6. 五帝国会議

『我々はイギリス本土から見放されていたのです。昨年から続く悪天候で食料がなくなり餓死者も出ているというのに、帝国からは何の援助もないどころか、例年通りの税金が課せられ、期日までに支払わなければ軍を送り強制執行を行うと――ですから私はオンタリオの人々を代表し、アメリカ連合国へ援助を要請しました。彼らは既に十分すぎる量の食料を援助してくれて――』


「こんなのは出鱈目だ!」


 ピーター・モリアティ伯爵は叫び、蓄音機から蝋管をもぎ取った。書記官が静止するのも無視して床に叩きつけ、革靴の底で何度も踏みつける。


 これほどの怒りと屈辱を感じたのは久しぶりだった。何かに当たらなければ正気を保っていられそうもない。散々に踏みつけセルロイドが粉々になって、ようやく息を吐く。だが怒りと屈辱は、逆側の席に立つ男の含み笑いですぐに蘇ってきた。


 もみ上げを顎まで伸ばし、巻き毛を撫で付けもせず、日焼けしていて野暮ったいネクタイをする野蛮人。これがアメリカ地主というヤツだ。


 モリアティは彼の目前まで歩み寄り、人差し指を突きつけながら言った。


「いいかバートレット。こんな物で自分たちの行動が正当化されるとでも思ったら大間違いだ! 大英帝国は我々のオンタリオの統治権を無視したお前たちの仕業を看過することなど、決してないぞ!」


 薄ら笑いを続けているアンドリュー・バートレット大使は、赤いもみ上げをつまみながら答える。


「モリアティ大使、どうか落ち着いてください。そちらこそ、とても英国紳士とは思えない所業をなさる。私たちはただ、助けを求めてきたオンタリオの人々を見殺しにすることなんて出来なかった。それは人道的な面から見ても――」


「人道? 人道だと? ふざけるなこの奴隷商人めが! 我々の守備隊からの連絡が途絶えて、もう二日になる! 貴様らが奇襲を仕掛けて皆殺しにしたのだろう!」


「まさか。彼らも本国からの援助が何もなく、困窮しきっていたといいますよ。我々の援助隊が向かうと、喜んで住民への支援を手伝ってくれているそうです」


「ありえん!」


「まぁまぁ、モリアティ大使」


 割り込んできたのは、議長席に座る日本人だった。


 この男も気に入らない。痩せた顔に貧相な髭を生やし、いつも同情する風を見せながら何もしようとはしない。その例に漏れず、大日本帝国代表である川路武雄大使は悲しげな調子を出しつつも、明らかにモリアティと距離を置いた発言をした。


「まずは現状の把握から行いましょう。もし貴国のオンタリオへの支援が不十分であったならば、住民の意思も――」


「わからんのか川路大使! これはいつものやり口だ! 奇襲を仕掛けて、何が起きているのか把握しようとしている間に、意に従わない住民は皆殺しにして『地域の意思』なる物を作り出す。コロンビア、セントクリストファー、ドミニカ、そして今度はカナダだ! 五帝国会議とは、こんな野蛮人の横暴を見過ごす日和見主義者ばかりの集まりなのか? ヤツらのしていることは、この二百年続いた五帝国による安定を失わせる――」


「誰も見過ごすなどとは言っていません。まずは事実関係を把握しないと――」


「だからそれが連中のやり口だというんだ!」


「大使」


 穏やかに言ったのは、ロシア大使のペリーエフだった。この男も信用ならない。CSA以上に地域の蚕食に血眼になっている国の代表だ。彼は手元の透明な液体――きっとウォッカに違いない――を口に含むと、眠そうな目でモリアティを眺める。


「そうは言いますが、先日のオンタリオへの視察団派遣を拒否されたのは貴国ではありませんか。住民に対して組織的な収奪を行っていると思われても仕方がないでしょう」


 収奪して何が悪い!


 モリアティは叫びかけたが、寸前で押さえ込む。


 当然だ。植民地や属国なぞ、生かす殺さずで収奪するための仕組みだ。〈帝国〉とはそういう代物なのだ。アメリカだって、日本だって、ロシア、オスマン、みんなやっている。


 しかしそれを公言するのは、オスマンの二の舞だ。彼らの宰相が不用意に欧州人を馬鹿にしたことに端を発した暴動は、未だにバルカン半島で続いている。


 その宰相とは距離を置きつつあるというオスマンのパシャ大使は、モリアティを見ようともせず、背もたれに深く沈み込み、葉巻をくゆらせながら言った。


「ま、カナダの小さな一地方なんて。アメリカにくれてやればいいでしょう。それで? アメリカは何かイギリスにお返しがあるんでしょう?」


「そうですよ」と、川路がバートレットに向かって。「それほどカナダが欲しいなら、イギリスに何か見返りがなければ」


 川路とパシャは、外交官として優秀だ。それは認めざるを得ない。


 帝国の論理を突きつけられたバートレットは、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。そして数秒考え込み、答える。


