第21話
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「聞きたかったのだけど」
次の予約はあまり日を開けず入れておいた。
忘れないうちに、私は先に切り出した。
『はい』
「専業主婦だったお母様のこと、今はどう思ってるの?」
すぐに言葉が返ってこなかった。
私は静かに待つ。
『母は未だに見つかってないって話はしましたよね?』
「えぇ」
『色々手続きが必要で大人の人達がまぁ勝手にと言うか、必要にかられてだとは思いますが、母の死亡届を既に出しています。
でも遺体を見たわけでも、葬式をした訳でもないのでどうも実感が無いんです。
だから』
言葉が途切れた。
少し、息を吐く声が届く。
心を必至に落ち着かせているのかも知れない。
『だから、こんなどうしようも無い子供が嫌になって失踪して、どっかで幸せに過ごしていたらいいな、なんて思います』
ぐっ、と胸が締め付けられた。
その声は、本音であるようで本音では無いという事を私に伝えた。
ずっとこの子は自分のせいだと思って責めてきたのだろう。
会いたいはずなのに、そんな風に言うこの子が溜まらなく痛々しい。
『今になれば、こんなどうしようもない子供なんて放って置いて、好きなことをしていてくれれば良かったのにと思います』
「大切な子供達がいるのに、母親が放っておける訳がないわ」
『でも子供を預けて仕事をしているお母さんなんて沢山いるじゃないですか』
なんだか彼はムキになっているように聞こえた。
「自分のせいでお母さんの人生を犠牲にしたと思っているのね?」
言葉が返ってこない。
そうだ、まだこの子は大学生。
それも大きな傷を背負った。
一見しっかりしているように見えて、親に素直に甘える事も出来なかったのだろう。
私からすればきっと反発していたことも甘えだと思うけれど、それは言うべきでは無いだろう。
「私がここを使い出した理由は知ってるわよね?」
『・・・・・・はい』
「ずっと子供達のために、夫のために必死に頑張って来たの。
それはきちんと出来ている母だったか、妻だったかと言えば違うと思う。
仕事をしながら、家族を介護しながら、それこそ病気を持ちながら必至に全てをこなしている方々からすれば、私なんて贅沢な立場だと思うし。
それでもね、辛いものは辛いのよ、情けないくらい。
趣味をしたらとか、外に出たらとか、それこそ隙間の時間に資格の勉強すればなんて言うけど、そんなエネルギー無いの。起きないの。
必至に人生を注ぎ込んでいた子供や夫から冷たくされると、自分の存在価値って何だったんだろうと思うのよ。
そうするしかなくて、目の前にあることをただひたすらにこなそうとしていたらこんな歳になって、急に怖くなったのよね」
情けない事を、ぼんやりと話す。
それも沢山の苦労をしたまだ大学生相手に。
一息つくために、湯飲みに入っている冷えたお茶を飲む。
「イチロウ君のお母さんじゃ私は無いから、もちろんお母さんの本当の気持ちなんてわからない。
でも、イチロウ君が大切だったのは間違いない。
医者になるために頑張っているけど、確かに過疎の問題を見たせいもあるのだろうけど、看護師だったお母様の事も影響しているんじゃない?」
少し間があった。
そしてちょっと軽い笑い声が聞こえた。
『さすがですね。
そうです、母の影響はあります。
被災した時思ったんですよ、沢山の看護師が避難所を回っていて、ただぼんやりと端っこで座っている自分より、母が看護師をしていたのならきっと多くの人の役に立って必要とされたのだろうなと。
自分の母親なんてやってるより、その方がきっと良かった』
「それは自分が産まれてこなかった方が良かったということ?」
『そう、ですね・・・・・・』
「そんな事を言われると母親としては悲しすぎるわ」
『なんか母から、貴方たちのために必死に頑張っているのに!というのがひしひしと押しつけられるのが嫌だったんですよ。
そんなに思うなら産まなきゃ良かっただろ!と何度思った事か』
思わず私が息を呑んだ。
そうだ、それは私もおそらくやっている事だ。
こんなにも人生を犠牲にして尽くしているのにと。
「その言葉には耳が痛いわ。
それ、私もやってると思う。というかしてるわね」
苦笑いを浮かべる。
でもどうしてもそういう気持ちになる。
必至に尽くしている事に、酷い態度で返されれば悲しくもなるのは悪いことだろうか。
『だから、何か始めてみませんか?』
「看護師に復帰しろって話?
実はあの後参考書一冊だけ買ってきたんだけど、見事なくらい覚えていないのよ。
この歳から覚え直して、仕事なんて出来るのかって思うのよね」
『お子さんの手が離れだして、看護学校に入られる方も多いようですよ?』
「そうねぇ、それは本当に凄い事だと思うわ」
『僕は母親に、あなたのために必至に尽くしてるとされるよりは、放置気味でいいので好きな事をして欲しかったです』
「ようは恩着せがましいのが嫌なのね」
『まぁ、そうですけど』
思わず二人で笑う。
『明日誰も無事生きてる保証なんて無いですよね』
「そうよね・・・・・・」
『ならダメ元でも、ただの逃避だろうと、始めてみませんか?
国としても大喜びだと思いますよ?』
「国が大喜びってのは凄いわねぇ」
何だか一気にきな臭くなったけれど本当の事だ。
『気がつけば今回でカフェでの時間も終わりですね』
急にそう振られ、時間を見ればもう少しで終わりだった。
20回、1時間ですることもあったから、気がつけばあっという間だった。
「ごめんなさいね、初めての客が私で」
『何言ってるんですか!
