2. フクロウ博士

 雪が降りそうな空気だった。空気が張り詰め、冷気が首筋から入り込んでくる。馬車を降りた利史郎は蒼い外套の首元をかき寄せつつ、白い息を吐く知里を目の前の洋館に促した。


 古く小さくはあったが、しっかりと手入れが行き届いている。以前は近衛の公爵の物だったらしいが、周囲が開け付近に人家がなく監視がしやすいという利点から、今では数人の警官が常時張り付く特異な場所となっていた。正門で名刺を出し身体検査を受け中に入ると、すぐに独特の匂いに包まれた。鳥の匂い、そしてカビの匂いだ。本来はロビーである場所は背の高い本棚に覆われていて、床にも洋書や和書、巻物といった代物が積み上げられている。それらの奥はランプの光が届かない暗闇に包まれていたが、何かがかさこそと蠢く気配があった。


「博士」


 外套と帽子を脱ぎつつ、闇の奥に呼びかける。知里はマフラーを外しながら周囲を眺め、囁いた。


「何、ここ。どうして私が知らない警察の施設をあんたが知ってるの。博士って誰。どうして軟禁されてるの」


「色々と事情があって――」


「誰だ? 利史郎君か?」


 闇の奥から声がした。深く、知性を感じさせる声だ。利史郎は道中の屋台で買った紙袋を掲げてみせる。


「えぇ。博士の好物を持ってきましたよ。おやきです」


「中身は?」


「当然、挽肉です」


 ロビー全体に笑い声が響いた。そして衣を引きずる音と共に、闇の中から大柄な影が歩み出てきた。そしてその全身が明かりの届く所に達すると、巨大な目がくるりと動き、興味深そうに知里を見下ろした。


「それで、こちらのお嬢さんは――何方かな」


 声と共に、濃密な鳥の匂いが漂ってくる。言われた知里は途端に息を詰め、身構えた。


「――怪人?」


 怪人以外になかった。背丈は二メートルほどあったが、その丸々とした身体の幅も一メートル近くある。尤もその大半は鼠色の羽毛で、本体は半分もないことを利史郎は知っていた。それでも頭は十分に大きく、黄色い目は利史郎の拳ほどの大きさがあり、嘴は鋭く尖っている。彼は知里の言葉を受けてうなり声を発すると、フクロウ独特の不可思議な動きで首を回し、言った。


「お嬢さん、私に会ったからには、怪人に対する一般的な認識は改めてもらわなきゃならないと思うよ」


「フクロウ博士です。今に残る殆ど全ての文献を目にし記憶している、まさに生き字引です」


 未だ身構えている知里に言うと、博士は羽と手が融合した腕を胸の前に掲げ、丁寧にお辞儀した。


 ロビーの奥には、辛うじて頭を覗かせている丸テーブルがある。フクロウ博士は利史郎を椅子に、知里を積み上げられた本に促すと、自分はソファーに座って早速おやきを口の中に放り込んだ。


「一般に怪人は害のある存在だとされていますが、それは単に彼らの価値観が根本的に人間と一致しないことが多いからであって――博士のように知性があり、人に協力的な存在もいるんです。現にレヘイサムと蝙蝠男を捕らえることが出来たのも、フクロウ博士の助言で閃光弾を用意していたおかげで――」


 利史郎は知里に向けて説明したが、博士はもう一つおやきを丸呑みしてから楽しげに言った。


「それはどうかな。協力的? そう思うなら、この家を見張ってる連中は何なのかな」


「それは――」


「いや、皮肉を言っただけさ。私だって、いつまで私でいられるか、全く自信がないんだ。これは二十世紀中頃の柳田博士の研究成果だが、一般に怪人は人類の総数に対し十万分の一程度の割合で発生するとされる。つまり大日本帝国内地の臣民四千万の中で、怪人は四百体ほど存在するだろう。その中で〈まとも〉――」そこで言葉を切り、考え込むよう宙を窺う。「いや、人類と価値観を共有できているのが何体いる? 私を含めても十体かそこらだろう。そして――残念ながら怪人は不安定な存在であるケースが多い。君も気をつけた方がいいぞ? いつか私の中のスイッチが入って、急に君を丸呑みするかもしれん。フクロウ博士ならぬ、怪人フクロウ男の誕生だ」


