Case4 思春期の子供達に悩む主婦43歳
第18話
こんなはずではなかった。
一生懸命愛情をもって育ててきた。
なのに何故こんなにも冷え切った夕食をしているのだろう。
目の前に家族がいるのに。
私、鈴木恵子はそろそろ40も半ば近くになった。
子供は二人。
上が高校生の男の子、下は中学生の女の子。
夫は大手銀行勤務、私は専業主婦。
駅から少し距離はあるものの戸建ての持ち家もある。
端から見えれば、素晴らしい理想的な家庭に見えるだろう。
私はもともと看護師だった。
高校卒業後看護系の専門学校に通い、中規模の病院に就職した。
まだまだ駆け出し、失敗を重ね日々一生懸命だったそんな時、受け持った入院患者の一人が今の夫だった。
彼はごく初期のガンだった。
手術で切除すればほぼ根治出来るというこちらからすれば幸運な状況だったのだが、当時の夫はまだ若く相当なショックを受けたようだった。
それをまだ患者との距離感もわかっていなかった私は、彼に根気強く励ました。
同僚達から窘められたが、どうしてもあそこまで落ち込んでいる人を放置できなかった。
手術は無事成功、それも短時間。
数え切れないほど手術している医師達からすれば、彼に説明したとおり簡単に終わった。
彼はすぐに退院が決まったのだが、そこで彼は私に結婚を前提に交際して欲しいと言い出した。
相手は大手銀行マン、大学も一流大学出身。
本人も生活には苦労させないと私を説得してきたが、ようやく看護師という資格と仕事について間もなく、私はありがたい話だと思いつつも断った。
周囲からは、もったいない、こんな薄給で大変な仕事より専業主婦になれるほうが良いのにと言われた。
確かに専門学校卒の私がそんな一流の人に交際を申し込まれたというのに、それを断ったのは早まったかなと思ったりもした。
だがまだ看護師の仕事をしたい私はそれで良いと言い聞かせていたのに、彼は退院してもめげなかった。
ことあるごとに病院へ来て、私を口説いた。
きっとあの時期が一番幸せだったのかも知れない。
私は彼の熱意に負け、交際を承諾した。
だがすぐに彼は転勤の話が出て、そのまま結婚を申し込まれた。
これからも支えて欲しい。
彼の私に対する願いを受け入れ、転勤前にと急ぐように結婚式を挙げた。
そして、あんなに頑張って憧れの看護師になったのに、転勤のために辞めることになった。
彼は、君は資格を持っているんだ、転勤先でもすぐに仕事は見つかるよと言い、私はまだそんなに経験もしていないのに大丈夫だろうかという不安を抱え引っ越した。
転勤先で彼は私が家で待ってくれていることを望み、忙しい彼の支えになるのならと看護師の仕事はパートで入ることにした。
転勤先は大都市では無かったものの、小さなクリニックでは常に人手不足ですぐに仕事は決まったのはホッとした。
だが一年して転勤の辞令が下りた。
一年だ、まさか一年で転勤するなんて。
それも近くでは無い、全く気候すら違う場所。
私は彼がそういう職業である事を理解していなかった。
銀行に勤めていると聞けば一見収入が高く気楽なイメージもあるが、転勤が頻繁で想像以上に大変であることをそれから思い知る。
せっかく慣れてきたクリニックを辞め、また違う土地に行く。
次の場所も二年も居ないで転勤になったときは愕然とした。
まだ夫婦二人だけでいるなら転勤するのも身軽で良かった。
子供が出来ての転勤は本当に大変だった。
こんなに転勤が多く、仕事もままならない私に、彼は家族が増えることを望んだ。
兄弟のいない彼は子供は二人欲しいと常々言っていたが、転勤をしながら二人の子供に恵まれた。
その時には看護師のパートも既に辞めざるを得なかった。
パートなのに育児休暇が取れるわけも無い。
どこも人手不足、すぐさま人を補充しなければならないのは当然。
育児、そしてまた妊娠。
私が看護師の仕事に戻ることは無かった。
私も転勤の度に大変だったが、それは子供達も同じ。
上の子は通った小学校が4つある。
子供達はそれでも適応能力があるのか、その場その場で友人を作れた。
しかし私はそうはいかなかった。