まさか母と同じ元看護師の方とお話が出来るなんて思いませんでした』
「イチロウ君のお母様が引き合わせてくれたのかも知れないわね」
なんて良く言いそうな台詞。
しかし、なんとなく今回はそうなのかも、と思ってしまったのだ。
『だとすると、母はまだ心配してるんでしょうね』
苦笑いが聞こえる。
「あぁごめんなさい!
そういう意味じゃ無かったの」
『えぇ、わかってます。
でも心配していて欲しいな、とも思います』
「それは母親なら当然よ」
『・・・・・・そろそろ終了時間ですね。
初めてで色々と至らない点があったかと思いますがありがとうございました。
利用後にアンケートがありますのでどうぞ遠慮なく書いて下さい』
「遠慮なく書いて良いの?」
『・・・・・・出来ればあまり凹まない感じにしてもらえると』
真面目な声が聞こえて、私は笑ってしまった。
「『宿り木カフェ』、実は怪しいと思いつつ始めたけど、やって良かったわ。
やっぱり何か動いてみないとわからないものね」
それは本当に思えた。
ネットで男性と話す、それだけ聞けば怪しさしかない。
いい歳してなんてことを始めたと思ったけれど、あの頃は本当に何でも良いからすがりたかったのだ。
よく考えれば、たまたま悪いものに引っかからなかっただけかもしれないけれど。
『そうですね。
僕もこれを始める時は、ずっと怒られ続けるとかならどうしようかと思ってました』
パソコン画面に残り時間がわずかだと静かに注意表示が出ている。
「色々とありがとう。
せっかくだから少しだけ前向きに看護師の勉強始めて見るわ。
イチロウ君も頑張って」
『少しだけって言うのずるいですよ。
はい、頑張ります。
もし医者と看護師としてお会いすることがあれば、よろしくお願いします』
そんなこと、あり得ないのはお互いわかっているけれど、彼なりのエールだとわかった。
「えぇ、元気でね」
『はい、失礼します』
少しだけ時間を残し、通話は終了した。
ヘッドフォンを置き、画面には『ご利用ありがとうございました。よろしければアンケートにご協力下さい』との表示。
私は笑ってアンケートのページに行くボタンをクリックした。
彼も今は希望に満ちていても、現実の凄まじさに心折れる日がくるかもしれない。
いや、彼は幼い頃に味わった大きな壁を今も必至に登っている。
きっと簡単に折れるなんて事は無いのだろう。
素晴らしい医師になって欲しいと、私はアンケートに書き込んだ。
私はその勢いを消してはいけないと、そのままネットでどう勉強し直すべきか検索した。
さすがに再度専門学校に行くお金もまとまった時間もない。
しかし思ったより、ブランクがあっても復帰するために支援する制度や勉強法が多く載っていて驚いた。
とりあえず勉強を軽くでもし直そう。
私は本屋に向かった。
*********
その日から、夜の10時から勉強時間なのでリビングを使うからテレビは禁止というと子供達は最初とても不満を言ったが、私が勉強をし始めるとおそらく本当に勉強をするとは思っていなかったのか、しぶしぶ不満は言わなくなった。
しばらくすると、娘がリビングに勉強道具を持って現れた。
私は驚いたが、何も言わずそのままにしていた。
そして一番驚いたのは、息子が、リビングでスマホのゲームをし始めたことだ。
「勉強しないで遊んでいるなら出てってよ」
「いいだろ、音させてないし」
「気が散る」
娘のイラッとした言葉に、息子が何故か押されている。
端から見ていて本当に珍しいものを見たと驚いた。
ぶつぶつ言いながら息子は部屋に戻ると、漫画を持ってきた。
そこにまた娘が怒る。
反抗期になって起きていなかった、五月蠅い兄弟げんかが始まった。
「二人とも、勉強の邪魔」
私の静かな言葉に子供達は顔を見合わせると、二人でまだ小声で揉めているようだった。
そしてそのうち、息子まで勉強を始めた。
本当に想像できないような風景だった。
あんなにどうしていいのかわからなかったことが、あの『宿り木カフェ』にたどり着き、彼と話し、私が動いたことでこんな風に家の中が変わるだなんて想像していなかった。
「ねぇ、本当に看護師になるの?」
夕食の時娘が聞いてきた。
「そうね、ある程度最低限勉強してから支援制度を受けてみて、短期間のものを探してみようと思ってるわよ」
「ふーん」
「だから、ある程度自分達でやってもらう事増えるからよろしくね」
「えー」
もの凄く嫌そうな娘に、息子も、え?という顔をしている。
「当たり前でしょ。
あんた達もそれなりの年齢なんだから、別に私が色々しなくても良いじゃない。
勝手にやれてあなたたちだって気が楽でしょ?」
私がそう言うと、子供達は今度はどう言い返すべきか悩んでいるようだった。
「それに、看護師に戻れば、少しは人の役に立てるしね」
その言葉に、子供達は目を丸くしていた。
別に人の役に立つ立たないが良い悪いではない。
専業主婦が人の役に立っていないだなんて思わない。
しかし、私はそろそろ子供から離れる準備が必要なのだろう。
母親でもありながら、恵子でもあるために。
「だから、応援よろしくね」
私が笑ってそう言うと、子供達は二人で顔を見合わせてまたぶつぶつと言い出した。
私はそんな二人を、穏やかな気持ちで見つめた。
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