11. そうなった時は既に、私は死んでいる

 覚悟したつもりではいたが、日に日に深みにはまっていっている気がする。


 モリアティは身体の奥底まで冷え切ってしまった感覚がして、五帝国会議の召使いにコートも預けず、胸を抱きながら歩いていた。


 私が王になる? たかだか二百年程度の歴史しかない元は商人のモリアティ家の私が――王家とは何の繋がりもない私が、王に?


 そんな芸当、不可能だ。歴史が証明している。王にしろ、首相にしろ、血統が必要だ。しかしあの老人は――何を考えているかわからない政治屋は――事もなげに言っていた。


「くだらん。フランスでは軍人が王になったし、CSAは奴隷商人が大統領などと言っている。今の王家なぞ元はドイツ人だぞ? 血統など、実力のない者、必要とされていない者のみが必要とする物だ。示せ。実力を。そうすれば血統など、どうにでもなる」


 戯れかと思っていたが、どうやら本気らしいとわかり、モリアティは一度に血の気が引いてきた。


 それは、大英帝国の復活はモリアティが一番に望むものだ。しかしそれには、自分が王になる必要があるなど、全く考えたこともなかった。


 自分が王に? 不可能だ。


 だがそれをやらなければ――帝国には、CSAに蹂躙される未来しかない。


 しかし――


「一体どうなっている。まだ電信の返事はないのか」


 同じ考えを堂々巡りさせていたモリアティが会議場のロビーに差し掛かると、憎むべき声が耳に入った。バートレットだ。壁に身を寄せて覗うと、騎兵隊の制服を着た赤ら顔の男に詰め寄っている様子が見えた。


「先ほどカリブ艦隊が生存者を乗せたボートを拾い、帰投したとのことで。その連中によると――オンタリオの状況と同じです。突然爆発があり、得体の知れない化け物が襲ってきたと」


「それでも軍人か! 得体の知れない化け物とは何だ! もっとマシな報告が出来んのか!」


「文字も読めない奴隷兵でしたので――ただただ夜に突然大砲が散々に撃ち込まれて、何も見えないまま仲間が殺されてしまって、もう逃げるしかなかったと」


「やはり蒸気戦車じゃないのか? どうしてそんなものが作られてるとわからなかった! お前らは二言目には『蒸気戦車は使い物にならない、騎兵こそ最強だ』とばかり言っておったじゃないか!」


「蒸気戦車とは思えません。前からお話ししてるように蒸気戦車には始動が遅く武器の搭載量に限界があるという最大の弱点が――」


「奇襲ならば始動もクソもないだろうが!」


 なかなか面白いコメディだ。モリアティはガスコインとの会談の余韻からようやく解放され、笑いながらロビーに歩み出る。すぐCSAの一団は黙り込み、モリアティを凝視した。その恨みがましい表情が何とも愉快で、モリアティはバートレットに歩み寄り肩に手を置いた。


「やぁやぁバートレット大使。さすが農家の出は朝が早い。こんな時間から騎兵隊と打ち合わせとは精が出るな。それで今日の議題は何だ?」


「モリアティ、この――」


 言葉が続かない。


 これほど愉快な気分は、どれだけぶりだろう。哄笑しながら会議場に入る。そして自分の席に向かいかけたところで、モリアティはそこにあるはずのない姿を認め、息が詰まった。


 赤と黒の、角張ったローブが鎮座していた。モリアティが知る限り、常に空席だった場所に、だ。それは普通の人の倍の幅があり、劇場のカーテンのように重々しい空気を発している。浮いているのか、立っているのか、それも定かではない。ただ両肩とおぼしき盛り上がりの間に古びた真鍮のような頭があり、両目の位置に穿たれた穴が、真っ直ぐにモリアティに向けられていた。


