第3話 誘拐されそう!?

 店の前ではミランとルシウスが押し問答をしていた。

「アーサー様がいらっしゃるまでお待ちくださいよ」

「やだやだやだ我こそは規律遵守の化身なり、みたいなアーサーが横にいたら何も美味しくなくなるんだもん。ルシウスだって分かるでしょう!」

「分かりますけど、私の立場ではそんなこと言えないじゃないですか!」

 言っているのではないのかとサリサは思った。

「サリサ。帰ろう」

 ミランはサリサに手を振ってきた。ルシウスは軽く天を仰いで主人の説得を諦めた。

「では馬車を待ちましょう」

 ルシウスを先頭に三人は大通りの、馬車の停車場に向かったのだが、そこには人だかりができていた。ルシウスが待っている人に聞くと、どこかで事故があって道路が一時的に通れなくなって、馬車が停滞しているという。

「そうなんだ〜。待つ?」

「あなた方はどこまで?」

 ルシウスが話しかけていた老人が、そう聞いてきたので、ルシウスは大体の目的地を告げた。

「なら公園を抜けたら早いんじゃないかな。灯りを持った騎士様が一人おられるなら、大事にはならんでしょう。この時間ならそれなりに人も通っておりますし」

 ルシウスが礼を言い、サリサたちに向かい合った。

「いかがしましょう。私はどちらでもいいですよ。確かにこの時間でしたら、まだ公園を通り抜けられると思います」

「じゃあ歩こうか〜」

 サリサも反対する気はなくうなずいた。気候もいいので、宵の散歩もいいような気がする。

「では参りましょう」

 ルシウスは持参のランタンに火をもらって、ミランとサリサの先を歩いた。

 三人は市街を抜け大通りから脇道に入った。馬を伴わず、人だけならこちらの方が確かにミランとサリサの下宿に近い。

 ミランは王立研究院の近くに家を買い住んでいるが、サリサは研究院が管理している官舎を借りている。王立研究院に属している留探士のほとんどは、ミランのように近辺に家を借りるなり買うなりしている。官舎を借りるのは、フィールドの研究をしている巡探士が主だ。サリサの方が珍しい。完全個室で食堂もあるので、サリサには十分の環境だった。

「そういえば今日は、珍しい場所でお食事をされていましたね」

 ルシウスは前を向いたままで、二人に話しかけてきた。

「そうなの。サリサのお勧めというか、聞いてきたんだよね〜」

「そうなんです。あの、あの辺りに美味しいお店が多いって、先輩が教えてくれたんです」

 今朝所属の研究室の先輩が、この時期にお勧めの場所があると、話の流れからサリサに教えてくれた。それをそのままミランに伝えて、なら行こうという経緯で今に至る。

「食べたもの、美味しかったんじゃないですか。いい匂いでしたよ」

「うん」

 ミランが反芻しているのか、穏やかな遠い目をした。

「エビが大きくてプリプリで〜そうそうチーズも種類がいっぱいあって美味しかった〜」

「私も食べたかったのに。どうして……どうして」

 ものすごい恨み節の口調である。

「分かった。悪かった。また行こう。アーサーが来るとか言うから〜。だいたい、どうして突然私たちと合流したいなんて」

「久しぶりに遠くから帰ってきたとかなの?」

 サリサが問うと、ミランはいやあ〜と否定を示した。

「アーサーはずっと王都にいるし、年に一度は必ず会う〜」

「もしかしてアーサー様、サリサ様を紹介してもらいたかったんですかね」

 ルシウスが突然ぽつりと言った。

「は?」

 サリサは驚いて彼を見たのだが、ミランは「ああ」と何故か納得したような顔をした。ミランはじーっとサリサの顔を見た。

「そうか……それは、あるかも」

「でしょう」

「え?」

 意味が分からない。

「その、アーサー様という方はどういう」

「アーサーはねえ、私の」

 ミランが答えようとしたとき、ルシウスが突然に後ろを振り返った。くんくんと鼻を動かし、顔を強ばらせる。彼は少しだけ身を屈め、歩きを遅くして二人より半歩退いた位置を取った。

「ミラン様。サリサ様。早足でお願いします。前へ進んで下さい」

「え」

「つけられているかもしれません。馬車の停車場から一人だけ、ずっと同じ人間が我々の後から来ています。念の為、早く大通りに出ましょう」

「は?」

 予想外の事を言われ、サリサとミランは同時に疑問の声を上げた。

 つけられる?

