第19話




『はじめまして』


そこから聞こえたのは、息子と同じくらいに聞こえるくらい若い男の子の声だった。


「はじめまして」


『僕はイチロウと言います。大学生です。』


はきはきとした言葉。

心配していたけれど、最初の印象だけで、きっとこの子は大学生でもかなりしっかりした子だと思った。


「あの・・・・・・私の事はケイ、と呼んで下さい」


私は名前を思いつかなくて、普通に名前から取ってしまった。


『ケイさんですね、わかりました。

今後はそうお呼びします。

あの、実は僕、宿り木カフェでスタッフをするのはこれが初めてなんです。

ですので色々失礼をしてしまうかもしれませんが、遠慮なく注意して頂ければと』


段々少し強ばったような声になり、緊張しているのが伝わってくる。

まるで何か私の方が面接官か、先輩のようだ。


「私もこういうのは初めてで。

だから私も変なことを言うかもしれないけど、気にしないでちょうだいね」


『はい、お気遣いありがとうございます。

データを頂き拝見しました。

お子さんが二人とも反抗期だとか』


「そうなの」


苦笑いで答える。

何故かするっと、初めての、それも大学生の男の子と会話している自分が不思議な気分だ。


「イチロウ君はなんだかそういうの無さそうね。

とても真面目そう」


そう言うと、あはは、と笑われた。


『まさか。

僕は小学生から酷くやんちゃしてまして、よく補導もされました』


「まぁ!」


『あまり昔はやんちゃしてたなんて、恥ずかしくて言いたくは無いんですが』


「でも今は大学まで行っているんでしょう?

何を勉強しているの?」


『医者になるための勉強です』


「医学部なの?あら凄い!

私、昔は看護師だったのよ!」


『えっ!?