「ま、ドミニカの暴動も収まったというし、そろそろ我々の兵も撤退させて良いかもしれませんな」


 これほど人を馬鹿にした話があるだろうか。


「あそこは元々我々の属州だ! だいたいもう住民は全部連れ去って奴隷にし、綿花畑で働かせてるんだろう! 我々が築いた物を全て破壊しておいて――」


「モリアティ大使」と、川路は静かに言った。「いい話だと思いますよ。拒絶する前に、本国と相談されたほうがいい」


 本国と、相談。


 すっかりこの男には、大英帝国の内情を知られてしまっている。


 そうだ。本国と相談すれば、あの腰抜けで弱腰の内閣は諸手を挙げて喜ぶに違いない。またしても偉大なる大英帝国がコケにされ、領土を奪われるというのにだ。


「――わかった。だが期待はするな」


 せめてもの強がりを言い、またそれが明らかな強がりだと知られているのが嫌になり、モリアティは議場を後にした。


 各国の関係者が詰めている前室に出た途端、一人の小男が駆け寄ってきた。こいつにも、いつもイライラさせられる。なにも出来ないウスノロのくせに、経歴に箔をつけるだけのために押しつけられた、典型的な無能の貴族子弟だ。無視して冷え冷えとした廊下に出たが、彼は唯一の長所である鈍感さを発揮し、斜め後ろからモリアティにへばりついてきた。


「大使」


 怯えた声で話しかけられ、ようやくモリアティは気づいたふりをする。


「ラルフか。どうした、気分でも悪いのか」


「悪いに決まっています! オンタリオの件はどうなったのですか? 本国からひっきりなしに状況を知らせろと電報が届いていて」


「あぁ、その件は片付いた。交渉決裂だ」


 けっ、と言葉に詰まり、ラルフ・バーニー大使代理は立ち止まる。しかしすぐに我に返ると、ちょこちょこと小走りでモリアティに追いついた。


「決裂って、どういうことです? まさか宣戦布告を?」


「馬鹿を言うな。この二百年、宣戦布告なぞ誰もしていない。ラルフ、お前は宣戦布告のやり方を知っているか?」


「い、いえ、知りませんが、調べればわかるかと」


 まるで皮肉が通じず、モリアティは大きくため息を吐きながら振り向いた。


「ラルフよ。大英帝国は死に瀕している。それはお前にだってわかっているだろう。内閣は世界中に散らばった広大な領土を持て余し、反乱が頻発しているというのに鎮圧する兵を雇う金もない。他の帝国に領土を奪われて、むしろ喜んでいる風もある」


「そんなことはありませんよ。オンタリオにはスタンリー卿の別荘があって、今どうなっているか大変心配されています。大変美しい湖に面していて――」


「別荘なぞ、クソ食らえ!」


 この帝国で、真に帝国を心配しているのは自分だけかもしれない。


 そう思うと苛立ちが募ってくる。この二百年の停滞で、誰も彼もが家系と伝統というヘドロに沈み込み腐り果ててしまった。権力争いや屋敷の仕立ては得意でも、正面からの殴り合いは存在すら無視をする。


 しかし前線は、陰謀や策略は通じない。力や金の裏付けがなければ、誰も言うことを聞きはしないのだ。


 モリアティはこの五帝国会議全権大使という閑職に追いやられてから、ようやくそれに気づいた。いや、五帝国が五帝国として安定していた頃は、閑職で良かったかもしれない。しかし今、五帝国体制というDloopの束縛は、徐々に破綻しつつある。奴隷だったCSAは元の主人に噛みつく力をつけ、ローマ共和国は密かに各地で策略を巡らせている。既にこのD領石狩の地にある五帝国会議は世界的冷戦の前線であり、そこに派遣される全権大使は帝国の命運を握っていると言っても過言ではないのだ。


 だが、そんな大役、内閣は期待していない。彼らがモリアティに託した仕事は、他の大使と適当に酒を飲み、仲良くし、問題があれば本国に相談しろというだけだ。


 しかしモリアティには、もっと色々な事が出来る。なにしろロンドンは地球の裏側だ。何か起きても内閣がそれを知るのは、翌日の朝――そして大抵は宴会の翌日で、昼にならなければならない。


