第16話 こっそりではなかった
アーサーは眉をひそめた。
「こどもでない?」
「私には、別に両親がいたんです。でも彼らは、私が五歳のときに事故で、二人とも亡くなってしまったんです。私にはケストリア家の血は一滴も流れていません。母は術を使えますが、私は養子なので、術士ではないんです」
それがあり、サリサは今の両親に対し壁を築いてしまっている。
両親はとても優しく、サリサを大事に育ててくれた。彼らには実子がいなかったのもあり、全ての愛を彼らは惜しみなくサリサに注いでくれた。
それが余計に申し訳なかった。
「ケストリアのお父さんもお母さんも、血の繋がらない私のことを大事にしてくれたんです」
言うなり、アーサーは立ち上がった。がたりを大きく音をたて、椅子はセットのテーブルにぶつかった。随分無作法な動きは、アーサーらしくなかった。
サリサはやや驚き、立っているアーサーを見上げた。
「サリサ」
アーサーは蒼白な顔をしている。ただ、目だけが光っていた。一途にサリサを凝視している。
「はい」
サリサは身構えた。
やはり、両親の勧めの通り、自分が養子だったことを言うべきではなかったのか。
両親がサリサを養子にしたあと、親族は反対こそしなかったが、いとこたちは、平民のサリサがケストリア家に入ったことを嫌がった。学校も、私立の、ケストリア家にふさわしいところに入学したが、いとこたちはクラスメイトと結託しサリサを虐め、サリサは学校に通えなくなった。そのため、両親は家庭教師を付けてくれたのだ。十三歳からの高等学校は、家庭教師の勧めで王都の学校に行くことになり、サリサの過去はそこで一新された。両親からは、学校で養子だと言わなくていいと教えられた。最初からケストリア家の子ということで、平民だと虐められることなく過ごすことができた。
だが、いとこたちに小突かれ、叩かれ、あれからサリサは対人恐怖症になった。
まさかアーサーも、本当は平民だったサリサに嫌悪感を持ったのだろうか。もしそうであれば、自分はおそらく、酷く傷付くだろう。
おそらく、二度とアーサーとは顔を合わせられない。いとこたちにそうされたように、蔑まれ見られることに、アーサーにそうされることに耐えられると思えない。
大好きなひとに。
サリサはそれを自覚し、
嫌悪ではなさそうなのだが、それはそれでサリサに理解できない。サリサは徐々に動揺が収まってきて、アーサーの動きを待つ余裕ができた。
「貴女の両親は、……お二人とも、今から十四年前くらいに亡くなったか?」
サリサは目を見開いた。
サリサ自身でなく、両親、しかも亡くなった時期を聞かれるとは思わなかった。
「はい、そうです……本当の両親は、ケストリア家の庭師とメイドでした。その縁で、今の両親が私を養子にしてくれたんです」
「ご両親が亡くなられた直後、貴女はリーリスの別荘にいたか?」
「はい……」
話の筋が、予想外の方向へ進んでいる。
アーサーは、息を飲んだ。さっきから出しているひび割れた声を調えたいように。
「そのとき、貴女は、頭を全て包帯で覆われたこどもに会わなかったか?」
サリサは硬直した。
「……あ、え」
「サリサ、どうなんだ」
アーサーは険しい顔をして、サリサの答を催促してくる。何かに追われているよう、いやむしろ、何かを追っているよう。
「会いました。会いましたというか……こ、こどもだったんですね。そこは覚えていなくて、……私が覚えているのは、私の記憶が正しければ」
「ああ」
「会ったというより、本当はダメだと言われたのに、こっそりその子に会いに行ってました。多分まいにち」
「……こっそりではなかったな。皆、貴女が私の元に来ていたのを見て見ぬ振りをしていた。私が頼んだから」
アーサーは失笑した。だが、彼の目は輝いている。一心不乱にサリサを見つめていた。
「ワタシガタノンダカラ……」
「ああ。私が、あの別荘を去ると言ったあの日、貴女は泣いていたのだろう。私は包帯で見えなかったが、触れた頬が濡れていたから」
