第4話 騎士様と夜道を歩くなど

 緩やかなカーブを描いたプラチナブロンドの髪を後ろに流し、額が露わなその下で、深いターコイズブルーの光彩が覗く。

 体が動かない。現実に頭がついていかない。それより綺麗な眼だとサリサは思った。動かず、じっと彼の眼だけを見続けるサリサの行動に、相手は心配そうな表情を取った。彼も真似をするようにサリサの顔色を観察する。

「どこか怪我をしたのか」

「多分、サリサはアーサーが怖いんじゃないかな」

「なに」

 サリサを抱えている彼は眉をひそめ、ルシウスに顔を向けた。

「ルシウス殿、綱を頼む」

「畏まりました」

 ルシウスは、サリサを抱えている男、アーサーの馬の綱を取った。馬が落ち着いたのを確認してからアーサーは降りたのだが、サリサは馬に慣れておらず滑り落ちそうになる。アーサーに抱き留められる形で落下を免れた。

 サリサは、アーサーの肩の上から彼に抱きついてしまった。足が地面に付いておらず、不安定で腕に力が入ってしまう。サリサの髪がアーサーの頬をくすぐった。

 アーサーはサリサを抱き留め硬直している。

「アーサー。サリサを解放してあげないとそろそろ死ぬ」

「えっ」

 ミランの警告にアーサーは驚き、さっとサリサを地面に降ろした。サリサはよろめいたのだが、アーサーが肩を支えてくれて転倒はしなかった。

 アーサーと同じ格好をした男性が彼を呼んだ。アーサーは応えサリサから離れていく。ミランはアーサーからサリサを引き取り、サリサの顔を覗き込んだ。

「あれ、よかった。大丈夫そう」

「うん……」

「あ、もしかしたらショック療法ってやつ?」

 そういうことなのか?とサリサも首を傾げていた。そう。さほど体に緊張がない。他人に触れられたときの居心地の悪さも、なくはないがいつもよりは酷くなかった。

 その、サリサを救いさっきまで抱えていてくれた彼を、サリサはもう一度見た。

「アーサー様って」

「そう、さっきも言いかけたけど、私の従兄弟で憲兵さん」

 彼は確かに国家憲兵の制服を着ていた。濃紺が基調で、青のタイ、同色のラインが襟、袖とボトムスに縦に入る制服を、上背と胸板がしっかりとある彼は颯爽と着こなしている。

 アーサーは馬を引き、同じ制服の仲間と話をしている。影で見えにくいのだが、サリサたちを襲おうとした男たちの一部は捕らえることができたようだ。騎乗の憲兵や警官がさらにやってきて仕事をしている。公園内の道は広いが歩行者専用で、馬は通常では入れない。緊急時に専用の門を開けることがあるが、今回それが間に合ったとは思えない。おそらくアーサーは馬を操り、柵を越えてきたのだ。技術があるものはそういうことが可能と聞いたことがある。

 アーサーはルシウスを呼び、何か話をしたあと、ルシウスがサリサとミランの元に戻ってきた。

「ミラン様、サリサ様、警官に事情をお伝えしなければなりません」

「仕方ないか〜。面倒だけど行こか、サリサ」

 ミランの言う通りだ。サリサもうなずき、やってきた警官の指示に従った。


 向かった先で三人は別々に事情を聞かれた。サリサの担当は、初老の男性警官だった。

 一連の経緯を聞かれたので、サリサは自分が見たことを正直に全部話した。先輩のお勧めの居酒屋で飲んだこと。馬車が来なかったので、公園を通過して帰ろうとしたこと。自分が捕らえられてしまいそうになったこと。

「何故、あなた方が狙われたのか、思い当たる節はありますか」

 サリサは視線を上にやった。全くゼロということはないのだが、その件はここでは言えない。いざとなったら担当教授を呼んでもらうしかない。

 ただ、さすがにそれはないなとサリサは判断した。

「特には」

「そうですか」

 何度か同じ事を聞かれ、同じ返事をすることに意味があるのかと思いつつも、おそらくこういうものなのだろうと納得するしかない。ただ、特に険悪な空気にならず、むしろご協力ありがとうございますとお礼を言われ、サリサは短時間で解放された。

 一番に待合場所に戻ったらしく、そこにはアーサーが待っていた。サリサを認め、規定に沿った美しい所作で礼を取った。

「大事ないか」

「こっ」

 ニワトリのような出だしから、サリサの挨拶が開始された。

「こ、こちらこそ、助けてくださってありがとうございます。サリサ・ケストリアと申します。ごごご挨拶が遅れまして申し訳ありません」

「あの状況では致し方ない。こちらこそ、挨拶が遅れて済まない。私はアーサー・レファローヤだ」

「ミランの、従兄弟だ、と」

「ああ」

 先ほどミランは彼のことを、かなり生真面目であるような評をしていた。なるほどと思う。レファローヤ姓は八卿の直系で、身分としてはアーサーが上だ。サリサは八卿のケスト家の派生である。にも関わらず武人のような堅苦しい態度を崩さないうえ、実に丁寧な物言いである。

