第18話 忠犬シェルト

 アーサーの家に戻るとちょうどアーサーが、彼の両親とおぼしき二人を伴って出てきたところだった。

「アーサー。サリサを連れて帰ってきたよ〜。おばさま、お久しぶりです〜」

 ミランは大声で呼びかけ、馬車を出るなり三人の元へ駆けていった。ミランが挨拶を交わしている婦人を見て、サリサはなるほどと感心した。ミランがそのまま歳をとったかのような、上品な女性がミランと相対している。ミランはそれから隣の男性にも挨拶をしていた。

「おじさまもお変わりなく」

「ミランも、元気そうでなによりだ。あちらの女性は、さっきアーサーに教えてもらった、ケストリア嬢かな?」

 サリサが馬車から降りるのを手伝っていたアーサーは、サリサの手を取って彼の両親の元へ連れていった。

「サリサ。紹介しよう」

「サリサさんですね。久しぶりだ。いや、あなたにとっては初めましてだったね。失礼した。マルコス・レファローヤです」

 そう、穏やかに笑っている男性がサリサに一礼した。

「はじめ……、はじめまして……サリサ・ケストリア、で、です……あの」

「あなたと正式に挨拶できなかったが、我々もリーリスの、あなたのご両親の別荘にあのときいたのですよ。アーサーを迎えに」

 サリサはあっと声を上げた。

 なるほどそういうことかと思ったものの、サリサは意外に感じていた。

 マルコスは人の良さそうな、柔和な顔をしていた。そして随分と小柄だった。ミランは女性の平均より少し背が高い。アーサーの母は、そのミランより少し低いかというところだが、マルコスも同じくらいの背だ。男性としては平均より低い。

 上背があり、厳格な雰囲気を常に漂わせているアーサーとはあまり似ていない。婦人の方とも、さほど似ているとは思えなかった。

「サリサ殿」

 アーサーの呼びかけにはっとして、サリサは慌てて礼を取った。

「こちらは私の母だ」

「エレノアです。初めまして。サリサさん」

 エレノアはサリサを上から下まで一瞥し、やや悲しげに微笑んだ。

「サリサは私の同僚ですけど友達でもあって、ライバルでもあるんですよ〜」

 ミランが笑顔で付け加えている。マルコスが鷹揚に応えた。

「負けてられないな、ミラン」

「そうなんですよ〜」

 マルコスとミランは気が合うようだ。対してエレノアはじっとサリサを見つめていた。自分が何かおかしいのだろうかと、サリサはそわそわとしてしまう。視線を動かしたいのを我慢していると、エレノアは我に返ったようなそぶりをみせ、サリサから目を逸らせた。

「我々は失礼しよう。アーサー。元気で」

「今日は、ありがとうございます」

 マルコスは優しい顔のままだったが、少し寂しそうでもあった。エレノアはじっと下を向いている。

 彼らはミランたちと共に去っていった。サリサはアーサーに手を取られ、玄関まで連れられた。歩きながらサリサは彼を見上げた。

「ただいま戻りました」

「おかえり」

 アーサーはサリサに笑いかけ、サリサの為に戸を開いた。


 手を洗い、夕食まで時間があったので、サリサはシェルトを探しに屋敷内を移動していった。シェルトは居間にいて、アーサーの足下に座っていた。アーサーはサリサの入室を知り、持った書類から顔を上げた。シェルトはサリサを見て座ったままだが尾を振った。

「どうした?」

 彼はソファに浅く腰掛け、背もたれに身を預けている格好のままでサリサを招いた。服もシャツの裾を出したままで珍しい、緊張を解いた姿だ。

「シェルトと遊んでもらおうと思って探していたんです」

 だが、シェルトはアーサーの傍を離れる気持ちはないようだ。もう伏せてしまっている。

「私でよければ相手になろう」

 サリサは笑いながら、手で示されたアーサーの正面のソファに腰を下ろした。

「アーサー様のおかげで、両親と話すことができて、誤解も解けました」

「誤解?」

「誤解といいますか。お母さんは、研究以外にも興味を持ったほうがいいというくらいの気持ちでいたそうなんですけど、お父さんはそうじゃなくて」

「そうじゃないとは」

「ええと」

 自分を思ってのことだったのだが、それを改めてアーサーに説明するのは恥ずかしい。しかもあのあとのローザの引き具合も思い出した。思わず半笑いになってしまったサリサに、アーサーも眉間の皺を消した。