 さて、ならばここで、自分に何が出来るか。


 誰もあてにはならない。使えるのは自分の知能と、ハッタリだけだ。それで腐りかけた帝国を再び偉大な大英帝国として蘇らせるには、どうしたらいいか――


「ラルフ、アダル大使に面会の要請をしろ」


 ラルフは凍り付き、より表情を怯えさせた。


「Dloop大使ですか! 私、まだお会いしたこともありません!」


「私だって会ったことはない。しかしこの五帝国体制を築いたのは彼らだ。崩壊を望んでいるとは思えん」


「そうでしょうか。そもそも彼らは、私たち人類に興味がないと教わりましたが」


「誰から教わった。そいつはDloopと話したことがあるのか? しかし連中が怪人より更に醜悪で奇怪な火星人とはいえ――」


「土星人です」


「土星人とはいえ、同じ生物だ。そして生物とは利害で動くものだ。だから我々が彼らに利益を与えれば、我々にも利益を与えてくれるに違いない!」


「それでアメリカを潰す? 荒唐無稽な計画としか思えません」


「いいから、面会の要請をしろ!」


 とにかく今は、仲間が必要だ。別に親友などでなくていい。利害で動いてくれる、力を持った仲間が。


 ロシア、オスマン。連中は駄目だ。国内の問題にかかりきりで、どんな見返りを与えたとしても、イギリスを支援する余裕などない。可能性があるのは日本だが、彼らは五帝国の中でも最弱だ。そもそも帝国の列に加われたこと自体、Dloopの気まぐれの結果に過ぎない。


 それでも、ないよりはましだ。もう少し川路大使と親交を深めてみるか――


 新たな考えに支配され、愚にも付かないラルフの戯言は耳に入ってこない。そのまま各国の大使に宛がわれた部屋に入ったが、唐突に冷たい風が吹き付けてきて驚いた。


 席の背後にある窓が全開になり、大量の雪が舞い込んでいる。カーテンが波打ち、暖炉の火は踊り、そして――モリアティの目の前には、不可思議な空間の〈ずれ〉があった。


 背景と、その一角に、奇妙な〈ずれ〉が生じている。まるでそこだけ水の底にあるかのように、人の形をした何かが佇み、その目に当たる部分が、パチリと瞬いた。


「――怪人!」


 叫んだ途端、〈ずれ〉は一面に弾けた。机上のペン立てが倒れ、椅子が蹴散らされ、窓の外に向かってゆく。そして雪風に煽られ、気づいたときには〈ずれ〉は消え去っていた。


 本能的に窓に駆け寄る。雪に包まれた真っ白な裏庭に、一対の足跡が刻み込まれつつあった。それはすぐに敷地の端まで達すると、高い塀の直前で止まる。


 周囲には警笛の音が響いていた。モリアティの部屋にも守衛が押し寄せてきて、窓の外でもライフル銃を持った男たちが足跡を追う。だが彼らが塀の所に至っても、何も見つけられた風はない。


「モリアティ大使、一体――」


 川路大使の声に振り向く。


 問われても、何が何だかわからない。しかし机上に見覚えのない封筒があるのに気づいて、それを取り上げながら答えた。


「心配ない。おそらくカメレオンの怪人だ。透明人間、だったか?」そして浮かんだ奇妙な疑問に、哄笑する。「なぁラルフ、連中は寒くないんだろうか、こんな雪国で、素っ裸で」


「何か盗まれた物は?」


 見渡すが、正直、盗まれて困るような機密情報などモリアティには届かない。


「いや。だが、これからは用心しないとな」


 一体何の目的で、と川路は事件を不思議がっている様子だったが、モリアティにはわかっていた。彼に背を向け、火照った身体を雪風で冷やしながら、封筒を開いた。


 中に入っていたのは、一枚のカードだった。


『貴方は一人ではない。――John Doe』


「貴国に、John Doeと名付けられた分離主義者がいたな。なんて名前だった」


 唐突で奇妙な問いに、川路大使は訝しんだようだった。しかし、待ち受ける笑顔のモリアティに対し、実直に答える。


「閉伊権兵衛ですか。レヘイサム――それが本名だと言われています」


「なんでも、貴公のご子息が捕らえたとか」


「まぁ、それは――」


 それが何か、と問う川路を無視し、モリアティは上機嫌で窓を閉じ、ブランデーに手を伸ばした。カードの最後に黒い蝋で二重円に十字――標的の印が載せられているのを改め、呟く。


「標的印とは。なんとも意味深だな、ジョン。それで君は私に、何をして欲しいんだ?」

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