「体調の方はいかがか。先ほどミランが言っていたが、私が恐ろしいと。不躾な真似をしてしまい申し訳なかった」

「とと、とんでもないです!」

 サリサは慌てて両手を振った。

「た、助けて頂いたのに、私の方こそ失礼をしました。アーサー様がどどどうということではないんです。私、接触恐怖症とでも言うんでしょうか。男女構わず、他の方に触れたり触れられたりするのがにが、苦手なんです」

「そういうことか」

 アーサーは安堵の顔をしつつも、まだじっとサリサを見ていた。ものすごく居心地が悪い。

「貴女はどこに家がある。家の従者に連絡をしよう。迎えに来てもらいなさい」

「あっ、い、いない、です。……私は院の官舎を借りていますので」

「なに」

 アーサーが驚くのも無理はない。派生といえど八卿にルーツがある留探士が官舎に住むのは珍しい。

 そこからアーサーは黙り込み、じっとサリサを見た。背の低いサリサは、彼を見上げないと目を合わすことができない。それでなくともアーサーは上背があった。

 軽くウェーブのかかった、白に近い金の髪はレファローヤ家の特徴だ。だが、彼の瞳の色は違う。珍しいターコイズブルーの光彩。それは王家の特徴に近い。レファローヤ家は何代か昔、皇子と婚姻を結んだ。先祖返りかもしれない。

 そして彼の左顎から頬にかけ、大きな傷あとがあった。

 アーサーは、サリサの視線を切るように大きく体を切り返した。

「おつかれ〜」

 アーサーは廊下の向こうから現れたミランを出迎えるように、彼女の正面に立った。

「おつかれではない。私の到着を待てと伝えたにも関わらず、貴女は約束を守らずに先に店を出たな」

「私はアーサーとは約束をしてませ〜ん」

「それに安易に術を使うと足下を掬われるぞ」

 ミランは鼻で嗤った。

「そんなの。レファローヤ姓を名乗ってる時点で今更ですよ〜。世界じゅうが私の力を知ってるし、封じる手段も知ってるのに。使えるときにバンバン使っておかないと」

 そうなのだ。術の力は巨大であるが、近年はそれに対抗する術解除も可能になってきている。八卿の、それぞれの家系が持つ力は知られているので、その分対抗術も構築されやすい。

 アーサーは憤慨露わに息を吐いたが、それ以上は何も言わなかった。

「お待たせしました」

 ルシウスも戻ってきた。アーサーと顔を見合わせお互い視線で何やら会話をした。

「今から我々はミラン、貴女の家にまず向かう」

「どうしてよう」

「距離が一番近いからだ。お茶をごちそうしてくれ。可能ならカフェインがないものがいい。貴女もサリサ殿も顔色がよくない。特にサリサ殿は一番危険な目に遭った。安心できる場所で少し休憩してから官舎に戻った方がいい」

 ミランはそういうことならと了承した。

「ルシウス。その後でサリサを送ってあげて」

「畏まりました」

 ミランの提案にルシウスは同意したが、それをアーサーが制した。

「いや、サリサ殿は私が送る」

 サリサだけでなく、ミランもルシウスも目を見開いた。

「ミランの元には貴殿がいた方がいい。万が一ということもある。今日の賊の目的が何か分からない。研究院の官舎は出入り口に衛兵がいる。向こうは院に入ってしまえば安全だろう。馬を一時、預かってくれ。サリサ殿を送ったあとで迎えに戻る」

 サリサが口を挟むヒマもなく、事態は進んでしまっている。アワアワとしている間に一行はミランの家に着いた。滞在後にミランがサリサとアーサーを見送ってくれた。

「気を付けてね。アーサー、サリサをお願い」

 拒否権はないのか、そう思ったが身の安全を考えると拒否しないほうがいいに決まっている。

 だが、本日初めて会った人物と二人など、息が詰まるどころではない。

「行こう」

 アーサーに促され、サリサは緊張で右手と右足を同時に出し、ぎこちなく歩いた。

「私はあなたに威圧感を与えているようだ」

「そんなことはありましぇ」

 早速緊張で噛んでいる。アーサーは噛んだことには触れずにいてくれたが、サリサが及び腰なことはそれでバレた。

「サリサ殿はミランと同期だろう。才女がいると彼女が教えてくれたことがあった」

 彼はこちらを持ち上げつつも差し障りのない世間話をしてくれようとしている。親切心に応えるべきなのだが言葉が出てこなかった。

「あ!」

 つまずいてしまって、アーサーに手を取られた。ひっと硬直してしまう。

「申し訳ない」

「ここ、こちらこそ!」

 すぐに手は離してもらったが、サリサはいたたまれなさに早く官舎に着いてほしい!と心で叫んでしまう。何なら走っても構わない。酔いはとっくに覚めている。ミランの家から研究院の官舎まで実はさほど遠くないが、サリサには長時間の拷問のように思えた。

 走りましょうと喉まで出掛かったとき、アーサーが先に口を開いた。

「サリサ殿は、犬についてどう思う?」

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