第19話 生真面目な同居人

 今日も朝は曇っていた。ただし空気は生暖かく、これから蒸し暑くなりそうな天気だ。サリサは着替え食堂へ向かうと、すでにアーサーは食事を終えていた。

「おはようございます」

「おはよう。サリサ殿、申し訳ない。緊急の要件が入った」

 アーサーは、驚いて扉すぐの場所で足を止めていたサリサの前に立ち、彼女の首元を見た。

「昨日の、首飾りを付けてはどうか」

「首飾り……ああ」

 チョーカーのことらしい。さすがのアーサーもその辺りは疎いらしく、サリサはほほえましさに顔を緩めた。

「今日の格好にも合うと思う」

「そうですか」

 照れてしまうも、これから両親に会うのだからアーサーの案を遠慮なく採用することにした。

「外出するときはキリウに言いなさい。ただし院には中へも一人では入ってはいけない。ご両親の案内が終えたら、ミランが残ると言っても貴女は警護と共に帰ってくるように」

 アーサーはサリサに指示を出すと足早に出てしまった。

 サリサは朝食後、約束通りミランと警護を伴い、まず両親の宿屋に向かい、二人と合流してから研究院に入った。

 サリサのチョーカーを見て、エリックとローザも嬉しそうな顔をしていた。

 まずサリサの上司であるハロルズ教授を紹介する為に、術理論の研究室へ一行は向かった。しかし扉には鍵がかかっていた。

「あれ」

「珍しいね。誰もいないんだ〜」

 ミランは窓越しに部屋を覗き込んでいる。フリスはいつも必ずサリサより先に来ているし、ハロルズも、この時間であれば出院しているはずだ。サリサは不思議に思うも、ただ、フリスに関しては不在に大いに安心していた。

 ハロルズへの紹介は後回しにすることにして、サリサたちはミランの研究室へ足を運んだ。



◇◇◇



 アーサーは上官のアレックと同僚の三人で、王宮の一角に来ていた。三重に仕切られた部屋の中、アーサーはアレックの後ろに付き従い、すでに待機していた人物と向かい合った。

 今朝、研究院より面談の特例申請があった。昨晩アーサーがサリサに伝えた、研究について自身や仲間の不正について、内圧により困難な場合や緊急を要する場合に、院を介することなく報告が可能になるものである。

 アーサーは早速サリサが申請を行ったのかと思っていた。しかし申請者名は、サリサの師であるハロルズ教授であった。確かに彼は、前回の書面の報告の時点で面談の申請を予告していた。

 ハロルズはアーサー達が現れたのと同時に立ち上がった。

「前置きは省略する。フリス・シシロア留探士の確保と、サリサ・ケストリア留探士の保護を至急お願いする」

 アレックが両手を挙げ、ハロルズに落ち着くよう指示をする動作を見せた。それに対し、ハロルズは逸った口調のままで続けた。

「昨晩から今朝にかけ、私の研究室の個室にシシロア留探士が侵入した。現在審査中の研究論文について、記述があるものが数点盗難された」

 アーサーと仲間が身を固めた前で、アレックはわずか首を傾げ教授を眇めた。

「何故、シシロア留探士の仕業と」

「私の他に、時間外に出入り可能をしているのはシシロア留探士だけだ。早急に彼の確保を。恐らく研究院内にいる。院の封鎖を」

「逮捕、ではなく?」

「その辺りの言葉の定義は私には分からん。逮捕請求を行う時間すら惜しい。そしてシシロア留探士の確保より、ケストリア留探士の保護を最優先にしてくれ!」

 ハロルズは、先日の教授たちとの会合のときとは打って変わって切迫した様子だ。アレックは部下に手配の指示を出し、アーサーを同席させたままでハロルズを促した。

「ハロルズ教授、詳細をお願いします。レファローヤ少尉、卿が記録せよ」

「はい」

 首の後ろで、冷たいものが感じられる。

 何故、サリサの保護が必要なのか。その疑問でアーサーの動きが止まりアレックに名を再度呼ばれた。アーサーがペンを取ったのを見てハロルズは口を開いた。

「現在審査中の研究論文は、表向きは私の研究となっているが、本当はケストリア留探士が主に構築した術式だ」

 アーサーは目を見開いた。アレックもハロルズの顔を覗き込むように首を傾けた。

「何故そのような面倒なことをされた。業績の横取りを疑われるだけではありませんか」

「構築された術式があまりにも危険なものだったからだ。故に、審査が完了するまで、私が筆者であると虚偽の申請を行い、私を隠れ蓑としてケストリア留探士を保護することにした。私には警護がつくであろうし術士でもある。万が一の場合は私が盾になることもできる。それに、ケストリア留探士は人が多い場では満足に話もできない」

