4. 浅草

『2077年1月28日木曜日、お昼のニュースです。人道援助を名目としてオンタリオへ侵攻したCSA部隊がイギリス軍の抵抗を受け全滅したというBBCの報道について、イギリス大使モリアティ伯爵は事実関係の確認を拒否した上で、オンタリオに対する大英帝国の主権を改めて強調しました。一方バートレットCSA大使は詳細は不明としながらも、イギリス軍はCSA部隊の保護下にあった現地住民もろとも新型兵器を用い虐殺した疑いがあるとし、納得できる説明がなければ宣戦布告も辞さないと、強い口調で非難しました。』


 きっと牧野警部から利史郎の八丈島行きを聞かされたのだろう、昼過ぎに利史郎が竹芝に戻ると知里が待ち構えていて、血気盛んに唾を飛ばしてくる。


「私はあんたの助手でもなければ、子守でもないの。わかる? 勝手に動かれたら困るの。じゃあ私も勝手にする? それでいい? でも上司に睨まれてるから、それは無理なの。それが役人の悲しいところなの。わかる?」


「そういう反応を恐れて、説明を牧野警部にお任せしたんです。貴方のレヘイサムへの感情もわかりませんでしたし」


「感情? 何の」


 馬車を捕まえて乗り込むと、当然のように知里は向かいの席に座った。


 参ったな、と思いながらも御者に言う。


「横浜に」


 その指示を、知里は上書きした。


「浅草」


「浅草?」


 問い返した利史郎を、血走った目で睨みながら身を乗り出させる。


「いいから。私があいつに、どういった感情を持ってるっていうの」


 勘弁してもらいたい。


 馬車は東海道を東に向けて走り出している。利史郎はため息を吐きながら、仕方がなく答える。


「彼は分離主義者です。そして貴方は蝦夷だ」


「私があいつの肩を持つとでも言いたいの? 蝦夷共和国万歳、独立万歳って?」


 彼女の挑発的な言動には付き合っていられない。それより今は考えなければならないことが山ほどある。レヘイサムは何を何処まで知っているのか? この事件に何か、関わりが?


「言っておくけどね、あいつのやり方は最悪。あいつが暴れたせいで、外地がどれだけ面倒なことになってるか知ってる? 知らないでしょ。所詮、あんたは内地専門の探偵だもんね。圧力管も電信も来てない外地のことなんて知るわけがない」


「そんなことはありません。僕は呂宋や満州でも事件を――」


 いや、それより問題は、レヘイサムがあの監獄で何をしているのかだ。彼の組織については十分に明らかにはなっていないが、少なくとも指名手配されている十数人の人員と四体の怪人が未だ捕らえられていない。彼が看守を買収し、獄中から指示を出している可能性はあるだろうか? あの刑務所長は一度調べてみる必要が――


「どうせ呂宋でも満州でも五つ星な帝国ホテルに泊まって、華族様の引き起こしたくだらない痴話喧嘩や相続問題を扱ってたんでしょ。そんなんじゃ私たちの生活がわかるはずがない。いい? 外地の人はね、ただ、そのまま生きていたいだけなの。それを帝国にしろレヘイサムにしろ、あぁしろこうしろって首を突っ込んでくる! 一体何様だっての!」


 そうだ、八丈島に繋がっている電信は、全て逓信省に記録が残っているはずだ。下手に刑務所そのものに手を付けるより先に、そちらを先に洗った方がいい。もしレヘイサムが外部に暗号文でも送っていれば、それでわかるはずだ。


「霞ヶ関に!」


 身を上げて御者に言った途端、知里は叫んだ。


「ふざけてんのか、このクソ餓鬼!」


 当惑したように馬車は速度を落とす。その瞬間、耳元にレヘイサムの声が蘇ってきた。


『時間がないぞ少年!』


「いい加減にしてください! こっちこそウンザリだ!」


 叫び声が出てから、自分が叫んだことに気づいていた。一瞬で我に返る。目前の知里は目を丸くし、硬直し、座席に身を戻す。


 何かがおかしい。どうかしてる。


 利史郎は頭を振ってから、怯えた様子でこちらを伺っている御者に言った。


「浅草でいいです。お願いします」


 そして利史郎も席に沈み込む。頭が痺れ、目が痛み、何も考えられなかった。そうして腕を組み目を閉じていると、知里が興味深そうに言った。


「おやまぁ。あんたも、そんな風に怒るんだ」


 彼女の良く使う手だ。あえて挑発的な言動をして、相手の内面を探る。


 わかってはいたが、すっかりやられた。しかし好きな手ではない。利史郎は再びこみ上げてきた怒りを辛うじて飲み込み、言った。


「それで、浅草に何が?」


「レヘイサムの別名、怪人二十面相」簡単には矛先を逸らさなかった。「相手によって顔も言葉も使い分ける。そういう――何だっけ? 人心誘導、っていうの? そういうのが凄いヤツ」


「そう、言われてますね」


「何言われたか知らないけどさ。敵のペースに嵌まったら、大抵失敗する。これ、私の持論。敵ってのは、人だったり、時間だったり、色々だけど」


 そして彼女は鞄の中から雑誌を取り出し、利史郎の膝の上にに投げた。上流階級婦人向けの生活誌だ。折り目の付けられたページを開くと、奇抜な格好をした若者たちの絵が描かれていた。ゴーグル、シルクハット、レザーベストにブーツ。至る所に歯車があしらわれていて、背にはゼンマイを担いでいる。どうやら店舗の宣伝らしい、古風な書体で〈二十世紀堂〉という名が記されていた。


「――えぇ、ここも当たらなければ」そして雑誌の表紙を改める。「これはもしや、美千代さんの部屋にあった」


「そ。黒薔薇会って何なのかしらね。妙な集まり。山羽のお嬢様に、地質学者、飛行船の設計者、そしてパンクの元締めだなんて」


「パンク、ですか」再び雑誌を開き、機械的な格好の人々を眺める。「一時期分離主義者との関連が疑われたと聞いていますが、僕は直接関わったことは――知里さんは?」


「私が知るわけないじゃない、こんな頭の悪い連中のことなんて」とはいえ、全く知らない訳でもないらしい。「結局は歌舞伎の一派よ。イギリス発祥の歌舞伎。派手な格好をして衆目を集めたいだけの、中身のない成金たちが行き着くところ」


「それ以外の意味はない?」


「牧野さんは連中の資金が分離主義者に流れてるんじゃないかとか疑ってたけど、どうかしらね。レヘイサムが捕まって、その方面の捜査人員は減らされちゃったし」


 その店は帝国の文化的中心地、浅草の歌舞伎座や新凌雲閣の付近にあるらしい。


 馬車で三十分ほどで辿り着いた浅草は、相変わらず老若男女で賑わっていた。浅草寺前の仲見世通りは先が見えないほどの人の山で、歌舞伎座や帝都宝塚には行列が並び、特に先年出来た活動写真の開進館は招待券がなければ入れないほど人気だという。


 服装も和洋が半々といったところだったが、やはり奇抜な装いの若者がちらほらと見かけられる。それこそ歌舞伎のような派手な羽織を着る者、真っ赤で巨大なカツラをかぶる者、そして――パンクと呼ばれる機械的な装置を身にまとった者。


 数はそれほど多くない。しかし目立った。シルクハットに高価な電球を内蔵し光らせる者、背中に金属の小さな羽を付けて羽ばたかせる者、様々だ。それは殆ど大道芸人に近い様子で、チラシを配ったり店の宣伝文句を唱えたりしている。


「あれは格好だけの似非」


 眺めていた利史郎に知里は言い、裏通りに進んでいった。和洋様々な小物店が軒を連ねる一角だったが、奥まった所に朽ちかけた小工場らしき建物が現れた。レンガ造りだが壁面を圧力管が縦横無尽に走り、二階の軒先からはクレーンが突き出ている。それは店のデザインの一環なのだろう、入り口には雑誌にあった〈二十世紀堂〉という看板が掲げられており、時折無意味に圧縮蒸気が噴出する仕掛けが施されていた。派手に鐘の鳴る音に目を上げると、楼観では複数の歯車が絡み合った大時計が午後三時を指していた。連動したチェーンがガラガラと巻き上げられると天使か何かを模した機械人形が現れ、鐘の音に併せて楼観の周りを飛び回る。


「江戸時代のカラクリ屋の系譜ですか」


 言った利史郎に、知里は首をかしげる。


「さぁ。私もそこまで詳しくないし」


 そして開きっぱなしの扉に足を進める。


 中は雑貨屋と立ち飲み屋が一体となっている様子だった。足の長いテーブルが十脚ほど置かれ、二十人ほどの機械的な格好をした若者たちがビールを口にしている。カウンター側には大小様々な装置が陳列され、圧力管やゼンマイを繋いで動きを試している者もいた。二人が一番に目をとめたのは、ゴム製のチューブが口から伸びているガスマスクだった。手に取って改めると、内張にキリル文字が印刷されている。ロシア製だ。


 壁には海外の雑誌や新聞の切り抜きが飾られていたが、その一角に見覚えのある印が大きく描かれていて、自然と目が吸い寄せられる。ライフル銃の照準を模した、二重円に十字。そしてやはり、レヘイサムの関連記事が一面に掲げられていた。当然、利史郎が彼を捕らえた時の号外もある。ハナが笑顔で親指を立て、利史郎は帽子で顔を隠している、あの写真だ。


 これだから常識に則った牧野警部の推理は馬鹿に出来ない。明らかにこの店は、何らかの形で分離主義者と関係がある。


 これは不味いところに、不用意に来てしまったかもしれない。


 思いながら知里に顔を向けると、彼女も苦い顔で頷く。だが時既に遅し、というやつだった。既に二人は若者たちの注目を集めていて、あれは川路利史郎だろう、という声も聞こえてくる。


 神経を研ぎ澄まし、自然と懐の銃に手を伸ばす。しかし襲われるということはなく、すぐにカウンターの奥にいた男が声をかけてきた。


「少年探偵さんだろ。何の用」


 短髪で筋肉質、顎に髭を蓄えた中年の男だ。〈黒女〉が収集していた黒薔薇会の記録にあり、ロシア外交官が指し示した岩山という男に違いない。肌や髭に無数の小さな焦げ跡がある。彼は店主兼、この機械装置類の創作者なのだろう。


 やっと生きた関係者に出会えた。


 そう奇妙な安堵をしつつ、利史郎は懐から手を出し帽子を取って頭を下げた。


「お騒がせして申し訳ありません。実は事件の捜査で――」


「彼はもう捕まっただろう。ウチはただ、彼の記録を残してるだけだ。別に彼の地下出版なんて扱ってないぜ」と、知里に目を向ける。「そっちは刑事さん? ウチはちゃんと届も出してる、まっとうな店だぜ?」


「残念だけど、それはお上の胸先三寸なの。知ってるでしょ?」


 その時利史郎は、二人の少年がそれとなく店を出ようとしているのに気づいた。一人は銀のゴーグルに銀色の髪、今一人は黒髪にシルクハットを乗せ、首から脇にかけて豪華な束帯をかけている。


 平静を装っているが、動きがぎこちない。何者だろう。そう観察する利史郎の視線に気づいた瞬間、二人は一目散に店外に駆けだした。


「知里さん!」


 叫び、二人を追う。何者かは知らないが、逃げるのにはそれ相応の理由があるはずだ。

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