「とにかく、貴女の中でわだかまりは解けたということだな」

「そうなんです。ありがとうございます」

 笑顔で礼を言うサリサに、アーサーも姿勢を正して座り直した。

「では私も礼を言わねばならない。貴女のお陰で、両親と話し合うことができた」

「アーサー様も、わだかまりは解けましたか?」

 なお厳しい顔をしているアーサーに、サリサはつい聞いてしまった。

「どうだろう」

 アーサーは目を伏せた。

「結局、どのような選択をしていたとしても、私は納得しなかっただろう。だから最善を尽くしたのだと思うしかない」

 そのように言いながら、アーサーは自分自身を責め、罰しているように映る。

 しばらく彼はどこともないところに視線を置いていたが、目線を上げサリサの首にそれを止めた。

「その首の飾りは、ご両親からの贈り物だろうか」

「はい。今日、私にって」

「貴女に似合っている。さすがだな。貴女のことをよく見ておられる」

 サリサも彼のターコイズブルーの瞳を見た。気を抜くと、金が散りばめられた宝石のような目に魅入って何も考えられなくなりそうだ。

「これは、今の両親が、私を産んでくれた母のために作ったものだったそうです。贈る前に父と母が亡くなってしまって、両親はこれをとっておいてくれたんです。大人になった私に贈るために。今のお母さんが言うには、私は私のお母さんにそっくりになったので、似合うと思うって」

 アーサーは顔を綻ばせた。

「そういうことか。素敵な話だ」

「はい」

 和やかな空気を纏うアーサーを見ていると、サリサもまた安らかな気分になった。

「ありがとうございます」

「どうした?」

「聞いてほしかったんです。このこと」

 友人であるミランにも、本当は産んでくれた母の為に作ったものが、巡って自分に贈られたのだと話したかった。二組の両親が自分には存在して、その二組共が自慢なのだと伝えたかった。

 そして、そのことを伝えられないことが後ろめたかった。友人に本当のことを話せないのが。

 シェルトが首を上げサリサを覗っている。アーサーは愛犬の首を撫で、その体勢のままでサリサに話しかけてきた。

「おそらくミランは、貴女の出自が八卿に連なるものでなかったとしても、貴女との友情をなかったことにするような人物ではない」

「はい」

 ミランは、従者のルシウスに対して、我が儘を言うことはあれど高圧的な態度を取ったりはしない。あの二人は、関係性を知らない人間から見ると友人のように映るだろう。

 アーサーはシェルトから手を離し、上体を上げ、サリサと視線を合わせた。

「そして、貴女が話せなかった理由を知れば、仕方がなかったと理解もするだろう。むろん、ミランに今すぐ真実を伝えろとは言わない。だが、機会を見て、話すことができそうなら」

「はい」

 サリサはうなずき、しばらくアーサーを見つめて、目を閉じ項垂れた。

「アーサー様」

「ああ」

 必要なのは勇気ではなく、彼からの信頼だ。

 それを得たい。どうしても。

「もう少しだけ、待ってほしいんです。どうして、私の研究テーマを今またハロルズ教授と練っているのか、絶対にお話しますから、今は」

 アーサーは目を見開いた。

「サリサ」

「やましいところは……ないことはないんですけど……それも兼ねて、もう少ししたら話すことができるんです」

 アーサーは眉間に皺を寄せた。

「やましいところが少しはある」

「その、ええ、はい」

 どうして自分は、もっと上手く言えないのかとサリサは自分を責めた。

 アーサーはしばらく黙っていた。シェルトがクウンと一声鳴いた。

「サリサ殿、貴女は王立研究院特例制度のひとつに、密告に対応する制度があるのを知っているか?」

「……はい!」

 サリサも勢いよく顔を上げた。

「知っています」

「そこで、話をすることができるなら、申請を勧める」

「はい。そのとき、アーサー様が担当になって下さるのでしょうか」

「そこは残念だが、指名はできない。私もできるだけ貴女の対応ができるように取り計らう予定だが、断言はできない」

「はい。でも、申請しようと思います。アーサー様に聞いてほしいです」

 誰にでも言えないことはあるが、サリサは、少なくともアーサーには、自分のことで正直でいたいと思う。もしかしたら、アーサーには話したいということが、我が儘であるかもしれないが。

「私に聞いてほしい?」

「今、ここでは言えないんですけれど、あと少ししたら誰にでも気兼ねなく言えるんです。でも、アーサー様に本当のことを今言えないのが辛いです。……カウンセリングみたいですね」

 アーサーは眉根の緊張を解いた。

「貴女が悩んでいるのは、そういう類いのことなのか?」

「どちらかといえば、そうかなと。言いたいのに言えないから……。虫がいい話なのですが、私はアーサーに信頼されたいんです」

 何故か、アーサーは少しほっとしたような顔をした。

「サリサ」

「はい」

 アーサーは立ち上がりサリサの前に来て、そこに膝を付いた。サリサを、まるで尊いものを崇めるかのように視線を上げた。

「私も、貴女の勇気を見習いたい」

「は、はい?」

 アーサーが何のことを言っているのか分からず、サリサは戸惑った。しかもアーサーを跪かせている。慌てて立とうとする前に、アーサーに手を取られた。

「アーサー様」

 彼はサリサの困惑の声を聞いたが、動きを止めなかった。サリサの、左手首にある留探士の印に恭しい動作で口付けた。

「ア」

 驚きと照れと、彼への感情でサリサの頭は混乱した。昨日までは大した意味はないと思っていたアーサーの行動が、本当にそう断言していいものか分からなくなってきたからだ。

 そうしてサリサが硬直している隙に、アーサーはサリサの手のひらを返し、手のひらにも唇を寄せた。

 昨日も感じたはずの優しい触れ方なのに、昨日よりも受ける感覚が鋭いような気がしてしまう。アーサーの閉じた瞼と、緩い弧を描くまつげを見ていると、すっとそれが開き、ターコイズブルーの目と完全に視線が合った。

「サリサ」

「……はい」

 アーサーは腰を上げ、サリサの座っているソファの、彼女の腿の横に右膝を付いた。ギシと、微かにソファの音がする。

 アーサーはサリサのすぐ目の前で、彼女の横の髪を人差し指で払った。

「貴女に許されるなら、私は一生、貴女に触れていたい」

 サリサは目を見開いた。

 待って下さい。それは、聞きようによっては。

 自分が期待し過ぎているだけかもしれませんが。

 期待……?

 サリサの頬がアーサーの両手に包まれた。アーサーはサリサに顔を近付けて、思わず目を閉じてしまったサリサの眉間にキスをした。

 あ、そこだったのか。

 そう、少しだけ安心して目を開けてしまったサリサだったが、まだアーサーはサリサの顔を覗き込んでいる。まだ何かをしたいようなそぶりで。

 どうしよう。まだ、心の準備が。

 そのとき、サリサの目の前でアーサーが瞬きした。彼は顔を下げてから後ろを振り返った。ぱたぱたと音がしている。

 サリサも顔を動かして見ると、シェルトが後ろ立ちになって、アーサーの背に両前脚を置いていた。

「遊んでいるわけでは、ないのだがな」

 アーサーはため息をついて、座面から足を降ろした。それに合わせてシェルトも四つ足になり、アーサーの横で尻尾を振って立っている。

「わっ」

 しかしアーサーは離れず、サリサを横抱きに持ち上げ、サリサの座っていたソファに腰を下ろした。当然ながら、サリサはアーサーの腿の上に座った格好になっている。

「アーサー様、どうしてこんな」

「これで我慢するしかない」

 シェルトはアーサーの足下にお尻を向けて座った。アーサーはサリサを膝の上に乗せたままで、少し上体を前に傾けシェルトの首をわしわしと撫でた。

「サリサ」

「はい」

 こんな格好で呼びかけられると、当然間近の、しかも彼を見下ろした状態で応えることとなる。恐れ多くも恥ずかしく顔が熱くなってきた。

「私も貴女に伝えていないことがある」

 アーサーの表情が分からないのだが、思い詰めたような声で言われ、サリサも表情を改めた。

「いずれ必ず、貴女に全てを話すつもりだ」

「はい」

 シェルトは満足したのか、アーサーの足の甲の上に乗っかるように伏せをした。アーサーは体を起こし背もたれに身を預けた。首を仰け反らせて大きく息を吐いている。

「そうか。シェルトはそれを分かっているから私の邪魔をするのかもしれない」

 サリサは何と返せばいいのか分からなかった。アーサーの首の、喉仏を見て、何故か照れてしまい視線を泳がせた。明後日の方向を向いてしまったサリサの後ろ髪をアーサーが指でつついた。微かな感覚がサリサにも伝わってくる。

「顔を埋めてみたい」

「……はい?」

 聞き違いかと思いサリサはアーサーの方を向いた。彼は至極真面目な顔をしてサリサの首元を見ていた。

「今なんて仰いました?」

「何でもない」

 顔を埋める。最近、アーサーが何かに対しそんなことをしていた気がする。

 サリサの考えている足下でシェルトがぱたと尻尾を振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る