5. オリハルコンをもたらす者

 正清は先に本社に戻ったということで、一通り調べ終わった二人は手配されていた馬車で横浜駅方面に戻る。玄関で深いお辞儀をする女中が見えなくなると、利史朗は声を潜めて言った。


「横領はよくありません」


 知里はとぼけた表情を浮かべながら、ちろりと舌を出した。


「さすが名探偵ね。無茶苦茶高いのよこれ。おフランス製。共和国品は関税がすごいでしょ。私の月給くらいする」


「それだけじゃありません。居間にあった婦人誌」


「まったく、よく見てるわねぇ」知里は鞄から雑誌を引っ張りだし、ページをめくった。「今月号は雷蔵特集で売り切れちゃってたのよ。私は錦之助派だけど」


「手がかりがあるならともかく――」


「それで探偵さん、あんたの見込みは?」


 あっさり遮られ、利史郎はため息を吐きつつ答えた。


「少なくとも、美千代さんは男爵令嬢にしては無防備な状態にあった。そして夜な夜な好き勝手に出歩いているんです。状況からして事件に巻き込まれたとも、単に家出したとも思える。まだわかりませんね」


「へぇ」


 不可解な合いの手に、利史郎は首をかしげた。


「知里さんは何か?」


「別に?」


 即答される。利史郎は問い詰めるか迷ったが、結局は諦め、もう少し時間をかけて彼女との距離を探ることにした。


 山羽本社は帝鉄東海道線横浜駅の山側全面を占めていた。巨大な工場が数棟建ち並び、煙突からはもうもうとした煙が吐き出され続け、朝には霧がかかることも多いという。


 構内は油と、石炭と、金属の匂いで満ちていた。国内蒸気機関の五割が山羽製で、オリハルコン蒸気機関に関してはほぼ独占されている。その全てが横浜本社工場で製造されており、駅からは線路が引き込まれ長大な貨物車が進んでいき、故障した機関車が牽引され、千人近いという工員たちが忙しなく働いていた。


 事務棟と案内されたのは、三階建ての洋館だった。玄関では正清が待ち構えていて、一緒に中に入る。一階と二階からは、せわしなくタイプライターを叩く音やソロバンをはじく音が響いてくる。しかし三階は急激に静かになり、廊下には窓もなく、扉は閉じ、中で何が行われているのか全くわからない。最終的に通されたのは学校の教室ほどの大部屋で、白衣の男が二人と女が一人、神妙な様子で何かしらの機械に取り付いていた。相当に込み入った機構で、バネ、バルブ、クランクシャフトなどが所狭しと詰まっている。最初に顔を上げたのは、眼鏡をした三十くらいの女だった。途端に大きく目を見開かせて叫ぶ。


「まさか、川路利史朗? あの探偵の?」


 一同の視線が利史朗に集まり、仕方がなく応じた。


「えぇ、川路利史朗です」


「君は確か――」


 記憶を探るように言った正清に、女性は慌てて頭を下げた。


「す、すいません、安藤です」


「そう。安藤君、美千代のことを何でも話してくれ。他のみんなも。それと――」


 いいかけたところで背後の扉が開き、男が二人入ってきた。先頭の男は正清を見るなり、苛立った調子でまくし立てる。


「お父さん、こんな所に。何をしてるんですか。もう入庫時間ですよ」


「――これは息子の二郎だ」


 紹介されたのは、茶色い上等なスーツを身にまとった四角い顔の男だった。記録には専務とあり、次期社長となるのは当然という立場なはずだ。その彼は小さく頭を下げる利史朗を見下ろすと、荒い息を吐いて言う。


「美千代の件ですか。少年探偵まで呼びつけて。どうせ男の所にでも行ってるに決まってるじゃないですか」


 渋い顔で答えない正清に代わって、利史朗が尋ねる。


「そうなんですか?」


「誰から何を聞いてるか知りませんが、我が儘で、生意気で、家のことは考えずに好き勝手ばかりする。そういう娘です。わざわざ来ていただいたのに申し訳ないですが、お引き取りいただけますか」


「いい加減にしろ。おまえが口を出すことじゃない。おまえは会社のことを考えていればいいんだ」


 厳しい調子で言った正清に、あからさまに肩を落としてみせる。


「お父さんもですよ。年に一度の事なんですよ? 父さんの割符がなかったら山羽は――いや、帝国が潰れるんです。早くしてください」


 そして踵を返し、部屋を出て行った。正清は決まり悪そうにしながら、あとはよろしくと言い残して二郎の後を追う。その一連の出来事を見て、知里は皮肉な調子で言っていった。


「直系は美千代。二郎の地位は安泰じゃないってことね」


「そういう噂もありますね」口を挟んだのは、安藤という研究員だった。驚いて見つめる二人に、満面の笑みで肩をすくめてみせる。「社長は当然、一郎さんを跡取りにと思ってたみたいですよ。でも亡くなっちゃったもんだから仕方がなく――あ、一郎さんは私が入社した時の上司だったんです。天才でした。それにほら、山羽は昔からトップは技術系で固めてますから、経営学の二郎さんとは色々と摩擦があるとかないとか――それでひょっとしたら美千代さん、って手も考えてるんじゃないですか? 美千代さんも一郎さんっぽくて天才肌ですし、それは社長も十分――あらやだ、私ばかりペラペラとお話しして。何か聞きたいことがあるとか?」