それは僕の方が色々と現場の話を聞きたいくらいです!』


前のめりで話しているのがわかるくらい、彼の声が生き生きしているのがわかる。

その声に私は嬉しいと同時に、申し訳無くなった。


「ごめんなさい、看護師の経験はほんと若い頃の最初だけで、あとは家に入ってずっと遠のいているの」


『そうでしたか・・・・・・』


わかりやすいほどしょげた感じが伝わってきて、申し訳ないと思いつつもとても可愛い。


『あっと、そろそろ無料の自己紹介タイム終了なのですが』


たった短い時間だったのに、彼ともっと会話してみたいという気持ちが固まっていた。

こんなに話しやすいのだ、それも息子と年も近い。

これなら若い今の子の考え方でアドバイスをもらえるかもしれないと期待してしまう。


「イチロウ君でお願いしたい場合はどうすればいいの?」


『そのままサイトにある僕のスケジュールの所で、ケイさんが会う時間を押さえて頂ければ大丈夫です』


「私の希望としては昼に通話をしたいのだけど大丈夫かしら」


『僕も、夜はバイトや勉強があるので日中の方が良いんです。

ですからスケジュールもほとんどが昼間なので』


「わかりました、見てみるわ。

では今度からお願いしますね」


『はい、こちらこそどうぞお願い致します』


最初の通話を終え、私は息を吐いた。


何一つ悪いことをしている訳では無いのに、こっそり若い子と話してしまったことがとてもスリリングな事に思えて、私は久しぶりに楽しいことが出来たと思った。




「なんで鼻歌なんて歌ってるの」


「え?」


夕食を準備していたら、学校から帰ってきた娘に不審そうな顔で言われた。

まさか鼻歌なんてしているなんて。

こんな気持ちで夕食を作るのはいつぶりだろうか。


「ちょっとね」


私の簡単な答えに娘は一瞬面白く無さそうな顔をしたが、すぐにお菓子をもって部屋に戻ってしまった。

少しだけ見知らぬ彼と話しただけで、私には久しぶり外の世界と触れられた気にすらなっていた。



*********



次は4日後だった。


前回30分であっという間だったので、子供の帰るのが遅いこの日にし、1時間にした。




『こんにちは』


「こんにちは」


まだ硬い彼の声に少し笑みが浮かんでしまう。

でも、ここに登録した理由がある。

私は本題を切り出した。


「今日はここに登録した理由を話してもいいかしら」


『もちろんです』


「子供が反抗期ってのは書いたけど、スタッフの要望に母親が専業主婦だった人というのを入れたのは、そういう子はその母親をどう思っていたのかを知りたかったの。

イチロウ君のお母様は専業主婦だったのかしら」


『なるほど、そういう事でしたか。

まずは僕の母の事ですが、僕の母も元は看護師だったそうなんですよ。

なのでケイさんが話された時、とてもびっくりしました』


「まぁ、そうだったのね、奇遇だわ。

お母様が仕事をしていたのはイチロウ君が産まれる前?」


『結婚を機に辞めたそうです』


「ほとんど私と同じね」


『そして僕にも妹が居ました』


「あらうちと・・・・・・、ん?今居たって聞こえたような」


『はい。過去形です。亡くなりましたから』


「・・・・・・ごめんなさい」


『いえ、先に僕のことを話した方が良さそうですね。

僕の父と母と妹は、一緒に住んでいた僕以外の家族は亡くなりました。

あの東北の震災で』


「えっ・・・・・・」


突然聞かされた内容に声が出なくなった。

この真面目そうな、医者を目指す大学生がそんな過酷な状況にいただなんて。


色々と転勤をしたがあの地域には行ったことが無く、友人も親戚も被災しなかった。

だが多くの被害は見聞きしていたものの、まさかこんな所であの時被災した当事者と話すことになるなんて想像もしていなかった。


『すみません、驚かせましたね』


「驚いたけれど、謝罪する事じゃないわ。

もしも大丈夫なら、イチロウ君の事をもう少し聞かせてもらえないかしら」


『そうですね、あの時馬鹿をしてた僕が今医者を目指すことにした理由を話すことになりますし。

では・・・・・・』


彼はゆっくりと話し出した。


『うちは父、母、妹、僕の4人で生活していました。

小学生の時から僕は母に酷く反発していました。

勉強しろ勉強しろとそれはしつこいくらい母は毎日言ってましたよ。

一言で言えばうざい、です。

僕は、段々家によりつかなくなりました。


学校が終われば大きなショッピングセンターで柄の悪い先輩達とつるむのが、大人になった気にもなれて楽しかったんです。

そういうグループで喧嘩を起こし、警察に補導され、両親が警察署に来たこともありました』


「それはご両親も怒ったでしょう」


『えぇ。父には殴られましたし、母には半狂乱のように泣かれました。

でも、そんな事があったって僕には何も響かなかったんです。

むしろ、ざまぁくらい思ってました』


「何故?ご両親が心配していたのはわかったでしょう?」


『そうですね・・・・・・。

心配しているという状況はわかるんですが、心にこないんですよ。

どうせこいつらは世間体とか、自分の事しか考えて無いんだろうなって』


「そんな」


『今ならそうじゃないとも思えますが、その当時はそうは微塵も思えなかったんです。

むしろ憎かったとすら思います』


淡々と話すこの子の言葉に、それがまるで息子から向けられているような気がした。

憎かった。

今も息子はそう思って私から距離を置いているのだろうか。


「どうしよう、息子もそう思っているのかしら」


『息子さん、家に帰ってきていますか?』


「えぇ。

でもオンラインゲームがしたいからだけだと思うわ、パソコンと独りになれる環境が必要でしょうから」


『帰ってきて一歩も部屋から出ませんか?』


「そうじゃないけど、一時期酷くなって何とか話し合いは出来たの。

それで食事だけは一緒にしようと。

でもダイニングに来ても、ずっとスマホをいじってばかりで話もしないけれど」


『ならまだ大丈夫です。

本当に嫌なら食事を持ってこさせるし、わざわざ部屋から出てきませんよ』


「そうかしら・・・・・・。

ごめんなさい話を折って。

続きの話を聞かせてもらえる?」


『えっと、親が憎かったって話をしましたね。

それは両親ができの良い妹の方を大事にしている気がして面白くなくて。

時々妹を苛めたりしました。

妹に嫌われていたのも当然です』


「そうなの・・・・・・。

うちは妹が、お兄ちゃんばかりずるいと言うのよ」


『もしかしたら妹もそう思っていたのかも知れませんね。

