第11話 ドッグランデートイン牧場
朝の光に促され、サリサは目を覚ました。思ったより早く、このベッドで目覚めるのにも慣れてしまった。最初は格調高い柄のカーテン類に気後れしていたのに、今は愛着が湧いている。
サリサは起き、寝間着のままでカーテンを開けた。眼下の庭にて、すでにアーサーとシェルトがいた。
「え、もう?」
サリサは前のめりで窓の向こうを見た。アーサーはシェルトに首輪とリードを付けている。シェルトはおとなしくお座りをしているが、尾を盛大に振っていた。
一緒に散歩に行く約束をしたのに、肝心の出発時間を聞いていなかった。
サリサは、自分も早く着替えねばと思い視線を外しかけた。だが視界の端で、アーサーはしゃがんだままシェルトの首元に顔を埋めた。
「ん?」
そしてアーサーはしばらく動かなかった。シェルトもじっとしていて吠えたりしない。
あれはなんの動作なのだと眺めているうち、アーサーは立ってシェルトと駆けていってしまった。
「あ!」
サリサは置いていかれた。
サリサは恨みがましい膨れっ面で、庭のベンチでアーサー達の帰りを待っていた。小一時間後、シェルトを連れた彼が戻ってきた。
サリサは立ち上がる。しかし足を動かすことができなかった。その場で立ってアーサーが戻ってくるのを眺め続けた。
走って帰ってきたのか、少し髪が乱れている。シャツも裾を出したラフな格好をして、珍しい姿だ。
彼を見ていると、常に何か新しいものを見つけているような気がする。知り合って間もないのだから当然だろうが、他の人でこんなことを思ったことはない。アーサーについての、サリサが知らないことを見つけることが、とても楽しくて癖になりそうだった。
「お帰りなさい」
「ただいま」
アーサーは晴れやかに笑っている。そんな笑顔を見たのも初めてな気がした。やはり嬉しくて、サリサもにこりと笑うと、アーサーは笑みをひっこめてしまった。
自分のは変な笑顔だったのだろうか。
シェルトを伴って歩いてきたアーサーに、サリサはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。寝坊をしました」
アーサーは、次は苦笑いをした。
「いや、せっかくだから、貴女を連れ別の場所に行こうと思ったのだ。私のほうこそ詳細を伝えず悪いことをしたな」
サリサの謝罪に、恨み節が入っていたのをアーサーは察したようだ。
「以前から何度も行ったことがある場所で、シェルトが思い切り走ることもできるところだ。予告なしに向かっても問題もない。遠出になるが構わないか」
サリサは顔を上げ、ぱっと笑顔になった。
「はい」
アーサーの言葉から理解したのか、シェルトも大いに尻尾を振ってアーサーの腰に両前脚を置いた。アーサーはその首をわしわしと撫でている。
どうも、昨日の朝にアーサーのベッドで自分がされたのはこれのようだ。サリサはなんとなく自分の首の後ろに手を置いてみた。フワフワなのかよく分からない。
朝食後、サリサは用意された馬車にシェルトとアーサーと乗った。警護の人も二人連れ、なかなか物々しい出立となった。
市街を通過している途中で、広場で演説をしている男たちがいた。ビラのようなものも配っている。聞こえてきた内容にサリサは眉をひそめた。
王政廃止を訴えている。
古代、竜は人の形と竜の形とを取ることができる生物で、この地にて人と共に暮らしていた。人間と竜とは、時には
竜から溢れ出た思念や力、それらに感化した人間たちの感情は不安定になった。
元々、人間は竜と同じ能力を持っていなかった。だが妹を食した竜──【共喰いの竜】出現より間もなく、一部の人間もまた竜と同じ能力を得るようになった。能力を得られた人間とそうでない者のあいだに、どのような違いがあるのか分からない。未だ研究が続けられている。
それはそうとして、【共喰いの竜】出現の前、強大な力を持っていた竜たちは、何も持たなかった人間たちに対し、尊敬を持って接していた。にも関わらず人は──力を得た人間は、竜を見習わなかった。力を得た人間は術士と呼ばれるようになり、力を持たない人間に対し「対等」という概念を放棄した。
