6. オリハルコン

 岩山は冶金学の技術者――というより、どちらかというと職人のようだった。大小様々な蒸気機関の部品を触れる様子は手慣れていて、金槌や火鋏を扱う動きに迷いがない。その彼は作業場に現れた三人に対し、拡大鏡で小さなボイラーを改めつつ言い放った。


「高けぇぞ、これは。最低三百円」


 ミッチーはすぐ、身を引きつらせた。


「え、いやいや、いくら何でも吹っ掛けすぎでしょ! そんな金ないって!」


 どうやらこれが大久保候ならぬミッチーの人格らしい。侯爵家ならば難しい額ではないだろうが、それでも大金は大金だ。しかし岩山は当然のように応じる。


「そのイギリス製の外套を売りゃぁ、百円にはなるだろ。フン、何でもかんでも高けぇもん買いやがって。これだからボンボンは嫌ぇだ。それで他の連中から一目置かれるとでも思ってんのか」


「そんなつもりないって! 頼むよ親父さん、この服は気に入ってんだよ。なんとか五十円くらいにならない? それくらいなら――」


「この部品はもう売ってねぇんだ。俺が一から作らなきゃならねぇんだぜ? しかもオリハルコン合金製だ。明治の頃の陳腐な合金だが、オリハルコンはオリハルコンだ。鉄じゃどうにもならねぇ。おう、ウチみたいな胡散臭い店がまともにオリハルコン・コインを仕入れられると思うか? ビットだって無理だ」


「あ! それならなんとかなる!」と、薬指から白銀色の指輪を外す。「これ、五グラムの純オリハルコン製。余ったら好きにしてもらっていいし」


 岩山は怪訝そうに指輪を受け取り、近接鏡で眺める。


「ったく、貴重なオリハルコンを装飾品なんぞにしやがって。まぁいい。代わりに今月は店番やってもらうぞ。金曜と土曜だ」やった、と素直に喜ぶミッチーから、岩山はため息を吐きつつ利史郎と知里に目を向けた。「それで? このボンボンをひっ捕まえに来たんじゃなかったら、何の用だ」


 知里と顔を見合わせる。任せる、というように顎で指され、利史郎は一歩足を進めた。


「ご承知かとは思いますが、山羽美千代さんの件で」


 岩山は片眉を上げ、ぶっきらぼうに二人を店内に促した。


 店の二階には簡単なソファーと椅子があり、岩山はビールをラッパ飲みしながら利史郎の話を聞く。彼は終始沈鬱な様子で、目を閉じて額を指先でさすり続けていた。


「それで――何を何処まで聞かれているか知りませんが、彼女は非常に危険な状況に置かれているとしか思えません。もし、何かご存じなら教えて戴きたいんですが」


 ミッチーは奥の方にあるプール台で一人遊びながら、こちらの様子をチラチラと窺っている。岩山は彼を一睨みして遠ざけてから、大きく息を吐いて言った。


「別に何も知らねぇよ。ただ家から逃げてきたってぇから、少し置いてやっただけだ」


「黒薔薇会。彼女が所属していた何らかの組織。貴方もその一員なのですよね」


「なんだそりゃ。俺はただのガラクタ屋――」


「ただのガラクタ屋さんは、オリハルコン合金の作り方なんて知りませんよ」ハナの知識が役立った。「国内でオリハルコン合金を作れるのは、山羽重工と芝浦製作所、あとは釜石製鉄に限られています。貴方は、どちらのご出身ですか」


 これはどうにもならない、というように頭を掻き、彼は言った。


「山羽だよ。一郎の同期だった。美千代ちゃんの事は子供の頃から知ってて、俺が仕事を辞めて店を始めてからも、たまに遊びに来てくれてた。それだけだ」


 利史郎は身を乗り出し、視線を合わせようとしない岩山の顔を覗き込んだ。


「僕の知る限り、黒薔薇会は五人のメンバーから成り立っていた。ロシア人設計者のミヤコン、地質学者の石川、山羽美千代さん、あなた、そして未だ正体の知れないもう一名。ミヤコンと石川は死に、それに関与している怪しげな女は未だに美千代さんを追っている可能性が高い。田中久江は非常に危険な存在です。彼女は岩山さん、あなたをも狙っている可能性が高いんですよ。そのまま知らぬ存ぜぬを通すようであれば、美千代さんだけではなくあなたも危険に――」