「以前、教授がケストリア留探士を注視せよと仰ったのはまさか、その名目で保護をさせるおつもりでしたか?」

「あの時点ではそう伝えるしかなかった。あの場にいた他の教授らはまだこのことを知らない者ばかりだったから」

 アレックは盛大なしかめっ面を見せた。

 アーサーも、混乱を表情に出していない自信がなかった。握るペンに力が入り、文字が歪んだ。

 現在審査中の論文の──処理に難航している術式の──本当の筆者が、サリサだった。

 テーマの突然の変更、変更の理由も言えなかった理由が知れたが、未だ飲み込めていない。

 それに、危険な術式故に、隠したと言った。

「教授、お教え頂きたい、サリサ……ケストリア留探士は、一体どのような術式を構築したのですか?」

「細胞制御」

 教授は弟子と同じ文言で開始した。煙に巻くつもりなのかとアーサーは一瞬思ったが、ハロルズはそこから堰を切ったように説明を開始した。

「ヒトには治癒能力はあるが、再生能力はない。ただし、ヒトの分化細胞をリセットし未分化細胞に戻す方法は実験段階では確立されている。しかし器官を完全に再生させるにはそれだけでは不可能だ。位置情報がなければ、ただの細胞の塊ができるに過ぎない。さらに最悪になると、癌細胞としてホストに危機をもたらす。ここでケストリア留探士の術式の話に戻る。彼女は、分化細胞の軌跡から位置情報を割り出し、それを軸として未分化細胞が過去にあった細胞を模して器官再生を完璧に行える術式を構築した。院内での試行のみだが、臨床でもすでに実証済みである。この手法で、手足を失ったヒトのみならず、臓器不全に陥った患者への提供も可能となるが……」

 アーサーは目を見開いた。

 治癒と再生。

「それは、王の術と等しい」

 そう、強ばった声を出したのは自分だと思ったが、実際に発言したのはアレックだった。彼はアーサーを一瞥し、まだ正面を見た。

 アーサーはペンを動かすことができないでいる。

 人体再生。

 この術を使えたからこそ、この国の初代王は【共喰いの竜】の封印が可能であった。

「さよう。ケストリア留探士の構築した術式を用いれば、この国の王の持つ力を、世界中全てのヒトが利用可能となる。……つまり」

「王家が滅亡し、【共喰いの竜】が目覚めたとしても、人は簡単には死に至らない」

「そして、次の王となる可能性もある」

 アーサーは歯ぎしりをした。

「馬鹿な。またも混沌を経験するつもりか……封印は初代王と八卿の力だけで成したのではない。あのときはまだ竜が理性を持って援護してくれていたからこそ」

 アーサーの言葉を聞き、ハロルズは膝の上の手をきつく握った。

「研究院に所属する者は、その歴史からまず学ぶ。暗黒の時代を経験され、【共喰いの竜】を命がけで封印され、後生に生きる我々の安寧を誰よりも望んだのは初代王陛下であった。陛下の悲願で設立されたこの研究院に名を連ねながら、外部に研究を漏らし、王の仇となるなどあり得ない。シシロア留探士も、そこは理解しているはずなのに」

 ハロルズは息を吐き、額に手を置き項垂れた。

「私の目が曇っていた」

「教授、ご自身を責めるのは後にして頂きたい。それより気になります。シシロア留探士は、もはや自身の保身を構っていられない状態になっている。彼は院内のどこに」

「分からない。ケストリア留探士はどこだ。無事なのだろうか」

「警護はついております。ただ、記述があるものが盗難されたのであれば、ケストリア留探士が必要である理由が分かりません」

 ハロルズは首を左右に振った。

「完成された術式が記載されたものは今現在一点しかない。それは院にて厳重に保管されている。盗難されたケストリア留探士の記述は、順序などないメモでしかない。完成式は私と、彼女の脳内にある」