「ギャーーーーーー!!!」
突然叫んだサリサに、アーサーはぎょっとして言葉を切った。
サリサは場所も忘れて立ち上がって逃げようとして、足を取られてよろめいた。ベッドに膝の裏を取られて仰け反って、後頭部から床に倒れそうになった。
「サリサ!」
アーサーがサリサを自分の胸元へ引き寄せ、二人してベッドの上に転がった。サリサはアーサーの上で、彼に抱きしめられた体勢で落ち着いた。
「危なかったな」
アーサーが安堵で手を緩めたとき、サリサは彼から離れようとした。しかしアーサーはサリサを逃がさず、手を掴んで彼女を引く。ころりと体を反転させ、サリサを下に組み臥した。
「逃げるな」
「あーっお願いします逃げさせて下さいッ!!!」
頬を真っ赤にし、顔に手を当てているサリサを見て。アーサーは声を出しくつくつ笑った。
「何故逃げる」
「えっ、いや、だって」
サリサは手を下げた。そこではっとする。そういえば彼はあのとき、口以外包帯を巻かれていた。サリサが勢い余って口付けたことを知らないのではないか。
サリサはその希望に縋りながら、怖々、アーサーの顔色を覗った。
「何故、私から逃げたい」
「あ、いや、ソウデスネ。逃げなくてもいいかも」
「あのときは、行かないでくれと言ってくれたのに」
サリサはじゃぶじゃぶ視線を泳がせた。
「ああ、ええ。はい。言いました」
「そして口づけをくれた」
バレてる。
「ああああああ」
サリサはもう一度、顔を覆いたいと思ったが、両手をアーサーに取られていた。手首を握られたのではなく、両手を重ね、指を絡める直前で。
サリサはぎゅっと目を閉じた。
「申し訳ありません」
「……サリサ?」
アーサーは笑顔をひっこめ、謝るサリサの顔を覗きこんだ。
「こどもだったとはいえ、大変失礼を致しました。……あの、できれば、忘れて頂ければと」
「忘れるものか」
静かだが、意思のみなぎった断言だった。羞恥など入る隙もないほど強い思いを受け、サリサもはっと目を開く。
碧青の瞳とカチリ、視線が合った。
サリサの手は離され、代わりに両頬を抱えられた。
あのとき、サリサがアーサーにそうしたように。
「あのとき、貴女があの場にいてくれたこと、あれがどれほど私の支えになったか、貴女に分かるか?」
彼の声は、わずかだが震えている。アーサーの美しい宝石のような目が光る。
「必ず治るといくら言われても、絶望しかなかった。記憶も曖昧で何も見えず、聞こえる音も雑音ばかりで、闇に放られた私が、生きていきたいと思えた唯一の希望が貴女だった」
はたりと、彼の目から雫が零れ、サリサの頬に落ちた。
「貴女は、両親が突然いなくなったと泣いていた。話しかけた私の外見など気にもせず、貴女は私の手を握った。あのとき、私は満足に言葉を話すこともできなかったのに、貴女はそんなことなどおかまいなしに、ただ私のそばにいてくれた。そしてずっとそばにいてくれとも言ってくれた。あの言葉がなかったら、私は闇に飲まれていた。貴女がいてくれと言ってくれたことで、貴女が頼ってくれたことで、自分は生きねばと思えた。貴女が私の光だった。サリサ」
抱きしめられた、そのアーサーの体も声と同じく震えていた。
「会いたかった。貴女に、もう一度。……貴女の姿をこの目で見たかった。触れたかった」
感極まったように、アーサーはサリサのこめかみに頬をすり寄せた。そこに彼は唇をあてる。何をされているのか見えないが、サリサは気付き体を震わせた。
愛おしいのだと態度で示されている。産まれて初めての経験だが、サリサにはそれが分かった。嫌悪感はない。ただ嬉しくて、サリサも彼の背に手を回す。
背中と、後頭部に彼の手が回った。背の方は強く引き寄せられる。首の後ろは擽るように撫でられた。フワフワしているものに目がない、アーサーの嗜好を思い出し思わず笑ってしまった。
「何がおかしい」
「だって」
アーサーは顔を上げ、くすくす笑うサリサを咎めたいかのように、サリサの頬をつついた。
重なる、彼の重い体が愛おしい。厚い胸板も。