「なんで?」

 ミランがもっともな問いをルシウスに投げた。

「そんなことは私には分かりませんが……あ、走って!」

 ルシウスが警告した直後、三人の進行方向に人影が二体現れた。そして後方からも一体。ルシウスが警戒していた、つけてきている誰かが足を速め迫ってきた。

「前からもか!」

 突然の出来事にサリサは固まってしまった。公園に入ったので少々人通りは減っているとはいえ、かなり治安のいい王都でこんなことになるなどこれっぽっちも考えていなかった。

 ルシウスは確かにミランの護衛なのだが、それはこんな危険なことが起こるのを予想していたからではない。

 ルシウスはミランのお目付役なだけだ。特に飲酒後の。

 恐怖で動けないサリサの横で、ミランはのほほんと右手を上げた。

「すみませ〜ん。帰りたいのでそこをどいてくださ〜い」

「やめてください!」

 ルシウスが慌てながら、彼は剣を握り、相手に帯剣しているのだと示した。

 だが、サリサたちを囲んでいる者達は、じりじりと近寄ってきている。前方には二人、後方に一人。こちらも三人だが、うち一人しか男性はおらず、しかも武器を持っているのはルシウスだけだ。

 ただミランは厳密に言えばサリサほど、ど素人ではない。

「警告したからね」

 ミランは右手を振り下げた。

「あっ、こら」

 ルシウスの警告と同時に、前を塞ぐ者たちの足下で何かの弾ける、派手な音がした。影はさっと後ろに飛び引いたものの、退こうとはしない。

「ちっ。避けやがって」

「やっぱり酔って暴走してる! 済みませんこの人を止めてください!」

 ルシウスはサリサに依頼し、剣を抜いた。

 しかし、サリサはどうやってミランを止めればいいのか分からない。あわあわとしているうちに、ミランはまた手を掲げた。

「ミ、ミラン……」

 サリサは仕方なく、ミランのワンピースの袖を掴んだが、案の定そんなものでミランの暴走は止まらなかった。ミランはもう一度手を振った。

 パシンと、閃光が走ったと同時に大きな音がした。付近に雷が落ちたのだ。ばしばしと、空気がヒリついたような感覚がする。

「危険ですからお止め下さい!」

「大丈夫あれは誰にもあててない。私がこっちを蹴散らしてる間に、あなたがそっちを守って。正面突破するよ〜」

「うう!」

 多勢に無勢なので、ミランの言い分が正しいような気がサリサにもする。ルシウスもそれしかないと思ったようで、うなったが反対はしなかった。

 再度、ミランの手が振られる。次は、最初のときのような小さな光だった。相手はまたも下がるのだが、しかし道を空ける気配はない。

「あててやる」

 ミランの呟きにぎょっとしたが、しかし何もできないサリサに反対する意思もなく、ただ彼女の裾を掴んでいた。そこに金属どうしがあたる音がして、サリサは振り返った。

 後方ではすでに影が迫ってきていて、ルシウスが退けようとしている。

「ぎゃ」

 野太い声がし、一人が前方で倒れた。ミランの攻撃があたったようだ。

「走るよ!」

 ミランはサリサの手を振り払い、逆にサリサのブラウスを掴んだ。サリサも息を飲んでミランに続く。ミランが踝丈のスカートを片手で持ち上げた。ちょっとはしたないのかもしれないが駆けるにはその方がいい。サリサも真似てスカートを持ち上げ足を出した。

 ミランはサリサから手を離しそれを振り上げ、攻撃を再開した。彼女の手から細い雷が発せられる。相手は避け、そして顎をしゃくった。

「こっちだ」

 覆面をしているが、その小さな囁きから相手が男だと分かった。そして目の部分だけ空いた、男の視線がサリサを捕らえた。

 ミランがもう一度、前方を塞ぐ相手に手を振り下ろした。対象に当たり、その間を二人が遠回りで抜けようとしたとき、ルシウスが叫んだ。

「そちらは駄目です!」

 サリサの手が掴まれた。

「ひ」

 強い力で引かれ、胴を抱え込まれた。相手は覆面に手袋をしていて、素手ではサリサには触れていない。しかし捕らえられた事実に体が硬直した。

 恐ろしさに息ができない。影の男はサリサを捕らえたあと、さっと後方に身を引いた。

 ルシウスは目の前の相手を御するので精一杯だった。サリサを捕らえている第四の影の男は、綱を木に投げひっかけ、それを器用にたぐり大木を登っていった。

 地面から視界が遠くなっていき、目がくらくらする。サリサは恐怖と嫌悪感で目眩がし、意識を手放そうとしていた。だがその中で、羽の音を聞いた。

「飛蛇……」

 見た目は巨大な蜥蜴だが、前肢に相当する部分が蝙蝠の羽のようになっていて、夜間でも高速で移動が可能な動物である。その羽音だ。それに乗せられ飛ばれてしまうと、ミランもルシウスも手出しができない。

