第21話 術士でないものたち
サリサは半分くらい、クロウの言葉を聞き逃した。ゆるゆると顔を上げ、疑問で相手を見る。
「早く言えよ、このグズ!」
叫んだのはフリスだったが、彼は大柄の男に肩を掴まれ顔をしかめた。
「後ろの大先輩のお怒り、怖いですよねえ。早く言ってしまったほうが怖いことはなくなりますよ。あなたは悪くないです。だって巻き込まれただけですもんね。だからさらっと言ってしまいましょう、ね」
サリサはまだ完全に事態を掴めていないが、クロウの言わんとするところは察することができた。
だが言えるわけがない。言えませんなど面と向かって言えるほど度胸もない。恐ろしくてサリサは硬直していた。
「早く言え! 僕も解放されないだろ……うあっ」
フリスに怒鳴られサリサは目を閉じてしまった。クロウがちらと振り返り、大柄の男がフリスの肩を軽くねじった。
「まいったな。完全に怯えて硬直しちゃってるじゃん。何も喋ってくれないよこんなの。困ったなあフリスさん」
クロウはサリサから一歩足を引いた。
「そうだね。せっかくだから、ちょっと気持ちが落ち着くかもしれないお話をしよう。ケストリア嬢からしたら、びっくりだよねえ。偉大な大先輩がまさか自分を売ったなんて、善良なお嬢さんなら思いもしないもんね」
クロウはまた一歩足を引き、フリスの胸をぽんと叩いた。
「こちらの偉大なる大先輩はねえ、お酒に飲まれちゃうタイプみたいでねえ。居酒屋でご自身の研究の自慢をしちゃったのね。『次に発表されるハロルズ教授の論文は、本当は僕が書いたものだったけど、内容が高度過ぎて、ハロルズ教授に頭を下げられ彼の名前で出すことになった』ってね」
サリサは目を見開き、唖然としてフリスを見た。彼は歯ぎしりしながら頑なに下を向いていた。
「それは……?」
「しかもねえ、そこで止めときゃいいのにねえ。ついポロっと言ったのよね。研究のキモの部分まで。人体再生だって」
「……え」
まさかそんな。
あまりの杜撰な話に、サリサは自分の立場も忘れ、つい口に出してしまった。
「言っちゃったん……です、か?」
研究者としてあり得ない。サリサの呆れも入ってしまった言葉を聞き、クロウが手を叩いて大笑いした。
「本当だよねえ。全くケストリア嬢の言う通りだよねえ。ごめんね。俺たちはそのボロリが大好きでね。ついついたかっちゃった!」
「クロウ」
大柄の男がクロウをいさめたが、彼もさほど本気で止めたいとは思っていないようだ。
「いいじゃない。だってホラ、ケストリア嬢もちょっとこわばり解けてきて、しゃべれるようになった。やっぱりお酒の席の失敗談っていいよね。古今東西気分がほぐれる手段なんだって」
クロウはフリスを一瞥し、再度サリサに顔を向けた。クロウは口調こそ明るいが、目が全く笑っていなかった。
「でね、俺たち、この偉大なる大先輩をつついたの。そしたらねえ。途中から、成果が劇的で狙われる可能性があるから、内容を分散させて所持しているって。教授と自分だけもよかったけど、自分の講座にいる下っ端の留探士に経験を積ませるために持たせてやったって。術士でない、先生に取り入ることしか能がない女を、仕方なく使ってやってるって。だから、この偉大なるフリス大先輩だけでは術式が完成できないって、ねえ」
クロウはまた、ちらとフリスに視線をやった。
「この先輩留探士の嘘にしばらくは俺たちも乗ってやったの。一応は君に迷惑をかけないようにしてたのかな。もしかしたら君に全部罪をなすりつける気だったかも。で、俺たちもこの御方がどこまで踊ってくれるか楽しんでいたけど、もう飽きちゃった。偉大なるフリス大先輩は、ヒトの再生能力を発動させる術式構築には一枚も噛んでないんだろう。国王と同じ力を発動できる力の、本当の開発者は君だ。そうだな」
サリサは、うなずくことも首を振ることもできなかった。
そして相手が、サリサの回答を待っていないことも分かっていた。
「術式をここで完成させろ」
サリサは息を詰めた。
自分が構築した術式が、どういうものかもちろん理解している。そして、この世界に何の制限もなく発動させてしまうと、どういうことが起こるのかも。
小さなこどものときはただ純粋でいられた。大好きなひとを治したいという思いだけだった。
大人になっていくにつれ、不思議を解き、その結果を人類の発展のために生かしたいという、その思いだけで全てが上手くいく、そんな単純は世ではないと知った。
目の前に、怪我をした体が全て元通りになる術があったとして、人はそれを使わずにはいれまい。
その力を得たとき、果たして人は、さらなる力を得たいと思わずにいられるのか。
暗黒の時代、得た力を誇示し、同じ人間を蹂躙し、恨み、血で血を洗う過去を持った我々が。
巨大な力を得ていた竜でさえ、さらなる力を欲したというのに。