当時の僕には絶対思いつきもしなかったでしょうけど』


苦笑いするのが伝わってくる。

急に気がついた。

私に過去のことを話すことで、この子に心の傷を増やしていないだろうか。


「ごめんなさい、辛い思い出を話させてしまって。

聞いておいて勝手だけれど、もうやめて良いから」


『あっ、すみません。そういうのでは無いんです。

話したいから、話しているんです。

そうじゃなきゃ、スタッフに登録したりしませんから』


慌てたように彼は言った。

彼なりに何か理由があって、宿り木カフェのスタッフをしているのだろう。

私は彼に、大丈夫なら話を続けて欲しいとお願いした。

どうしても、そんな彼の人生が知りたくなった。


『まぁ小学生でそんな状態だったので、中学に入ると悪化しました。

付き合う相手がより悪かったんです。

その連中が盗みとかタバコや酒というのをしているのは聞きました。

僕はしてませんでしたが、そんな事をすることに憧れすら持ってましたね。


それで震災のあったあの日。

僕は学校をずる休みし、悪友達とショッピングセンターでたむろしてました。

数日前から家族とろくに会話もしてませんでしたが、別になんとも思っていませんでした。

まさか二度と話せなくなるなんて、思ってもいませんでしたから』


私は淡々と話す、ネットの向こう側にいる現実の男の子の表情が気になりながら、話をじっと聞いていた。


『地震直後、自分達は何がなんだかわかりませんでした。

心配で家に戻るメンバーも居ました。

僕は戻りませんでした。

大した事はないと思っていたんです』


少し言葉が止まった。

泣いているのではと心配になる。


「ごめんなさい、やっぱり止めない?」


『いえ、聞いて下さい。

自分達が居た場所は高台でした。


結果として僕やそこに居た人達、逃げてきた人は助かりました。

僕の家は海岸線に近くで津波にのみ込まれました。

街が津波に飲み込まれるのを多くの人達と目の当たりにしました。

それが現実なのに、それを見ながらも現実に思えなくて。

そして初めて家族が心配になりました。


これは全て後から色々な人達に聞いて回って知ったことですが、父は仕事先から家に向かおうとしていた車に乗ったまま、家には母と妹がいたようで、母は妹を家に居るように言って、僕を捜しに車で出ていったそうです。


僕は家族を探し始めました。

家が無くなったことはわかっていたので避難所を何カ所も回って。

でも人づてに父の遺体があると聞き、父の遺体と向き合って初めて家族が消えてしまったのかも知れないと理解したんです。

妹はそれからかなり探し回って、見つけたのはかなり離れたとある体育館に並んでいる遺体の一つでした。

そして、僕を捜しに行ったまま、母は未だに見つかっていません』


言葉が出ない。


初めて震災の被災者から生々しい言葉を聞いている。

そんなことの経験が無く、なんて言葉を出して、そしてこの子にかけていいのかわからなかった。


画面の下に、ピコンと表示が出た。

終了間近を知らせている。


『あ、そろそろ終わりですね。

すみません、僕ばかりこんな話を』


「いえ、いいのよ」


『これじゃ僕がお客さんです、まずいです』


「ううん、私はこんな事を言ってはいけないのかもしれないけれど、とても貴重な話を聞けているわ。

まだ大丈夫なのならイチロウ君の話を聞かせて。


それと、こういう話をした後は自覚が無くても精神的にダメージがくるから、ゆっくり深呼吸して、温かい飲み物でも飲んで落ち着けてね」


『はい。

さすがは看護師をされていただけありますね、参考にします。

では、失礼します』


通話が終わった。


正直気持ちが重かった。

たった中学生の子供が味わったものとしては重すぎる現実だ。

しかしそれが沢山の人に起きたのだ。

ニュースで知っているようで、当事者から話を聞くという重みの違いを味わった。




「なにそれ」


翌日私は図書館に行って、震災関連の本を数冊借りてきた。

それも子供が経験したことをまとめてある本も含めて。

その本を夜読んでいたら、飲み物を取りに来た長男が珍しく話しかけてきた。


「震災を経験した子供達の話をまとめた本よ」


「へー、俺関係ないし」


「あなたより年下の子が、家族全ていなくなったりしたのよ?」


「だからそれ俺じゃないし」


「あなたが明日その立場にならない保証なんてないでしょ?」


「そんなん知らね」


息子はもの凄く嫌そうな顔をすると、飲み物を持って部屋に戻ってしまった。


そうだ、明日、私やこの子が死ぬかも知れないし、私だけ生き残るかも知れない。

そんなこと、深く考えた事なんて無かった。

それを息子は今話しても自分の事に置き換えて考えられないだろう。

本を読みながら、私は色々と考えていた。



『宿り木カフェ』に登録したきっかけは、私は一体?と思う虚しさだった。

もし明日私が死ぬとしたら?子供達が、夫が死んで私一人残されたら?

全て解放されただなんて思うのだろうか。

いや、必至に人生を注いでいたものを全て失って解放される訳が無い。

むしろ抜け殻になるだろう。


思い返せば今と家族のことしか考えていなかった。

全く違う世界に触れ、それも自分の子供の年齢に近い子供から、いや、遙かに多くの事を経験したであろう彼から聞く言葉は、ずっと主婦という職業で生きていた私には刺激がおそろしく大きかった。


専業主婦の母を嫌っていたあの子も、震災があったから今の彼になったのだろう。

しかし本を読んでいる私に声をかけた息子は、私の問いかけにあんな返答しかしなかった。

それにため息しか出ない。


私の何が悪かったのだろうか。

きっとあの子のお母さんもそんな気持ちだったような気がする。

どんな気持ちで、必至に息子を捜しに行ったのだろう。


私はひたすらに落ち込んでしまった。





「ねぇ、なんで今度は落ち込んでるの」


また娘に指摘された。

私がわかりやすいのか、娘が鋭いのかわからないのだけれど。


「ちょっとね・・・・・・」


ため息混じりに返事をして、娘にも聞いてみようと思った。


「ねぇ、この後震災に巻き込まれて、あなた以外みんな死んでしまったらどうする?」


娘は一瞬ぽかんとしたが、


「私も死ぬ」


それだけ言って部屋に戻っていった。


刺激が強かっただろうか。

でも彼がその立場になったのは娘と同じ年齢。

年齢なんて実際は関係ないのに。


やはり子供と向き合うのは難しい。



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