「ただの目の見えない女。そう思ったでしょ」その通りだ。「でも違う。彼女は完璧に目が見えてるし、第一彼女は――〈千里眼〉」


 千里眼。話しに聞いたことはある。遠くを見通す力を持った怪人。しかしどうしてそんな者が、Dloopの僕になっているのか。


「千里は言い過ぎね。私に見えるのは、せいぜい二町くらい」そしてエシルイネは背を向け、二人を促した。「さぁ、こちらに。大使がお待ちよ」


 しずしずと、流れるように奥の通路へ向かう。知里は唇をかみしめ、彼女の後を追った。


 通路の左右には件の金属板の小さなタイプがある。きっと個室の出入り口だろう。そして正面にはやや大きめの金属板があり、そちらも近づくエシルイネに応じて左右に分かれた。


 中は小さな箱だった。エレベーターだろう。利史郎も新凌雲閣で乗ったことがある程度だったが、酷く揺れて軋む音が最後まで続き、恐ろしかった記憶がある。しかしこちらは動き出すときに少し体重の変化を感じただけで、あとは何の音もなく、静止しているのと同じだった。


「つくまで少し時間がかかるわ。それで――どうしてここにいるか、聞かないの?」


 尋ねたエシルイネに、背後に立つ知里は渋い表情のまま応じる。


「話したいなら聞くけど?」


「わかる?」と、エシルイネは利史郎を顧みながら言った。「尋ねることで、自分の手の内を晒すことになると思ってるの。まるで私が敵みたいに」


「そうなんですか?」


 問いただす利史郎に、笑みを浮かべる。


「私はマタギの娘に産まれた。いわゆる一類の怪人ってやつね。その見た目のおかげで母親は行方をくらましてしまって、私はずっと、父と二人で山を渡り歩いて生きていた。父も私の力が便利だったんでしょうね。何処に獲物がいるかお見通しだったから。でもあるとき、私が熱を出して寝込んでしまって――父は一人で狩りを続け、きっと私の力に頼りきりで、鈍ってしまっていたんでしょうね。あっさり熊にやられてしまった」


「お気の毒に」


「私は途方に暮れたわ。それで父が狩りの獲物を卸しに行っていた村に向かうと、すぐに化け物だと騒がれて、山狩りが始まった。私は散々逃げたのだけれど、いくら遠くを見通せても体力は続かないから。そのうち動けなくなってしまって。四方から警官隊が近づいてくるのがわかって、恐ろしくて絶望した。彼らの様子からして、殴り殺されるのが目に見えたから。そこで見えたのが――アリシレラ。警官隊の中で一人だけ、彼女はこう唇を動かし続けていたわ。『もしこれがわかるなら、狐のねぐらに隠れなさい。あなたを逃がしてあげる』って。狐のねぐらっていうのは、地元の人しか知らないような小さな洞窟。もちろん罠かとも思った。でも他にしようがなくて、彼女の言うとおりにした。そして夜になって山狩りも一旦引き上げると、彼女はやってきた。そして私に言ったわ。『このまま捕まれば彼らに殺される。唯一助かる道はDloopの元に行くしかない。でもその後、どうなるかはわからない。どっちがいい?』」


 知里らしい言い草だ。エシルイネは肩をすくめ、あっけらかんと言った。


「選択肢があるようで、ない。どうしようっていうの? 私はDloopに賭けるしかなかった。そして彼女と何日も歩いて、ここに来た。つまり私がここにいるのは当然ということ。どうしてわざわざ驚くの?」


 わかっていて聞いている。利史郎はあえて答えた。


「それは当然――Dloopに引き渡された怪人がどうなるのか、誰も知らないからです」


「大抵は処分されると思っている」渋々頷いた利史郎から、エシルイネは知里に目を向けた。「だから良心の呵責を感じてる? アリシレラ。それは杞憂よ。あの時は他に手がなかったというのは十分わかるし、私は今の境遇に満足してる。だからあなたには、とても感謝してるの」


 それでも知里は口を真一文字に結び、警戒心を解かなかった。代わりに利史郎が応じる。


「つまり彼らに引き渡された怪人たちは皆、彼らに使われているんですか」


「さぁ。何体かはね。私もそれほど知らないし」


「詳しくお伺いしたい」


「残念だけれど、時間切れ」


 箱が僅かに揺れて、正面の金属板が開いた。


 真っ白な通路が十数メートル続いていた。行き当たりにはやはり金属板があり、見ただけでも重要な何かだというのがわかる。


 促され歩み出ようとした利史郎に、エシルイネは思い出したように付け加えた。


「彼らと話したことは?」


 あるはずがない。頭を振る利史郎に、彼女は柔らかな笑みを浮かべた。


「まぁ、まともには話せないと思う。彼らは、なんというか――とても面倒くさがり屋なの。でもまぁ、あなたなら――そうね、少し考えればわかると思うわ」


 どういう意味か。問いただすのも無意味な気がして、利史郎は通路に出る。しかしそれを追おうとした知里の腕を、彼女は硬く掴んだ。


「あなたはここで待ちましょ?」


「え? どうして!」


「言ったでしょう。彼らと話すには、ちょっと、特別な力がいるの。悪いけどあなたには向いてないわ」


 とても知里の性格として承服できる話ではない。すぐに彼女はエシルイネに噛みつこうとしたが、その目の前に手のひらを翳される。


 ぞっとした。利史郎も怪人は見慣れていたつもりだったが、これほど特異なものは見たことがない。彼女の掲げた右手の中央には、第三の目が開いていたのだ。


 いやひょっとしたら、彼女の顔には眼孔がないのかもしれない。ともかくエシルイネは知里に手のひらの眼を向けると、子供に言い聞かせるような調子で声を発した。


「アリシレラ。わかって。もしあなたが拒否するなら、利史郎さんも彼らに会えない」そして笑顔に戻ると、元の軽々しい調子で続けた。「何年ぶり? ほら、せっかくだし二人でお話しましょ? 話したいことが山ほどあるの」


 そう腕を掴まれ、彼女も観念したようだった。利史郎に小さく頷くと、箱の中に戻る。そして利史郎は一人、通路の奥に向かった。

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