 そこで唐突に岩山は顔を上げ、利史郎を見つめ返した。


「川路、利史郎。だったよな? 利史郎さんよ。あんた幾つだ」


「――今年で十八ですが」


「なんで探偵なんかやってる」言葉を探す一瞬のうちに、彼は問いを重ねた。「親御さんは、どう言ってる」


「父、ですか? それは特に、何も」


「好きにさせてもらってる? そもそも好きでやってんのか、あんた、探偵を。それとも家業だから、やって当然と思ってるだけなのか?」


 利史郎は苦笑いした。


「すいません、何の話だか――」


「それが〈帝国〉なんだよ。くだらねぇ。他にやりたいことはないのか? 女の子と遊びたいとか、二輪で飛ばしたいとか、何でもいい! 本当に、自分がやりたいことだよ。何かねぇのか?」


 利史郎は返答に困った。それと話術の類似点を感じる。レヘイサムだ。彼の言葉と岩山の言葉、語彙は違うが、内容は酷く似通っている。


 そして店にあった、標的印。


「〈彼〉はこの件と、どういう関わりがあるんですか」


 鋭く尋ねた利史郎を、岩山は何か品定めするように眺める。そしてビールを口にしてから立ち上がり、利史郎を促した。


 彼は向かった作業場で、ミッチーから受け取ったオリハルコンの指輪を取り出す。それを小さな坩堝に入れて火鋏で掴むと、盛んに炎を上げる炉の中に差し入れた。


 オリハルコンが溶解するのに、少し時間がかかった。白銀色の個体は溶けるに従って半透明になり、やがて虹色のような、不可思議な光の屈折を見せ始める。


「オリハルコンだ」岩山は言って、坩堝を引き出す。虹色の液体は瞬く間に冷え、元の白銀色を取り戻した。「こいつは焼きの入れ方だけで、どんな性質にも変えられる。銅、鉄、金、銀、鉛、何にでもなる。まさに魔法の金属だ。加えてこいつをほんの少し入れてやるだけで、あらゆる金属の性質を自由自在に変えられる。こいつのおかげで蒸気機関は鉄製の数倍の圧力に耐えられるし、圧力管は街の隅から隅まで高温高圧の蒸気を送ることが出来る。二百年前の装置だって殆ど錆びてねぇし、ちょっと磨いてやるだけで現役だ。それにゼンマイ。オリハルコンゼンマイは強力な力の保存装置だ。保存と解放における損失は一割以下。これまでに人類が発明したどんな装置でも、こいつを上回ることは不可能。考えるだけ無駄って代物だ。それで最も重要なのは――こいつを製造できるのは、Dloopだけだってことだ。そしてDloopが地球上の植民地とした五カ所――D領を置いた国に対価としてオリハルコンを供給したから、そいつらは五帝国として栄えることになった。知ってるか?」


「――概ねは」


 答えた利史郎に、岩山は頷いた。


「そう。だが、そんなことはどの教科書にも載ってねぇ。ある程度の社会的地位にあるヤツが、漠然とした一般常識として把握しているだけで。不思議だと思わねぇか? どうして誰も、この現代社会の基本的な仕組みを、はっきり説明しない」


「それは――誰もがみんな、土星から来た異星人に命運を握られていると思いたくないからでしょう」


 突然、岩山は吹き出した。まるで利史郎が最高の冗談を口にしたように笑い、最後には目尻を拭いながら言った。


「まぁ、そう、そうなんだろうな。それが普通の考えだ」


「しかし――レヘイサムは、違う?」


 そう、言っているように聞こえた。だが岩山は直接は答えず、耐火手袋を放り投げ、タオルで汗を拭う。


「少なくとも美千代ちゃんは――いや、一郎も、こう考えてたよ。『オリハルコンは人類にとっての軛だ』とな」


 それまで知里は辛抱していたようだったが、ついに我慢がならなくなった様子で口を挟んだ。


「なんで賢い人は、そういう回りくどい言い方しか出来ないのかしらね。それが、この事件とどういう関係が?」


「賢くはねぇよ、賢くねぇ」岩山は笑った。「それに直接の関係もねぇ。ただなんて言うか――俺には美千代を止められなかった。ひょっとしたら、何にも知らねぇヤツじゃねぇと、彼女は止められねぇのかもな」


 これもまたレヘイサムの論法と似ている。利史郎は率直に尋ねた。


「つまり彼女を救いたければ、彼女のことを知るな。そう仰るのですか」


「そうとも言える」


「しかし彼女に何があったのか、彼女が何をしようとしているのかがわからなければ、救いようが――」


 そこで岩山は懐に手を入れ、一本の蝋管を取り出し、机の上に叩きつけるように置いた。


「それは?」


「美千代ちゃんが忘れてった物だ」


 そして岩山は二人のことを意識から外したようだった。遮光ゴーグルをかけ炉の鞴を強く踏み、自らの作業に没頭した。

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