 腹の底から笑う博士に、利史郎は苦笑いする。そして鞄から例の小瓶を取り出しつつ、彼に最近の経緯を説明した。


 十個ほどあったおやきはすぐになくなり、博士は嘴で毛繕いを始める。そして利史郎が説明を終えた時には大きな翼をはためかせ、辺りに細かい羽毛をまき散らした。


「ふむ。それは興味深い出来事だ。ちょっとその液体を、よく見せてくれないか」


 差し出した小瓶をかぎ爪で掴み、興味深く眺める。途端に中にあった黒い粘液は激しく波打ち、驚いた博士は慌てて取り落としそうになる。すぐさま利史郎は手を差し出したが、博士はそれを制し、瓶を掴み直して粘液の動く様子を眺める。


「僕が見たときは、これほど動かなかったんですが――」


「私が怪人だからか?」


 さぁ、と曖昧に答える利史郎。博士は次いでコルク栓に鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ、瓶を振り底から眺め、やがて満足したように頷くと、瓶を机の上に置く。途端に液体は動きを止めた。


「奇妙だね。しばらく借りて良いかな。私なりに分析出来るかもしれない」


「しかし――危険ではないですか。〈黒女〉の正体、それにどんな力を持っていたかについて、僕らは何も知らないんです」


「なに。馬鹿な真似はせんよ。それで君は、その〈黒女〉が何者なのか、知りたいと。そういう訳だね?」


「えぇ。何か心当たりはありませんか」


 しばし博士は中を見上げたが、結局は頭を振った。


「ないなぁ。そもそも君の言う〈黒女〉は、根本的な点で普通の怪人とは異なっているように思えるよ」


「それは?」


 ふむ、と博士は頷き、少し飛び上がり巨大なかぎ爪でソファーの背もたれに掴まった。


「君ら人類に怪人と呼ばれる存在は、大きく二つに分けられる。知っているかな?」


「いえ」


「明らかに生物である存在と、そうでない者だ。前者は私のように、血と肉と骨で出来ている。元の生物が――人であったり、動物であったり、色々だが――それが何らかの理由で――それが何なのか、未だに私も知らないが――似た何かに変異した存在と思われる。十九世紀中頃以降、〈学問体系〉というものの本質が理解されるに従って確実な怪人の記録が残されはじめるようになったが、そこに現れる殆ど全てがこれだ」


「僕も、そうした存在としか出会ったことがありません。それこそミイラ男、蝙蝠男、蛇女――容姿や力は色々ですが、全員生き物としての限界があった」


「そう、彼らは基本的には生物の欲求――生存と繁栄――のために生きており、重要な器官が損なわれれば――それは頭や心臓でないこともしばしばあるが――普通に死ぬ。一方、後者の〈そうでない者〉――これはそもそも、記録に残すことが出来ないが、確実に存在している者だ。例えば幽霊と呼ばれたり、亡霊と呼ばれたり――神や仏、天使といった類いだ。生物のようではあるが血と肉と骨を持っているのかも怪しく、恐らく精神世界の住人と思われる。彼らについての研究はイギリスが中心だ。知りたければ文献を幾つか貸そう。プラヴァツキーや鈴木大拙がいいか。その存在は十分に解明されているとは言いがたいが、一つの共通点はある。彼らにとって重要なのは精神や世の理であり、血や肉ではないという点だ」


 そこで博士は頭を九十度傾け、利史郎を見つめた。


「それで君の言う〈黒女〉とは、どちらに属する存在だと思うかね?」


「――前者のように思えますが」


「いやいや違うぞ利史郎君。君は〈黒女〉を操っているのは、その〈黒い血〉だと考えているのだろう?」


 そんなことは言っていない。しかし言われてみると、そう考えるのが妥当なように思えた。〈黒女〉は心臓を撃ち抜かれても生きている。それ単体でも蠢く〈黒い血〉。すなわち〈黒女〉を動かしているのは、〈黒い血〉――


 表情を渋くして考え込む利史郎に、博士は楽しげに笑った。


「そう、君の見た事例からして、〈黒女〉の主体は肉体ではなく、この〈黒い血〉だ。そう考えるのが妥当だね。では〈黒い血〉は生物か? 否だ。もちろん〈黒い血〉の正体が無数の油蚤であるという可能性もないわけではないが――いずれにせよ今までの五段階分類の枠からは外れている。五段階分類は知っているだろう?