 背後から大きな音と風が襲ってきた。心臓が止まるかと思った。振り返ると議場に通じる扉が閉じており、途端に静寂が襲ってくる。


 目を戻すと、手の届きそうな所までローブが近づいていた。その中からは、まるで呼吸器でも付けているかのような、シュウシュウという音がした。それに加え――


 あぁ、これがDloopという名の由来か。


 モリアティは初めて悟った。呼吸音の奥から、コポコポ、ブカブカとした、不思議な音がした。Dloop、Dloop。泡が立つ音など、真剣に聞いたことはない。しかし巨大な泡が水面に浮かぶときは、こんな音がするのだろう――そう簡単に推測できるような音が、それだった。


 気づくと、モリアティは不可思議な仮面に見下ろされていた。南米で発掘されるという古代の仮面を思い起こさせる。巨大な鳥、あるいは龍の骨のような形状の仮面に、曲線と渦巻きを中心とした模様が描かれている。モリアティの視線がそれに吸い寄せられていると、明らかに口らしい位置の奥の奥から、言葉が響いた。


『駄目だ』


 モリアティの心臓は限界まで跳ねていたが、一瞬で凍り付く。息が出来なくなり、気が遠くなる。目が回って闇雲に手を伸ばす。そして何かを掴んだ。木だ。椅子だ。寄りかかろうとしたが、上下は既に失われていた。


 そしてモリアティは恐らく、椅子ごと床に転がり落ちたのだろう。


 一体、何がどうなっている。


 どれだけ時間が経ったのだろう。気がつくと目の前にはラルフの馬鹿面が浮いていた。


「何だ。何がどうなっている」


 起き上がろうとしたが、目が回る。ラルフは慌てた様子でモリアティの肩を押さえ、再びソファーに横たえさせようとした。


「大丈夫ですか大使。ご気分は」


「悪い」


 呻いてから、差し出された冷たいハンカチで顔を拭う。ようやく自分がどこにいるかわかった。五帝国会議の大使室だ。その前は――


「何がどうなった」


「大使は議場で倒れられたのです。医師が言うには一時的なものだろうと――」


「倒れた?」そしてようやく、記憶が蘇ってきた。「Dloopはどうした」


「Dloop、ですか?」


「あぁそうだ、Dloopだ! ヤツがいた!」


 ラルフは当惑して、左右を眺めた。


「そんな話は聞いていませんが。ただ川路大使が入られたら、大使が床に倒れられていたと」


 そんな馬鹿な。


 あれが幻覚だったとでも言うのか? あの強烈な威圧感のあるローブ、恐怖心を呼び起こさせる仮面、吐き気を催させる音、Dloop、Dloop――


「去れ」理解出来ない様子のラルフに、重ねて言った。「去れ。私は大丈夫だ」


 部屋に一人になり、モリアティはハンカチに顔を埋めた。今になって恐怖が蘇ってきて、身体中が震える。あのDloopが――記録にあるだけでも百年はまともな会話すらしようとしなかった存在に、自分は目を付けられた。


 ヤツは何と言った? そう、何か言った。あれは確か――


「止めろ?」


 そう、確か、止めろとか、駄目だとか。そんな言葉だった。だが、一体何を? 自分があの異星人を困らせる、何かをしたというのか?


 ――駄目だ、頭が働かない。


 モリアティはなんとか立ち上がり、面会室の続きになっている執務室に足を向ける。しかし扉を開けた途端に氷点下の風が吹き付けてきて、さすがに肩を落とした。窓が開いている。そして壁際に置かれた黒板の前に奇妙な歪みがあり、両目の位置にある僅かな揺らぎが、じっとモリアティを見据えていた。


 疲れた。少しは放っておいてもらいたい。


 思っているモリアティの前で、空中に浮かんだチョークが流れるように動き、黒板に文を綴った。


『何かあったのか?』


「あぁ。散々だ。悪いがアポイントメントを取り直してくれないか」


 言ったモリアティに、チョークが応じる。


『期限だ』


「期限だと? フン、期限に追われているのが自分だけだと思っているのか。この世界では誰も彼もが忙しいのだ。死に向かうのでな」チョークがキリキリと音を立て、モリアティは頭を抱えた。「わかったわかった。まったく、君は冗談が通じんな。今度ジョンに、もう少し話のわかるのと変えてくれるよう頼んでみることにしよう。とにかく、頼まれた物は用意した。オリハルコン蒸気機関の貨物船、オリハルコン・インゴット二本。それに――なんだかいう、例の鉱石だ」


