9. 八丈島

『怪異、黒い血を流す毒ガス女!』


 ピーター・モリアティ伯爵は苦笑いし、続きを読みながら言った。


「なぁラルフよ。国は違えど、平民どもが読む新聞というのは同じだな。扇情的なタイトル、驚きの連続の内容、そして真実は僅かしか含まれておらん。いや、日本は上手くやっとるよ。どうしてフランスやドイツが敗北したかわかるか? 民に金と暇を与えすぎたのだ。自由と平等? ふん、くだらん。みんながみんな貴族になったら、誰が床の拭き掃除をするというのだ? おかげで連中は不味いパンを全員で分け合うだけの惨めな国に成り下がっている。床も汚れたままだ。それで何かの文化が生まれると思うか? 金は限られておるんだ。それは優れた階級に集中させなければ帝国は成り立たん。CSAを見てみろ。もし連中が内戦で負けておったら、きっとヨーロッパと同じ具合になっていたろう。しかし結果は南部が勝ち、奴隷を酷使し、最後には五帝国の一員に――」硬く目を閉じたままの彼に、呆れて言った。「おいラルフ! いい加減にしろ!」


「いえ大使、私は駄目なのです、この飛行船という物が」


「何がだ。ただ風船に吊り下げられて飛んでいるだけの話だろう」


「あり得ません! 風船に掴まって飛んでいても、大抵意地悪な鳥に割られて海に落ち、巨大な魚に食べられてしまうんです!」


 どうやら、子供の頃に悪い絵本を読まされたらしい。モリアティは新聞を閉じ、眼下を眺めた。日本は山がちな国だ。南に向かうにつれて雪は薄れていったが、変わって現れたのも針葉樹の山だけだ。やがて平野に出て建屋もちらほら現れたが、それも藁葺きや板葺きの貧しそうな物ばかり。


「日本人は忍耐強い民族だよ。スコットランド人やアイルランド人よりも苦難に耐えている。内地の農民ですら自分で作った米も食えず、芋や根っこの類いを食ってるという。それでも反乱は滅多に起きんのだから、素晴らしい民族だ。しかし連中の悪癖は――内地の富を貴族に集中させず、外地に分け与えてる所だな。後発の帝国である劣等感からか? それでは内地の発展は望めん。このままではヨーロッパの二の舞になると、何度も川路大使に忠告しているんだが」


「そんな酷い話、私にはどうでもよいです。それより八丈島というのは、あとどれくらいかかるんですか?」


 モリアティはラルフを話し相手にするのを諦め、再び新聞を開いた。


 やがて陸が途切れ、四方は海になる。そしてしばらく行くとちらほらと小島が現れ、飛行船はその中の一つにゆっくりと降下していった。日本におけるオーストラリア、八丈島流刑地だ。


 孤島ということもあり、この刑務所は内と外が逆になっている。島の中心部に飛行船の発着場と管理棟があり、その周囲が高い壁で覆われている。流刑者たちは残った土地で好きに暮らせという具合だ。はげ山の一面に掘っ立て小屋が散在していて、たき火をしていた痩せて髭だらけの男数人が、降下してくる飛行船を虚ろに見つめている。


 外套を着込んでタラップを降りると、オリハルコン蒸気機関が垣間見える発圧所から数人の男たちが駆けだしてきていた。彼らは猫車に大型のゼンマイを載せていて、飛行船のプロペラにとりついて交換作業を始めている。彼らは半袖に軍手姿だったが、モリアティの首筋からは冷たい風が入り込んできていた。襟を寄せつつ振り返ると、ラルフが見送る搭乗員に笑顔でチップを渡している。本当に間の抜けたヤツでイライラさせられる。モリアティは彼を怒鳴りつけ、潮風でひび割れかけている灰色の管理棟へと向かった。


 ここは流刑地ではあるが、厳重な警備を備えた刑務所も併設している。特に凶悪な犯罪者や怪人は野放しにもしておけず、牢屋に収監されているのだ。刑務所長は大英帝国の五帝国会議全権大使という役職を過剰評価していて、まるで主人に対する執事のようにへりくだり、腰を曲げて何度も会釈しながらモリアティを奥へ案内する。


 幾つかの鉄格子を抜け、独房区画へ。そして鋼鉄の扉が開かれると、中には筵に横たわる男がいた。やはり相当な危険人物として扱われているようで、それこそ海賊の奴隷のごとく、両手両足に大きな鉄の玉を括り付けられている。彼は物音に起き上がり、のそりと目を向ける。痩せて、精悍な男だった。日本人にしては彫りが深く、イタリアあたりにいてもおかしくないような風貌をしていた。