 一類、ヒトに非常に近い者。これはヒトと同じか、それを上回る知性を持っており、外見もヒトに限りなく近い。しかし明らかな外見上の異常がある。目がなかったり、口が妙な所にあったり、腕が四本あったり――そういう類いだ。彼らはヒトから生まれ、すぐに捨てられるか殺されたりする。だから極めてヒトを憎んでいるケースが多い。


 二類、これはヒトと動物との融合種だね。蝙蝠男、蛇女――非常に多い一般的な怪人だ。彼らの知能は劣っている。幼児並みだったり、酷く偏った考え方をしたり――だからヒトとの共生は難しい。彼らがどうやって生まれているのかは不明だが、元はヒトだった者が何かをきっかけに変異してしまうのだと言われている。その動物に噛まれたとか、呪われるような事をしたとか――そういう事例が多く観察されている」


「あんたは――二類?」


 尋ねた知里に、フクロウ博士は首をひねる。


「分類的には、そうなる。ただ私の場合、博識なフクロウとの融合種故、ヒトを上回る知能を持つという極めて異例な存在だと付け加えておく。また念のため断っておくが、私は元がヒトだったとか、そういう記憶は一切ない。持つ者はいないんじゃないだろうか。ただ気がつくと森の中にいて、途方に暮れていた」


 当時を思い出すよう宙を見上げ、ブルブルと身体を震わせた。


「話を戻そう。三類、彼らは元はヒトだったが、何かを切っ掛けに怪人となる。呪いだとか憎しみだとか、そうしたもので変化すると言われているが、よくわからんね。最近で有名なのはミイラ男だね。彼は元は発圧所の職員だったが、上司の怠慢のおかげで高温蒸気を浴び全身がタダレてしまった。それでも彼は生き残り何故か火を吹けるようになり、上司に復讐を果たした。キミが以前、扱った事件だね」


 利史郎は頷き、付け加えた。


「状況として憎しみが彼を生かしたのでしょう。それをレヘイサムに利用され、今は彼の手下になっています」


「そうだったね。さて、最後に五類だが――」


「待って。四類は? 前から疑問だった。どうして四類がないの?」


 遮った知里には、利史郎が応じた。


「以前は三類の一部が四類に分けられていたのですが、同じ分類で良いだろうということになって廃止されたんです」


 フクロウ博士は頷く。


「大本は百年前の柳田博士による分類だからね。当時は確実な記録も少なかったから、呪いによる変化は別の者とされていた。さて、五類だが、これは本当に謎だ。殆ど動物並みの知能しかないが、確実にヒトと関わり、食ったり、騙したりしようとする。人間社会の闇から生まれるとも言われるが、よくわからんね。以前は怪人ではなく妖怪などと呼ばれていた類いの連中だ。先日捕らえられた口裂け女。典型的な五類だ。


 現状確認されている〈ヒトに近いがヒトではない何か〉というのは、全てこの四つの分類に当てはまる。彼らを捕らえたとしても、長期的に隔離しておくことは人類にとって困難だ。そのため一部の例外を除いてDloopに引き渡される事になっている。一部の例外とは、私のような存在のことだがね。


 さて、そこでキミの言う〈黒女〉は何者だろう。強いて言えば三類に近くはあるが、明確に反する点がある。三類は元はヒトだ。赤い血を流すし、心臓を撃たれれば死ぬし、生き返ることもない。やっぱり普通の怪人とは違うように思えるねぇ」


 やはりフクロウ博士でもわからない相手か。


 さて、どうしたものかと利史郎は考え込む。その様子を大きな目で眺め、フクロウ博士は付け加えた。


「お役に立てなくて悪いね。でも君なら〈黒女〉が何者なのか、すぐに探り出せるよ」


 どういう意味だろう。


 利史郎は意味を取りかね、率直に尋ねる。


「それはお世辞でしょうか」


「そうじゃないよ。つまりだ――これは君も知っていることだが、私は非常に億劫な存在だ。これだけの書物が世にあるのに、外に出て実際に調べるなんてことは時間の無駄だと思えてね。だから君ら人類との取引に応じ、ここに留まっている。しかし世の中には、その価値を知らないまま、非常に重要なことを沢山目にしている存在というのがいる。ほら、シルクロードの行商など、何か日記でも残していてくれていたらと。私は常々思っているんだよねぇ。サハラ砂漠のキャラバンや、大航海時代の船長もだよ。彼らは確かに異常な存在を沢山見ているはずなんだが、断片的な記録しか――」


「では誰なら、〈黒女〉の正体を知っているとお考えですか」


 遮って尋ねた利史郎に、博士は鳥のように、喉の奥で奇妙な音を発した。


「知らないよ。しかし、知っている人を知っているんじゃないかね? 君くらい、奇妙な経験を沢山している探偵なら。つまり――君以上に、奇妙な体験をしているだろう人物をさ」

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