『インゴットは五本の約束だ』


「二本だ。今はそれで我慢しろ。いくら私でもオリハルコンの調達は骨が折れる。役人への賄賂やら何やら、色々。だいたい帝国内のインゴットは殆どがバーミンガムにあるのだ。飛行船で運ばせても一週間かかる。もう少し待て」


 歪みは少し考え込み、やがて諦めたように文字を続けた。


『船はいつ』


「昨日香港を出たというから、あと二日はかかるな。横浜の第三埠頭に泊めるから、あとは好きにすればいい。カティーサーク。あの伝説的な船の名を継いでいる最新鋭の蒸気船だぞ。誇りに思え」


 何事か考え込むよう、歪みは宙を仰ぐ。それを眺めつつモリアティはブランデーを口に含み、飲み込んだ。ようやく頭に血が巡ってくる感覚が得られる。


 しかし果たして、この話をしていいものか。


 考えたが、他に手はないように思えた。いや、考えるだけ無駄なような気もしてくる。


 既に私は、ドツボに填まり込んでいる。毒を食らわば皿まで。その気概で行くより他にない。


「しかし不思議だな。騎兵隊を壊滅させられる戦力があるのなら、どうして自分たちでそれを集めない。フィラデルフィアを襲えば、オリハルコンなぞ奪い放題だろう」


 言ったモリアティに、歪みは気もそぞろな風で応じた。


『そこまでの力はない。我々に出来るのは奇襲だけだ』


「それで君らは、オリハルコンで何を作っている。なんでも巨大な機械らしいが――蒸気戦車か? いや、それは戦争には向かんという結論に達したとか。それも百年も前にだ。では何だ」


『お前の気にする事ではない』


「いや、そうもいかん。我々は取引をした。君らの力のほどによって、私の戦略も変わる」何かを書きかけた歪みを、モリアティは片手で制した。「まぁ聞け。君らをもっと援助するためには、私も力を示す必要がある」


『既に示した』


「もっと大きな力をだ! そう、例えば――ノーフォークなど、丁度いい」


 歪みはモリアティに向き合った。そして一対の透明な瞳で凝視する。


『造船所か』


「あぁ! 簡単だろう。なに、制圧する必要はない。ただ当面船を作れない程度に設備を破壊してくれさえすればいいのだ」CSAも大英帝国も海軍国だ。騎兵隊は大きな脅威とはいえ、船がなければ運べない。「そうすれば我々はもっと、君らを楽に援助することが出来る。だろう?」


 しばらく、歪みは考え込む。


 どれだけの権限がレヘイサムから与えられているのか知らないが、やがて彼は慎重に文字を綴った。


『インゴット二十本』


「それはまた吹っ掛けてきたな。我々が年にDloopから受け取るオリハルコンの一割だぞ」


『それで君らは、ノーフォークを落とせるのか?』


「いや、無理だ」正直にモリアティは答えた。「まず艦隊を近づけただけで感づかれる。しかし君らなら――」


『可能だ。しかしそれ相応の被害が出る』


「そして、オリハルコン十本を得られる」


『二十本だ』


 まぁいい。もうどうにでもなれだ。


 モリアティは笑い、片手を差し出した。


「いいだろう。二十本だ。それでノーフォークを――そうだな、半年は使い物にならん程度に破壊してくれ」


 一度透明人間という物に触れてみたかったが、彼は応じなかった。ただ僅かに不安を感じさせる調子の文字を、黒板に書き付ける。


『いいか、もし君が約束を違えるような事があれば――』


「あぁ、心配するな。そうなった時は既に、私は死んでいる」


 それだけは間違いない。


 やはり私も狂ってるのかもしれんな。


 モリアティは思いながら、風のように窓から去って行く歪みを見送った。

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