禍々しい【共喰いの竜】の怨念も絡み、人も理性を失っていった。【共喰いの竜】が存在した時代は暗黒時代とも呼ばれている。
その時代に終止符を打った一人の勇者と、八人の協力者がいた。勇者は【共喰いの竜】を封印し、のちにこの地の初代王として立った。八人の協力者は八卿として、【共喰いの竜】封印後も王を補佐し続け今に至る。
竜たちは、勇者に力を貸し、【共喰いの竜】を封印したのち、己たちの人の姿と知性を封印し、現在は人と関わらずに竜の地で生きている。
王の血が続く限り、【共喰いの竜】はこの地の奥深くで封印されたままになる。そしてすなわち、王の血が途絶えれば【共喰いの竜】は目覚め再起する。
【共喰いの竜】が封印されたあと、人の能力はなくなるかと思われたが、力は残った。
人々はあの過ちを再び犯さないよう、かつての国の凄惨な有様を語り継いで書に残し続けている。しかし消えた巨大な力を再び蘇らせんとする一派もある。
彼らは王を弑さんとしている。
十四年前、現国王の第一子、ロレンツ皇太子が暗殺されかけた。一命は取り留めたが、かなりの怪我を負ったという。通常の人間ならば死んでいたところだったが、王の血族もまた術士であった。王家の人間は、直系の長子、男女限らず最初に産まれたこどもが能力を継ぐ。その力は圧倒的な治癒再生能力。その力があった故に、初代王は【共喰いの竜】の封印が可能であった。
ロレンツ皇子は生存できたものの、暗殺未遂後、国民に姿を見せたことがない。後遺症のせいで外出もままならなく、秘密の地で静養されているという話だが、そこは噂の域を出ない。
ロレンツ皇子の暗殺を企てた竜再起主義派の、さらに過激な一派は八年前ほどにリーダーが捕らえられてから縮小はした。だが皇子は今もまだ雲隠れしている。
それにかこつけ、王政廃止を訴えている人たちを遠目で見て、サリサはため息をついた。
「貴女が気に病むことではない。度が過ぎるようなら、すぐに私の仲間が来るはずだ」
「それはそうなんですが、難しいですね」
「何がだ」
「力は、正しい行いだけに使うことができたらいいとは思うんです」
アーサーは片眉を動かしサリサを見た。
「何を以て正しいと示す。おそらくだが【共喰いの竜】も、己の行いが正義であると信じていた」
「そうなんです。そこが、難しい。正しい行いだけに使われると信じたいと私が思っていても、他の人にとって、私が正しいと思えないことを正しいと思っているかもしれない」
サリサの呟きをアーサーは聞きながら、足下に行儀正しく臥しているシェルトの首をかいた。
「確かにそうだな。逆も然り」
アーサーの口調は少し堅い。
「逆?」
「いや、なんでもない」
そこから市街を抜け、舗装されていない道に入った。二時間ほど、休憩を挟みながら着いた場所は牧場だった。
青空の下、のんびり、白く丸い雲が浮いている。風がないので動いているようには見えない。そして柵の向こうでは、視界いっぱいに広がる緑の草原の中で、雲のように羊がその場で動かず、黙々と草を食んでいた。
「あ、羊、そうか」
ボーダー・コリーは羊を追う犬としても知られている。今からシェルトはここでその仕事をするわけではなかろうが、シェルトは駆けるだけでも楽しいはずだ。
アーサーの従者がすでに牧場主と話をしている。今朝話してもらったとおり、彼らは構えることなくアーサーたちを歓迎し迎え入れてくれた。
「シェルトはここの出身だ。ほら」
「あ、本当だ。いる!」
牧場ではシェルトの兄弟らしき、トライカラーのボーダー・コリーが休憩していた。牧場のコリーはシェルトに気付くなり立って尾を振っている。彼とシェルトが挨拶をしているあいだ、アーサーは上着を脱いでボールを持ちだした。とたん、シェルトらの目が輝き尻尾を大きく振った。
「ほら」
アーサーがボールを投げると、シェルトと兄弟は競って飛ぶ。それを見事咥えたのはシェルトの方だった。
「すごい!」
サリサが手を叩いて喜ぶと、シェルトは得意そうに尾を振った。アーサーもサリサに笑顔を向けた。
シェルトがボールを咥えアーサーのところまで戻ってきた。アーサーはボールを受けとりサリサに渡した。
「投げてくれ」
「いいんですか!」