転勤する時、基本社宅に入るわけだが、これがまた他の奥様方との付き合いが大変だった。
毎回どの人がボスなのかチェックし、夫の地位が私の地位になり、奥様達の間ではほとんど一番年の若かった私は、いつも社宅の面倒事を押しつけられた。
貴女の評価が夫の評価に影響させるのよといわんばかりの圧力と、子供達が仲間はずれにされるのが恐ろしくて、私は笑顔で必至に付き合いと雑用をこなした。
しかしそんな事を相談しても、夫は忙しいからと真剣に聞いてはくれず、まともに相手にもしなかった。
久しぶりに地元へ帰ったとき、それを知った専門学校時代の友人達が久しぶりに会おうと場を設けてくれた。
久しぶりに再会した友人達は、まだバリバリ第一線で仕事をしている子が多かった。
私は仲間内では結婚も出産も早かったため、すっかり看護師の世界からは離れていて、全く会話についていけなかった。
私は久しぶりに友人達と会えたのに、黙っていることが多いことに気付く。
だってあっという間に無くなってしまったのだ、私が話すことの出来る話題が。
話せたのはほとんど子供のこと、夫のこと。
自分自身に起きているのは面倒事だけで愚痴になってしまう。
友人達と会話をしたことで、私は私自身について話せる事が何も無いことに気付いて呆然とした。
「何言ってるの、主婦だって立派な職業だよ」
「そうよ、給与に換算すると凄いのよ」
「旦那さんが気兼ねなく仕事を出来るって素晴らしい事じゃ無い」
話す言葉もう何も無いのと言ってしまった私に友人達は驚いた顔をしたが、そう言って励ましてくれた。
そうよね、そうだよね、と言いつつ、ただ不安になった。
上の子が高校生になろうとするとき、また夫に転勤の話が出た。
もう転勤も無いだろうと戸建てを買った直後のこと。
ようやく自分の家が出来た、社宅で肩身の狭い思いをしないで済む、色々な喜びがあった。
なのに無情にもまた転勤の話だ。
どうも家を買ったり、結婚した者は早々転勤を断ることはないと、わざと転勤を振りやすいなんて話を小耳に挟んだ。
本当ならなんてふざけた話だろう。
ローンを抱えた家もある、子供達には入試がある。
今の場所なら子供達にとっても環境が良い、選べる学校の幅も広いというのが決め手の一つだったし何より子供達も自室が初めて持てることに喜んでいた。
流石に家族全員で転勤は無理では無いだろうか。
夫婦で話し合い、夫は渋々単身赴任することになった。
単身赴任したはいいものの、出費が大変だった。
夫の転勤先の住居費は会社負担でも、経済的にもかなりの負担になる。
何せもう一つ家が必要なのだから、家電に日用品、出費はかなりかかった。
時々夫はこちらに帰ってきたが、飛行機を使う必要があるため頻度は減った。
久しぶりの一人の生活は色々と大変だったのか夫は体調不良で倒れ、私は心臓が止まる思いで現地に向かったこともある。
あの時だけは、私が家を支えてくれていることを実感してくれたようだったが、元気になれば私へのいたわりの言葉などすぐに消えてしまった。
上の子は大学までエスカレートになる高校へ受験を決め、試験勉強でピリピリし、私は子供達をサポートしながら、食生活が乱れがちになる単身赴任中の夫にもこまめに連絡する。
五月蠅いと言われたけれど、今倒れられても子供達を置いていけないのだからと喧嘩になった。
なんとか上の子は無事合格。
ホッとしたのもつかの間、今度は酷い反抗期が揃って始まった。
それも兄弟揃って。
自分が親に反抗した記憶があまりないので、二人の態度と言動に私は途惑った。
下の子があまりに我が侭を言うので怒ったら、娘は顔を真っ赤にして「いつもお兄ちゃんばっかり!」と泣いて叫んだ。
そんなつもりはなかった。
確かに息子の試験があるから、それなりに娘には我慢をさせただろう。
娘は部屋で物を投げるほどに暴れた。
投げる物はクッションとかぬいぐるみ。
彼女なりに加減はしていたようだが、ここまで手がつけられないほどかんしゃくを起こすなんて。
私の中学生時代とはあまりに違う自分の娘に途惑った。
そして長男は、高校に入った途端、緊張の糸が切れたかのように、学校から買ってくると自室に籠もるようになった。
