第17話 重いけれどもいい思い出

 昼食後、サリサはアーサーに付き添われ、馬車にて両親の宿泊している宿に向かった。煉瓦の壁に白の柱の、可愛らしい建物の玄関から入ると中には待合場があった。鉢植えの観葉植物で区切りがあるそこで、両親がソファに座って待っていたのだが、サリサを見るなり彼らは立って足早にやってきた。

 二人とも顔を強ばらせ、そして少し悲しそうな顔をしていた。それでもサリサの、表面上だけは元気そうな姿を見て、少しは安心したように表情を変えた。

 最後に会ったのは一年前だ。一年も会っていなかったのは、彼らに引き取られて初めてだったのだ。そしてもっと頻繁に帰ればよかったとサリサは思った。

 両親は二人とも五十を超えている。健康なのだが、それでも老いは確実にやってくるのだ。誰にでも平等に。

 まず父のエリックが、サリサの顔を覗き込んだ。

「大変だったそうだね。サリサ」

 次いで母のローザは、ざっとサリサの全身を見た。

「どこか怪我とかしていないの? 大丈夫?」

 両親とも、目にすこし涙を浮かべていた。

「アーサー様、サリサがお世話になっています。ご連絡もありがとうございます」

 エリックがアーサーに挨拶をしている。ローザもアーサーに笑顔で頭を下げた。アーサーも礼儀正しく挨拶を返している。サリサはそれらを他人事のように眺めてしまった。

 母はサリサにもう一度笑いかけた。

「心配したのだけど、アーサー様のところに滞在していると聞いて安心したのよ」

 相変わらず彼らはサリサに優しい。本当のこどものように愛を注いでくれる。

 懐かしさと、後ろめたさと、それまであった心細さが一気にあふれ出てきた。

 とうとう、サリサの目からホロっと涙が落ちた。

「サリサ?」

 ローザが驚いたように目を見開き、そしてサリサに触れようとして、その手を止めた。

「どうしたの、サリサ」

 言葉が出なかった。涙の方は溢れて出てきて止まらない。

「サリサ殿」

 アーサーがハンカチを、サリサの頬にあててくれた。そしてサリサの肩に手を置く。嫌がらず、アーサーにされるがままになっているサリサを、両親は目を見開いて見ていた。

「滞在されているお部屋の方へ向かいましょう」

 アーサーの提案に同意し、エリックは妻を伴い部屋まで先導した。部屋に入るなり、ローザがサリサの顔を覗き込む。

「どうしたの、サリサ」

「……おかあさん」

 ローザは小さく口を開け、ほうと息を吐いた。

「気が緩んでしまったのね」

 アーサーに背をそっと押され、ソファに腰掛けるよう促され、サリサは素直に従った。アーサーは座っているサリサの前に跪き、彼女の頬にもう一度ハンカチをあて、それを握らせた。

「私はここで失礼します」

 アーサーはエリックに一礼をしてから一歩下がった。エリックとローザは少し口を開け、唖然としたような顔をしていたのだが、エリックがはっとして背筋を伸ばし一礼をした。

「本日は急な訪問にも関わらず、娘をここまで連れてきて下さり感謝しています」

「後ほど、サリサ殿を迎えに上がります」

「よろしくお願いします」

 アーサーが礼を取って去ったあと、ケストリア夫妻は、ローザがサリサの隣に、エリックはサリサの正面のソファに座り娘の顔を覗き込んだ。

「いろいろあって……お母さんとお父さんの顔をみたら、ほっとしてしまって」

「そうよね」

 ローザが分かるわと言ってくれ、サリサは緩く笑った。だがまた涙が出てきて、アーサーのハンカチを頬にあてる。

「アーサー様のところにいると聞いて、びっくりしたんだ。それにあの方は、何があったのかも簡単にだが報告してくれた。怖かっただろう」

 エリックの労いも嬉しく、サリサは泣きながらうなずく。

「お父さんとお母さんに会いたかったのに、今まで気が付かなかった」

「サリサ、あなたは私たちに遠慮していたでしょう」

「……はい」

「仕方ないことだと思っているのよ。あなたを責めているわけじゃないの。でもね、今みたいに、本心を言ってくれるとやっぱりほっとする」

 ローザの言に、サリサは目を閉じ、はたはたと涙をこぼした。

「ごめんなさい」

「お母さんは嬉しいのよ。……仕方なかったとはいえ、あなたにはあなたを産んで育てたご両親がいたのに、私たちをお母さんとお父さんと呼びなさいと強要してしまった。言葉ではそう呼んでくれるようになったけど、あなたは一線を引いていた。でも今日は、なんだか距離が縮んだみたいで嬉しいの」