サリサはボールを思い切り振りかぶって投げた。力みすぎた投球に、ボールは明後日の方向に飛んでいった。しかも滞空時間が短くボールは地面を早々に転がっている。二匹は駆けてボールを追いかけた。アーサーはくっと笑いを堪えたような声を出して、サリサに睨まれ目を逸らした。またもシェルトがボールを咥えて戻ってきたが、シェルトはサリサを一瞥したものの、ボールはアーサーに渡した。それがアーサーのツボにはまってしまったらしく、彼は項垂れ笑いを堪えている。
「笑ってもいいですよ」
サリサの許可を得た直後、アーサーは声を出して笑った。サリサはそれからボールを何度か投げたが、どれも遠くに飛ばず、二匹のコリーのお気に召さなかったようだ。サリサがボールを持つと彼らはあからさまに「やれやれ」という顔をする。
その度にアーサーが笑っていた。だがサリサはもうボールが投げられずとも、シェルトたちに呆れられても気にならない。アーサーが笑っている顔がずっと見られるのが嬉しかった。
サリサが真顔でアーサーを見ていると、彼は申し訳ないと思ったようだ。取り繕うように真顔になり、済まないと言って口元に手を当てた。
そのうち、ここの牧場にいるボーダー・コリーは仕事に駆り出された。シェルトは兄弟を見送ったのち、アーサーを期待の目で見上げた。
「サリサ殿、ゲームをしよう」
「ゲームですか?」
シェルトはすでに、今からアーサーと何をするのか察しているようだ。ぱたぱたと尻尾を振って待機している。そのシェルトにお座りをさせ、アーサーは彼に背を向け、サリサを連れ数歩歩いた。
「この辺りかな」
そしてアーサーは、シェルトに背を向けサリサに向かい合い、サリサとシェルトのあいだに立った。
「貴女からシェルトの姿は見えるだろうか。見えなくなる位置に動いて調整してくれ」
「大丈夫です。私から見えません」
「では始めよう。シェルトが貴女の考えていることを読み取って、貴女の指示通りにやってくる」
サリサは先刻のシェルトのように顔を輝かせた。
「私は何をすればいいですか」
「貴女が、そこから指示をするのは視線だけだ。右か左か、どちらかに目を動かすと、その方向からシェルトがサリサ殿の前にやってくる」
サリサからはシェルトが見えないが、ということはシェルトも、サリサの視線の動きは見えないはずだ。だからゲームなのだ。
「やってみてもいいです?」
「ああ」
サリサは試しに右に両目を動かした。アーサーはシェルトの名を呼んだ。すると、ぱっとシェルトがアーサーの左側から、つまりサリサの右側からやってきて、サリサの前にちょんと座った。
「当たりました。えらい」
サリサは目を輝かせ、ぱちぱちと手を叩いた。褒められたシェルトは嬉しそうな顔をしている。
「シェルト。おいで」
アーサーが呼びかけると、シェルトは身を
「もう一度だ」
シェルトがまたアーサーの背に回り込み、サリサの視界から見えなくなった。サリサは次も右にキョロっと視線を動かした。アーサーの呼びかけの直後、またシェルトはサリサの右側から姿を見せた。
「えらい」
それから五回、シェルトは全て正解させた。
「すごい。かしこいかしこい!」
アーサーの持っているおやつがなくなったので、ゲームは終了となった。
「教えてからどのくらいで、こういうゲームができるようになるんですか?」
「これはどのくらいだったかな。あまり考えたことがない」
ということは、アーサーとシェルトにとってはおそらく苦ではなかったのだろう。
「サリサ殿は、このゲームのトリックはもう分かったのだな」
アーサーが挑戦的に笑うので、サリサもふふんと鼻を鳴らした。
「六回見たら分かりますよ」
「だろうな。最後のときに、貴女の目の動きがおかしかった。左右どちらに指示を出したものか少し迷ってしまった」
サリサは声を出して笑った。
アーサーはサリサの目が動いた方向の、手の小指を曲げることでシェルトに指示を出していたのだ。被験者が目を動かすので、アーサーの指示が被験者に気付かれにくいところも利用している。
「アーサー様の足の下から通すのも面白いかもしれませんね」
アーサーはなるほどと言いながら笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます