第17話


*********



私はずっとリュウさんの言葉が気になっていた。

彼は本当に私を狙っていたのだろうか。


知りたい。


結局私はその欲求に勝てなかった。




久しぶりのデート。

いつものように食事をし、ホテルに入った。

彼から降り注ぐ口づけを味わったあと、私は切り出した。


「実は聞きたいことがあるの」


私の真面目な顔と声に彼はきょとんとしたあと、お互い並んでソファーに座る。

私は少し俯いた後、意を決して彼を見た。


「あのね?最初の時、ゴム持っていたよね?それは何故?

もしかして・・・・・・私を狙っていたり、したの?」


最後、怖くなって目を彼から背けてしまった。

気のせいだ、自意識過剰だと言われるのが怖くなったのだ。


だけど少し時間をおいて、笑い声が聞こえる。

私は驚いて彼を見た。


「なんだ、てっきり俺の気持ちを知っていたものと」


目を見開く。

どういう事だろう。


「え、気持ち?

もしかしてあの夜よりずっと前からってこと?」


「そうだよ」


「じゃ、じゃぁあのプロジェクトに選抜されたのは・・・・・・」


「それは勘違いしないでくれ。

仕事はプロ意識を持ってやるよういつも言っているだろう?

まぁ2回目の出張は完全に自分の下心で泊まれるように日程を組んだだけ。

そもそも君の仕事の部分は切り離していたよ。

そして最初のプレゼンは君だからこそ任せたんだ。

出張で泊まることに決まったときは、あわよくばと思っていたことは認めるよ」


にっこりとそう言い放った彼を呆然と見る。

全てリュウさんの言ったとおりだった。

急に、もしかしてリュウさんが彼なのではと思えてくるほど重なってくる。

じっと彼を見つめていたら、彼の目が細まった。


「で、君にそんな事を吹き込んだのは誰?」


「えっ・・・・・・」


「今まで何も疑問に思っていなかった君が、突然そんな事を言ったんだ。

誰かに指摘されたんだろう?

で、そんな事を君が信頼して話すことが出来る相手、男だね?

それをそんな風に指摘できる男って俺の知ってるやつ?」


「あ、その」


「なんだか嫌な感じがするんだよなぁ。

相当心から信用しきっているだろう?その男の事を。

そうじゃなきゃいつも慎重な君が誰かに話すわけが無い」


「あ、あの」


「さて、今からじっくり吐いてもらおうか、俺の知らないその男の事を」


彼はにっこりと微笑んでいる。

ゆっくりと近づく彼の顔を見ながら、全身の血の気が引く音が聞こえた。







くっくっくっとヘットフォンの向こうで、ずっとリュウさんは笑っている。


「本当に散々だったんですって・・・・・・」


彼の嫉妬心は驚くほどのものだった。

私は翌日声が嗄れ、身体中が筋肉痛になった。

彼は日頃から鍛えているというのは伊達ではないようで、年上なのに一切翌日疲れていなかった。


『で、『宿り木カフェ』の事を彼に話してしまったと』


「その場でスマホをチェックされました・・・・・・」


またむこうから笑い声が聞こえる。


『で、彼はサイトを見てなんて?

やめろとは言われなかったでしょ?』


「そうなんです!

てっきりやめろと言われるのかと」


『そもそも始めた理由を伝えたんでしょ?』


「はい、その点については彼が謝ってました。

彼のせいじゃないのに」


『まぁ誰にも言えないのはきついし、彼にもそれは責任があるから当然だ。

で、やめないで良い理由を彼はなんて言った?』


「規約を見て、納得したようでした」


『あはは、まぁ一応そういうことにしただけだよ』


「一応?」


『彼は僕と同じで、狩る事に楽しみを覚えるタイプだ。

それもじっくりと待ってる時間も楽しめるほどの。

だから、君がここに来て僕と話をしていたって嫉妬はしても止めることはない。

今度は僕から君を奪い返す楽しみが出来たのさ。

自分の事だけで君が一杯になれば勝ちだからね。

むしろこのサイトは、危険な愛のスパイスくらいに感じてるだろう』


今までなら彼とリュウさんとは時々重なって見えることがあったとしてもやはり違うと思っていた。

だけれど彼も認めたのだ、おそらくそのネットの彼は自分と似ているのだろうと。

そのせいで、リュウさんの言葉が彼の言葉のように聞こえてしまう。


「前の会社でもそうだったか聞いた?」


『忘れていました。

というかそれどころじゃありませんでした』


やはり笑い声が聞こえる。

少ししてリュウさんが話し始めた。


『僕はね、可愛がってる女の子達が綺麗になって自分の元を離れていくのが嬉しいんだ』


「え?」


『ある程度すると、彼女たちは自分から離れていくんだよ。

喧嘩して別れるとかじゃない、満足して、今度は自分の幸せを掴みに歩き出すんだ。


僕はあくまで原石を磨く職人みたいな者で、美しくなった宝石が高い額で良い客に買われるのを見ると僕も満足する』


「そ、そういうものですか?」


まさか不倫というような関係で、そんな別れ方が、終わり方があるなんて思わなかった。


『僕は彼女たちのおかげで良い男であり続けようと努力できた。

彼女たちはそんな僕に愛されることで自信をつけ、美しくなった。

僕を踏み台にしてステップアップしてくれるなんて、そんな嬉しい事は無いじゃ無いか』


ヘッドフォンの向こうから聞こえるリュウさんの声は、本当に満足そうだ。


『・・・・・そろそろ僕とカフェで過ごす時間も終わるね』


「そう、ですね・・・・・」


彼の事を沢山初めて話せた人。


リュウさんと話さなければ、自分が彼から狙われたいたなんて知らなかっただろう。

でも、それがまた私に自信をつけてくれたのだ。


『確かに不倫は道徳的にも問題だし、いざとなれば全てを失ったり民事上の責任も問われる』


急に真面目な声で話し出したリュウさんの言葉を、はい、と答え私は耳を傾ける。


『でも好きな人と両思いになれるなんて人生で早々にない。

くだらない男に何度もひっかかるより、君が尊敬し憧れた男にそこまで夢中にさせた君は凄いんだよ』


「そんなほめ方、初めてされました」


そういう見方もあるんだ。

夢中になってくれているかはわからない。

だけど彼と出会え、過ごせている時間は幸せだと思う。


『君もわかっているように、この関係は長くは続かない。

周りも気がつくほど君は魅力的になってきているのだろう。

きっと君に想いを寄せる男だって現れているのかも知れない。

そして彼が離婚することはない。

なら、少しずつ、意識を外に向ける頃合いだ』


そうはっきりと言われ、急に、怖い、という感覚が襲ってくる。


『怖いかい?』


「・・・・・・はい」


『でも十分お互いに高めあえたはずだ。

もしも彼がそれを許さないのなら、それは筋違いだ。

彼は絶対、君を選ばないのだから』


どくん、と心臓が掴まれた。


そうだ、それをわかっていたはずなのに、もうかなり二人で過ごしていることで、時々忘れていなかっただろうか。

二人で会う時は、私が唯一になってほしいと。

それくらいは許されると思ったけれど、それはどんどん欲深くなっていくのだろうか。


「そろそろ、巣立ちの時なのでしょうか」


『少なくともどこかで巣立たないといけないね』


「リュウさんは相手にそう言われた時、寂しくないですか?」


『そうだなぁ。

寂しくない訳じゃ無いけど、僕は彼女たちに妻という位置は絶対にあげられないから、巣立つ様子が無いようならむしろ飛び立つように仕向けているからね。

その後の報告も彼女たちはしてくれるし、辛い時はいつでも声をかけるように言っている。

アフターケアという訳じゃ無いけど、一度可愛がった以上責任を持たないと』


「なんだか不倫なのに変な話ですね」


『確かにね』


「本当に奥さんにしたいと思った人はいませんか?

要求してきた人は?」


『どちらもないよ。

女の子を見る目には自信があるんだ。

というか人を見る目は自信があるよ。

こういう仕事で伸びているのもそういうのがあってこそだし』


「そんなリュウさんの一番になるなんて凄いですね、奥様」


『僕にはもったいないくらい素晴らしい女性だよ』


「でも不倫するんですね」


『そこに山があると登りたくなるじゃないか』


「意味が分からないです」


私が呆れた声で言うと、ほんとにね、と笑い声が聞こえた。


「彼が別れたくないと言ったらどうしよう。

いやそんなことないのかな」


思わず呟く。


面と向かってそんなことを言える自信はまだない。

それに、簡単に手を離されるのも寂しい気がする。

それは単に肉体関係だけ結べればそれで良かったと突きつけられる訳で。


『彼が本当に僕に似ているのならきっと寂しいながらも見送るし、その後仕事に影響させることもしないだろう。

でももし彼が君に不条理な執着をするのなら、そこまで夢中にさせた君の魅力を自分の中で褒めながら、目一杯振ってあげなさい』


とても優しい声でリュウさんはそう後押ししてくれた。


私はどうしたいだろう、どうされたいのだろう。


「まだ自分の中で怖い気持ちと戸惑いがあります」


『そうだろうね。

でもね、これはきっかけだと思えばいい。

巣立つ時を僕から聞くために出会ったのだと』


「・・・・・・元々は幼なじみを失った事が発端だったんですけどね」


『それは仕方ない、君がしたことの罰だ。

彼女だっておそらく傷ついただろう。

真面目で純潔に見える親友からそんな言葉を聞いたんだ。

自分の気持ちを一方的に理解して欲しいとぶつけてしまったのは、君が反省すべき点だね。

でも君は人としても女性としても彼に出会って成長出来た。

幼なじみのことはその分の経費だと思いなさい』


「・・・・・・はい」


リュウさんの言葉って凄い。

多くの女性が彼によって磨かれたのかと思うと、彼女たちが羨ましく思ってしまった。


『そろそろ時間だね』


「リュウさん」


『ん?』


「色々とありがとうございました。

リュウさんって彼女たちにとってリアル宿り木カフェみたいですね」


笑いながらそういうと、笑い声が聞こえてきた。

リュウさんの笑い声は優しくて、時に意地悪に聞こえて。

だけれど決して私を見下すこともなく、優しく寄り添ってくれた。

最後に彼が言った言葉も、全てが私への優しさ故だってわかる。

こんな凄い人に出会えたことも、きっと私は幸運だったのだろう。


『こちらのお客様にも、彼女たちにも喜んで貰えるスタッフでいられるように精進しなければ』


「ふふ。

私も頑張って巣立つ準備します」


『そうだね、まずは準備だ。

君が素敵な未婚の男性と出逢えることを祈っているよ』


「はい!リュウさんもほどほどに」


笑い声が聞こえる。

リュウさんの笑い声は大人だったり子供だったり、話していて本当に楽しかった。


『それはなんとも。

・・・・・・では、さようなら、素敵なお嬢さん」


「・・・・・・はい。

リュウさん、さようなら」


通話終了の表示がパソコンに出て、私はヘッドフォンを取り外した。




これは彼から巣立つための出会い。

私はきっと彼に包まれ、やっと大人の女性として自信を持って歩けるようにしてもらったのだろう。


怖いけど、少しずつ外の男性に目を向けていかなければならない。

彼の唯一の席に座ることが出来ない以上、私が選ぶ道は一つしか無いってわかっていた。

ただ、甘い時間に捕らわれてそこから抜け出す勇気が無かった。

そのきっかけを、宿り木カフェのリュウさんがくれたのだ。


私は、残りの少なくなったコーヒーのマグカップを持つと、一気に飲み干した。



*********



彼にこの事を話したらどんな反応をするのだろうか。

もしかしたらすぐさま話もしてくれなくなるのだろうか。

急に態度が変わってしまうかもしれないと、不安ばかりでとても怖かった。


私は勇気を出して彼に、折り入って話がしたいと連絡した。

会うのは怖いから電話でと思ったのに、彼は頑なに、会うまで話をしないで欲しいと言った。



ようやく二人きりで会えることになったその日、車で出かけることになった。

途中話し出そうとしたら止められ、行った先でとまた止められて話すことは出来なかった。

もしかして、怒って山奥で置いておかれたらどうしようかと変な心配が横切る。

そんなことをする人では無いってわかっているのに、不安ばかりが増してしまう。



着いた場所は、街が見下ろせる高台だった。

あちこちにカップルが見受けられるが人のない場所まで誘導されると、彼は私に向き合った。


「好きな人が出来た?」


「え?」


「別れを言いに来たんだろう?」


困ったように言う彼に言葉を上手く出せない。


「俺のせいで大切な幼なじみを無くして、ずっと誰にも言えない関係を続けさせて申し訳無かったと思ってる。

本音を言えば渡したくはないけれど、そんな事を言える立場じゃないからね」


あぁリュウさんの言ったとおりだ。

きっとこうやって、リュウさんも巣立つように切り出したりしたのかもしれない。


「違うの」


じっと彼は続きを促すように私を見ている。


「もうそろそろあなたから巣立つ時期なのだろうと思って」


「好きな人が出来たのではなく?」


「出来るのならあなた以上に好きになれる人に、これから出会いたいと思います」


私がそう言って笑うと、彼は大きく息を吐いた。


「そうか。

例の怪しげな彼の入れ知恵か?」


「まぁそうです」


「彼は俺がどうするって言った?」


「まさにさっきのような発言で。

彼なら巣立ったとしても仕事には影響させないだろうとも」


その言葉に彼は笑った。


「きっと彼に会えば同族嫌悪で喧嘩してしまいそうだ」


「本当に似てると思うよ?」


「俺もそう思う」


「あの」


「ん?」


「前の会社でも不倫していたの?」


上目遣いで聞けば、彼はにやりと笑った。


「残念。それは彼の期待を裏切るようだが、君が初めてだよ。

そして、もうこんな事はしないと思う」


「本当に?」


「そうそう危険を冒してまでモノにしたい女性になんて出逢えないよ。

それに・・・・・・こうやって別れを言われるのは、身勝手だけど辛いとわかったしね」


そう言って彼は私を抱きしめた。


「巣立っても、何かあれば相談に乗るよ、一人の上司としてね」


「うん・・・・・・。

凹んだ時は美味しい物でも食べに連れてってね、上司と部下として」


「あぁ、わかった。

君に恥じない上司としてこれからも頑張ろう」


辛い。


気を抜けば泣き崩れてしまいそうだ。


初めて本気で好きになってそして愛してくれた人は、既に他の女性のものだった。

苦しいけれど、私は頑張って笑顔を浮かべた。


「私に幸せをくれてありがとう」


「こちらこそ。

君と過ごした時間をきっと俺は忘れない」


私達は笑って手を繋いで、夜景のよく見える方に歩き出す。

あと少しだけ、最後のデートを楽しむために。

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