どうもオンラインゲームにはまってしまったようだった。
一睡もせずに休みの日などは翌日昼までやっているのを知った時は、言葉が出なかった。
どうすれば息子をゲームから引き離せるのか。
色々と調べ、無理にそういう機械を取り上げるのは逆効果なのだとテレビだったか新聞か何かで知った。
娘のかんしゃくも我慢、不満、甘えの表れだという。
どれを読んでも、親子の関係を深めて下さいなんてアドバイスが書いてある。
ということは、あんなに愛して育ててきた子供達からすれば私との関係は浅いというのだろうか。
何だか育児をしてきた自分に、落第点を押された気がした。
だが放置しておく訳にもいない。
何とか子供達としようと話し合おうとしたが、子供達は一切を拒否する。
それでも我慢強く声をかけ、なんとか夕食だけ一緒にとるようには出来るようになった。
それだけと思うだろうが、そこに行き着くまで紆余曲折あった訳で。
でも息子はずっとスマホをいじったまま、娘はテレビを見ているだけで食卓には会話が無かった。
栄養のあるものをと、飽きないようにと、この子達の好きな物をと、必至に朝も昼も夜もご飯を作っても、ありがとうも美味しかったとも何にも私に言わない。
私はたまりかねて夫に電話をした。
『それは君の仕事だろ。
俺はこっちで独りずっと必至に仕事して家族を養ってるんだ。
専業主婦なんてやってるんだからそれくらいこなせよ』
面倒そうな声。
そして電話は私の言葉も待たず忙しいの一言で、一方的に切れた。
私の中の何かが、ガラガラと崩れていく音がした。
私は一体なんなのだろう。
家政婦か何かなのだろうか。
この頃私は何をした?
去年は何をしていた?
必至に思い出そうとしても、思いだしても家族のことしかしていない。
私は一体なんなのだろう。
そういう疑問だけが降り積もって積み重なって、息が出来なくなった。
子供達が出かけて、ぼんやりとパソコンをいじりネットサーフィンをしていた。
知らず知らず検索欄に入れていた単語は、悩みや愚痴ばかり。
そんな中でふととあるサイトに目に留まった。
『このカフェで少し心を休めてみませんか?』
というキャッチフレーズの書いてある、『宿り木カフェ』というサイトだった。
出会い系かもしれない。
何かお金を色々とられるかもと思った。
だけれど、スタッフとの会話は1回30分500円、自己紹介分を含まず最大20回で1万円、それも1回ずつ前払いで良い。
支払い方法も幅広く、途中で止めても良い、個人情報も不要というので、興味本位で登録してみた。
はっきりいってこの何も無い時間に、人生に、少しでもスリルを味わってみたい、そんな気持ちがあったのかもしれない。
宿り木カフェのスタッフは20歳~80代までの男性と書いてあり驚いた。
客は女性のみ、スタッフは男性のみなんて変わったシステムだ。
やはり怪しい。
だけれど私はそんな考えを持ちながらも、登録を始めていた。
私はスタッフ希望欄に、
『若い人。母親が専業主婦だった人。日中に通話が出来る人』
と記入し、自分の状況を書く欄に、『高校生の息子、中学生の娘が反抗期、夫は単身赴任で家庭に興味なし。私の存在意義に疑問』と書いておいた。
書きながら、なんて情けないのだろうと思った。
登録を済ませて我に返る。
こんな弱った主婦なんて、何か悪い勧誘のターゲットにはならないだろうか。
心配しながらも、その反面私は久しぶりに味わう新しい何かに期待してしまっていた。
そしてそのネットサイトで自己紹介のをする初めての日になった。
子供の帰ってこない時間、買い物にも行く前に通話が終わるように、昼あたりに最初はお願いした。
こんな時間に対応する若い人なんて、もしかしたらフリーターか何かかも知れない。
当日のこんな直前になって話すことが怖くなったが、もうここまで来たらやるしかない。
私は子供が以前買って使っていなかったヘッドセットをつけた。
音が聞こえて着信を知らせる。
私は緊張しながら通話ボタンを押した。
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