 強要というが、そのように呼ばなければ、どういう関係性なのか勘ぐられてしまう。そして最悪、こどもの時のように迫害されるかもしれなかった。

 エリックはお茶を淹れてくれた。それを飲むとサリサも落ち着いてきた。

「研究院はどう?」

「楽しいです。……けど、成果が」

 サリサは口を結んだ。アーサーにも、両親にも何も言えないことが辛い。

「焦ることはない。サリサなら大丈夫」

 エリックはからっと笑っていた。昔と変わらない、甘いくらいの父だ。

 母も。

「お父さん、お母さん」

「なんだろう」

「どうして、私に結婚しないかって勧めたの?」

 サリサの弱い語調の質問に、両親は目を見開いた。

 そして、ローザがエリックの顔をまじまじと見た。

「あなた、サリサにそんなことを勧めたの?」

 驚いたローザの声に、サリサもまた目を見開いて、両親を代わる代わる見た。

「え」

 ぽかんとしているサリサを見て、ローザはエリックに対し大いに呆れた顔をした。エリックは真剣なまま妻に相対している。

「あなたってば」

「当たり前だろう」

「どうして。私は、そこまで先を見越しているつもりはありませんでしたよ!」

 ローザは、唖然としているサリサに顔を向けた。

「研究も大事だけど、お友達と遊んだり、男の人とお付き合いしてみたりするも。時にはいいんじゃないかしらって、私は言いたかったの」

「いや、サリサをそんな一時だけ遊び目的の男にやるわけにはいかん。きちんと結婚を前提にお付き合いする男性でなければ、セシルとケイトに申し訳が立たない!」

 セシルとケイトとは、サリサの本当の両親のことだ。

「重……」

 ローザは引いている。

「ローザ、あなただってセシルとケイトのことは大事に思っているだろう?」

「私が言いたいのはそこじゃないわ。どうしてサリサにいきなり結婚なんて。びっくりするに決まっているでしょう。まずは会話からじゃないですか?」

「だから生半可な男にサリサを任せるわけにはいかん。絶対に結婚を視野に入れて」

「おっも……」

 ローザはどん引いた。

 サリサはまだ口を開けているままだ。何を言えばいいのか分からなかった。

「サリサは、人に触れられるのが怖いのに」

「だからだ。そこをきちんと分かってくれる相手でないと。生半可な覚悟でサリサと一緒になりたいと思われると困る」

 ローザとエリックが熱く言い合いをしている。だが二人とも、根底にサリサのことを大切に考えてくれているのは容易に分かる。

「ありがとうございます」

 サリサははたはたと涙を流した。両親は言い合いを止め、それぞれが真摯な表情になりサリサに向かい合った。

「サリサ。お礼なんて言うんじゃない。セシルとケイトが亡くなって、彼らは無念と思っているに違いないのに、我々は彼らの宝であるあなたを育てることができた。あなたの両親には申し訳ないが、我々は幸せなんだよ」

「そうよ。私たちはこどもに恵まれなかったけれど、セシルとケイトにこどもが、あなたが産まれたとき、自分達のことのように嬉しかったわ。今でも覚えているのよ。そんなあなたが一人になってしまって、私たちが放置できるわけなかったのよ。私たちこそ、無理に養子にして、こどものときにあなたを苦しめてしまった」

「そんなことはない」

「いいえ。あったのよ」

「だとしても、とてもよくしてくれた。家庭教師をつけてくれて、進学校に入れるようにしてくれた」

 ローザとエリックは顔を見合わせた。

「あのねえサリサ。家庭教師をつけたこどもが、必ずしも進学校に行けるわけではないんだよ」

「そうよ。あなたが先生の話をきちんときいて、お勉強を頑張ったから、王立の研究院に所属できたのよ」

「正直、僕たちのこどもだったら、そこまでやったのかどうか」

「そうよねえ。高校に入ったとき、さすがしっかり者のケイトの娘だって思ってたのよ。ケイトも頭の回転が早かったわ」

「セシルはたじたじだったねえ」

「でもいざというときは、ケイトは引いちゃうのよ」

「そうそう。いつもはきっぷのいいお姉さんって感じだったのにねえ、セシルの前だけはそっけなくて」

「ツンデレというやつよね」

「ツンデレだったね」

 そうだったのか。サリサはふふっと笑った。

「もっと教えてほしい。お父さんとお母さんのこと。忘れてしまって」

「いいわよ。沢山お話してあげる」

「だからいつでも帰っておいで」

 サリサは涙を滲ませ笑った。

「うん」

 ローザはサリサが笑っているのを見て、彼女も安心したように微笑んだ。

「今日はね、サリサに渡したいものがあってもってきたのよ」

 ローザは、宿屋のサイドテーブルに置いていた黒いベルベットの箱を取った。

「これはね。本当はあなたのお母さん、ケイトに渡す予定だったものなの。務めてくれて十年になりそうだったから、お礼にと思っていたのだけど、あんなことがあって」

「少し大人っぽいデザインだからね。小さなサリサに渡しても、困るかもしれないと思って今まで我々が持っていたんだ。でももうサリサも立派なレディだ。これを着けられると思う」