 思わず知里を見上げると、彼女は苦そうに口元を歪めて見せる。利史朗は咳払いしてから安藤に尋ねた。


「それでは。美千代さんはこちらでお仕事をされてたんですね。具体的には、何を?」


 安藤は、よくぞ聞いてくれた、というように目を光らせた。


「利史朗さん、マッハ号には乗られましたか?」


「マッハ号?」


「はい! 私たちが研究しているのは、次世代の植物燃料車です! その成果の第一号がマッハ号で、時速百五十キロ――」


「それなら乗らせていただきました。美千代さんも、あの開発を?」


 ふと、困ったように言葉を濁す。


「あぁ、いえ、彼女はまだ――ほら、イギリスから帰られたばかりですし、社会経験も少ないですし、それでわりと、何をしていたかわからないっていうか――何か熱心に一郎さんの研究をひっくり返していたみたいですけど」


「一郎さんの研究?」


「一郎さんはどうも、蒸気機関には先がないと思っていたみたいで。亡くなる間際まで、妙ちくりんな機関ばかり調べてました。外燃機関でもスターリング機関とかバキューム機関、それに内燃機関。ほら、ローマ共和国はオリハルコンを貰えないでしょう? だからまともな蒸気機関を作れなくて、そういうゲテモノを無理して使ってますけど。でも私も、蒸気機関が一番だと思うなぁ。それで二郎さんとは諍いが絶えなくて。ほら、よくあるでしょう? そんな実用化出来ないような代物の研究に金をかけるなって。そういうお話です」


 一郎と二郎が不仲であれば、その関係は美千代にも引き継がれていた可能性が高い。


「話を戻しましょう。美千代さんですが、何か行方に心当たりは」


「さぁ――わからないです。すいません、こういうときに普通なら、私らみたいなのは何か情報になる事を言わなきゃならないんでしょうけど」


「美千代さんは誰かに見張られているようだ、と漏らしていたようですが。そんな話は聞かれていませんか」


「すいません。正直、彼女とは――なんていうんですの? あまり親しくもなかったので。あ、それでも一番話していたのは私で、他のみんなはもっと知らなくて――でも私も『今日は暑いねぇ』、とか『雨が凄いねぇ』、とか、その程度で――性格としては、まぁ、こんな風に急にいなくなっても不思議じゃないなって感じで、あんまり組織とかそういうのが好きなタイプでは――」


 とりとめのない言葉が続き、利史朗は彼女から情報を得るのを諦めた。代わりに美千代の席を教えてもらい、改めていく。机上はビーカーやフラスコといった化学実験機器で埋め尽くされていて、ガスバーナーの側には吸い殻が詰まった灰皿があった。利史朗は転がっている燐寸箱を取り上げ、改める。黒い薔薇の大輪が描かれていた。机の中は学術書に加えていくつものフォルダーが詰まっていたが、切り抜き資料ばかりだ。書類乗せには、購買や出張の申請書が積まれている。


「最近、沢山出張されていたんですね」と、行き先を読み上げる。「テヘラン。シンガポール、ヒューストン。それに蝦夷。行き帰りだけで何ヶ月もかかりますね。目的は研究調査、とありますが」


 安藤は肩をすくめて応じた。


「よくわかりません。彼女は、ほら、お姫様ですから。誰も内容の審査なんて出来ません」


 研究調査目的にしろ観光目的にしろ、妙な場所ばかりだ。


 何か関連性はあるだろうかと考えていたところで、知里が外に向かう扉を親指で指しながら言った。


「ここ、元は一郎さんの部署で、美千代嬢も配属された。てことは、ここは社長直轄の設計部門なの? そのわりに別の派閥らしい二郎氏がずかずかと入り込んできたけど。どういうこと?」


 相当に鋭い質問だったらしい。安藤は数秒黙り込み、背後の同僚たちに救いを求める視線を送る。だがそれに応じる者はおらず、彼女は言葉を選びながら答えた。


「社長が、引退されたら、私たちは、えぇと――」


「もういい。わかった」


 苦笑いしながらヒラヒラと片手を振る知里。こういう所が〈刃〉なのだと牧野に言われる所以だろう。安藤はすっかり憔悴してしまっていて、こ様子ではもう腹蔵なく話を聞くだなんてことは出来なさそうだ。