十四年前に起きた皇太子暗殺未遂事件が頭をよぎった。あれは運良く皇子が死なずに済んだが、それが最悪の事態になると【共喰いの竜】は復活する。
【共喰いの竜】の生きた時代、あれは人間が人間であることを放棄していた時代だ。あれが再度繰り返されるとき、その先にあるのは人類と──数多の生物の滅亡。
それを理解していて、ここで式を見せることなどできない。
サリサは止めてしまっていた息を飲み、ようやくにして呼吸を再開した。
果たして自分は、どこまで耐えられるのか。拷問に対し、何も話さずにいれる自信など少しもなかった。必ずすぐに全て言う。
自決する術もしらない。
「ちょっと痛い目を見せたら、すぐに言いますよ」
フリスはクロウに
フリスの言っていることは正しい。だが、そのことをはっきりと、彼から言われるという事実がサリサを苦しめる。
フリスはハロルズと共に、サリサの研究に対し沢山の意見や助言をくれた。人間としては少々苦手であったが研究者としては尊敬していた。
なのに、こんなことになってしまった。
どうしていつも。
「じゃあ偉大なるフリス大先輩の案を参考に致しましょうか」
クロウは感情のない声でそう言い、部屋から一旦出た。
「馬鹿なやつ。すぐに吐かないからだ」
フリスに追い打ちをかけられ、サリサは首をもたげた。クロウは二人の男を連れて戻った。
そして片方の男は、大きな斧を持参していた。
サリサの頭が真っ白になった。自分が呼吸をしているのかも分からない。
自分はおそらく殺されない。式を作らなければならないから。だが逆に言えば、命さえあれば体の一部がどうなろうが構わない。
サリサが喘いだとき、クロウが斧を受け取った。フリスがさすがに引いた顔をしたとき、部屋に入った二人の男は、フリスの肩を掴んで彼を跪かせた。
「……え」
フリスは床にうつ伏せに床に這わされ、体を固定された。彼の左腕の袖がめくり挙げられる。左手甲側の手首に、留探士のしるしがある。サリサにもあるものだ。留探士として認められたとき、院の術士がこれを印す。見た目は入れ墨に似ているが、こちらは呪術を利用したものだ。解術すれば消える。
「な、なんで僕……」
サリサの目の前で、フリスは動こうとしていた。だが二人の男に押さえ込まれ、全く対抗できていない。
「ケストリア嬢。あなたが術式を言ってくれれば、偉大なるフリス大先輩の腕は落とされずに済みます。どうしますか」
「待て、なんで僕なんだよ! そいつの腕を落とせ!」
サリサは動けない。フリスが叫んだことを実行されるのももちろん嫌だが、フリスがこのまま腕を落とされるのももちろん放置できない。
「ケストリア嬢の腕なんて落としたら、術式書けなくなるだろ。今でさえもう気絶しそうなのに、ショックで死ぬよ」
「死なない! その女は絶対に死なない!」
フリスは暴れサリサを睨んだ。
「早く言えよクズ女!」
クロウは、手が空いた大柄の男に斧を手渡しながら口笛を吹いた。
「すごいね。この期に及んでまだそんな上の立場でモノが言えるんだ。俺だったら土下座して言って下さいって頼むなあ」
フリスはひゅっと息を吸ったと思うと、歯を鳴らし始めた。
「言え……い、い言ってくれ、頼む、言ってくれ!早く……ぁあ!!」
クロウはしゃがみ、フリスの腕の中程をナイフですっと薄く切った。
「はい目印。ここに斧を振り落としまーす。大丈夫。止血のための火も用意してあるから。あ、でもシシ家の術は治癒だったね。俺の気配りはいらないね」
「やめてくれ! 僕はできない! 術士でないんだ!」
フリスがわめいて訴えるが、クロウは意に介していないように鼻で息を吐いた。
「あーやっぱりねえ。ケストリア嬢のことやけに悪く言うの、全部お前のことだからかあ。そういう現状に嘆くばかりでやることと言えば他人の足を引っ張るやつ、俺、大っ嫌いなんだよねえ。……ベア、いいぞ」
クロウの指示に対し、ベアと呼びかけられた大柄の男も応え、彼は斧を振り上げた。
フリスは濁った悲鳴を上げた。
「いやだ! お、お願いします。言って下さい、お願いします術式を言って下さい!」
「……、い、いあ、待って!」
フリスのわめき声にかき消されたが、サリサはつかえながら叫んだ。それから立ち上がったものの、貧血を起こし、また椅子にかくんと座ってしまった。だが肘掛けを掴み、焦点も合っていない、暗くなっている視界のなかでクロウを見上げる。
「まって、ください、い、言う、いうので」
フリスは泣きじゃくりながら力を抜いた。だが、ベアは斧を振り下ろしもしないが、構えたままで動こうともしない。サリサは彼にも訴えた。
「書、きます。だだ、だから、その斧を降ろしてく、くださ、い」
「よかったね。優しい後輩で。じゃ、言ってくれるって言質も取れたし安心して大先輩の腕を落とそうか」