 開けて現れたのは、チョーカーだった。焦げ茶のベルトと、中心に幾何学模様の金細工、中心にスフェーンが使われていた。

 緑に、赤が散る宝石が、アーサーの目のようだ。

「きれい」

「もちろん受け取ってくれるだけでも嬉しいけれど、サリサさえよかったら着けてほしい」

 エリックに対し、サリサはうなずいた。取り出して首に巻く。

「お母さん、着けてほしい」

「いいの?」

「大丈夫だと思うから、お願い」

 ローザはそれでも躊躇ためらっていたが、彼女はサリサの首の、後ろの金具を留めた。少しだけローザの指がサリサの首にあたった。びくりとしたけれど、気持ち悪い感じはしなかった。

「似合うわ」

 ローザは、チョーカーを身につけたサリサを見て、目を潤ませた。

「綺麗だ」

 エリックもまた、感極まったような声を出した。エリックは部屋の卓上鏡を持ってきた。サリサはそれを覗き込む。似合うと言われたが、自分には少し大人っぽいような気がしてしまった。

「あなたはケイトそっくりの顔をしているの。ケイトも、自分が幼く見えるのを気にしていたわ。だからこのデザインにしたのよ。外装に伴って中身が変化することもあるのよ」

 目を潤ませながら微笑むローザに、サリサもまた泣き笑いの顔をした。

「ありがとう。お父さん、お母さん」

 サリサは二人に頭を下げた。

「私は、自分がとても恵まれていたのに、その恩恵に気付かずにいた。大変なことがあって初めて、お父さんとお母さんの存在に助けられていたのか気が付いたの」

「そんなふうに思ってくれるだけで、我々はもう幸せなんだよ。サリサ」

 エリックは笑っていたが、彼も目尻に涙を溜めていた。


 サリサが窓の外を見ると、遠くでは雲が晴れてきて、日の光が斜めに射していた。そんなに長い時間、エリックとローザと話をしていたのだ。こんなことは初めてだった気がする。そう思っていたとき、扉がノックされた。

「レファローヤ家の遣いの方がおいでです」

「サリサ〜。私だよ〜」

 宿の受付の者らしき声のあとで、ミランの声がした。エリックが戸を開けにいくと、宿の制服を着た男性の後方にミランとルシウスが立っていた。

「初めまして。ミラン・レファローヤです。彼は私の従者で」

「ルシウス・ケスラと申します。アーサー様に替わりまして、我々がサリサ様のお迎えに参りました」

「これは。初めまして。エリック・ケストリアと申します」

 エリックは一歩下がり、畏まって礼を取った。ローザもエリックの隣に立って挨拶をする。ミランも、淑女らしく丁寧に挨拶をした。

「今日はレファローヤでなく、サリサさんの同僚として来ているんです。アーサーが、その方がサリサさんも気が休まるだろうからと」

 ミランは顔をきりりとさせていた。

「ミランは私の同僚でもあるし、友人でもあるの。研究院でも外でも仲良くしてくれて」

 サリサが両親たちに説明すると、彼らはまあと顔を綻ばせた。

「サリサがお世話になっています」

「こちらこそ、お世話になっています。サリサさんの仕事ぶりや着眼点など、同僚としていい刺激になっているんです」

 エリックもローザも感動の表情だが、サリサがちらとルシウスを見ると、彼は苦悶したような顔をしていた。多分、よそいきの猫被りミランが面白いのだろう、笑いを堪えている。

 エリックとローザは見送りに宿の正面フロアまで同行した。エリックは研究院のことをミランと話している。

「すぐお戻りにならないのであれば、よろしければ、院の見学を申請するのはいかがでしょう」

 ミランの提案にエリックとローザは是非と返事した。

「じゃあ、明日、私が案内するね」

「楽しみにしているよ」

 フロアで挨拶を交わし、サリサはミランと共に馬車に乗り込んだ。

「迎えに来てくれてありがとう」

「いいのよ〜。いい息抜きになったし。あとね、今アーサーの家にアーサーのご両親も来ているでしょう。ご挨拶もしたかったのよ」

 そしてミランはサリサの首元に視線をやった。

「素敵なチョーカー。ご両親からの贈り物?」

「そうなの」

「いいわねえ。さすが」

「さすが?」

「だってさ、大人っぽいデザインなんだけど、サリサには似合ってるのよ〜。この前の、アーサーが最初に見繕った服なんて、無難なデザインだけどなんか違うよな〜って思ってたんだよね〜。そのチョーカーはサリサのって感じ」

 そうなのか。サリサは嬉しくなってにこりと微笑んだ。

「ありがとう」

「どういたしまして〜」

 褒められて嬉しいことは確かだ。だが、後ろめたさもあった。

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