 アレックは立ち上がり、アーサーに目配せをしたあとで退席した。

「あなた方は、なんということを」

 思わずアーサーは言ってしまったのだが、ハロルズは何も言わなかった。ただ彼の顔に深い悔恨がある。

 研究院には、今、サリサもいる。



◇◇◇



 サリサはミランと横並びで、エリックとローザを先導していた。

 ミランの研究室の紹介の後、四人で資料館や図書室なども案内して回った。食堂に入り、時間が早く人がほとんどいない二階のテラス席でそれぞれ飲み物を楽しんだ。

「意外に女性留探士が多くて驚いたよ」

 エリックは感心しながら眼下の施設を眺めている。

「巡探士は、危険な仕事も多いし、体力が必要な部分もあるから女性は少ないんだけど、留探士は女性もいるよ」

「留探士で、既婚者の方はおられるのかい?」

 エリックの質問に、ローザは少々呆れた顔をしていた。

「もちろん。教授陣はほとんどそうだし、留探士も半分位は相手がいるみたい」

「そうなんだね」

 エリックは安心したのか、背もたれに体を預けた。今まで黙っていたミランが「ああ」と何やら納得したかのような声を上げた。

「サリサの結婚相手のことですね」

「そうなんですよ。ミランさんにも相談したのかい?」

「うん」

 エリックに前のめりで聞かれ、サリサはちょっと照れてしまった。

「そうか」

 やっぱりエリックは嬉しそうな顔をしていて、これにはローザも似たような笑みを浮かべていた。

「恋バナを相談できるお友達がいるんだね」

 そこに安心したらしい。いかにも両親らしいなとサリサが笑ったとき、ミランが軽く手を挙げた。

「大丈夫ですよ。アーサーが責任を取るに違いないです」

 ミランは自分の、いかずちの術を放ったかのような言葉を落とした。彼女の発言に、空気を読んだかのように木々のざわめきが消えた。

 サリサは声だけでなく息さえ出せなかった。エリックとローザも硬直し、目を大きく開いてミランを見た。

「……は、は?」

「彼が、自分の屋敷にサリサを住まわせておいて、サリサがまた官舎で過ごすことができるようになったとしても、そのまま放置するとは思えないので、アーサーは近い将来、サリサに求婚すると思いますよ〜」

 ミランはさらっと二投目の雷弾発言を投下した。

 求婚。

「そ、そそ、それは、レファローヤ家の、しきたりとか、そういう類いの、ものでしょうか……?」

 エリックが、他人に触れられたときのサリサのように、ガチガチに強ばった声でミランに問うた。

「いや、違います。私の家はアーサーの家と同じで私以外にも使用人を数人置いていますし、知り合いを泊められる部屋もあるので、私が男性だったとして、友人のサリサを泊めても、別に結婚しなければとか思いません。でもアーサーはそういうところ融通が利かないので」

 ミランの言った通り、友人としてならアーサーの家の一室に滞在することは特異なことではない。一昨日の朝までなら、サリサはミランのこの発言に関して、何を言っているのかと笑い飛ばせたかもしれない。

 ただ、サリサはアーサーと同じベッドで寝たことがある。しかもベッドの上で抱き合ったことさえ。深く考えないようにしていたが、サリサだって、あれが友人同士の度を超していることは分かっている。それだけじゃなかった額にも手のひらにもキスをされた。

 そしてなによりアーサー自身、昨晩サリサに結婚を匂わせるようなことを言った。

 と脳内で断定してから、自分の都合のいい解釈かもしれないと思い直した。一生触れていたいと言われたが、一生傍にいたいと言われたわけでは……いや触れるってことは傍にいることだろう。だけど傍にいるイコール結婚ということは……。

 サリサも彼の性格からして、そんないい加減なことをしそうにないと思えてしまった。

 それにアーサーは、サリサのファーストキスの相手だ。それを彼はとても大切な思い出として記憶してくれていた。再会できたことに感涙するほど。

 どうしよう。

 本当に、そんなふうに思ってくれているなら、どうしたらいいのだろう。

 でも!

