episode4 何の変哲もない放課後



「赤のボールペン、本当にありがとうございました。この恩は必ず返させて頂きますね。」


 あれから約4時間ほど、予定よりだいぶ長引いた始業式をやっと終え、帰り支度を整えた生徒が談笑しながら教室を出ていく中、建駒さん足早に俺の元にやってきてそう言った。


 その手には、しっかりと俺が渡したボールペンが握られている。


「別にいいよ、そんな大層なものじゃないし。」


「いいえ、恩は倍以上にして返します!私にできることがあればなんでも言ってくださいな!」


 天使のような表情で、彼女はそんなことを言う。

 こういうところが本当に心配だ。

 久遠は一応大丈夫だとして、その辺の変な奴に取って食われてしまいそうなほど世間知らずで、危険なくらいに純朴。


「………あんまり"なんでも"ってのは良くないかもしれないぞ、建駒さん。」


 俺の言葉に建駒さんは不思議そうにコテンと首を傾げた。光の具合なのか若干垂れ目がちな碧眼が煌めいて見える。


「えっと、?」


「そういうことは、あんまり男相手に言うもんじゃないぞってことだよ。もしかしたら俺が建駒さんの嫌がるようなことを要求するかもしれないだろ?」


「へ……?あぁ。」



「……ふふっ。それに関しては問題ありません。私、人を見る目にはかなり自信がありますから。」


 建駒さんは本気でわからないといった顔をした後、平然とそう言った。

 別に得意げに語っていたわけではなく、ただ当たり前のことを言っただけのような、そんな感じの口調だ。


「…………いや───」


 綺麗な翠玉色の虹彩こうさいに訴えかけようと俺は口を開く。

 が、それを遮るようにして建駒さんは言葉を続けた。



「それとも、棟方様は私が嫌がるようなことをしたいと思っているんですか?」



 そよ風のような、スッと脳へ沁み込むような声。

 責められている気も、問い詰められている気もしない。ただ疑問をぶつけられているだけなのに、なんだか心から不思議な感覚にさせる声だ。


「いや思ってない、けど。」


「それでしたら、少なくとも棟方様に関しては、私を見る目が正しかった、ということで間違いありませんよね?」


「……そうだな。」


「ふふっ。でしたらなんの問題もないですよね。安心してくださって結構ですよ。」


 胸の前にぎゅっと拳を握って建駒さんは嬉しそうに笑う。


 ……なんというか、なんだろうか。

 俺がなんとなく納得していないことに彼女も気づいているのだろう。


「では、本当にいつでも構いませんので何かあれば仰って下さいね!」


 そう言い残してから綺麗なお辞儀をすると、彼女はパタパタと小走りで教室を出ていった。

 ここまで押し切られると、逆に断る方が申し訳ない気もするし、今度適当な飲み物でも奢ってもらうことにしよう。

 メッセージアプリ”Rhinリイン”を開き、その旨を文字に起こした。


「…………よし。」


 建駒さんからの【了解です!】スタンプを戴いた俺は、鞄を持って立ち上がり、そのまま家に帰ろうと歩きだす。

 時刻はもうすぐ13時になろうとしている。


 (少し遅れたけど姉さん何か作ってくれないかな。)


 再びRhinを起動。今度は姉さんにメッセージを送ろうとする。が。


『棗くんごめんね!!』

『ちょっと用事ができちゃって由里と外出する!』

『多分遅くなるからお昼と夜ご飯は用意しておいたもの食べて貰っていい?』


 二頭身のウサギが両手をすり合わせているスタンプとともに日葵さんからメッセージが届いていた。


 送られてきたのはだいぶ前だった。

 さっき見逃してたか?と不審に思うも、機械である以上多少の誤作動はあり得る。

 たまにある通知が来ない奴だろう。


「まぁいいか。」


 一人呟きながら、既読をつけてから返信を打ち込む。


「……珍しいな。急用なんて。」


 俺の独り言は喧騒の中に消えていった。

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