フリスはもう一度泣き叫んだ。
「待、な、なん、なんで!」
「もうその留探士の印も消されるだろ。だから俺が先に消しといてやるよ」
「僕を脅迫したくせに! 僕は仕方なくお前たちに協力したのに!」
「笑わせるな。自分よりひ弱な女性を売っておいてなにが仕方なくだ」
「待って下さい。書きます。紙と書くものを持ってきてください!」
サリサの訴えに対し、クロウは振り返りもしなかった。気楽そうに腰に手を置き、仲間と視線をやりとりしている。
「嘘を書かれると困るんで、こいつの腕で元通りになるか確認する。ベア、落とせ」
クロウはベアに冷静な声で指示した。フリスの絶叫が部屋に満たされる。
「嘘は書きません。それに、ここでは施術できない!」
サリサもフリスの叫びに負けないよう、クロウに訴えた。
「私は術式を知っているけれど術士でないんです。術を使えないんです。だからお願いです、やめてください!」
「知ってる。でもいいんだよ。こいつは腕を落としたら解放する。運が良ければ研究院で治されるんだろう。あなたにとってこの男は大事ではない。でも次はどうかな」
クロウはフリスに顔を向けたまま、視線をサリサに寄越した。
「あなたの大切な人間がこうなる前に、あなたは正しい術式を俺たちに言えばいい。研究院の規律なんぞ気にするな。あなたの術式が完全解放されれば、世界の皆が怪我の心配をせずに済む。【共喰いの竜】の解放だって夢じゃない。その先にあるのは人間の栄華だ」
そんな。
サリサは自分がそう言ったのか、分からない。フリスの叫び声が遠い音のように思える。待てと、言わなければならないのに。
フリスと目が合った。憎悪に満ちた目をサリサに向けている。そんな目で見ないでと叫びたかった。
私は悪くないはずなのに、どうして。
本当に?
自分の何かが、彼の気に障ってしまったのでは?
昔に、いとこたちの怒りを買ったように。
わからない。
そのとき、視界に眩しい光が横切った。はっとして目を開けると、窓の向こうで何かが揺れている。その何かが反射して、サリサの目に光が当たったのだ。
金細工の飾りに、焦げ茶のリボン。
サリサのチョーカーが窓の外で揺れている。
「……は」
サリサは場違いに現れ出た自分のチョーカーを凝視してしまった。そのことが、部屋の男たちの意識を窓の外に向かわせた。フリスを除き全員がそちらを向いたとき、逆の戸が大きく開かれた。
入ってきた者の、先頭が一番にサリサを抱えた。
「確保!」
幾つもの足音や破壊音が鳴るなか、サリサは抱え込まれた毛布の下で小さくなっていた。
大きな音と、ガラスが割れる音がした。
「逃げろ!」
ベアの叫び声だ。その声を背に、サリサは抱えられたまま隣のバスルームに連れてこられていた。バタンと音がしたあと、扉に閂がかけられ、サリサの前に警官らしき男が立った。サリサを抱えていた毛布が緩まり、サリサはその場で膝を突いた。
「サリサ様、ご無事ですか」
サリサを抱えていたのはルシウスだった。彼に手の拘束を解かれた。ルシウスの顔を見て、サリサは友人を思い出した。
「ミランは、ミランはどう」
聞いている途中で大きな音がして、壁に大きな亀裂が入った。三人は身構え、ルシウスがサリサの盾になるように前に立ったが、それからは壁には何も起きない。ただ、相変わらず壁の向こうで破壊音が続いている。
ルシウルは息を吐いた。
「ミラン様もご無事です。茶色の瓶の中は井戸水でした。どこも怪我はありません。ご機嫌は超絶に斜めですが。サリサ様こそとっさの判断で、チョーカーを落として下さってよかったです。シェルトが匂いを辿ることができました。途中からは肥料の匂いで」
サリサはほっと息を吐いた。そうすると緊張の糸が解けていく。ガクガクと震えだし、視界も暗くなってきた。
ルシウスはサリサを心配そうに見たが、彼女の前の、警官の隣に立ち剣を構えた。
「サリサ様、もう少しだけ頑張って下さい」
ルシウスは戸の向こうを、子細を見るように凝視している。
「……一人上に逃げたようですね。やっぱり。残りの男たち、フリスさんとやらも含め四人は制圧されたようです。もうすぐここから出られますよ、サリサ様」
ルシウスの隣にいる警官は、戸の向こうを覗いながらルシウスに話かけた。
「逃げた男はどこに向かっているか分かりますか」
「はい。こちらには来ていません。屋根を伝ってこちらと逆方向に逃げています。サリサ様、あいつですよ。先日、公園であなたを捕まえて、ミラン様に射貫かれた男です」
サリサはえっと声を上げた。
「彼は身が軽いから、多分上から逃げると思っていました。案の定ですね」
ルシウスは不敵に笑っていた。
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