 なんとか体を動かすことができないか。それを考えることができると、少し心に余裕ができた。真っ暗だった視界の少し色が戻ってきた。視界の先に、ミランがいる。

 手に、光を貯めている。光は彼女の手の中で伸び、大きな弓の形を取った。

「アーサー!」

 ミランは叫び、光の矢を射った。一陣の光が一直線にサリサの元に飛んだ。

「うあ!」

 サリサを抱えている男が、その光の矢を受け呻いた。サリサは影の男の腕から解放されたが、引力からはさすがに無理だった。

 すうっと落ちる感覚に背筋が凍ったとき、衝撃があった。サリサが理解する間もなく、またも何かに抱え込まれた。

 何かではない。人だ。逞しい腕が自分を抱えている。またもぞわりとした感覚が背筋を這い、サリサは息を詰めた。

 金属が跳ねる音がいくつも聞こえる。サリサは彼女を抱えた人物が動くのに合わせ、振り回され続けた。いよいよ意識が遠くなっていく。

 わずかに指笛の音が聞こえた。同じく聞こえる羽音はおそらく飛蛇のものだ。また、がくりと落ちそうな感覚がした。サリサは本能で手を伸ばし、抱えられるものを抱えた。

 サリサを抱えている誰かも動きを止めた。抱え直されて、辛かった体勢が楽になる。まだ事態についていけず目を開く気になれないが、沢山の足音が寄ってきている音がする。追っ手なのかと、サリサは恐怖で腕に力を入れた。

「大丈夫だ。力を抜いていい」

 背をぽんぽんと敲かれる。赤子をあやすような感じだ。

 冷静な声を聞きサリサも、ようやく詰めていた息を思い切り吐くことができた。

「アーサー様、お怪我は?」

 ルシウスの声が近くでした。彼の声は強く、彼こそ命に関わる怪我など負っていないようで、サリサは安心する。

「私は大丈夫だ。君たちこそ問題ないか」

「お陰様で、問題ありません」

「大丈夫だよ〜」

 間近でぶるる、と音が聞こえた。馬の息のようだ。

 馬?

 サリサははっとして目を開けた。

「ありがとうございます。私の力不足で、アーサー様にはご迷惑をおかけしてしまい……」

 ルシウスはサリサの視界の下で、こちらに向かって頭を下げていた。背の高い彼を見下ろしたのは初めてだった。

 視界が高いはずだ。サリサは馬に乗っていた。手綱を握る者はサリサを抱えながら、グラブに包まれた手を軽く手を振った。

「貴殿のお陰で皆が無事だ。優先事項はそれ以外にない。ルシウス殿に落ち度はなかろう。それよりミランの暴走を食い止めながら追い払ったのだ。十二分ではないか」

「暴走って言わないで。私が術士じゃなかったら、サリサは連れ去られていた。それに私が雷を落としたから、アーサーもそれを目印にここに来られたんでしょう〜」

 古代、人々はある巨悪な存在に支配された時代があった。その余波で一部の人間は特殊な力を持つようになったのだが、ミランはその術が使える術士でもある。

 人類の約三割が、なんらかの特殊な術を使えるのだが、ほとんどが遺伝で伝わる。八卿であるミランの一族は主にいかずちを扱う。

「後半については概ね同意だが、最初の言については後ほど反論する。しかもあんな無茶を。私が間に合ったからよかったものの、そうでなければこちらの令嬢は落ちて大けがをしていたぞ」

「アーサーが来てるのが見えたから、ああしたんだよう」

「あなたは無事か」

 最後はサリサへの質問だった。顔を覗き込まれる。視線が重なり、サリサは相手の碧青の瞳を無言のままで見続けた。

 今更だが、サリサは見知らぬ男性に抱えられていた。

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