「やぁ、貴殿がジョンか」


 見下ろしつつモリアティが言うと、男はあぐらをかき、皮肉な笑みを浮かべつつ頭を下げた。


「そちらはヘイスティングズ伯爵にして五帝国会議全権大使、ピーター・モリアティ閣下とお見受けいたす。こんななりで失礼、なにしろ立ち上がるのも難しい状態ですので」


 鉄球に括り付けられた手かせを掲げながら言う。流ちょうな上流階級の英語だった。髪も髭も伸び放題だったが、目の光は失われていない。


 見た目は悪くないが、果たして――


「お役目ご苦労。あとは、用が済んだら呼ぼう」


 背後にへばりついてきていた刑務所長に言う。予想通り四の五の言い始めたが、去れ、と一喝すると、血相を変えて逃げていった。連中の姿が見えなくなるのを待っていると、レヘイサムと呼ばれる男は喉の奥で笑い声を上げていた。


「やはり、伯爵は見込んだとおりのお方だ。やることが奇抜でらっしゃる」


「おかげで蝦夷なんぞに島流しされている身だがな」


 窓一つない四畳半の部屋には、辛うじて粗末な机と椅子が置かれている。モリアティはそれに腰掛け、笑みを浮かべている男の顔を覗き込んだ。


「ふむ、それは貴殿も同じだったな。それで爪弾き者同士、仲良くしようと?」


「とんでもありません。私はただ、不遜ながら伯爵の身の上をお気の毒に思い、何かお助けできないかと考えただけで」


 すぐに苛立ちが募ってきた。モリアティは指で机の上を叩きつつ言う。


「悪いがジョン、私はあまり気の長いタイプではない。貴殿は手下を送り、私をこんな所まで呼びつけた。それで一体、何の用だ」


 男は口をつぐみ、俯く。そして再び目を上げた時には、表情が一変していた。元が一流の外交官だとしたら、これは戦士だ。口元を真っ直ぐに結び、眉間に深い皺を刻ませ、必勝の決意を述べる騎士のようにして言った。


「では伯爵。一つ取引をしたい」


「ふむ。悪くない。それで貴殿は私に、何をくれる?」


「それは追々」


「追々、だと?」担がれたか、という思いが強くなってきた。「それで、私には何を求める。ここから出せと? くだらん、ここから自分で出られないような者が、一体私に何を与えられるというのだ?」


「その通り。今の私が何を言っても、伯爵は信じられませんでしょう。ですから近日中――そう、今日か明日には、伯爵に贈り物をいたします」


「贈り物? それは何だ」


「すぐに、それと知れるものです」


 モリアティは立ち上がり、部屋の外で怯えて半身を隠している男に言った。


「ラルフ! あてが外れた。こいつはただの詐欺師だ。帰るぞ。所長を呼べ」


 すぐにラルフは通路の先へ駆けていく。モリアティも憮然としつつ去りかけたが、その背中にレヘイサムは言った。


「必ず気に入りますよ、伯爵。そして必ず、もう一つ欲しくなる。その時には――私を思い出してください」


 この手の連中は、ウェストミンスターに山ほどいた。謎めかし、一方的に何かを要求し、見返りはない。


 無様だ。こんな詐欺師の仕手に乗せられ、丸一日を無駄にするとは。


「だから言ったでしょう大使、行くだけ無駄だと」


 ラルフは蝦夷に戻る間中、延々と不平を口にし続ける。それはモリアティも同じ思いだった。とはいえ自分自身を責め続けていても仕方がない。事態は切迫している。すぐに他の手を――どうにかしてあの田舎者、CSA大使のバートレットを青ざめさせるような奇策を考えなければ――


 大使館に戻ると、もう深夜だった。ラルフはすぐに寝室に引き取ったが、モリアティは怒りが収まらず、執務室でブランデーを舐めながら書類という書類を改める。何処かに何か貴重な情報が、この状況を覆せるようなCSAの弱点がないか、必至に探った。


 しかし、そんなのはここ数ヶ月、ひたすらやり続けていたことだ。CSAの大規模地主による奴隷労働制は効率的だ。それは認めざるを得ない。浚ってきた黒人をひたすら使い捨てし、富を白人地主層に集中させる。広大で肥沃な土地、豊富な石炭資源がなければ出来ないことで、他の帝国には無理だ。


 やはり大英帝国もまた、連中の奴隷に成り下がるしかないのか――


 そう諦めに似た感情に支配されそうになったころ、扉が乱暴に開かれ、寝間着姿のままのラルフが血相を変えて飛び込んできた。


 完全に我を忘れていて、意味不明な言葉しか出てこない。ただ彼は震える手で、電報のテープが貼り付けられた紙を突き出してきた。


 何事かと思いつつ、電報に目を落とす。


 そこには簡潔に、こう記されていた。


『CSAの侵攻部隊、何者かに攻撃され全滅、指示を請う、大英帝国オンタリオ防衛隊』


 意味がわからなかった。しかしすぐ、あの男の顔と言葉が蘇ってくる。


「ジョンよ、一体何をやった」


 モリアティは呟いたが、すぐにそんなことはどうでも良くなってきた。


 全滅! あの田舎者どもが全滅!


 これほど偉大な勝利が、この二百年間、大英帝国にあったろうか。


「ラルフ! すぐに五帝国会議を招集しろ!」自然と笑い声が溢れてきた。「是非この情報は、直接バートレット大使に伝えなければ。なぁ、おまえもそう思うだろう?」

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