額に流れる髪も、青碧の眼も。
「サリサ」
掠れた声を聞くと背に快感が走った。見つめ合い、息を潜め、心臓を高鳴らせサリサは待つ。
だが、アーサーは大きく息を吐き、サリサから手を離した。離れていく彼の頬に、傷痕に手を添えようとして、その手を取られた。
アーサーはサリサの手のひらに口づけをする。そして、手を自身の顎に、傷のあるそこにあて、サリサの目を見据えた。
そのなかの真実を探すように。
「教えてくれ、サリサ。どうして貴女は」
「……は、い?」
苦悩に満ちた、アーサーの顔。そんな顔を見たくない。笑ってほしいのに。
何故彼は。
「私に対し、正直でいてくれない?」
何を責められているのかすぐには分からなかった。だが察し、サリサは体を強ばらせる。視線を逸らせたサリサを、自分の腕の中で見たアーサーは、口を歪めたのちに体を起こした。
彼は無言のまま、部屋を去った。
サリサは一人、ベッドの上に横たわる。
手のひらで口を覆った。先ほど、アーサーが口付けたそこに唇をあて、嗚咽を堪える。
「ごめんなさい」
それを最も伝えたい相手に、それを伝えることができない。
悔しさに涙が零れた。
目覚めると雨の音がしていた。ベッドの上で寝返りを打ち、サリサは横になったままで窓の方角を見た。カーテンが閉まっているのでもちろん外は見えない。
今日も、アーサーとシェルトは散歩に行っているのだろうか。サリサは体を起こし、ベッドから出た。
朝食の時間より早く、アーサーがサリサの元へやってきた。
「おはようございます」
「おはよう。昨日は済まなかった」
サリサは眉尻を盛大に下げた。
「どうしてアーサー様が謝るんですか」
アーサーはサリサの顎に指を添えた。
「私は、貴女にとやかく言える立場ではないのだ。……サリサ殿」
そんなふうに言われると見放されたような気分になってしまった。
「はい」
「顔色がよくない。眠れなかったのか?」
どうだろう。サリサも眠ったようなそうでもないような、よく分かっていない。眠りが浅かったのは確かだ。
「今日は、仕事は休んではどうだろう。体調も気になるのだが、研究院に行かせたくはない。それに、貴女のご両親が王都に到着されたそうだ」
「……は?」
今日はハロルズ教授が来るであろうから、フリスと二人になることは恐らくないのだが、サリサも少々腰が退けていた。だが最後にアーサーは爆弾発言を落とした。
「お父さんとお母さんが?」
「来られるだろうとは思っていたが。さすがに早い」
確かに娘が他人の、しかも八卿の名を持つ人物の家に居候したとなると、こちらに来るのは当たり前なのか。
「王宮の中心の通りから一本東の大通りがあるだろう。そこの宿のひとつに滞在されている。昨晩到着されたそうだ。その報告が昨日に来ていた」
「会いに行ってきます」
サリサのはっきりとした意思を聞き、アーサーはわずかに目を見開いた。
「アーサー様が昨日、お話を聞いて下さったじゃないですか。私、両親と話をしなければと思って」
意外そうな顔をされたので、サリサは付け加えたのだが、アーサーはそのサリサの返事の途中で、彼女の後頭部に手を動かし撫でた。
「アーサー様?」
「私も貴女を見習うことにしよう」
「はい?」
アーサーはサリサの後頭部から手を離し、微笑を浮かべて彼女の前髪を指で払った。
「同じ事があって私も驚いているのだが、私の両親も、今日ここに来るそうだ」
「え!」
「偶然なんだ。私も、キリウから二通の知らせを聞いたとき、思わず笑ってしまった」
言いながら思い出し笑いなのか、アーサーは顔を綻ばせていた。
「ケストリアご夫妻の滞在されている宿に送っていこう。だが、こちらへ戻るときは、私は迎えに行けないかもしれない。私も両親に会うつもりなので」
「はい。ありがとうございます。送って下さるだけで十分です」
アーサーはうなずき、サリサを連れて食堂へ向かった。
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