「では他に何か思いつかれた事があれば、こちらに連絡いただけますか」


 利史郎が言って名刺を差し出すと、安藤は途端に頬を紅潮させつつ受け取ると、目を大きく見開かせて応じた。


「わ、わかりました。代わりに、ですけど、お願いを聞いていただけます?」


「なんでしょう」


「サイン、いただけますか?」


 知里の皮肉な視線を感じつつ、利史朗は笑みを浮かべて頷いた。


 扉が閉じられ鍵のかかる音がすると、知里はいかにも楽しそうに呟いた。


「さすが美形少年探偵、もてるわねぇ」反論しようとする利史朗を遮り、「まぁでも科学者とかっていうのは、わかりやすくていいわ」


「えぇ。山羽重工の跡取り問題は、社内で相当の派閥争いになりつつあるようだ」


「本人たちに、その気がなくてもね」


 やはり、知里は鋭い。


「重要なのはそこですね。正清社長と二郎専務、そして美千代さん。本人たちが思っている以上に、周囲は山羽家の動きに注目している」


 外に出ると、来たときとは様子が一変していた。周囲に響き渡っていた金属と蒸気の音が一切なくなっていて、右往左往していた職人たちの姿も消えてしまっている。


 どうしたことだろうと困惑していると、正清、二郎、他数人の男たちが現れ、既に闇に包まれつつある広場に並ぶ。


 やがて遠くから、暴風が戸板を叩き付けるような音が響いてきた。全く聞いたことのない音だ。周囲を見渡すと、北東の空から目映い光が近づいてくるのが見えた。飛行船かとも思ったが、それにしては速度が速すぎる。あっという間に光は広場の上空に到達し、轟音は更に大きくなっていた。


 そして光は、徐々に降下しはじめた。音とともに、正清たちは激しい風に煽られる。吹き飛ばされそうになりながらもじっと光を見つめ、口を真一文字に結んでいた。


 ようやく利史朗にも、光の正体が見えてきた。巨大な金属の塊だった。それこそ山羽の誇るマッハ号のような流線型の形をしているが、大きさは比にならない。さすがに飛行戦艦には及ばないが、戦艦長門くらいはあるだろうか。


 あんな物が、どうやって宙に浮かんでいるのか。


 驚愕しつつ、目映い光に目を細めながら観察する。胴体の上部から蜻蛉の翼のようなものが生え、目にも見えぬ速さで羽ばたいている。どうやらこれが轟音の正体らしい。やがて金属は広場に足を降ろし、着地する。翼も次第に速度を落とし、制止した。


 羽ばたき飛行機(オーニソプター)だ。


 話には聞いたことがある。遙か上空、豆粒のような物が飛んでいるのも見たことがある。しかしこれほど間近で見たことはない。やがて胴体の一部が割れて階段を降ろしたかと思うと、目映く光る内部から異形の者が現れた。


「あれって、まさか――Dloop?」


 知里が息を飲むように言った。彼らは正清たちの倍近い背丈をしていた。頭からつま先まで奇妙な装飾のついた貫頭衣、あるいはマントに覆われていて、両肩に埋まった位置には鳥類を思わせる形状の兜が納まっている。


 いや、兜なのかどうなのかもわからない。なにしろDloopは謎に包まれている。ひょっとしたらあれこそが彼らの素顔なのかもしれない。いずれにせよ〈彼〉はマントの裾を揺らしながら一歩一歩階段を降り、滑るように正清の前に進む。そして緊張した面持ちの彼に対し、ゆっくりと何かを差し出す。


 利史朗は咄嗟に小型望遠鏡を取り出し、手元を改めていた。それは銀色、あるいは透明ともつかない質感の板だった。


 応じるように、正清は右手を板の上に乗せる。途端に板は青白い光を発した。それを確かめるとDloopは頭を揺らし、板を正清に手渡す。


 いつの間にか現れた工員たちが、オーニソプターの内部から金属製の箱を降ろしていた。相当に重そうなそれが運ばれてくると、正清は屈んで表面を改めた。箱にはスリットがあり、そこに正清が板を差し込むと、上蓋が開く。


 中には予想通り、板と同じ光を放つインゴットが詰まっていた。


 正清が立ち上がり頷くと、Dloopはやはり流れるようにして踵を返し、内部へと戻っていく。


 箱は二十ほどあった。やがて全ての箱が降ろされると、立ち尽くす幹部たちを残し機械は上昇を始めた。そしてじっくり観察する間もなく闇の中に紛れると、暴風よりも早く去って行く。


 目映い光が見えなくなった頃、構内に騒々しいベルの音が響き渡った。すぐに金属質な騒音は蘇り、屈強な警備員らしき男たちが何人も現れ、インゴットの詰まった箱が倉庫に運ばれていくのを監視しはじめた。


「さすがの名探偵も、あんな物を見たのは初めて?」


 知里に問われ、口を開きっぱなしにしていたのに気づいた。慌てて表情を硬くしながら応じる。


「それは、えぇ。彼らの存在は忌諱に近い。存在しない、見てはいけない物のように扱われているんです。写真も不鮮明なものばかりで」


「別に弁解しなくていいのに。蝦夷でオーニソプターはよく見たけど、Dloopは初めて」そしてこちらに気づき、歩み寄ってくる正清に片手を挙げた。「それにしても、オリハルコン・インゴットが二十箱か。怖い怖い」


 彼女の言いたいことはよくわかる。もしあれだけのオリハルコンが帝国外に流出してしまったなら――例えば共和国などが手にしてしまえば――仮初めであっても平和が保たれている今の五帝国体制が、崩壊してしまうかもしれないのだ。

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