「あ、やっぱりアーサーは意思表示してるんだね〜」

 サリサの動揺振りを一部始終眺めていたミランは、彼女の中でアッサリ結論付けたようだ。

「そそそそそそうなのかいい?」

 エリックは青い顔をしてテーブルに手を置き、前のめりになってサリサに聞いてきた。

「え、い、あ」

 あくまでサリサの中の解釈なのだが、アーサーが相手だとすると両親も安心だろうなど、一瞬だけだがおこがましく考えてしまった。

 ところがエリックの反応はそんなことなく、父は今まで見たことがないほどに動揺していた。

 サリサは母に助けを求められないかとローザを見たが、彼女は気絶寸前の真っ白な顔をしていた。

 ようやくサリサも、両親の態度に少し違和感があることに気付いた。ミランもそのようで、彼女はそっと柳眉を寄せた。

「身内贔屓と言われるかもしれませんが、アーサーはいい加減な人ではないですし、サリサのことも大切にするに違いないですよ」

 ミランも、彼女なりに気分を害したのか、やや堅い口調でサリサの両親に相対している。はっとしたエリックとローザは慌てて手を振った。

「い、いや! アーサー様がどうということでは、決して!」

 ただ否定したあと、両親は青い顔のまま互いの視線を合わせた。だがエリックは何故か重大な決心をしたかのように、サリサに向かい合った。

「サリサの気持ちが大事だから、我々がどうということはない」

 隣で、ローザもまたぎこちなくではあるが何度もうなずいた。

 エリックとローザの挙動は妙な気がする。平民出身のサリサでは、八卿の名を持つアーサーとは釣り合わないと、内心思っている……ようなそぶりでもない。なんとなく、腹をくくらねばという覚悟のような気迫を感じてしまった。

「よかったねえ〜サリサ」

「……え」

 ミランに期待を込めた眼差しで見られ、またもサリサは焦った。

 よかったねと言われるということは、私がアーサーのことが好きであることもバレバレだったのだ。隠れてしまいたい。

 しばらく四人四様の思いが渦巻くまだらの空気が流れていたが、エリックが姿勢を正し、ミランに軽く頭を下げた。

「そろそろ我々はお暇します。今日はありがとうございます」

「また機会がありましたら、次はごゆっくり王都にご滞在下さい。次はアーサーも一緒に会食でも」

 そうなのだ。両親はサリサのことで急遽やってきたので、明日の朝には出なければならない。今から向かう場所もあるそうだ。

 ミランの挨拶に両親は笑顔で対応していたが、なんとなく強ばっているようにも思えた。サリサの気のせいかもしれないが。

 サリサとミランが、サリサの両親と共に研究院の正面入り口に到着したとき、係員と衛兵が慌ただしく動いていた。

「どうしました〜?」

 人見知りで戸惑ってしまったサリサに手を振って、ミランが先に近くまで来ていた衛兵に尋ねた。彼はミランに一礼したあと、後方の研究員らしくないサリサの両親を見て、彼らにも頭を下げた。

「見学の方で、退出の手続きに来られましたか。もしそうでしたら、申し訳ありませんが、ここで少しだけ待機お願いします。緊急の、封鎖の指示だけが届いたのですが、理由がまだ知らされていないのです。現在問い合わせ中です」

 エリックはサリサに顔を向けた。

「そういうことなら、我々はここで退出まで待つことにします。ミラン様、本日はありがとうございます」

「楽しかったです〜」

「ミラン、ハロルズ教授が戻っていたら、伝えたいことがあるの。往復でついてきてもらっていい?」

 サリサも両親と一緒に待つつもりだったが、ハロルズに相談したいことがあったのを思い出した。昨晩にアーサーと話をした特例の制度の、憲兵との面談申請の件だ。

 ミランの了解を得て、二人一緒に研究棟の方へ向かった。

 だが、角を曲がったところでサリサは足を止めた。

「サリサ?」

 両親からの手紙。そういうことかと気付く。

 サリサの顔から血の気が引いていった。

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